2021/10/24

史上最大(?)のインカレレポ

はすです。

 

 

 インカレ振り返りです。とその前に、東日本インカレ・(全日本)インカレの開催に尽力してくださった学連とJUTU関係者の方々に改めて感謝申し上げます。

 1年目で存在を知り、2年目で密かに憧れ、3年目で手を届けようとあがいた舞台。生活の大半を捧げて目指した舞台。一時は開催が危ぶまれ自分自身心を乱しかけましたが、こうして無事に開催されたおかげで前に進むことができ、今を迎えています。

 そして、ここまで一緒に来たミクナオト、見守っていてくれたサオリリクト、部を支えてくれたつくトラ部員・OBOGの方々にも最大級の感謝いたします。それほど多くの人に囲まれて進んできた部団体であり、自分自身でした。

本当にありがとうございました。

 

さて、

関カレレポは情緒的だったので、数少ない男子インカレを経験した者として、来年の出場者が参考になるよう(観音寺の方を参考にできるといいね)に、実用性・汎用性を意識して書いてみます。

(と言いつつも結局蛇足は多いです、かなり長くなっちゃいました)


では――

 

〈スタート数百日前〉

 2020 111日 午後9時をまわったあたり、僕はとある男と2人陸上競技場にいた。

つい数時間前まで行われていた日本学生トライアスロン選手権 通称インカレの熱は、1年と半年でトライアスロンレース1本しか出なかったゆるゆる部員の心を、打ち上げの後競技場で走らせるまで熱くした。

そしてそれは、隣にいた彼も同じようだった。プライバシーの関係上(以降はガバガバ)、名前は"コジ男(仮名)"とでもしておこう。僕らはこれからの長い道のりに向けて、健闘を誓った――

 

97日前〉

 東日本インカレ。自分にとっては大学生活最大のチャレンジ、多くの人のサポートを受け無事に完走した。その時のことは前の部ログに散々まとめたので割愛。ひとつ言うなら、ここを勝ち抜いてインカレ出場を目指していたはずなのに、ゴールした後は不思議と結果などどうでもよく、ただ終わったことが嬉しかった。

 数日後、インカレ出場の通知を受け取った。嬉しかったが意外にも冷静で、想像していた喜びに震えるほどの感動はなかったのでちょっとびっくり(まあ恐らくボーダー勘違いして()当日喜べなかったからだろうが)

ただ、直後の榛名湖トライアスロンは最高に楽しかった。

 

6040日前〉

 部活動の活動自粛要請。最後の追い込みの時期なのに、休んでいる場合じゃない。そう思いつつも心のどこかでホッとしていた。「しなければならない」練習に疲れていた。順位に特段こだわりがあったわけでもなかったため"インカレ出場"を(実質的に)果たし、気持ちをぶつけ先を見失っていた。

いやいやそんなもの分かりやすく目の前にあるじゃん。って話なのだが、なぜか向き合えなかった。生活リズムも崩れた。自分にとってのインカレって何なのだろう。ぐるぐるもやもやと考えていた。

 

30日~13日前〉

 部活動は再開したが、依然としてふわふわとした日々を送った。自粛期間中で競技力は若干退化し、ちょっと前は1番乗りしていた朝Swimも起きられない日が相次いだ。

主将として、インカレ選手としてあるまじき姿だっただろう。東日本インカレ前の自分が見たらぶん殴られていたに違いない。

 ただ、光明もあった。前々主将のオサダぁさんと話して、自分のあるべき姿が見えた。

こんな気持ちのまま借りるのは申し訳ないと思っていた決戦ホイールも意を決して再び貸してもらった。もう立ち止まりはしない。できない。

そして一大ニュース、コジ男が繰り上がりで共にインカレに出場することになった。あの時のコジ男だ。

 

13日~1日前〉

インカレ目標は『折れない』。

 自分はこれまで、先輩達の雄姿を何度も見させてもらった。初めてレースを見た時は感動()で泣きそうになり、去年のインカレのおかげでこの舞台にいる。

 しかし、自分は特に速くかっこいいレースが出来るわけではないし、気楽にやってきたせいか今までの先輩たち以上に耐え忍んできた自信もない。そのせいで自分にはそんな先輩たちのような"魅せる"レースなんてできないんじゃないかと思っていた。

だけど、そんなうじ虫にオサダぁさんは素敵な言葉をくれた。

流石元しゅしょう。いいこと言ってくれますね。ところでいつぞやの「もくろく」は、、?

