2023/11/24

The Road to IRONMAN in LK 第2章 レース準備編~試走は体力温存のためナシで~

はすです。月刊IRONMANのお時間です。前回の第一章では「毎週更新します」とか言って、2回目にして1ヶ月後になるという失態。。 否、人間くささ。ダメな自分ですが、そのダメさもまた私を構成する大事な要素であります。


我ミスる、故に我在り。今日も私は平常運行でありんす。


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〈前回のあらすじ〉

準備不足の蓮沼、かくかくしかじかで渡航前日に絶望。一時は飛行機に間に合わない説もあったが、救世主Gondyが現れなんとか搭乗。

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安い航空券を買ったので、レース会場のランカウイまではクアラルンプール(以下「KL」)・ペナンの2空港を経由しないといけない。KLの空港はめちゃデカい。1億m^2という訳のわからん広さを持ち、敷地面積は世界で第2位の空港らしい。


羽田から一緒に来ていた日本人のIRONMANランナーの方は、2-3万円課金してKLから一気にランカウイまで一気に行ける飛行機を買ったのでここでお別れ。おれとコジは当然無課金プラン。取り残される2人。迷子になるのはアンパンマンが最後に勝つことよりも必然である。


空港職員の方に尋ねて、BだかDだか分からない発音や、kだかhだかわからないメモと格闘しながら無事搭乗窓口に到着。サンドイッチをほおばりペナンに出発。ペナンに到着。空港は意外とデカい。ぺナンを出発(雑)。ちなみにペナンは世界遺産もあり東西交易で栄えた歴史ある地。マレーシア・イギリス・中国・インド等々の文化が入り混じる面白い土地らしいです(留学者の受け売り)。


ここでまる1年ぶりに、マレーシアの代表料理ナシレマック(Nasi Lemak)を食べる。ココナッツミルクで炊いたご飯とおかずたちみたいな。美味かったけどやっぱ辛かった。けど美味かった。相変わらずメニューの半分以上は提供不可とか言われて、なんだか昔の記憶を色々と思い出した。1年前、自分があの環境で当然のように暮らしていたのが信じられなくもあり、なんとなく羨ましい。


↑↑ナシレマック。「ナシ」はご飯、「レマック」はココナッツミルクの意 ペナンから飛行機で揺られること1時間少々。ついにお待ちかね?のランカウイに到着!空港は飛行機から降りて歩いて空港まで向かうというローカルならではの斬新なスタイル。一面に広がる青い空に空港以外の人工物はなく、鳥は自由だった。



こじオと2人、飛行機から降りて開口一番、「あttttttっつ!!!」

それもそのはず、気温は30度越え、湿度も恐らく日本よりも高くかなりムシムシとしている。「ココ走んのか。。」と旅行者気分で飛行機に揺られ、24時間少々忘れていた絶望を思い出す。


空港内には既に多くのシーコンが並び、レースの始まりを告げようとしている。なんとなくお祭り前のワクワク感に近いものがこみ上げる。一応預けたBikeのロスバケも心配していたが無事回収。「何も壊れてませんように。。」と念じながら輪行袋を開けたら、そこにあるはずのディレーラーがない。


「あ、オワッタ」


と思ったけどよく見たら人為的に外された跡がある。あー空港職員の人が外してくれたのかな。ありがたや(自分で外せ)。


特にやることもないので、早々にUberで宿に向かう。ホテルにつき、Bikeを組み立てて、近くのスーパーもどきに食料と水を買いに行き、レストランで夕食を食べる。


当然っちゃ当然だが、街はIRONMANのニオイがプンプン漂う。「Welcome to Lang Kawi!」と描かれたトライアスリートのデカい看板、歩道では屈強なオニーさんと華奢なオネーさんがジョグり、車道では高そーなTT Bikeがラチェット音を轟かせながら過ぎ去っていき、街の人もIRONAMAN Tシャツを着てる人も少なくなく、「IRONAMA~N?」とか言いながらニコニコして手を振ってくる。これにはワクワクせざるを得ない!!やっぱ東南アジア好きやわあ。


宿の部屋が、エアコンかけると水ぽたぽた垂れる&エアコンの真下にベッドがあるから不可避的にベッドが濡れる仕様なことを除けば、到着1日目は比較的リラックスできて良かった。



