2021/12/31

 

今年一年お疲れ様です!

 

ギリギリ間に合いました

こんばんは!全国的な寒波からの脱出に成功し、何とか年内中のレポートを完成させ安心して、ぬくぬくと実家での大晦日を過ごす権利を獲得した大城です。

 

今年も残り四時間を切りました。あとほんのちょっとで2021年が終わっちゃいます💦

 

今まで関東圏の部員のみんなが、土日などにふらっと帰れるのを見て、うらやましいと思い、ひそかにこの日を楽しみにしていたのですが、結局手伝いをする羽目になって、ゆっくりするために帰ってきたのになんだよと、思い描いていた帰省と違って拍子抜けしています。

 かといって、一人でつくばに残って年を越すのは嫌なんです。まったくわがままな自分です。

 

 さてさて、みんなにとっての2021年はどのようなものでしたか?

 こうやって改めて思い返してみると、一年はあっという間だと感じますね。なんかこのセリフ年をとるたびに口にしている気がします。(これって相関あったりするのかなぁ🤔

 わたしにとっての、2021年はどうだったかというと一言で表すなら「高校4年生」って感じです。大学に入学するまでは、こんなに毎日レポートに追われることや、高校時代並みに、部活に打ち込むことになるとは思いもよりませんでした。やれることの幅や勉強に対してのプレッシャーとかは、高校時代とは全然異なるのですが、一日の充実度や、やってること自体は、高校とあまり変わらないなぁと最近ふと思い、俺大学一年生じゃなくて、実は高校四年生なのかと思うからです。笑笑

 そういったものの、この一年はとても新鮮で、刺激的な日々でした。

 ずっと、憧れだった筑波大学にこうやって入学でき、手が上がらなくなるまで泳いだり、200キロも自転車で移動したりと、刺激的な生活を送ることができ、非常に充実した一年を過ごすことができました。この部活に入ったことで、新しい人生が開いたように感じます。(実際マイナーな競技の人とよく知り合うようになった!)

 

ちょっと勢いで書き始めてしまったため、話の着地点が怪しくなってきたので、一個前のW君のブログを参考に、自分も下半期目標の中間報告をしていきたいと思います。

「継続」~逃げない、諦めない

 Swim:1500m 25'00

  Bike:ちぎられない、ひく

  Run5000m 18'30

 

各パートの目標は一回脇に置いといて、下半期のメイン目標である「継続」この目標を掲げた代替え会の時の自分に、叱ってほしいです。特に、12月に入ってからの自分は、朝のスイム練に碌に参加できていません。スイム練の前の日の夜は、なぜか眠りが浅く、夜だけが深いのです。そうして、朝になると眠りたい自分と、シンジ君みたいな僕が戦い始めるのです。

ほんとに、前日の過ごし方を改めないといないと反省しています。朝スイムに行かない代わり睡眠を確保すると体調は維持されるのですが、行かなかったことで、自己肯定感が削られるような気がして、一日のスタートから憂鬱な気持ちなります。このような反省を、来年もしないよう来年からは最大限の努力をするように宣誓します。

そして、各パートまずは、スイムこれは来月のTTでは無理かもなというのが本音です。まずは、来月のtt28'00切れるようにしたいです。

 次に、バイク 今のところ順調に目標を達成できてきていると思います。(山を除く)

寒くなってきて、積極的に固定ローラで追い込むようになってから着実に、漕げるようになってきてる気がしています😊 バイクは実走も好きだけど、固定ローラーで短い時間で追い込めるのも好きなので、このまま楽しくやっていきたいです。(そろそろマイバイク届いてほしい)

 ランは今月の頭にクッソ寒いなか5000ttがあったのですが、目標には遠く及ばず、2000m過ぎからどんどん失速して、何とか20'00切りという結果でした。もっとスピード持久力をつけないとだめだと実感。あと、自主練で、jogを入れたりもしているけど、7キロ8キロで切り上げてしまうから、そこを我慢して走る前に決めた距離を踏むようにしないといけないと反省したttでした。

 

こうやって、振り返ってみると下半期の目標はあまりいい方向に進んでいないのかと感じます。特に、12月は自分の中での、やりたいことと、やらないといけないことの量が増え、バランスが取れなくなって、気持ち的にきつくなったことが、原因かと思います。

 来年からは、少しゆとりができると信じているし、心にゆとりを持てるように生活を変えていきたいです。

 

とりあえず、今年の反省はここまでにして、最後に今年一年の感謝を伝えたいと思います!

「今年一年ほんとにありがとうございました。また来年もよろしくお願いします!」

 

明日は明日の風が吹くから来年には来年の風が吹く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年終りの際

突然ですが皆さんは今年1年を振り返ってみてどうですか?(略)小林です。
・よかった。今世においてこれ以上素晴らしい瞬間を含む年は二度とは訪れないだろう。
・悪かった。今年という時間を過ごしてしまったことは私の歴史に生涯残る汚点となるにちがいない。

こんな極端じゃないしそのような瞬間はきっと毎日毎月経験してる気もしますが、どうでしょうか??私は何があっても毎年、今年は良い年だった~って思う派閥に属しているので今年は良い年だった~。(小泉構文)って思ったけど!!
初めての大学入試、初めてのひとり暮らし、初めてのトライアスロン、初めてのアルバイト、初めての…etc.
(自分にとって)大学解禁の出来事めちゃめちゃで印象深い年にならないわけがなかった😊😊

競技に目向けると、最長距離すごいことできた気する。
300km漕いだ。42km走った。25km歩いた。来年は10kmくらい泳ぎたいな(は?)
「速く」より「長く」を楽しいって思うから、「長く、それを速く」でトライアスロンしたいな~理想😇😇今年はダメだったなあ。彩湖トライアスロン最後のrunキロ7で4km計算だったのは今でも衝撃の極み。

そして色んなひとと関われた!ほとんどが部活、バイト、学類の集団からだけど、各集団の特徴というか色が見えて、だんだん塗られていくのだと思う。(染まっていく、とかいうのかな?)世界にたったひとつの色、出せるかな📣📣

薄く伸ばせてもいないけど、この辺りで。煩悩を消す鐘を鳴り響かせてきます🔔

来年に向けて

こんにちは

もう2022年まで24時間を切りましたね、どうも涼太です。これ書いてるの3時ごろなんで、あと21時間もすれば年が変わります。


そして今日、というか今さっき僕にとっての一大イベントがありました。そう、入学してからやってきた牛丼チェーン店の◯屋の夜勤が終わったのです。練習が早朝なことが多いこの部活で夜勤をやるのは大変で、本当に辛かったですが、いざ辞めるとなるとやはり寂しいものです。

ここだけの話、◯屋でバイトするーってのは実は小学生の時から言っていました(これガチです)。なんか、よくわからないけど、牛丼屋は時給が高いという変な思い込みをしていました。ずーっと牛丼屋で働くーと言っていたので、夢を叶えさせてくれた◯屋には感謝です、ありがとうございました。



さてさて、バイト辞めた話はここら辺にします。では遡ること2ヶ月、代替え会の時に僕が下半期目標で言ったことをみなさん覚えているでしょうか?

1.怪我しない

2.フルマラソンで小林潰す

3.部活の運営に携わる


はい、1個目、代替え会の次の競技場練から僕は怪我で不参加、そのまま1ヶ月ラン練はお休みしました。そしてその怪我のせいでフルマラソンは欠場🥺

しかも恥ずかしいのは、OBOG会の時に、OBOGの方に覚えて欲しいなーって思って、自己紹介の時に、「来週フルマラソンでます、そんなにレベル高い大会じゃないので入賞ねらいまーす」なんてイキっちゃったんですよね、恥ずかしいですね。


まあそんな感じで、上に2個はもうボロボロですね、3個目はまあそこそこやれる範囲でやっています。


そんな感じで、代替え会の目標を全然達成できていませんね、反省。



そんな感じですが、実は最近競技の方で希望が見えて参りました。

入部した時は正直run以外は全然ダメで、runも本番のレースでまともに走れたことはなかったです。しかし、怪我で1ヶ月ほどラン練をお休みし、復帰してからというもの、なんか逆に速くなってました。そしてswimも、プライベートスイミングレッスンなるものに通い始めました。初めてレッスンを受けた次の練習で、100mのタイムがなんと6秒縮まりました。びっくりです。先生曰くまだめちゃめちゃ治すとこありまくりらしいので、これから楽しみです。bikeはちょっとまだ先が見えないですが、2種目で大幅なレベルアップが見込まれるのは非常に嬉しいことです。夜勤も辞めて規則正しい生活と練習を重ねて、来年さらにレベルアップしていこうと思うので、応援お願いします!