 

 

そうか、魅せようとしなくても精一杯やって何かを感じてくれればそれで十分だな。

 

 気持ちが楽になったし、固まった。自分にもたったの1年でも絶望的状況から諦めずにここまでたどり着いた自負はある。だったら自分に出来ることはその姿勢をレースでも表すことだけではないか。

身体のコンディションは正直東日本インカレの方が高く、かなりハードなレースになることが想像できたが、Swimバトルでゴーグル飛ばされても、Bikeで千切れても、パンクしても、落車しても、Runで攣っても、心が折れそうになっても最後まで走り続ける。

それこそが自分にできることだと決心した。

 

 もはや手遅れ感があるが、急造で身体を直し始めた。なんとかギリギリで戦える身体に戻した気分。

 

 そして相変わらずギリギリまで他の人からサポートを受ける。シューズを借り、マッサージで心地よくなり、アドバイスをもらい、エールを沢山受け取り、最終的にはかなりいい状態で本番に挑めた。

 もっとも、一番に感謝すべきは(人によっては選手も兼ねながら)遠征運営をしてくれた2年生。東日本インカレも集中して望めてはいたが、今回はよりリラックスして臨めた。皆様方本当にありがとうございました。

 

0日前〉

 2021 1016日 午前9時をまわったあたり、僕はとある男と2人スタートラインにいた。

1年前陸上で聞いたホーンを、今回は水中で聞くこととなった。2人そろって、こんな展開になるとは夢にも思わなかった。お互い無駄口をたたけるくらいにはリラックスしていた。コジ男は2年生だったが、彼も様々な思いをもっている。

それぞれの思いを胸に、僕らはこれからの長い道のりに向けて健闘を誓った――

 

 

Swim 25:26(125/151)

100分前〉

 全体としては151人の記録となるが、時間分けの都合でA組の選手たちは既にほぼレースを終えていたので、僕は実質B組の選手76名の中で戦うことに。コースは往復750mを時計回りで2周の計1500m

OWS練はずっと左回りで練習していたので少々面食らった(事前によく調べましょう、不明な時は両周り練習しましょう😌)

 

・過去のブログから、インカレのSwimバトルはおしなべて激しく、沈めあい・呼吸難・視界不良など絶望がスタート早々役満状態になることが想定される

・東日本インカレではスタート直後潰され、体力を大幅消耗

・直前のOWS練で、ゴーグル蹴っ飛ばされて水中で外れる危険性を身に染みる

・東日本インカレと違い、順位(速くSwimアップすること)にそこまでこだわりはない←※ドラレースは基本こだわろう

 

との理由から、今回は「如何にSwimでバトルに巻き込まれず、無駄に力を使わないでいつも通りの泳ぎをするか」を重視(リスク回避)。モットーは『戦わずして勝つ』(孫氏の兵法より)

 

そのため、なるべく外側からスタートしようとした。

 

 しかし、数時間前のA組のSwimを見て事態が少々変わってくる。スタート直後集団が中央で内と外に割かれるように移動し、外に陣取った選手が外側にどんどん押し流されていた。

外に押し流され余計な距離を泳ぐことこそ無駄に力を使ってしまうので、そのリスクを考え急遽内側のコースロープ沿いを泳ぐことに作戦変更。

まあ自分は右呼吸なので、それはそれでうまく働いたともいえる。余談だが、A組のSwimアップが速すぎ(大体22分くらいで上がってた?)て、改めてインカレやべえなとそこそこビビる。

 

25分前〉

 最後の桐の葉を順調に()終え、サポートの方々のおかげでスムーズに準備を整え、リラックスした状態で入水チェックへと向かう。

 水温は22℃と東日本インカレほど冷たくはない。むしろ塗りたくったホットクリームのせいで熱い(貸して頂きありがとうございます)。直前の3日間、シャワーの冷水を浴びまくるミニ水行の成果が出てくれたのだろうか。

 いつものように少し多めに4往復ほど試永。噂通り、水中は「一寸先は泥水」で全く前が見えなかったが、練習の時から水中では目をつぶって泳いでいたため特に問題はない。むしろヘッドアップした時の視界が(相対的に)クリアすぎて嬉しい。

 試泳を終え一旦上陸。長い長い数か月間の終わりが始めろうとしている。コジ男と少し話す。あまり緊張はしていないようだ。彼は外側を泳ぐらしかったので、無事を祈る。(負けたくはなかったが)

 

1分前〉

 1分前のアナウンスと共に、ウェットスーツをまとった76の黒々とした集団が慌ただしく水の中へ駆け込む。(文面上だと結構異様な光景)

 作戦通り、最内側の3列目付近に位置取る。付近は東日本インカレの時の騒々しさとは打って変わって静かだった。まああれは160人前後で一斉スタートしていたので、今思えば当然のことだった。

 

0分前/スタート0分後―Swim start―

 始まりを告げるホーンは相変わらずサイレンのようで、けたたましく未だに好きになれない。もはや人によってはトラウマ的なのではないか?あと言語化しずらい。ぱああああん!?、ふぁあああん!?、ぷぁああああん!?、ぴゃーーーん!?