〈2日目〉

この部ログの執筆現在、レースからはや1か月半が過ぎている。さすがにこの日何時に起きたかは忘れた。てか逆になんでこんなにあの日のことを思い出せるのかが不思議。それだけ特別な時間だったということか。


ん、1か月半!?まだそれしかたってないの??一年前と言われても納得してしまうくらい遠い昔の記憶でもある。


余談だが、学び続ける・新しい発見をする・自発的になる、この 3 つが時間を長く過ごす上で重要らしい。ジャネーの法則によると、人間は 20 歳で人生の半分を終えているそうだ。つまりこれからは体感時間がより短くなるということ。一方で新しい経験を得られると、脳が取り込む情報量は多くなる。処理するのに時間が必要になる程、時間感覚は遅くなるそうである。美味しいものを長く味わうためには、この3つを意識していかなくてはならない。※引用元:森さん(黒キャノンを部車として寄贈してくれた方)の2016下半期会報


新しい経験を沢山して、あっという間の人生を少しでも長く味わいたいものです。



さて、当日の備忘録に戻ります。 レース会場は宿から5-10kmくらいの場所。現地特有のどのタイミングで割り込んでくるかわからん車やバイクに戦々恐々しながらBikeで向かう。


会場に着くと、既に多くのランナーとロードバイクとIRONAMANグッツが!!!しかも受付を済ませたらなんとIRONAMANバッグが参加賞として無料でもらえた!!ちょうどスポーツバッグを切らしていたので、渡りに船とはまさにこのこと。IRONAMANグッツはBikeパンツだけで2万近くしたりめちゃ高だったけど、前週まで1ヶ月間欧州の円安物価高にもまれて金銭感覚がバグっていたので、お財布とは相談せず物欲の8割くらいを満たしながらショッピングを楽しめました(買ったのはランパンとBikeジャージ(上だけ)と食料を入れるための追加のサドルバック的なの)。



もうおなかいっぱい。十分満足しました。このまま海行ってビーチで昼寝して帰りたい。。



とはさせないのがIRONMANのしたたかなところ。記念Tシャツと記念タオルは完走しないと貰えないらしい。いや一番欲しいやつ!うーーんこのドSめ!


その他、お馴染みの日本人ランナーの方にまた再開したり、同世代の外国人選手(恐らく年代別でKONAを狙っている)から「君たちどのくらい練習してるの?」と探りを入れられたり、名前を漢字で登録しちゃったから沿道やフィニッシュで名前を呼んでもらえないことが発覚したり色々ありました。全てがおもしろかったです。


受付と競技説明会を終え、後は自由行動。もとい前日in組にとっては試走やレース準備の時間。ちょうどswim会場(T1会場)までバイクを持って行き、バイクinしないといけないが、ここから20kmくらい。悪くはない距離。ただぶっちゃけワシはバスで行きたい。地味にもう疲れてたし、もっと疲れちゃうから(情けない)。

恐る恐るこじに聞く。こいつは1カ月前までインカレ選手。体力は当日比おれの1.5倍くらいある。



はす:「なにで行くー?(バイクはいやだ!バイクはいやだ!バイクはいやだ!...)」


コジ:「グリフィンドーーール!!(バスで行きましょう!)」

はす:「Yeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeaaaaaaaaaaaa!!!!!」


コジ:(;^ω^)ナンダコイツ...



てなことがあったわけではないですけど、バイクで行きかけたところ、準備もたついてたらバスがやって来て、「もういっか」てなって2人でバスに乗りました。観光バスみたいなやつだったけどロードバイクも一緒に座席に乗せるという大胆さ。バイクは4人分のスペースをとるということをこの時初めて知った。


T1会場で危なげなく受付を済ませた後はあまり記憶がないが、はっきり覚えているのは順天?かどっかのOBの人が声をかけてくれたこと。多分僕がJUTUのシャツを着ていたからだろうが。話を聞くと、どうやらつくトラOBの山下さん(2018年度卒で主将もやった人。僕は面識ないけど、優さんや大輔さんや堀田選手やほたかさんから何度も名前を聞いたことはある)とかつてIRONMANに出たことがあったらしい。


マレーシアで繋がるのすごっと思いつつ、当時の繋がりが時を超えて現在、当時は全く関係がなかった人間(ぼく)に影響を与えたことに、おもしろさとトライアスロンの持続性を感じた。コジおはコジおで、国体合宿?で一緒になった人と再会したらしい。