2021/12/09

12月の雑記 日々是好日

料理のさしすせそを知っていますか?(愚問)

・砂糖

・塩

・酢

・醤油

・味噌    ですよね。

それぞれどの調味料を表すのかは有名だと思います。私は小さいころに母に暗唱させられました。

この順番に調味料を入れるとおいしく出来上がるんだって。

 

ところで、最近私、つくる料理が変化しました。

せっかくなので紹介します。

大前提として、私は継続的に料理するモチベーションはありません。つくトラの皆さんの半分くらいには参考にならないと思います。みんな色鮮やかなご飯食べているの知ってるもん。。今回は自炊面倒だよーっていう同志へのおすすめです。

 

まず買い物。

一人暮らしを始めてずっと「とりあえず豚こま」でしたが、「とりあえず鶏むね」に変えました。すると、昼食が「とりあえず炒飯」が「とりあえず親子丼」になりました!!

ちなみに、「さしすせそ」の順番は考慮していません。親子丼のコツは、卵が半熟になったところで火を止めることです。タイミング!

 

さて、なぜオススメなのかですが、

自炊の大変なところ

    献立を考えながら買い物

    (勢いで買いがちな)冷蔵庫にある食材を腐らせない

を両方クリア(①「とりあえず」とは、何も考えないでよいということ=心理的ストレスなし ②炒飯も親子丼も米、肉、卵、玉ねぎでつくるので)している献立というのは豚でも鶏でも変わらない。なのに!

親子丼になったことで油も使わないし肉も高たんぱく低カロリー!なんて模範的な食生活!

というわけです。自己満足大事だよ。炒飯は叉焼やバラ肉じゃない?とかむね肉で親子丼!?とか聞こえません

 

補足ですが、

私は外食の誘いには常にノリノリなので、おいしいものや手間のかかるものは、外で幸せと一緒に補給しているのでご心配なく。((納豆と卵とグラノーラを誇るどこかの誰かとは違います))

 


料理のさしすせそといえば、私的つくトラ運営のさしすせそでも載せておきましょう。(本題😉)(転調)

 

些細なことに「ありがとう」と言う ことで

・(自分も相手も)仕事をすることを当たり前だと思わない でいられるし

進んで役割を果たそうとする ことに抵抗なく

急かさず、待ち続ける ことができ、

相談して決定する ことにつながる

 

まあ、運営のことを考えてたらたまたま「さ」「し」まで来たので「さしすせそ」にしちゃえって感じの即興ですお許しを。

 

解説

「さ」皆さんほんとにいつもありがとうございます。突然ですが心底感謝あふれてますよ!

「し」↑の気持ちを持ち続けることで、やらなきゃという焦りから解放されると同時に、仲間をいたわることもできる。つまり、仕事をすることを当たり前だと思わないで居られる。

「す」↑のようにゆとりを持っていると、おのずと役割をはたそうと献身したくなる。

「せ」↑の余裕があれば、急かさず待っていられる。待たされたことそんなにないので感謝の気持ちがあふれ「さ」にもどる良いサイクル!

「そ」そして相談すること。なにごとも。

 

これ、何が大事って料理と一緒で順番なんですよ!即興なので変更有ですが。

はじめは、やっぱり「さ」だと思うんですよね。

これが、例えば焦って周りが見えないときは忘れがちなので、大切にしていきたいです。今は余裕があるので将来の周りが見えなくなってる自分へ言っておきます。そういうときにこそ思い出せたら、味わい深い部(料理に引きずられすぎ)なるのではないでしょうか。ようは逆境を乗り越える糧というわけです

 

ひとつ上の先輩に「幹部でいちばんキツカッタ時期っていつ?」ときいたら「12月」(←部活以外にもいろいろあったらしい)って言われて、今がそのあたりなのですが、気ままに期末頑張りながら、冬を越していきたいです。



以上、後輩から「意外とブログ更新しないんですね」って言われたので、文章を書くのが比較的好きな対抗心燃やした佐藤()がお送りしたひとりごとでした。冒頭で名乗らなかったけど現部の皆さんはだれかわかりましたか?

 

今日は親子丼じゃなくて適当に下味付けたとり肉焼いて食べます。下味付けると千変万化の鶏むねいいですね(いつか飽きそう)。親子丼からさらに進化して、自己肯定感が上がっています。

 

それでは良い一日を。

2021/12/01

To be, or not to be: that is the question.

 

こんにちは。小林颯人です。『ハムレット』読んでちょっと賢くなった気分なので引用しました。「生か死か」なんて仰々しいものではないので"glad"でも補っておきましょうか。

先日、6国を42�ジョグしたブログを書かせていただきました。その成果()です。

 

11月27日 第25回スポーツメイトラン松戸江戸川河川敷マラソン大会 フルマラソン個人の部 3時間35分58秒

 

 サブ4。自分は割に満足してます。さて、陸上競技では少ない"戦略"があると言われる長距離走ですが、競技中に私が強いられた"運命の選択"。(そしておそらく走力差の少ないSさん(以降Sとします敬省)と30分差をつけることができた選択)思い出して書いてみます。

 

軽くコース状況説明 n,k

・最初1km折り返しで2,195の端数調整。片道5�の土手周回×4。

[1,2](n=1)

[3,7]……[5(n−1)−2,(n−1)+2](2≦n≦9)

・のべつまくなし吹く風。向かい風(n=2k)追い風(n=2k+1)

 

 

運命の選択

1.入りのペース

開始直後、ガーミンは430秒を指す。前半ペース上げて後半身体しんどいor痛いで走れなくなるのが一番嫌(楽しくないよね)だからこのペースはどうしようかと思った。でもまあ最初の1,2km。調整はいくらでも効くのでこのペースがいまは楽ならと身を委ねる。

 

2.向かい風、追い風。

5kmごとに風がガラッと変わる。さすが土手。区間n=2でペースをキロ5強に落としてSの背中を少し遠くに見ながら考える。運命の選択を。最適だと思ったペース配分は以下の通り

・向かい風頑張る。追い風休む。

・向かい風休む。追い風身を委ねる。

私が選んだのは後者。Sは前者だったと思う。5km毎に背中を見せたり見られたり。向かい風区間でS含めた3人集団に抜かれて、ペース一定にしたいのかゆっくりな追い風区間で無理ない程度に抜き返す……。わがまま言うとちょっとむきになってペース上がっちゃうからSを視界に入れたくなかった。

選択が反映されたのは20km過ぎてから。向かい風は自分のペースじゃなかったからなのかな。折り返しでSとの距離差が顕著になってくる。区間n=6ではとうとう抜かれなかった。私はまだ残っている。ここに運命は決した、かに思われた。

 

3.ラスト10km

最早選択ではないのだけれど、10km地点くらいで頭の中にあったのはB‐up。ちょっと視界がブラックになって、お腹空いたあ。が脳のメモリを食べ始めた30�地点じゃできなかった。できないと思うとペースはがた落ちで、キロ715秒とか出始めた。先述の3人集団のうちの一人に追い抜かれたけどついていく気になれなかった。ここに選択を導入するなら、頑張るか否かくらいだけど。2030�間のラップ+2分に抑えてさえいればサブ3.5って考えるとちょっと悔しい。

 

こんな感じで脳内はペースと音楽(Sさんflower好きらしい。びっくり)と途中からお腹空いたでした。だから帰りのラーメンはとっても美味しくって。

今度は1周で完結するマラソンしたいなあ。

 

2021/11/21

秋のスポーツデー日記 〜日常感のある”非”日常〜

こんにちは、2年のしのです

すっかり秋も深まり、
シート上げ機械化の声が後をたたない季節が今年も巡って来ましたね。

そんな中実は
先日チームつくとらで秋のスポーツデーに参加し

ハンドボールをして来ました!!












-スポデー数日前、とある練習後- @部室

「え、チーム Dura ace 1試合目じゃん」

「何時?」

「この表どうやってみるん?  ええ、10時からや」

「えっ? バイク練どうするんww」

「りんりん早朝なら余裕やろ」

「ああ、じゃあ7時からにすっかあ、、」

「あ、健康観察記録、前の日までにGoogleFormで提出しなきゃいけないらしい!忘れずに!」



-スポデー当日朝- @りんりん

りんりん6往復(3往復ビルドアップ×2) + デュアスロン形式(1kmRun-1往復-1kmRun)

最後のデュアスロン、短いだけにしっかりオールアウト

某1年「しのさん、、30後ハンドボール始まるっすよ、、(汗笑)」

某前主将「キックオフじゃんw」

ぼく「えええ帰ろ帰ろ」

誰か「そういえば健康観察やった?」

「え?」

「、え???」

ぼく「じゃあ途中で家寄って3枚プリントして書いてくるわ!!」

""""""""""""やってない阿呆約3名(全員2年生 これが噂の脳みそ谷間の世代????)""""""""""""""""

りんりんで解散して、

そそくさと帰る。

制限時間は30分、りんりんから帰って健康観察シートを3人分プリントししかも書かなければならない!! さらにそこからハンドボール場へ、、10時には試合が始まるのだ….