なんてことは呑気に考えられなかったが、ここでもバトルを避けるために35秒待ってからスタート。十分おつりは返ってくるとふんだ。

諸々の作戦が効いたのか、ただ人が少なかっただけなのか、序盤は特に激しいバトルはなく進んでいく。むしろ自分の前に道ができてテンション上がった。

 常にコースロープを視野に入れ、無駄なく・練習の時のリズムを意識しながら泳ぐことを心がける。たまに人が寄ってきたりしたが、特に競り合わずなるべく避けた。

Byひかるサン 、先頭が泳ぎだしてようやくスタートする

 

 基本的に左呼吸が下手なので右呼吸に徹する。右回りのため周りの様子はほとんど見えなかったが、全ては自分の泳ぎに集中するため。

ヘッドアップは4ストロークに一度くらい、前を見ると既に多くの選手に先行されている。まあきっと自分は下位集団であろうことは関カレの結果からも大体予想できていたのであまり焦らず、加えて常にブイは見えていたので気持ち的にもかなり落ち着いていた。

むしろ落ちすぎ過ぎていて、こんなにのんびりしていて本当にこれはインカレなのだろうか、このままで大丈夫かと不安になった。(実際、(2週目のみだが)平均心拍140bpm,最大心拍147bpmと練習よりずっと低い値)

 

 折り返したところで意外にも後ろがいることを確認しつつ、そもまま特にストレスなく1周目を終える。Garmin(ウォッチ)のスタートを押すのを3年目にしてまた忘れた(ちなみに翌日のスプリントも押し忘れた)が、声援に耳を澄ませるとどうやら12分半のよう。ゆっくりしてた分には悪くはない。

周りに他の選手もあまりいなかったので、2週目ものびのびと泳げた。一つ難点があったとしたら、途中コースロープの線と水面の線を勘違いして少し外にそれたが、まあ許容範囲。

 

そしてそのままスイムアップ。懸念していた声がなかったのでコジ男には負けなかったのかーと思いつつもバイクで巻き返さないといけないことには変わりないためトランジを急ぐ。

 

 初インカレのSwimは、絶望のエレクトリカルパレードどころか海底2万マイルくらいの落ち着きだった。普通に遅いんですけどね。

 反省としては、良くも悪くも実力通り。今の状態ではよほどのラッキー要素がない限りこれ以上は望めない。もっと上に行くには基本的な泳力とバトルに勝つ自信・技術が必要であり、3種のうちSwimが最も課題な気がする。

 

25:30―1stトランジ

 渡良瀬のトランジは走ってみると意外と長く、心拍もかなり上がった。距離にして100mほどだろうか。けど大会のトランジってけっこう長いよね。練習も今より長い距離を全力ダッシュすることが必要そうだ。もっともその場所を物理的に/工夫して確保なければいけない。

 ウェットは少し脱ぎにくかったが、それ以外は順調。さあ次はお待ちかねの巻き返しパート=Bike。タイム的にはカットの可能性も十分考えられたが、その時は前しか見ていなかった。

 

Bike 1:09:14(105)

26:30―Bike start―

 乗車ゾーンまでは若干つまっておりタイムをロスったが、それは反面、パックを組める人がいるということ。自分を含めてだいたい同じタイミングで5人くらいが乗車ゾーンに会した。意外にもみんな止まって乗っていたので、「右通りまーーす(どいてーー)」と声を掛けながら飛び乗り、少し先行する形でスタート。

一瞬このまま単走するんじゃないかとヒヤリとしたが、無事に追いついてくれる。

 

 そしてそれと同時に「回していきましょう」の声。なんの特別なことはないよくあるドラレースの流れだ。しかし、さっきまで赤の他人として(場合によっては削りあって)泳いでいた選手が途端に仲間となる。ドラクエとかポケモンも色んな漫画もそうだけど、手ごわい敵が心強い仲間になる瞬間っていいですよね。胸熱な展開。

 

兎に角、この一言で自分が今インカレに出ていることをようやく実感した。

 

 コースは17キロちょっとを6周回して計43km。ハート形の可愛いコースだが、1周が短い分先頭に追い付かれやすく、追いつかれ次第DNF(Do not finish)すなわち失格となる。

そのためSwimで遅れを取った人、Bike力に自信がない人はなんとしても5周は逃げないといけない。そのうえ90度カーブが2つだけのためレースが高速化しやすく、追われる方は例年よりも迫りくる先頭に怯えなくてはならないという可愛くないオプションがついている。

 

 1周目は、途中から合流した人も含め5-6人でパックを形成した。多すぎても落車等のリスクが上がるため、ちょうどいい人数だ。その中にはインカレ・エリートレースでよく見かける人もいた。僕にとっては有名人だったりもするので、またひとりテンションがあがる。 

 ただ、テンションは上げつつも前に出て引くのは控えたかった。落車・メカニックトラブルを除く考えられる最悪は、途中まで引かされた挙句頃合いを見て千切られること。

 仲間になったとは言え本心では何を考えているのかは分からないこと、40km/h以上は出ていたこと、意外にもSwim後脚に疲労を感じていたことを考慮して、程よくローテに入ろうといった感じだった。

幸運にもこのパックには自分よりBikeが強い人が2人おり、パック内でも全員で前に追いつこうとする共通認識があったため、比較的スムーズに回せた。タイムは11:00/周くらいだっただろう。

 

 とはいえ、パックを組むのははじめましての人ばかり。集団走には共通のルールがあるが、それをよくわかっていない人もいるし、(特に後半において)9割近くの力を出しつつルールや自分以外の選手を意識し続けることはそう簡単でないと思う。つい楽をしようと勝手に動くことが集団の輪を乱し、全体のスピードを落としたりもする。