トライアスロンやってると色んな繋がりができていいですね。キツさと達成感や充足感を同時に共有できる競技性も、選手を選手をつなげる大きな要因になっていると思ったり。



夜は飯食って寝ました(急に雑になる)。飯はメキシコ料理?みたいなのでカーボローディング。夜は今日こそ早く寝なければ!!と思っていたけど。結局某所属団体の代表業務でPCカタカタパチパチしないといけず、ブルーライトを全身(?)に浴びながら寝たのは11時半。


翌朝は4時起き。想定睡眠時間は4時間。


「まあ、関カレ寝れずに徹夜したけどインカレ行った人いるし、逆に睡眠不足で頭と身体が覚醒するみたいな話もあるしな」


というココでも発揮する恐ろしいポジティブ精神。しかし私は気づかなかった。インカレに行った人はそもそも当時の部内でトップレベルの実力であったこと、関カレとIRONAMANは距離が5倍違うこと、そして明日は夜も走らないといけないこと。。


なんで3つとも気づけないんでしょうね。

そして、この時の睡眠不足が翌日に大きく響くことをノンレム睡眠中の蓮沼くんは知る由もなかった。。

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前日編はここらへんにしておきましょう。IRONMANに興味があって、「どんなレースなんだろう」と思ってこのブログ(1章と2章)を開いた皆さん、ごめんなさい。恐らくあなたが求めた情報はまだ全くないと思います。ここまでは完全に旅、いや前夜祭の備忘録です。


たぶん次回から、本格的なレースレポに入ると思います。


次週、The Road to IRONMAN in LK 第3章 レース編~スポーツの名を冠したデスダイエット~

デュエルスタンバイ!


~CM~

つくトラOBでミスターつくば2023の周さんが、毎月?昔のカード縛りで遊戯王の大会を開催しているらしいです。僕もこの前ひょんなことから参加してきました。童心に戻ってとても楽しかったです。12月もやるらしいです。精神年齢を10歳下げたい方は参加をお勧めするので興味あったら周さんか僕に声かけてください


2023/11/18

デュアスロン日本選手権レースレポという名の備忘録

こんにちは。

金田です。

11/4()に山形県寒河江(さがえ)市グリバーさがえで開催された2023デュアスロン日本選手権に参加してきました。そのレースレポというか日記というか備忘録です。

 

11/3(土)

前日に筑波から実家(千葉)に一旦帰り、家族の車で山形まで。

7時半くらいに出発し、途中成田駅で同じく出場する国際武道大の大樹をピックアップして高速に乗った。お父さん運転ありがとう。

 

途中渋滞もあり13時半に寒河江I Cに到着。

13~15時にエリート受付、1510分から競技説明会があり、会場が高速を降りてすぐのホテルであったため、受付をした後に2,3km先のレース会場に向かい試走をした。


バイクコースは狭くコーナーと折り返しが多く、コーナー内側に砂があったり、折り返して坂であったりとかなりテクニカル。

 バイクのギア構成はフロント53-39tリア11-25tで、アウターロー53-25tだと折り返しからの坂がSFRのようにグイッグイッと踏まないとクリアできないので、特にバイク後半に攣らないように安直に下腿で踏んではいけないと予想。

他にもレース速度で突っ込んでコーナリング時の立ち上がりのギア位置やトランジ、ランコースを確認して数キロで試走を終了。

 

その後、競技説明会に間に合うようにホテルに行き着替えて競技説明会へ。

どうやら当日バイクの車検や使用シューズ、レースウェアの撮影もありしっかりしているそう。大樹曰くインカレも国体はもっと緩いんだとか。ちな世界選手権は、ホイールメーカーまで確認された。(1,2年生で有名メーカーではなく中華系で安くカーボンホイール買おうとしている人はUCI認証確認ね)

 

2週間前のスプリントで会った人もいたが、田中さんや特に深浦さんはお久しぶりですと挨拶をした。まだ初レースから一年も経っていない為、知り合いが少ない。これでも結構増えたんだけど。

 

宿泊するホテルは会場から東に15kmほど離れた天童駅近くのビジホ。

大樹の両親も交えて近くのファミレスで晩御飯。

翌日の朝ごはんと補食を買いつつホテルへ。

お風呂に入り「頑張ります」ストーリーをあげて9時半くらいには就寝。

割とすぐに寝られた気がする。

 

11/4

当日。

スケジュールとしては

トランジオープン・当日受付6:30~8:10

スタートセレモニー8:10~8:20

男子スタート8:20 

朝一番のスタートなので朝ごはんは〜5時までに終えて、540分にロビー集合、6時に競技説明会をしたホテル近くでバイク組み立て、会場まで2kmほど漕いで行き6時半には到着。



バイクをレース仕様(前後ライトマウント、使わないボトルケージを外す)にして当日受付を済ます。(実はシートチューブのボトルケージに空のボトル差したほうがエアロはいいのかな…?)