ぼくは舐めていた

(どうせ10時開始っつってもしばらくはダラダラアップとかしてんでしょ…)

甘かった。

ハンドボール場到着、手元のGarminには10:03の文字。

なんだか既に試合が始まっている模様

トランジは頑張った。りんりん(の落ち葉やら草やら)をいっぱい部屋に持ち帰ってしまった(くらいに荒れるほど急いだ)。

しかし、、

係の方「既に試合始まっていますので、、あなた方のチームは不戦敗となります」





この瞬間、僕らの夏はあっけなく終わった




汗水垂らし、必死にボールを追いかけてグランドを駆け回り

青春の全てをかけて迎えた夏は、

舐めた考えによるたった3分の遅刻により幕を閉じたのだった




しかしとっても楽しかった試合。

いつも一緒に3種目を練習している仲間とチームを組んで球技をプレーするというのは、

こうも楽しいものなのか。。



一ついいプレーが出ればハイタッチを交わし、

前線で後輩がシュートを決めればさも自分のことかのように喜び、

先輩がスーパーセーブでチームを救うと多方面から奇声が聞こえ、、(?)



試合が終わり、みんなでお弁当を買いにいく。

ピークも終盤を迎えた大ループの紅葉、

スコアは7-7の引き分け、

開始前から不戦敗が決まっていた試合にもかかわらず、

僕らの足取りには満足感が纏う。


見慣れたこの景色を、

いつも近くにいる仲間と歩いているだけ。

日常感じてるなあ、と思いつつも、どこか新鮮で清々しい。

お互いの頑張りをいつも近くで見て来ているからこそ、

その仲間とたまに嗜むチームスポーツがかけがえのない瞬間になる。






【チームつくとら ハンドボール部門 選手紹介】

結成:2021年10月
チーム名:Dura ace

メンバー:
※全てのプレーを覚えているわけではないので情報には偏りがあります。全然違ってたらゴメンね

[背番号3 藪和史(CB,RB)]
つくとら唯一のハンドボール出身である我らの不動のエースである「ゴン」の代打として参戦。
同期先後輩問わず慕われている彼はチームに非常にいい雰囲気をもたらし、
全てのプレーをそつなくこなすサッカーセンスと冷静なポジショニングでゲームを組み立てる。

[背番号3 玉井彪己 (RW)]
幻のエイトマン。
その場に居合わせた縁でちゃっかりビブスを来たと思えば、
開始数分、反撃の口火を切る弾丸シュートでネットを揺らしチームの緊急エースとして躍動。
190cmを誇る恵まれた体格を活かし相手の脅威となった。

[背番号4 KOJIMA(GK,ピッチャー)]
底知れない運動センスを要所要所で魅せ、
野球で鍛えた動体視力でGKとしてセーブを連発(したっけ?)したと思えば、
持ち前のロケット肩で罪のない黄色いタマを突き刺す。
彼は本気を出していたのだろうか…

[背番号4 はすはっすーUD(本名) (GK,CB,PV)]
我らがキャプテンとしてチームを鼓舞する本職サッカープレイヤー。
ほぼ全てのポジションをこなしてしまうユーティリティーを活かし自由にポジションを取り、
センス溢れるポジショニングでこぼれ球に反応し必殺カウンターを仕掛ける。
後半にはキーパーとしても大器の片鱗を見せた。

[背番号6 しのはらけいご (PV)]
たくさんごーるをきめたい(願望)

[背番号7 大城駿 (LW)]
暴走気味の同期をまとめつつ、安定感あるボールさばきでゲームメイク。
縦横無尽にコートを駆け、ボールの近くにはいつも彼がいた。
その一方でチームNo.1パワーを誇りシュートを放つというのだから恐ろしい。

[背番号9 小林颯人 (RB,RW)
テニスにも出場。
必殺スマイルでこれまで数々の先輩を虜にして来た。
試合でもその笑みで相手を惑わし、
試合終盤にはチームを救うシュートをニアにぶち込んだ。
相手キーパーの指を弾くほどの威力、普段からは全く想像つかない…

[背番号9 渡邊涼太 (LB)]
こちらもテニスにも出場。
日の丸を背負い熱意溢れるプレーでコートを湧かす。
もはや彼なしにチームは成り立たず、
今後の"Dura ace"の支柱として期待を寄せられている。

[スペシャルサンクス 佐藤佳乃 (ただのファン)]
チームDure aceの唯一にして熱狂的なファン。
かつ撮担当。
お気に入りの一枚。ありがとう。







今年の冬は、もっと暑く----------


2021/11/15

上半期の備忘録① 第1章 本編

 

 

From: 小島駿亮 <shunsuke3377@icloud.com>
Sent: Monday, November 15, 2021 5:57 PM
To: shunsuke3377@outlook.jp
Subject:
上半期の備忘録1章 本編

 

さっきの投稿はミスです!!

 

どうも副将に任命されてしまった
旅人兼トライアスリートの小島駿亮です

書く書く言っといて何も書いてなかったんで、
今更ながら備忘録として書かせていただきます
テキトーに見てね、強く言わないでね、、
優しい目でどうぞ

〜徒然なるままに〜

まぁ、上半期いろいろあった気がする
コロナでバタバタして
落車でバキボキして
スノボでグキグキして
トレランでグリグリして
四肢を骨折し
自由研究(意味深、、知りたい方は酒の席にて)
も終わり、心も体も壊滅的な状態で
3
月末の強化練もミジンコレベル
(
バイクの時速が30k切ってた希ガス)
そんな中、上半期は幕を開けた・・・

というか、こんな大昔から書くよー
初回は簡潔に(記憶がほぼ無い、、)

1章 つくばの国からこんにちは〜東海道走破
(
実は二度目だったりする笑)

(
1章を熱く語っている男性の写真)

上半期の幕開けは壮絶そのものだった
3
日で東海道走破、平均180k

走っては走って、景色も見ず、食も満足に食わず、ろくに寝ず(寝かさず叩き起こし)

鬼のキツさだった

Youはどうして自転車で?」
「そこに道があるから」



そんな時、脳裏に一筋の光(方程式)
差し込んだのだ!!!

みんなが使えるしんどい時の方程式

滋賀の大津京都の宇治 40k
大阪までの走行距離をxとする
x
は極限疲労の際に極限をとる
したがって
limit(x→∞)40km/x
0となる!
したがって滋賀の大津京都の宇治

同様に
京都の宇治目的地 40kに関しても
上と同じことが言える!!

したがって!!!
滋賀の大津=大阪
よって
我々は今、滋賀の大津にいるから
目的地についたも同然なのだッッッ!!!




あかん、阪神着いてまう(野球好きなら分かる)





















〜なお宿にて〜



本日の格言

(sea)無きところに「楽しい」(多のsea)無い

この名言、後の

東北一周編〜楽しい(多のsea)求めて600里〜
フラグ回収されるのであった

つづく(頑張って続かせる)






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上半期の備忘録① 第1章

どうも副将に任命されてしまった
旅人兼トライアスリートの小島駿亮です

書く書く言っといて何も書いてなかったんで、
今更ながら備忘録として書かせていただきます
テキトーに見てね、強く言わないでね、、
優しい目でどうぞ

〜徒然なるままに〜

まぁ、上半期いろいろあった気がする
コロナでバタバタして
落車でバキボキして
スノボでグキグキして
トレランでグリグリして
四肢を骨折し
自由研究(意味深、、知りたい方は酒の席にて)
も終わり、心も体も壊滅的な状態で
3月末の強化練もミジンコレベル
(バイクの時速が30k切ってた希ガス)
そんな中、上半期は幕を開けた・・・

というか、こんな大昔から書くよー
初回は簡潔に(記憶がほぼ無い、、)

第1章 つくばの国からこんにちは〜東海道走破
(実は二度目だったりする笑)

2021/11/08

新幹部が誕生しました

こんにちは、かのです。

秋ですね、

ループの紅葉は初めてバイクに乗ったパフェライドを思い出します。初めて一の矢のほうに行ったら黄色いアーケードだったあの道で、おっかなびっくりGIANTにまたがっていたんですよね。。


申し遅れました、先日の代替え会をもって、部の代表としての1年をスタートした者です。どうぞよろしくお願いします。

前主将は「僕は文章を書くのは得意なんですけれど、話すのは苦手で、、」といっていましたね。私も同じタイプです。代替え会で意気込みなどをあまり言えなかった(話すことを準備しておけばよかっただけなんですが)ので、この場を借りて新幹部発足報告 兼 意気込みを綴っていきます。


スローガンは「瞬」

みんな縁あってつくトラにいるなら、心地よい居場所だと思っていてほしい。部員一人一人が、素敵な一瞬を、仲間と築き上げてほしい、という願いをこめて。みんながこのスローガンを意識してくれたり、何気ない瞬間を楽しそうにしてくれていたりしたら、それはそれは幸せなことです。


運営について、我々の代が皆さんにどう映っているのかはわかりませんが、1年間一緒に多くの時間を共有してきた身としては、ともに走る仲間として頼もしすぎる同期たちです。

人一倍の競技への熱量で引っ張る駿亮、私の猪突猛進を冷静に修正してくれるシノ、仲間思いでチャレンジャーマインドあふれる藪、気配り上手な「瞬」アイデアマンさき、自律・明晰・賢明ブレーンごん、と、紹介すれば一目瞭然の心強さ! 