そのため、円滑な走行にはコミュニケーションが必須だった(特に間に入るときなど)。自分も初のドラレースでたどたどしいところもあったらしく何回か集団内で指導を受けた(そのおかげでうまく回せたところもあるため、非常にありがたい)

 

 前日のドラフティング講習会で、立ち上がりで集団の後ろにいることが如何に死を意味するかを感じていたが、コーナーも特に渋滞せず、無理に前に出てくる人もおらず常に2-3番手でコーナリングできたことは非常に大きかった。このパックは協調性がありとても良い。

 

 パックの平均速度は大体40/hくらい。最初は全員で回していたものの段々と回せる人が少なくなっていき、2周に1人くらい千切れていった。

集団走は(回せる)人が多いほど空気抵抗や疲労が分散できるので、なるべく消えてほしくない。そのため自分も結構きつかったが、頑張ってもらおうと積極的に声を掛けようとした。

 

が、しかし、ところが、ばってん、

 

「がんばりましょう。。。。。」

 

 自分でも驚くほどにか弱く、カッスカスのカスり声。気を取り直してもう一度と思って出そうとしても出ない、ああ、人間って限界に近ずくとこうなっちゃうんだあ。

そしてBike開始以来水分補給しなかったことに気が付いた。というよりそんな暇もあまりなかった。こんなんじゃ声かけられた方もがんばれないよなあ。パック内コミュニケーションにも支障が出るので、今後ドラレースする人は気を付けてください。

 

 結果的にどんどん人は消えていき、4周を終えた時点で自分を含めた3人のみに。

(ちなみにこの時は気付かなかったが、このうちの1人は慶応の4年生の方で、ママチャリに乗れない状態から3年生でインカレ出場を果たした、密かに去年からすげえなあと思っていた人でした。こんなアツい展開に気づけなかったとは。。

その人の部ログ(慶応トライアスロン部サイト→ブログ→『関東で最も遅かった男の話』(2020/10/27))は今の1.2年生にも、トライアスロン関係者意外にも是非読んでほしいなと思います。きっと勇気がもらえると思います)(これってネットリテラシー的に大丈夫だよね?)

 

 さて、自分は基本的にずっとローテには入っていたが、脚もかなり厳しくなっていたため、前には出るが時間は短くすぐ横にずれた。代わりに2人に比較的長い間引っ張ってもらった。自分の役割を、集団の牽引ではなく、速度を維持したまま引ける人の休憩する時間を作ることと割り切った。

何度か落ちかけたが、折れずに踏ん張った。後日談だが、このパックが最後の集団だったらしいので落ちたら言葉通りオワッテいたかもしれない)

 

1:21:00―5周目fin―

 薄々意識はしていたが、そこそこあっという間に5周目が終わり最終周を告げるベルが鳴る。B組ということもあり、あまり心配はしていなかったとはいえ恐怖のDNFからの解放。

同時に3人の間に安堵の空気が流れた。「よかったなー」なんてことをちょっと言いあう。相変わらず自分の声はカスっていたが。自分も正直ホッとした。

 

とその瞬間、前の人の後輪と自分の前輪が触れる。慌てて持ち直したが、危うく吹っ飛ばされる or ふらついて後ろの人を巻き込むところだった。5周目が終わった時は皆さん気を付けてください。

 

 そんなこともありながら最後は3人でBikeフィニッシュ。とりあえず9割方完走はできそうでかなり安心。一息つくためにトランジでアミノバイタル飲んでたらBike順位が著しく下がった。

 

 レース前は大集団に乗っかって特に前に出ず(コーナー以外)楽にいけないかなーなんて思っていたりしたけど、結果的にローテも最後まで堪能できたし、このパックに入れてかなり幸運だった。

しかし、他大の選手に頼る場面も多く、言うなれば自分の運命を他人に預けてしまった。たまたま協調性のある人たちと組めたが、次はそうとも限らない。自分の力でも挽回できるようにならなければ、運任せの危ういレースを続けることになるだろう。 

 

Run 43:08(107)

1:34:40―Run start―

 コースは300m+片道約1.5kmの直線を3往復+400mの計約10km

 完走はほぼ確定し、順位にはあまりこだわりはなかったためペースを落とそうと思えばそれも可能な状態。しかも周りに人はおらずほとんど単走。追いつけ追い越せ逃げろ逃げろのSwim, Bikeよりも、ある意味で最も自分が試されるパートだったと思う。

 

 Bikeで脚を使ったことに加え、あまり長距離ブリックランをしていなかったため、最悪45分くらいもありうるかなーとは思ってたが、案外出だしは悪くなく、最初の2km4:10/km(自分にしてはこれでもまあまあな方)で入る。

 往復コースに入ってからはひたすら直線だったので距離を感じやすく、そのためひたすら頭でリズムを刻みながら走った。

最初の方こそ応援や人だかりがあったが、スタート地点から離れるほど人もまばらになっていく。女子のスタートと少し被っていたこともあっただろう。

 淡々と独りで走るその感覚は練習のそれに近く、再び「いま本当にインカレ?」状態に。その分、折り返し付近で給水の学連ボランティアをしていたゴンからもらった声掛けは嬉しかった。もはや往路はゴンを目指していた。