霧が深くてヘルメットシールを貼ろうとしたら結露で貼れなくて少し焦った笑

 

選手登録を終える頃に霧が深いとの理由(?)でスタートが850分へ変更。

この30分のおかげでアップに余裕が持てた。

(てかそもそも820分スタートは早すぎないか?笑)

 

会場に着いたときは一桁の温度だったと思うけど、スタート前には走るにはちょうどいい多分12,3度くらいで日光もあった。レースの格好を色々悩んでいたけど、結局トライスーツに厚手のアームカバーと各所にホットジェル。

 

さあ前振りで1000字を超えましたがレース詳細へ

前提として、目標は優勝のみ。ただ勝つことに尽きる。

そのために「勝利に必要な手を踏んで無意味な行動はしない」に終始した。

(若いなら挑戦しろという人がいるかもしれないがプライドだけでは勝てない。当たって砕けた悔し涙は綺麗だが誰も勝利とは交換してくれないもんね。)

 

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START

On your mar パーン」

せめてマークのクまで言ってくれ。

絶対何秒あけるとかあるでしょ。もはやマイナス秒。

 

1stRUN

前回大会の森さんのように1stRUNで飛び出すことには戦術的価値はない。(まぁかっこいいけど。)なので基本的に常に集団の前の方にいればおけ。スタート後に前にいた堀田さんの後ろについて申し訳程度に前に出て、最初の1kmは3分を切るくらい。1人飛び出したけど前述の通り追う意味がないので泳がせてその後は広大のおかしゅんを先頭に310を切るくらいで推移する。今回のコース、やたらとコーナー・折り返しが多くランではブレーキで、バイクでは立ち上がりで脚を使う。自分が最も楽に走れるように集団の中での位置どりは大事。特に書くこともなく十数人の集団のままトランジに入り1stRUN終了。

もちろん全力ではないもののまぁまぁきつかったのはここだけの話。


15’42(4) 3’08/km

 

T1

バイクを下ろした時にシューズと籠が干渉して少しロス。

飛び乗った時にシューズの上にうまく乗れずまたロス。

バイクスタートは集団後方で。

 

BIKE

前述の通りコーナーと折り返しが多いため毎回そこで集団が詰まり決定的な逃げや千切れるということがあまりない。前回大会の古谷さんのような単走をかまそうにも当時はショートDH使えたしバイク鬼つよで誰も行かなかったという条件が今回はない。落車等の危険回避と逃げへの反応、立ち上がりで楽をするために基本的に前にいてあわよくば最後抜け出したいという思惑。クライマー脚質な僕にとっては平坦ドラレースは主戦場ではないが、とは言っても漕げる方ではあると思うので、途中不意に逃げが決まりそうな時に逃げようとはした。ただまだ先が長かったりコーナー区間で追いつかれたりするためすぐに踏みやめた。前日確認した立ち上がりのギアポジションはドンピシャで、立ち上がりの時は隣かまえで誰かが頑張っているためその後ろにヒョイッとついて無駄なパワーはかけないようにした。トータルで楽に無駄なくを意識して、直前のレースがスプリント=ドラレースbutスイムゲロおそ=実質ノンドラレースだったので集団の中にいると体感めちゃめちゃ楽だった。平均240wに対してNP260wでいかに断続的に踏んでいたか。

5周回のうち4周入る時くらいに流経の定塚くんが飛び出したがまだ早い段階で1人逃げ切りができるほどの足は持っていないと判断して泳がせた。いいチャレンジではあるが自爆とも言える。頃合いかなと思って最終周中盤で捉えた。その後、折り返した後に最終的に2位の佐賀県?の石関さんが飛び出しいい勢いだったので乗っかった。まぁ例の如く次の折り返しで集団には追いつかれたのでトランジまでの1km弱でとにかく前にいることだけを意識して立ち回る。多分先頭集団で1番早くシューズのバックルを緩め脱いだ。そのおかげでみんなが脱いでいる時に少し前方に上がり先頭の2列目あたりで降車。