幹部役職決め会議の時に私が真っ先に口にしたのは「もし私が主将になったら大事な時に周りが見えなくなりそう」という不安でした。これに同期たちは「全力でサポートするよ!」って言ってくれました。頼もしいです。

(ちなみに代替え会のあとたくさんの先輩に「どういう流れで役職決めたの?」との質問をされました。答え合わせは一年後に?!)


とはいえ、インカレスプリント遠征や代替え会、そして先日の、12年だけのバイク練霞ヶ浦一周、などなど

代が交代したのだと意識する場面も増え、思考は巡り、焦ったり不安になったりももちろんあります。

頼もしいからには存分に頼って、温かく見守ってくれているみんなを信じて、そして逃げるときはとことん逃げる。

その傍らで、感謝の気持ちを常に忘れず、トライアスロンやつくトラへの愛という初心を心に留める。

今思うのはこんなところです。


「気楽かつ本気」実は昔からのモットーです。まあこのように意識しても気づいたら自分自身の力量以上のことを引き受けがちな私ですが、つぶれない程度につくトラを回していこうと思います。


つくトラに出会って一年

しかしそれはスポーツとそれに関することという面で、間違いなくこれまでで一番濃い一年でした。世界がぐっと広がった。

そしてさらに一年後、どんな景色を見ているのでしょうか。

これからもつくトラをどうぞよろしくお願いします。

佐藤佳乃

市民レース、良いです

こんにちは、かのです。

のんびり主観的九十九里レポします。

 

積み込みで遅刻。準備始めたのが出発の2時間前でした。ゴメンナサイ

わーシノが運転するのか~と思いながら出発

小林も言っていたけれど四年生の雰囲気にこの後往々にしてあたたかい気持ちになりました。

 

今回の遠征は前泊9人の大所帯、

部屋割りもお風呂も夕飯も、下の階から演歌が聞こえて寝られなかったのも、いろいろツッコミどころが多くてよい(?)思い出ですね。地価が安い(!)割には宿泊費は私が探した限りそんなに安くもなく、宿もちょっと不安な部分もあったんですけれど、引きが悪いのでしょうか。。

榛名湖や関カレみたいな素敵な温泉付き宿をこれからは探しますね(for自分)

海辺で見た夕日がきれいでした。


当日。会場に到着してお祭りの感覚の高揚感。

 

ウェーブを間違えたものの(結構重大なミス)スタート

スイム、バイクは順調に。気持ちよいくらいのペース

つくトラの人を探すのが楽しかった。

バイクに乗りながら今後のトライアスロン生活について考えていた。

 

さてラン、お待ちかねラン

榛名湖で靴擦れしてほぼ歩くのと変わらないスピードだったので、今回はしっかり靴下をはく。5キロなら耐えられるけれど10キロはダメなんです。

スタートして3キロ?補給食もらってエネルギー満ちてきて、51.5のうちの48.5からどんどん幸せなキツさ!追い込む快感!うわー走るの楽しいなあ、48.5からが一番楽しいって私だいぶ幸せ者だなあ!!!

こういう瞬間があるからエンデュランススポーツが好き、

高校の友達に大学でトライアスロンやってるって言ったら「天職だね」って言われたんですけれどほんとにそう思います、再び「あの、好きです、トライアスロン泣」になった瞬間。(職にはしません、ニュアンスね)

レース後には雨。。

榛名湖は晴れていたので私は雨女じゃないです(断定)

そんななかでサポートに来てくれた3人はありがとうございました。

夕飯はおいしくて涙してる人が二人いたけれど私も同感です。美味しかった!温泉も気持ちよかったですね~ 


九十九里はインカレのモチベ維持のために申し込んだんですが延期となり、これがシーズンラストトライアスロンに。まあなんでもいいや~の気持ちで臨んでいた(士気を削いでいたと思います!!!本当にごめんなさい!!!) 

結果、終わってみたら寒くなかったし、気持ちよく走れたしたのしかった

二週間後の部練で霞ヶ浦みて、泳ぎたいわ、トライアスロン恋しいなあって気分になれたのは自分でもびっくり。九十九里通して、プール以外で泳ぐことのハードルが下がった、!!!!!(参考:インカレレポ)

 

非日常って大事ですよね。

お金も時間もかかるけれど、市民レースはこれからもつくトラのみんなとなら出たいなーって思える遠征?気分は旅行でした。次はサポートもいいかなって思うので、人が足りていなかったら誘ってください!!あ、今年度中には免許取れるように頑張ります。

トライアスロンへの向き合い方で迷ったらトライアスロンから離れるのも手ですが、

新しい見方で泳いで漕いで走ってみるっていうこと、

そして仲間たちと時間を共有すること、結構大事かもしれません!おすすめ!

 

 もうひとつ、ミドルやってる2人がかっこよかった〜

これは主観的ですけれども、トライアスロンに熱を注ぐことへのちょっとした誇らしさって、とんでもないキツさにあると思うんです。だって泳いで自転車乗って走るんですよ(すでにみんなすごい)。それが、距離が延びればわかりやすくキツさ・おかしさが増すような気がして、さらに誇らしい気分になる気がする。ミドルやロングに挑戦するのってやっぱりかっこいいですね。

私もOD以上に出てみたいとずっと思っています。

以前から目をつけているのはセントレア。実家から近い諏訪湖ミドルもいいなーと思っています。学生レースとの兼ね合いも考えつつにはなりますが、、あんまり合理的になりすぎるよりは、出てしまえーの精神のほうがうまくいく気がする。榛名湖然り九十九里然り、ノリと勢いで私を市民レースへ誘ってくれる仲間たちに感謝です。今度は私の番ですね

 

ではお次は代替えレポへ。

二つ連続で投稿するという新しい概念を私にもたらしてくれた小林君さすがですっ

ブロガーがマイノリティじゃないと投稿のハードル低くていいですね。 

それではまた

2021/11/06

🏃つくばマラソン🏃

小林颯人です。42km走った(走れた!)のでレポります。4h19m21s。サブ5ですね
つくば駅→ひたちのうしく駅→竜ヶ崎市駅までバス&電車で700円超払って移動。(田舎のバスの料金システム嫌い😣)荷物は小さくしてジャージを腰に巻いて国道6号(6国)まで歩いて準備完了。6国南下レーススタート!(8時20分)4区間に分けます。

区間α
最初の10km。バックを右左持ち替えながらゆっくり立ち上がり。余裕すぎて笑けてた。特に見るべきものもなく、あー田舎道、って感じ。この景色最初でよかったまじで。

区間β
坂を登ったとこの自販機で2,3分休憩してまた走り始める。この区間の注目ポイントとしては柏を含んでいること。印象強い地下道乱立地帯や16号との交差点、でっかいセブンパーク柏など見所&見たところ盛りだくさん。大都会最高✌️

区間γ
柏が終わっても流山、松戸が連なる。千葉らしい粘っこさで大粒を揃えてきた(?)。松戸は結構もう近づいてる気分で、こんなとこに千葉大学あるんだ~って思ったよなとか、矢切の渡しって流星群みたところじゃん懐かし~とか、友達に6国迂回区間(松戸第二中のところ)教えてもらったな~とか、いろいろ思い出に浸った。気づいたら新葛飾橋渡ってた。ついに上京です。ずっしりした疲労蓄積感は30kmで感じた。

区間δ
上京したらね、もう地元。一番感慨深い区間でございます。途中の建物で家まで何キロかわかっちゃうレベル。何回も遊びに来たなあと。
入り口金町。偽物の新宿。遊び場白鳥。えぐい人しかおらん立石。そして、荒川に続く道、四つ木。橋の上から見おろす河川敷。目にうつるは河口まで8km表示。高校の部活でよく走った道だよ😭😭39kmだったしゴール延長決定。うつるもの全てが懐かしかった。(先に述べておくと1kmごとに表示があって、5kmが母校の場所でゴール。)水門が7km。墨田区。平井大橋。6km。あと1kmで完走だ、終わっちゃう。野球グラウンドは500mレペの折り返し、自転車の注意喚起看板は流しの終了地点。こころなしか汗の種類が変わったような。瞬間、10kmペーランを終えたあの時たちを思い出す。でも、自転車で引いてくれたマネージャーがいない。それが遠くに来ちゃったんだなあって思わせる。これからはずっと、ここはアウェーで、居場所じゃないんだって。感情の1割をふわっと悲しみが占める。それでも9割の達成感を噛み締めて過去に向かって言ってやる。やったぞ、俺は42km走れるんだぞと。