 

 もちろんゴンだけでなく、このインカレ・スプリントは本当に多くの学連の方々の協力があった。

コースの砂利を払い、シートを引き、ラックを組み立て、誘導をし、リザルトを出し、忘れ物を届け、、「そんなもんじゃ済まねーよ」とコウさんからは怒られそうだけど、大会のずっと前から終了後まで尽力して頂いた。

3日間で筑波からも計6人の方が学連として関わってもらい、常にいろいろな場所でお仕事をしている姿を見かけた。自分も一度だけ大会のボランティアに関わったことがあるが、種々の業務に心身を削られ挫折したのでそのありがたさをより感じる。

 

 手元のGarminの速度は着々と落ちてきている。せめて4:30は切らないようにひたすら手の振りとリズムを意識。もうひとつの不安要素だったわき腹の差し込みは、1往復目の折り返しでちょっとキたが、そこまでひどくならなかった。

 

ラストの折り返し。残り2kmくらい。いよいよインカレも終わりかと一瞬よぎり、ちょっと力が入る。

 

残り400m。大半の人が既にゴールし、ゴール付近の応援もお馴染みの顔が多くを占めていた。

東日本インカレでは見えなかった皆の姿、聞こえなかった声援、今でははっきりと受け取れた。

 

 ゴールはどんなポーズにしようか。。数週間前からぼんやりと考えたまま、結局決めずにここまで来てしまった。ただ、いざその時が来ると自然と迷いはなかった。

東日本インカレでは(必死すぎて)ままならなかったあのポーズ。とある元主将の姿を見て、ひそかにかっこいいなーと思ってたそのポーズ。

その人ほどの雄たけびはできなかったが、拳を握りしめ両手を高く挙げて、三百数十日と2時間17分の長いレースの終わりを嚙み締めた。

Byジンパチさん、ヒカルさん然りカメラマンの腕がすごい。もはやレースのモチベである

 

Finish 2:17:48(111)

2:17:48後〉

 レース的な反省を言うと、3種目とも自己最高の記録だった(n=3,トランジは知らん)。全体を通して大きなトラブルはなく、良くも悪くも実力通りの結果を出せた。インカレ前期間にもっと練習しておけば2桁入れたかななんて思わなくもないけど、後悔は全くしていない。

ただ、特にSwimは伸びしろがいっぱいありそうなので継続していきたいなと思う(BikeRunはぼちぼち)

 順位こそ低かったが、最大目標の「折れない」はクリア。自分が与えた影響かはともかく、学校に帰着後のMT1.2年生が来年のインカレに向けた思いを口にしていたのを聞くと、走り切ってよかったと思う。

 筑波からは他に6人が選手として、13人がサポートとして、4人が学連としてインカレに携わった。それぞれが自分自身の中で感じたもの、自分以外の人(・コト)に感じたものを大切にしてまた進んでいければいいんじゃないかなあと思う。

 

 

 1年前、筑波から出すインカレ選手を決める話し合いにすら入れず、蚊帳のはるか向こう側にいた自分がここまで来れたことは、練習を重ねてきたことには違いないが、それ以上にそれができる環境にいることができたからだと思う。

3種目とも、練習において2年生の存在はなくてはならなかった。競うべき相手として依存していたともいえる。練習後のご飯は大きなモチベだし、(若干1名以外)心身不安定になりやすい3年生の拠り所にもなった。

新歓や運営においても積極的に手伝ってもらったし、存在感ハンパナイッテ。タメグチダケド(そんな気にしてないからご安心を)

 練習場所の確保等事務作業はほぼほぼミクに一任し、会計はナオトがしっかり()やってくれて(ローラー中にハンコとサインもらいに来るのはヤメイ)、本当に伸び伸びとやらせてもらった。僕が自由な時ほど誰かの自由が犠牲になっていたことだろう。

今の1.2年生には同じように伸び伸びとやってもらいたい。

ということは今度は自分がということデスネ。

 

 インカレは自分にとって節目の大会ではあったが、思えば競技を始めてまだたったの2年半(サッカーは10年近くやっていたのでなおさら)。経験したのもショートとスプリントだけだし、ある人の言葉を借りればまだまだ「初心者」。

ミドル・ロングはもちろん、マラソン・エンデューロ・遠泳などチャレンジできそうな未知の領域が多く待ち受けている。

IRONMAN、アルティメットトライアスロン、オーシャンズセブンなんていう厨二心を四方からくすぐってくる名前(恐らくマーケット戦略)の大会もあるそうだ。

言わば自分が今いる場所なんてグランドラインの遥か手前、ミホークの初登場シーンくらいの位置だろう。

だから競技から身を引くなんて言わず、(速さをゴリゴリと目指すことは少なくなるだろうけど)面白そうなチャレンジは身体とお財布と相談しながらこれからもいっぱいしていきたい。

 

 

〈数百日後〉

2022 mn日 午前p時をまわったあたり、自分は誰と、どこで、どのような音を聞くのか。

いずれにせよ、後悔しないでその時を迎えたいものだと将来の自分に願いながら、10000字に及ぶこのレポートを閉じる。

(長々とありがとうございました。とりあえず「1分で話せ」を再読します)

 

Windows メール から送信

 

2021/10/23

未完インカレレポ あなたは今笑っていますか?