↑多分ラスト周回。父親に向けてピースするくらい余裕あった。

 

30’17(5) 40.2km/h(garmin)

 

T2

レースナンバー1ということで1番奥のラックまで走った。

この時に多分23人抜いた笑

バイクをラックにかけヘルメットを外しシューズを履く。この一連の動作がうまくいきT2で少し飛び出して2ndRUNスタート。

 

2ndRUN

石関さんとの2人旅。後ろから田中文也さんらが追いかけてくるものの差は縮まってこなかった。こりゃもうラスト勝負だなということはバイクの時からわかっていたためとにかく、離れないこととペースアップへの反応に気を配らせた。

とにかく本当にきつかった。平均心拍が208で最高心拍213という見たこともない数字を刻んでいたことが後々わかったが、インハイ出場当落線にいた高2,3の南関東に匹敵するキツさだった。(あの時もラスト勝負だった)

1.25kmを2周で1周目は後ろに追い付かれないようにして本命は2周目後半。2回の折り返しとラストのストレート前のちょっとした坂がポイントだろうなと思い、折り返しに入るところで前に出る。石関さんの足音を聞き気配を感じながら、最後の折り返しをした後にペースアップしたのを感じた。そっからは(ガーミン先生曰く最高速2’13/kmで)スパートをかけた。

 

GOAL

本当はゴールする時はサングラス外してゴールテープを掲げたかったけど、そんなことしてたら抜かるのでそのままよーわからんポーズでゴール。

勝てた。本当に嬉しい。

 

7’50(2) 3’08/km

Σ54’38(1)

 

人生積み重ねなもんで、高1の時に当時高3の原田先輩の県総体決勝1500m(これ見て)のラスト400からの圧巻のスパート(確か54秒くらい)に魅せられて、そこからアホみたいに毎練習ラストは上げまくって磨いた武器が役に立った。

その結果スパート勝負は僕の勝ちパターンになり、そこに持ち込むためにはバイクで休んで2ndランで離されないようにしないといけない。そのためにバイク力を上げうまく立ち回れるだけの力をつけた。レースペースに耐えられるようにランのベースを作り(陸上現役時代ほどではないが)もちろんラストも磨いた。

やっぱり結果が思い描いた通りに出ることは嬉しく、努力量が結果に比例しやすいエンデュランス競技からは離れることはできなさそう。

 


今回の大会で優勝できたことはもちろん嬉しいことであるが、初レースから1年未満(のまだ初心者?笑)で交流の狭い僕にとって、流経の定塚くんやFLEETの堀田さん、Go upの深浦さんなど既存の外の交流が広がったことも今後にとって大きな財産であると思う。

今回の遠征の裏目標が、「来年の世界選手権U-23メダルに向けてランのポイント練や高強度ブリックを一緒にできる茨城・千葉・東京の知り合いを増やす」でありこれについても達成できた。大成功の遠征でした。

 

レース後は女子のレースを見ながらバイクを車に積み、表彰式が終わったら即帰宅。

CM「美味しいものは脂肪と糖でできている」←大正解です。(でも飲料に脂肪燃焼を頼るのは違うと思う。結局運動量。)

食事制限とレース後の体に油が染み渡る。

 

途中SAで夕食をとりつつ夜遅くに実家に到着。

お疲れ様でした。

 

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最後に、中高の陸上の試合(なんなら少年野球の試合も)も世界選手権のスペインも今回の山形も応援とサポート(往復の運転!!!)をしに来てくれる家族は偉大です。本当にありがたい。

このレースまでに朝つつじとロングを共にしてくれた筑波山界隈のサイクリストの方々や応援と共に送り出してくれたつくトラの面々など様々な方からの応援・サポートと相互関係があっての結果であると毎度思います。

来年は前述の世界選手権U-23表彰台を主眼に置きつつ、ミドル・ヒルクラ・マラソン等色々な種目にも挑戦したいと思っています。

結果を残し続けられるように頑張りますので、引き続き応援のほどよろしくお願いします。

 

レースレポの範疇をこえて思ったことをつらつら書いてしました。

最後までご精読ありがとうございました。        

 

金田