感情がぐちゃぐちゃしたけど、まとめると不恰好でもだいたいキロ6で回せて、余裕はちょっとだけあった。
下旬の松戸ランに向けた距離積みだったから走りきれてよかった!大会は目指せサブ4!!また1ヶ月後に会いましょう。

2021/11/05

思い出α

10月31日 九十九里トライアスロン オリンピックディスタンス 完走
 
  1年次の小林颯人です。(いままで名乗るのを忘れていた気がするんだ、、)
4本目のトライアスロンレースにして最初の晴れレース、九十九里でのレースについて回想しまっっす
 
10月30日 レース前日
 上級生たちに進めていただいた計画に乗せていただいて車にも乗せていただいて宿にも入らせていただいた。一番印象に残ったのはお風呂だろうか。
 「星の見える露天風呂」と銘打った屋上は興味を惹き付けるに十分であった。そこで自然と人工は2つの陣営に分かれ私に関するある選択権を握ろうと闘いを始める。星々が燦々と輝く。お湯が滔々と流れ出る。使い古された手ではあるが良く練られた連携であり、個々の圧倒的な力で序盤の支配権を握った。風が私を剥がそうと散発的に攻撃したところで最終的な勝利を収めるのことはできないように思われる。それでも彼は強く、時に弱々しく緩急をつけながら、シャワーで濡れた身体と相まって徐々に勢力を拡大していく。事態がずっと変わらないならば、健気な努力が実を結ぶ瞬間を目の当たりにできるかも知れなかった。だが湯船は一瞬にして彼の支配を泡沫のものにした。いまや両陣営はひとつの行為を応援するために一体となって演奏するにすぎない。ここに雌雄は決した。-私は寒空の中、星空の下露天風呂を満喫した。-
 
10月31日 レース当日
 気力使い果たしました。綺麗な文章憧れるんですけど難しいですね……。憧れの(?)表現に近づこう少しずつ。切り替えてトライアスロン!!
 天気は晴れのち雨。バイクまで晴れ。晴れのレースってこんなに気持ちいいものなんだなあああ。
 結果としてはS39位-B74位-R43位-総合23位 
自分のなかではR出来てなかったしS絶好調だったからSとあんま順位変わらなかったのちょっとびっくり。Bはあのコースずるいよね。行きは上り気味向かい風、したがって帰りはヨイヨイ。右手(左手)に見えるキレーな海が有料道路であることを思い出させる。景色しか勝たん。ランは結局、結局地獄隧道。ミドルでもオリンピックでもスプリントでさえも一番きついよ😣
でも、自分は最初体力残ってるからって飛ばしちゃダメだなあと。キロ何で走ってるかわかる手段がもうすぐ手にはいるからそうする。46分もなに考えてるんだろうなあ。笑顔でいようと意識してた気もする。意識して作る笑いってなんかこう、末期だけどね、、
 
あと思ったことは(最後)4年生の集団の性質(?)について。2年生と3年生は練習で会うし、ふわっとこんな集団かあーっていうのあるんだけど4年生は揃うの珍しくて。人間観察が趣味です、ってわけじゃないしむしろ困難に思う方なんだけど、分かりやすそうな、広がってない凝縮した感じ、良いな~って思いました。
  

2021/11/04

「個」を守りたい



こんにちは
M1の村瀬です

部ログではお久しぶりですね





新旧主将のインカレレポ(そして代替え会レポ?)の後ですが…



レースレポではありません!
(出てないし)
(九十九里?出てないし)

ただのボヤきです悪しからず。
(みんなも適当なこと部ログ書いていいんだよ)


会報で自分のこと書いてたら4ページ越えそうだったので部のことにあまり触れられなかったからこっちで、と思った次第です






インカレ・スプリント、そして代替わりと怒涛の勢いで過ぎていくつくトラの日常

皆さんの部ログや会報を読ませてもらって色々考えるところが出てきたので少し共有させてくださいな


人によっては暗い内容と感じるかもしれないのでご了承いただきたく





まず先にに言っておきたいのは

今のつくトラは非常に良い状態にあるのではと感じているということ
目標意識とかチームとしての雰囲気とか諸々

またそれを部員の多くが「良い状態である」と感じていること




そしてこの「良い状態」を良くない方向に崩してほしくない

それが1人の老害のとある願いです



インカレ・スプリントを経て意欲に満ちている方もいることかと

「勝ちたい」「完走したい」「活躍したい」からはじまり、「強さ」を求めることは競技をする上でごく自然なこと


トライアスロンという競技は3種目あるということ以外は非常にシンプル

要するに
3種目速いやつが勝つ、ってのが道理だと考えても過言ではないでしょう

選手として人としてどれだけ「強い」人だとしても、「速さ」が伴ってない選手は表彰台には上がっていない

…まあ「速くなる」過程では選手として「強く」あるべきとも見られるのだが




単純ではあるが、極論言ってしまえば


「3種目それぞれの部活動でトレーニングを積み、合算する練習をおこなう」


合理的に「速さ」を純粋に求めたならばこれが王道なのではないかと考える選手も多いのではないでしょうか


競泳選手と一緒に泳ぎ、自転車競技選手とバイクを回し、陸上長距離選手とインターバルやペース走をする

十中八九速くなるでしょう

あるいは3種目ともすでに揃えているプロのトライアスリート集団に混ざって練習するとか

競争できる人が増え、目標となる選手が身近にいる

質の高いトレーニングを積むにはこの上ない環境かもしれません





でもここで考えて欲しいのは

その時つくトラの「個」はどこにいくのか
一組織としての「色」や「個性」
そういったものを失ってしまうのではないか



つくトラが組織として機能しなくなる可能性が大いにあるということ


強さ・速さを純粋に追い求める選手にとって、そこに重きを置いていない組織は所属する意義を持ち得ない

過去にもそう言って組織を離れようとした、また現に離れていったつくトラ戦士は少なくないことでしょう


強くなるために合理的に考えた結果組織を離れるのは哀しくて仕方ない

でもきっと、つくトラの「良いところ」っていうのは「強さ」を求める点だけではないだろう

いわゆる多様性や柔軟性、部の和やかな雰囲気、他にも言語化できない何かが溢れている


そこに価値を見出してつくトラに寄り、それを「良い」と感じ、そのつくトラの「個」を守りたい


現部員からOB・OGに繋がる願いの形なのかもしれません





最近別の団体と合同練習をしようという話が出てから考えていたことです。


質の高い練習になるし、大人数での練習は苦しくても頑張れる
より専門的なアドバイスが貰えるかもしれない

一見メリットしかないように見えますが

その結果つくトラがつくトラとして必要とされない組織になってしまう
その幕開けとなるのだけは避けて欲しい

そう思った次第です。

「つくトラ」でスイム練・バイク練・ラン練をする意義も見失わないよう。








部の運営は難航極めることもしばしば

めげずに協力して最高の「瞬」を作っていきたいですね



以上、老害の呟きでした。


2021/11/03

続・Road to Daigaekai

前回:https://tsukuba-triathlon.blogspot.com/2020/11/road-to-daigaekai.html

 

 

一通りの工程を済ませ、慌ただしく家族に別れを告げる。

 

散髪し、部室に向かうとナオト以外既に到着していた。「代替え会資料(台本)」なるモノを作っていたので、身支度を整えながら最終確認。久々のスーツはちょっとはずむ。

あまりゆっくりしている暇はなく、会場設営のためプール2Fに革靴をカツカツさせながら向かう。うーん歩きにくい。ナオトまだかなあ

 

15:30 ヤツはまだ来ない。みんなぞろぞろと集まり始める

15:55 まだ来ない。恐らく1人以外みんな揃った。催促の電話とは対照的に会議室は静かでかなり気まずい。

16:00 来n。流石に新幹部なのでエントリー失敗・DNSするわけにもいかず待つことに。真顔と吐息と苦笑いに包まれ、地獄の数分間が始まる

16:07 はす:「@おおたなおと はやくーーーーーーー」(同期LINEにて)

16:09 なおと:「5ふん」

僕は知っている。「5分遅れる」と言う人は大体10分遅れ、「10分遅れる」は「15分遅れる」とほぼ同義である。

 〃  なおと:「3ふん」(はす:「5分ね」)

 

16:10前後 到着。と思いきや学生証が無くてプールに入れないよう。仕方なくコウさんがおでむかえ。

そんなこんなありまして、やっとこさで時が動き出す。ホームだかアウェーだかよくわからない空気の中、ようやく2020代替え会 キックオフ

 

 

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何が何だか分からない人もいるでしょう。これは去年の代替え会で起こった「オオタナオト遅刻事件」です。


恐らく多くの人にとっては、薄々感じていた新幹部代に対しての不安を決定づけた出来事だったかもしれません。

(一応本人の名誉のために言っておくと、遅れた理由は寝坊とかではなく東京でのインターン()のせいとのことでした)

 

 

さて、これでようやく昨年の某部ログで張った伏線をようやく回収できました(忘れてただけ)


あと12ヶ月前に投稿される予定だったこの部ログは、本来代替え会(本番)での様子や新幹部になるにあたっての抱負を載せるつもりでしたが、今となっては後の祭り。とはいえ振り上げた拳は降ろさないといけないらしいので、上記のちょっとしたアクシデント(インシデント)を載せておきます。

 

その他に印象に残っていることは、現4年生から白ワインとマグカップをもらったこととか、ゆうじさんにいっぱい質問されたことですかね。ちなみにゆうじさんは代替え会前、資料を褒めてくれてみんなでやったあってしてたら直後に指摘(質問)8つくらいDMに来たのも思い出深いです。それから卒業間近までアドバイスをくれたりなど、長らく面倒を見てくれてありがとうございました!