関カレとインカレを比較…

関カレ「やったーインカレ!みんなでインカレ!」

インカレ「バイクカット完走できませんでした、、、」

 

天と地ほどの後味の差なので悲観的になってしまうこともありました

(インカレ出場は関東女子にとって大半が達成できたことではあったんですが。それでも私には素敵な瞬間だった)

 

ですが一つ、客観的事実として言えるのは、、、

笑っていない!ということ!

撮ってくれた写真を見るとひと時も笑っていないのです。

 

レースが苦しかったから?いやいや関カレのときは笑ってたじゃん

それにプレッシャーは関カレのほうが大きかった。

インカレ私以外みんないい顔してるじゃん!


そうです、なんかもう、

私のlapはすでに決まっていたような、スイムバイクの力量というより臨み方 挑み方 姿勢 で負けてしまったような、そんな気がするのです。(実際、さきと同じパックにいられたのにカットされるのは存外)(といえるように精進します)

 

それはほかの場面でも顕著で

関カレ後「きままにプカプカジョグジョグ楽しい!」

インカレ後「」

 (今絶賛授業シーズンなのもあるけれど、)


楽しんでレースするって何だろう~


こんなの笑い飛ばせるくらい強くなって帰ってきます

 

さて、レースレポを書いてしまいました。そして肯定できない過去も率直に言葉にしてしまいました。もちろん失敗バイアスもあるのですが。不快な気分にさせたらごめんなさい、あと長いです。トライアスロンは頭を離れてくれませんでした

 

それでも応援してくれた人のためにも、投稿してしまいます


---------------------------------------------------

 

【swim】 25:08(34)


スイムアップで誰がいるとかわからなかった、ただ声だけ聞こえた、ありがとうございました。


水温は22℃。戸田調整池のような呼吸の苦しさはない。噂通り水は濁っていたけれど、においも気にならず、不快感は想像より少ない、いや、ない。

今日はいける。


東日本インカレが終わってからの3か月。泳げる環境になってもプールに足が向かない。追い込んだ後の快感、キツさの先の快楽を、最後に感じたのはいつだろう。東日本インカレ前に回れていたサークルも、回ることができないままインカレの日を迎えてしまった。

 

それでもこの日の渡良瀬の水温は味方してくれた。この三か月のことは忘れ、希望を持てた。冷たくて震え泳ぎ切れるか不安だった711日より落ち着いていた。自信があった。根拠のない自信

ホーンが鳴る。最後方からスタートし、少しずつ前に出る。

バトルはもってのほか。淡々と泳げればよい。このスタンスを貫き続けている。甘いと痛感したのは1018日の反省会()でした。OWS練でバトりましょう

沖のブイが大きくなってきた。ブイを回って前方を確認した時、さきの顔が視界に入って驚く。悪くない。実力以上の位置にいる。残りの一周半は焦らず、キックを抑えて、落ち着いていこう。

いったん上陸して二周目へ。一人で淡々と。最短距離を泳ごうとして、何度もロープにぶつかる。間違ってGARMINは動き出すし。(バイクから起動させる予定だった)前に誰もいなくなってまた一人で泳ぐことになる。ドラは??この後の集団走どうするの??

 

1500mを、休まる環境なく泳ぐことが苦手だった(プールはいつでも休めるから安心である)。足がつかないのも、先が見えないのもつらい。体力的にというより精神的に。トライアスロンにおいて一番スイムが苦しいんですよね。この精神的苦しさを練習で払拭するためにあがいた。まあ自分でそれっぽいメニュー作れるっていうスイムパートの特権でもあったんだけれどね。我流だけれど壁をけらずに1500m泳いだ時はそれなりに自信がついた。

 

練習の成果と調子の良さが相まって、この日は、長く感じなかった。たかが25分。

とらんじのイメトレをしながら、集団走で後ろはどれくらいいるんだろうなど考えながら、(蛇行を重ねながら)ひたすら泳ぎ続ける。

もうすぐスイムが終わる。ブイが大きくなる。ようやくまっすぐ泳げてきた。いよいよバイクだ。上陸!

「さきまで1分!」の声を受けながら走っていく。

 

【Transition 1】

ウエットスーツのひもを開ける。腕を脱ぐ。足もすぐに脱げた。動作は問題なくできている。あとはバイクスタートするだけ、だった。

 

T1が命だと豪語し、飛び乗りの練習をしていた。一人で練習しても恐怖心で進歩なかったが、りんりんで教えてもらいながらなら10分でできた。でも次にまた一人で練習した時は、元に戻ってしまっていた。諦めたのはこの瞬間だった。まあいいか、と。

万全の準備とは言えないだろう。

 

トランジションエリアを出るときにはさきまでの差は50秒になっていた。「さきに引っ張ってもらえ!」の応援を背に、ゆっくりバイクに乗って発進する。

 

【bike】

前に一人見える。後ろから「一緒に追いつきましょう」と声を掛けられ追いつき三人パックになる。このパックはだんだん吸収され、6人くらいで回していた時、前にさきが単走しているのが目に入る。

「さきファイトー」合計7,8人?のパックで、いつものりんりん集団走と変わらないくらいのペース。何なら余裕があるくらい(という感覚だったのはレース効果というかアドレナリンだったのだが。)だったので、調子に乗ってしっかりまわしていた。だって前に出れるんだもん、、(レースでの一番の反省ポイントはここ。集団走ってドラフティングだけじゃなくてレース展開とかパック内の指示とか、いろんな駆け引きがあるという意識が薄かった。みんな優しかったけれどライバルなんだって気づいたのはちぎれた後だった。あまりにも単純である)

 

このインカレの第一目標は宣言通り完走だった。スイムを25分、とらんじは先頭と同じタイムだと仮定して、バイクはりんりんより少し速いペース、5キロのラップでいえば集団走のベストから15秒くらい速く刻めれば完走できると計算していた。そしてそれは大きくは間違っていなかった。

目標が低かったとは思わない。でも、最初から完走だけを考えていたはずはない。

東日本インカレが終わって、インカレに出られることに安堵していた時。みくさんに感謝を伝えたかった。今回のインカレで一区切りであろう彼女と一緒に走りたい。ランで追いかけて、近づきたい。レースでしか伝えられない感謝を伝えたい。できるなら団体順位に貢献したい。

私は、5月くらいまでは、インカレは3年で出られればいいなあくらいの気持ち。3月までは学生レースにこれほど熱中することは想定していなかった。そんな私でも、仲間に恵まれ環境に恵まれ、サポートや応援に背中を押され、仲間を励まして一緒に出た3人全員で笑えた7月の東日本インカレ。みんなで得たインカレ出場権。

間に合った。

一緒に出られる今年のインカレは、特別だった。特別なものにしたかった。

インカレが近づいてきて、スイムもバイクも7月よりは成長したけれど、これでは追いつくどころか完走も危ういのではないか、そして、目標をまずは完走に変えた。不安定な心と向き合いながら、「誰かのために」「みんなと一緒に」目標を達成したい本心を押し殺しながら、もっと強くもしなやかな精神で、あくまで自分のために結果を出すのだと意気込みながら。誰のせいでもない。私には競技に向き合う上での、軸や芯が足りていなかったのだと終わってみて思う。

 

三周目の最初のコーナーで、集団の先頭が立ち上がりを攻めてきた。たまたま前にいたので食らいつく。さきが遅れていたから「追いつこう」と声をかけた。今となれば恥ずかしくも、この時はこんな余裕さえあったのだ。誰も千切れることなくまた回し始めた。

次のコーナーで、私は集団の最後尾にいた。ここの立ち上がりで私は追いつけなかった。

どんどん離れていく背中。

半分は「待ってくれ」もう半分は「誰か落ちてくるだろうからそれまで我慢だ」

しかし千切れたのは私だけだった。甘かった。

じりじりと離れていく。一周が長い、長すぎる。

 

四周目に入る。

なぜ単走?気持ちは折れそうだった。後ろを待つにしてもちんたら待ってる余裕はない。二人来た。速い、ついていけない。また単走。ペースはどんどん落ちて上がらない。焦らないようにと思いあと二周の一心で、変わらない景色と長い長い一周を、感情は捨てて漕ぐ。

 

五周目。

あと7キロ。三人後ろからきて「一緒にペース上げて逃げましょう」。こたえつつ、またついていけなかった。コーナーで完全に離され、後ろを見ると「最後尾」のバイク。

あ、本当にlapが近づいているのか。スイムの時あんなに後ろいたのにみんなに越されたのか。なんだかんだ、耐えられるだろうと踏んでいただけに、あっけなくバイク力のなさを見せつけられ集中の糸が切れるような感覚。

それから少しして、半周ほど行ったとき「終了」と。

こんなレース展開でも、万全とは言えない準備でも、突然レースの終わりを告げられる瞬間はやはりふがいなさで、一丁前に情けない気持ちでした

 


冒頭の通り、写真は明らかにレースを楽しめていなくて笑えてくる。思えば楽しもうという気持ちはなかった。「インカレは消化試合じゃない。記念出場でもない」なんて言い聞かせていた過去の自分に、一番消化試合するのはあなたです、って言いたい。やっぱり振り返ってみると、楽しめる心の余裕はなかった、、dura借りたのにごめんなさい。全然立ち上がれませんでした。がーみんによるとおそらく千切れた瞬間から心拍数が10bpmくらい下がっていて、集中していたのかも怪しい。やっぱりこのバイクカットは必然だったんじゃないか。メンタルって大事。わかっていてもコンディショニング大失敗してしまうくらい、イヤな三か月だった、あーーーーあ(インカレに出るための、運営の仕事は言い訳にしませんよもちろん。)

 

ランコースを通って帰った。みんな頑張って走っていて、わたしにきづいてくれたのはうれしかった。生き生きと楽しそうにはしるさわさん、かのちゃーん!って声かけてもらえてうれしかった。うしろからみくさんにおつかれ!、って声かけてもらって、さきも最後までしっかり走っていて、純粋にみんな格好良かった。他大の人も含めて。