 

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昔の思い出話はこのくらいにしておきましょう。とはいいつつ着地点が見えない。余談ですが飛行機も離陸より着陸の方が難しいらしいです。イッショデスネ。うーんじゃあ自論を基に、偉そうに新幹部代へのアドバイス的な何かを。

 


たぶんいろいろたいへんだけど、どうせそのうちなんとかなります

 

案外、放っておいたらいつの間にか治っている怪我は多いものです。

新幹部代の2年生はしっかりしていたり責任感が強かったりする分、体感的な困難が多いかもしれません。

時間が解決してくれる問題も往々としてあることを心の片隅に置きながら、あまり自分(たち)を追い込みすぎないように

 

以上、はすでした。

 

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2021/10/24

史上最大(?)のインカレレポ

はすです。

 

 

 インカレ振り返りです。とその前に、東日本インカレ・(全日本)インカレの開催に尽力してくださった学連とJUTU関係者の方々に改めて感謝申し上げます。

 1年目で存在を知り、2年目で密かに憧れ、3年目で手を届けようとあがいた舞台。生活の大半を捧げて目指した舞台。一時は開催が危ぶまれ自分自身心を乱しかけましたが、こうして無事に開催されたおかげで前に進むことができ、今を迎えています。

 そして、ここまで一緒に来たミクナオト、見守っていてくれたサオリリクト、部を支えてくれたつくトラ部員・OBOGの方々にも最大級の感謝いたします。それほど多くの人に囲まれて進んできた部団体であり、自分自身でした。

本当にありがとうございました。

 

さて、

関カレレポは情緒的だったので、数少ない男子インカレを経験した者として、来年の出場者が参考になるよう(観音寺の方を参考にできるといいね)に、実用性・汎用性を意識して書いてみます。

(と言いつつも結局蛇足は多いです、かなり長くなっちゃいました)


では――

 

〈スタート数百日前〉

 2020 111日 午後9時をまわったあたり、僕はとある男と2人陸上競技場にいた。

つい数時間前まで行われていた日本学生トライアスロン選手権 通称インカレの熱は、1年と半年でトライアスロンレース1本しか出なかったゆるゆる部員の心を、打ち上げの後競技場で走らせるまで熱くした。

そしてそれは、隣にいた彼も同じようだった。プライバシーの関係上(以降はガバガバ)、名前は"コジ男(仮名)"とでもしておこう。僕らはこれからの長い道のりに向けて、健闘を誓った――

 

97日前〉

 東日本インカレ。自分にとっては大学生活最大のチャレンジ、多くの人のサポートを受け無事に完走した。その時のことは前の部ログに散々まとめたので割愛。ひとつ言うなら、ここを勝ち抜いてインカレ出場を目指していたはずなのに、ゴールした後は不思議と結果などどうでもよく、ただ終わったことが嬉しかった。

 数日後、インカレ出場の通知を受け取った。嬉しかったが意外にも冷静で、想像していた喜びに震えるほどの感動はなかったのでちょっとびっくり(まあ恐らくボーダー勘違いして()当日喜べなかったからだろうが)

ただ、直後の榛名湖トライアスロンは最高に楽しかった。

 

6040日前〉

 部活動の活動自粛要請。最後の追い込みの時期なのに、休んでいる場合じゃない。そう思いつつも心のどこかでホッとしていた。「しなければならない」練習に疲れていた。順位に特段こだわりがあったわけでもなかったため"インカレ出場"を(実質的に)果たし、気持ちをぶつけ先を見失っていた。

いやいやそんなもの分かりやすく目の前にあるじゃん。って話なのだが、なぜか向き合えなかった。生活リズムも崩れた。自分にとってのインカレって何なのだろう。ぐるぐるもやもやと考えていた。

 

30日~13日前〉

 部活動は再開したが、依然としてふわふわとした日々を送った。自粛期間中で競技力は若干退化し、ちょっと前は1番乗りしていた朝Swimも起きられない日が相次いだ。

主将として、インカレ選手としてあるまじき姿だっただろう。東日本インカレ前の自分が見たらぶん殴られていたに違いない。

 ただ、光明もあった。前々主将のオサダぁさんと話して、自分のあるべき姿が見えた。

こんな気持ちのまま借りるのは申し訳ないと思っていた決戦ホイールも意を決して再び貸してもらった。もう立ち止まりはしない。できない。

そして一大ニュース、コジ男が繰り上がりで共にインカレに出場することになった。あの時のコジ男だ。

 

13日~1日前〉

インカレ目標は『折れない』。

 自分はこれまで、先輩達の雄姿を何度も見させてもらった。初めてレースを見た時は感動()で泣きそうになり、去年のインカレのおかげでこの舞台にいる。

 しかし、自分は特に速くかっこいいレースが出来るわけではないし、気楽にやってきたせいか今までの先輩たち以上に耐え忍んできた自信もない。そのせいで自分にはそんな先輩たちのような"魅せる"レースなんてできないんじゃないかと思っていた。

だけど、そんなうじ虫にオサダぁさんは素敵な言葉をくれた。

流石元しゅしょう。いいこと言ってくれますね。ところでいつぞやの「もくろく」は、、?

 

 

そうか、魅せようとしなくても精一杯やって何かを感じてくれればそれで十分だな。

 

 気持ちが楽になったし、固まった。自分にもたったの1年でも絶望的状況から諦めずにここまでたどり着いた自負はある。だったら自分に出来ることはその姿勢をレースでも表すことだけではないか。

身体のコンディションは正直東日本インカレの方が高く、かなりハードなレースになることが想像できたが、Swimバトルでゴーグル飛ばされても、Bikeで千切れても、パンクしても、落車しても、Runで攣っても、心が折れそうになっても最後まで走り続ける。

それこそが自分にできることだと決心した。

 

 もはや手遅れ感があるが、急造で身体を直し始めた。なんとかギリギリで戦える身体に戻した気分。

 

 そして相変わらずギリギリまで他の人からサポートを受ける。シューズを借り、マッサージで心地よくなり、アドバイスをもらい、エールを沢山受け取り、最終的にはかなりいい状態で本番に挑めた。

 もっとも、一番に感謝すべきは(人によっては選手も兼ねながら)遠征運営をしてくれた2年生。東日本インカレも集中して望めてはいたが、今回はよりリラックスして臨めた。皆様方本当にありがとうございました。

 

0日前〉

 2021 1016日 午前9時をまわったあたり、僕はとある男と2人スタートラインにいた。

1年前陸上で聞いたホーンを、今回は水中で聞くこととなった。2人そろって、こんな展開になるとは夢にも思わなかった。お互い無駄口をたたけるくらいにはリラックスしていた。コジ男は2年生だったが、彼も様々な思いをもっている。

それぞれの思いを胸に、僕らはこれからの長い道のりに向けて健闘を誓った――

 

 

Swim 25:26(125/151)

100分前〉

 全体としては151人の記録となるが、時間分けの都合でA組の選手たちは既にほぼレースを終えていたので、僕は実質B組の選手76名の中で戦うことに。コースは往復750mを時計回りで2周の計1500m

OWS練はずっと左回りで練習していたので少々面食らった(事前によく調べましょう、不明な時は両周り練習しましょう😌)

 

・過去のブログから、インカレのSwimバトルはおしなべて激しく、沈めあい・呼吸難・視界不良など絶望がスタート早々役満状態になることが想定される

・東日本インカレではスタート直後潰され、体力を大幅消耗

・直前のOWS練で、ゴーグル蹴っ飛ばされて水中で外れる危険性を身に染みる

・東日本インカレと違い、順位(速くSwimアップすること)にそこまでこだわりはない←※ドラレースは基本こだわろう

 

との理由から、今回は「如何にSwimでバトルに巻き込まれず、無駄に力を使わないでいつも通りの泳ぎをするか」を重視(リスク回避)。モットーは『戦わずして勝つ』(孫氏の兵法より)

 

そのため、なるべく外側からスタートしようとした。

 

 しかし、数時間前のA組のSwimを見て事態が少々変わってくる。スタート直後集団が中央で内と外に割かれるように移動し、外に陣取った選手が外側にどんどん押し流されていた。

外に押し流され余計な距離を泳ぐことこそ無駄に力を使ってしまうので、そのリスクを考え急遽内側のコースロープ沿いを泳ぐことに作戦変更。

まあ自分は右呼吸なので、それはそれでうまく働いたともいえる。余談だが、A組のSwimアップが速すぎ(大体22分くらいで上がってた?)て、改めてインカレやべえなとそこそこビビる。

 

25分前〉

 最後の桐の葉を順調に()終え、サポートの方々のおかげでスムーズに準備を整え、リラックスした状態で入水チェックへと向かう。

 水温は22℃と東日本インカレほど冷たくはない。むしろ塗りたくったホットクリームのせいで熱い(貸して頂きありがとうございます)。直前の3日間、シャワーの冷水を浴びまくるミニ水行の成果が出てくれたのだろうか。

 いつものように少し多めに4往復ほど試永。噂通り、水中は「一寸先は泥水」で全く前が見えなかったが、練習の時から水中では目をつぶって泳いでいたため特に問題はない。むしろヘッドアップした時の視界が(相対的に)クリアすぎて嬉しい。

 試泳を終え一旦上陸。長い長い数か月間の終わりが始めろうとしている。コジ男と少し話す。あまり緊張はしていないようだ。彼は外側を泳ぐらしかったので、無事を祈る。(負けたくはなかったが)

 

1分前〉

 1分前のアナウンスと共に、ウェットスーツをまとった76の黒々とした集団が慌ただしく水の中へ駆け込む。(文面上だと結構異様な光景)

 作戦通り、最内側の3列目付近に位置取る。付近は東日本インカレの時の騒々しさとは打って変わって静かだった。まああれは160人前後で一斉スタートしていたので、今思えば当然のことだった。

 

0分前/スタート0分後―Swim start―

 始まりを告げるホーンは相変わらずサイレンのようで、けたたましく未だに好きになれない。もはや人によってはトラウマ的なのではないか?あと言語化しずらい。ぱああああん!?、ふぁあああん!?、ぷぁああああん!?、ぴゃーーーん!?

なんてことは呑気に考えられなかったが、ここでもバトルを避けるために35秒待ってからスタート。十分おつりは返ってくるとふんだ。

諸々の作戦が効いたのか、ただ人が少なかっただけなのか、序盤は特に激しいバトルはなく進んでいく。むしろ自分の前に道ができてテンション上がった。

 常にコースロープを視野に入れ、無駄なく・練習の時のリズムを意識しながら泳ぐことを心がける。たまに人が寄ってきたりしたが、特に競り合わずなるべく避けた。

Byひかるサン 、先頭が泳ぎだしてようやくスタートする

 

 基本的に左呼吸が下手なので右呼吸に徹する。右回りのため周りの様子はほとんど見えなかったが、全ては自分の泳ぎに集中するため。

ヘッドアップは4ストロークに一度くらい、前を見ると既に多くの選手に先行されている。まあきっと自分は下位集団であろうことは関カレの結果からも大体予想できていたのであまり焦らず、加えて常にブイは見えていたので気持ち的にもかなり落ち着いていた。

むしろ落ちすぎ過ぎていて、こんなにのんびりしていて本当にこれはインカレなのだろうか、このままで大丈夫かと不安になった。(実際、(2週目のみだが)平均心拍140bpm,最大心拍147bpmと練習よりずっと低い値)

 

 折り返したところで意外にも後ろがいることを確認しつつ、そもまま特にストレスなく1周目を終える。Garmin(ウォッチ)のスタートを押すのを3年目にしてまた忘れた(ちなみに翌日のスプリントも押し忘れた)が、声援に耳を澄ませるとどうやら12分半のよう。ゆっくりしてた分には悪くはない。

周りに他の選手もあまりいなかったので、2週目ものびのびと泳げた。一つ難点があったとしたら、途中コースロープの線と水面の線を勘違いして少し外にそれたが、まあ許容範囲。

 

そしてそのままスイムアップ。懸念していた声がなかったのでコジ男には負けなかったのかーと思いつつもバイクで巻き返さないといけないことには変わりないためトランジを急ぐ。

 

 初インカレのSwimは、絶望のエレクトリカルパレードどころか海底2万マイルくらいの落ち着きだった。普通に遅いんですけどね。

 反省としては、良くも悪くも実力通り。今の状態ではよほどのラッキー要素がない限りこれ以上は望めない。もっと上に行くには基本的な泳力とバトルに勝つ自信・技術が必要であり、3種のうちSwimが最も課題な気がする。

 

25:30―1stトランジ

 渡良瀬のトランジは走ってみると意外と長く、心拍もかなり上がった。距離にして100mほどだろうか。けど大会のトランジってけっこう長いよね。練習も今より長い距離を全力ダッシュすることが必要そうだ。もっともその場所を物理的に/工夫して確保なければいけない。

 ウェットは少し脱ぎにくかったが、それ以外は順調。さあ次はお待ちかねの巻き返しパート=Bike。タイム的にはカットの可能性も十分考えられたが、その時は前しか見ていなかった。

 

Bike 1:09:14(105)

26:30―Bike start―

 乗車ゾーンまでは若干つまっておりタイムをロスったが、それは反面、パックを組める人がいるということ。自分を含めてだいたい同じタイミングで5人くらいが乗車ゾーンに会した。意外にもみんな止まって乗っていたので、「右通りまーーす(どいてーー)」と声を掛けながら飛び乗り、少し先行する形でスタート。

一瞬このまま単走するんじゃないかとヒヤリとしたが、無事に追いついてくれる。

 

 そしてそれと同時に「回していきましょう」の声。なんの特別なことはないよくあるドラレースの流れだ。しかし、さっきまで赤の他人として(場合によっては削りあって)泳いでいた選手が途端に仲間となる。ドラクエとかポケモンも色んな漫画もそうだけど、手ごわい敵が心強い仲間になる瞬間っていいですよね。胸熱な展開。

 

兎に角、この一言で自分が今インカレに出ていることをようやく実感した。

 

 コースは17キロちょっとを6周回して計43km。ハート形の可愛いコースだが、1周が短い分先頭に追い付かれやすく、追いつかれ次第DNF(Do not finish)すなわち失格となる。

そのためSwimで遅れを取った人、Bike力に自信がない人はなんとしても5周は逃げないといけない。そのうえ90度カーブが2つだけのためレースが高速化しやすく、追われる方は例年よりも迫りくる先頭に怯えなくてはならないという可愛くないオプションがついている。

 

 1周目は、途中から合流した人も含め5-6人でパックを形成した。多すぎても落車等のリスクが上がるため、ちょうどいい人数だ。その中にはインカレ・エリートレースでよく見かける人もいた。僕にとっては有名人だったりもするので、またひとりテンションがあがる。 

 ただ、テンションは上げつつも前に出て引くのは控えたかった。落車・メカニックトラブルを除く考えられる最悪は、途中まで引かされた挙句頃合いを見て千切られること。

 仲間になったとは言え本心では何を考えているのかは分からないこと、40km/h以上は出ていたこと、意外にもSwim後脚に疲労を感じていたことを考慮して、程よくローテに入ろうといった感じだった。

幸運にもこのパックには自分よりBikeが強い人が2人おり、パック内でも全員で前に追いつこうとする共通認識があったため、比較的スムーズに回せた。タイムは11:00/周くらいだっただろう。

 

 とはいえ、パックを組むのははじめましての人ばかり。集団走には共通のルールがあるが、それをよくわかっていない人もいるし、(特に後半において)9割近くの力を出しつつルールや自分以外の選手を意識し続けることはそう簡単でないと思う。つい楽をしようと勝手に動くことが集団の輪を乱し、全体のスピードを落としたりもする。

そのため、円滑な走行にはコミュニケーションが必須だった(特に間に入るときなど)。自分も初のドラレースでたどたどしいところもあったらしく何回か集団内で指導を受けた(そのおかげでうまく回せたところもあるため、非常にありがたい)

 

 前日のドラフティング講習会で、立ち上がりで集団の後ろにいることが如何に死を意味するかを感じていたが、コーナーも特に渋滞せず、無理に前に出てくる人もおらず常に2-3番手でコーナリングできたことは非常に大きかった。このパックは協調性がありとても良い。

 

 パックの平均速度は大体40/hくらい。最初は全員で回していたものの段々と回せる人が少なくなっていき、2周に1人くらい千切れていった。

集団走は(回せる)人が多いほど空気抵抗や疲労が分散できるので、なるべく消えてほしくない。そのため自分も結構きつかったが、頑張ってもらおうと積極的に声を掛けようとした。

 

が、しかし、ところが、ばってん、

 

「がんばりましょう。。。。。」

 

 自分でも驚くほどにか弱く、カッスカスのカスり声。気を取り直してもう一度と思って出そうとしても出ない、ああ、人間って限界に近ずくとこうなっちゃうんだあ。

そしてBike開始以来水分補給しなかったことに気が付いた。というよりそんな暇もあまりなかった。こんなんじゃ声かけられた方もがんばれないよなあ。パック内コミュニケーションにも支障が出るので、今後ドラレースする人は気を付けてください。

 

 結果的にどんどん人は消えていき、4周を終えた時点で自分を含めた3人のみに。

(ちなみにこの時は気付かなかったが、このうちの1人は慶応の4年生の方で、ママチャリに乗れない状態から3年生でインカレ出場を果たした、密かに去年からすげえなあと思っていた人でした。こんなアツい展開に気づけなかったとは。。

その人の部ログ(慶応トライアスロン部サイト→ブログ→『関東で最も遅かった男の話』(2020/10/27))は今の1.2年生にも、トライアスロン関係者意外にも是非読んでほしいなと思います。きっと勇気がもらえると思います)(これってネットリテラシー的に大丈夫だよね?)

 

 さて、自分は基本的にずっとローテには入っていたが、脚もかなり厳しくなっていたため、前には出るが時間は短くすぐ横にずれた。代わりに2人に比較的長い間引っ張ってもらった。自分の役割を、集団の牽引ではなく、速度を維持したまま引ける人の休憩する時間を作ることと割り切った。

何度か落ちかけたが、折れずに踏ん張った。後日談だが、このパックが最後の集団だったらしいので落ちたら言葉通りオワッテいたかもしれない)

 

1:21:00―5周目fin―

 薄々意識はしていたが、そこそこあっという間に5周目が終わり最終周を告げるベルが鳴る。B組ということもあり、あまり心配はしていなかったとはいえ恐怖のDNFからの解放。

同時に3人の間に安堵の空気が流れた。「よかったなー」なんてことをちょっと言いあう。相変わらず自分の声はカスっていたが。自分も正直ホッとした。

 

とその瞬間、前の人の後輪と自分の前輪が触れる。慌てて持ち直したが、危うく吹っ飛ばされる or ふらついて後ろの人を巻き込むところだった。5周目が終わった時は皆さん気を付けてください。

 

 そんなこともありながら最後は3人でBikeフィニッシュ。とりあえず9割方完走はできそうでかなり安心。一息つくためにトランジでアミノバイタル飲んでたらBike順位が著しく下がった。

 

 レース前は大集団に乗っかって特に前に出ず(コーナー以外)楽にいけないかなーなんて思っていたりしたけど、結果的にローテも最後まで堪能できたし、このパックに入れてかなり幸運だった。

しかし、他大の選手に頼る場面も多く、言うなれば自分の運命を他人に預けてしまった。たまたま協調性のある人たちと組めたが、次はそうとも限らない。自分の力でも挽回できるようにならなければ、運任せの危ういレースを続けることになるだろう。 

 

Run 43:08(107)

1:34:40―Run start―

 コースは300m+片道約1.5kmの直線を3往復+400mの計約10km

 完走はほぼ確定し、順位にはあまりこだわりはなかったためペースを落とそうと思えばそれも可能な状態。しかも周りに人はおらずほとんど単走。追いつけ追い越せ逃げろ逃げろのSwim, Bikeよりも、ある意味で最も自分が試されるパートだったと思う。

 

 Bikeで脚を使ったことに加え、あまり長距離ブリックランをしていなかったため、最悪45分くらいもありうるかなーとは思ってたが、案外出だしは悪くなく、最初の2km4:10/km(自分にしてはこれでもまあまあな方)で入る。

 往復コースに入ってからはひたすら直線だったので距離を感じやすく、そのためひたすら頭でリズムを刻みながら走った。

最初の方こそ応援や人だかりがあったが、スタート地点から離れるほど人もまばらになっていく。女子のスタートと少し被っていたこともあっただろう。

 淡々と独りで走るその感覚は練習のそれに近く、再び「いま本当にインカレ?」状態に。その分、折り返し付近で給水の学連ボランティアをしていたゴンからもらった声掛けは嬉しかった。もはや往路はゴンを目指していた。

 

 もちろんゴンだけでなく、このインカレ・スプリントは本当に多くの学連の方々の協力があった。

コースの砂利を払い、シートを引き、ラックを組み立て、誘導をし、リザルトを出し、忘れ物を届け、、「そんなもんじゃ済まねーよ」とコウさんからは怒られそうだけど、大会のずっと前から終了後まで尽力して頂いた。

3日間で筑波からも計6人の方が学連として関わってもらい、常にいろいろな場所でお仕事をしている姿を見かけた。自分も一度だけ大会のボランティアに関わったことがあるが、種々の業務に心身を削られ挫折したのでそのありがたさをより感じる。

 

 手元のGarminの速度は着々と落ちてきている。せめて4:30は切らないようにひたすら手の振りとリズムを意識。もうひとつの不安要素だったわき腹の差し込みは、1往復目の折り返しでちょっとキたが、そこまでひどくならなかった。

 

ラストの折り返し。残り2kmくらい。いよいよインカレも終わりかと一瞬よぎり、ちょっと力が入る。

 

残り400m。大半の人が既にゴールし、ゴール付近の応援もお馴染みの顔が多くを占めていた。

東日本インカレでは見えなかった皆の姿、聞こえなかった声援、今でははっきりと受け取れた。

 

 ゴールはどんなポーズにしようか。。数週間前からぼんやりと考えたまま、結局決めずにここまで来てしまった。ただ、いざその時が来ると自然と迷いはなかった。

東日本インカレでは(必死すぎて)ままならなかったあのポーズ。とある元主将の姿を見て、ひそかにかっこいいなーと思ってたそのポーズ。

その人ほどの雄たけびはできなかったが、拳を握りしめ両手を高く挙げて、三百数十日と2時間17分の長いレースの終わりを嚙み締めた。

Byジンパチさん、ヒカルさん然りカメラマンの腕がすごい。もはやレースのモチベである

 

Finish 2:17:48(111)

2:17:48後〉

 レース的な反省を言うと、3種目とも自己最高の記録だった(n=3,トランジは知らん)。全体を通して大きなトラブルはなく、良くも悪くも実力通りの結果を出せた。インカレ前期間にもっと練習しておけば2桁入れたかななんて思わなくもないけど、後悔は全くしていない。

ただ、特にSwimは伸びしろがいっぱいありそうなので継続していきたいなと思う(BikeRunはぼちぼち)

 順位こそ低かったが、最大目標の「折れない」はクリア。自分が与えた影響かはともかく、学校に帰着後のMT1.2年生が来年のインカレに向けた思いを口にしていたのを聞くと、走り切ってよかったと思う。

 筑波からは他に6人が選手として、13人がサポートとして、4人が学連としてインカレに携わった。それぞれが自分自身の中で感じたもの、自分以外の人(・コト)に感じたものを大切にしてまた進んでいければいいんじゃないかなあと思う。

 

 

 1年前、筑波から出すインカレ選手を決める話し合いにすら入れず、蚊帳のはるか向こう側にいた自分がここまで来れたことは、練習を重ねてきたことには違いないが、それ以上にそれができる環境にいることができたからだと思う。

3種目とも、練習において2年生の存在はなくてはならなかった。競うべき相手として依存していたともいえる。練習後のご飯は大きなモチベだし、(若干1名以外)心身不安定になりやすい3年生の拠り所にもなった。

新歓や運営においても積極的に手伝ってもらったし、存在感ハンパナイッテ。タメグチダケド(そんな気にしてないからご安心を)

 練習場所の確保等事務作業はほぼほぼミクに一任し、会計はナオトがしっかり()やってくれて(ローラー中にハンコとサインもらいに来るのはヤメイ)、本当に伸び伸びとやらせてもらった。僕が自由な時ほど誰かの自由が犠牲になっていたことだろう。

今の1.2年生には同じように伸び伸びとやってもらいたい。

ということは今度は自分がということデスネ。

 

 インカレは自分にとって節目の大会ではあったが、思えば競技を始めてまだたったの2年半(サッカーは10年近くやっていたのでなおさら)。経験したのもショートとスプリントだけだし、ある人の言葉を借りればまだまだ「初心者」。

ミドル・ロングはもちろん、マラソン・エンデューロ・遠泳などチャレンジできそうな未知の領域が多く待ち受けている。

IRONMAN、アルティメットトライアスロン、オーシャンズセブンなんていう厨二心を四方からくすぐってくる名前(恐らくマーケット戦略)の大会もあるそうだ。

言わば自分が今いる場所なんてグランドラインの遥か手前、ミホークの初登場シーンくらいの位置だろう。

だから競技から身を引くなんて言わず、(速さをゴリゴリと目指すことは少なくなるだろうけど)面白そうなチャレンジは身体とお財布と相談しながらこれからもいっぱいしていきたい。

 

 

〈数百日後〉

2022 mn日 午前p時をまわったあたり、自分は誰と、どこで、どのような音を聞くのか。

いずれにせよ、後悔しないでその時を迎えたいものだと将来の自分に願いながら、10000字に及ぶこのレポートを閉じる。

(長々とありがとうございました。とりあえず「1分で話せ」を再読します)

 

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