 

追いつく、追いつけなくても勝負できる位置まで上げるための練習プランはこんな感じだった。↓

スイムはできるだけ頑張る(RT集中あるのみ、程度)。バイクもできるだけ頑張る(集団走に慣れる、頻度を保つ、程度)。ランが一番伸びしろあると思うし伸ばしたい、気持ちよく走りたいから一番頑張る(LSDとブリックラン)、そしてトランジは体が動作を覚えるまで練習する。

モチベに波があったり、そもそもプール使えなくなったりバイク練できなくなったりして、一番頑張れたのはおのずとランだった。特にジョグしながら刻むリズムが心地よく、心身が整う感じが好きだった。ブリックランもかんかれ前よりずっといい仕上がりで走れてきたんだよなあ。それでも結局みくさんにランでさえ追いつけなかったんだけれど。本番走れていたらどうなっていたんだろうか~HPのリザルト更新しながらそんなこと考えちゃう

 

このプラン自体が間違っていたのかもしれないけれど、自分が最後にランで苦しまなかった、苦しむ権利がなかったことへの憤りのような感情。あっけなく終わってしまった。宿ではマッサージをしてもらいながら、前日に「良い状態」といわれた脚がまだ良い状態なことが皮肉だった。悔しさというより嘲り、諦観。「今日走ってないからサ」から始まる言葉を何度も口にした。自虐的な言葉を発することで精神を保っていた。さきちゃん不快な思いさせてごめんなさい

マッサージいつもありがとうございます

 

実力は出し切れた。

完走するだけの実力をつけられなかった。

実力とは肉体的要素だけではない。これはある人の部ログと非常に重なるのだけれど。

「強さ」とは何か。

私は弱かった。続けることそれだけに必死だった。頑張れない日もあったけれどね。対照的に周りは強かった。ある人、も、最近すごく落ち着いていて、見てると反対に私は焦った。

それでもこの日、できることを尽くせたことには感謝しなければならない。三か月間、私を助けてくれたのも、やっぱり仲間たちだった。直接かけてくれる言葉に救われた。

練習に誘ってくれることも、真剣な目線、屈託ない笑顔、何気ない瞬間が大切だったと今強く思う。

 

当日のレース後もそうだった。「飯食って寝る!!!」とか「とりあえず心を空っぽにして明日はたのしめばえんちゃう」とか「俺らまだ二年生だから」とか「がんばったよ!!!自己肯定感あげて!」とか。その言葉一つ一つもそうだし、いままで大半の時間を一緒に過ごしてきた仲間からの言葉だから一層

 

そしてたくさんの人からねぎらいの言葉もいただいた。いろんな人がいろんな場面を少しずつ見てくれていることを知った。うれしかった。

 

---------------------------------------------------

 

みくさんとゆかいなペットたち

のレポは二人に任せるとして(!)。私からは一言、楽しかった。

もーう寒くて寒くて、こんな中応援してくれた、サポートしてくれたつくトラの皆さんには頭が上がりません、ありがとうございます。

ハイライトはT2です。三人であーでもないこーでもない、いっているところをこうさんと学連のかたに見守られ(呆れられ)、もたもたしながらランスタート。学連サイドでいつも声かけてくれるのも最高です。

ランではチームいちねんちぇい☆に会えるし、ひやかしもたくさんいるし(頼んだ)、楽しかった。同じコースも見える景色が前日のインカレと全く異なった。

一緒に出たいっていうワガママかなえてくれてありがとう!(私が押しました)

 

---------------------------------------------------

 

帰路につく、遠征が終わる。

帰りの車ではもろもろの調整と連絡。

一年前を思い出して、今年も同じ場所で一人一言をしようと決めた。

すべて終わってほっとした。運営に関しては同期のみんなには感謝しかない。至らない点も多かったと思うので反省して次に生かします。

 

来年は香川で、みんなで、ゴールテープを切りたい。

そのためにまた一からもう一回。ふらふらしていて心もとないけれど、はす氏みたいに自己肯定感高めで生きていけたらいいなあ。

 

みんなが生き生きしていて決意にあふれていて、こんな部にいられて幸せだなあと思う。

 

となりでずっと笑顔の主将を見ていたらしんみりしてきた。

幸せオーラがあふれ出ていた。あたたかい空気感をかみしめているように見えた。

 

来年は彼のように笑っていたい。

どうやったら強くなれるかなあ。難しいですね。

ただ同期はもちろんつくトラの仲間たちが大好きなのは変わりません。そこが原動力になるんだろうなあという気がしている、今の私に言えることはこれだけです

 

再挑戦するチャンスをいただいたと思って一年間

後悔ないように 強くなっていく仲間たちの背を追えること 感謝して

一歩ずつ歩いていこうと思います

 

佐藤佳乃

 

 

追伸

誰かの部ログとそっくりになっちゃったねえ

彼は今落ち着いてるから そんな境地にたどり着けるかな

 

あとは早くみんなの部ログよませて

今回はここまで読んでくれた人へのお願い(いつもくどくてごめんなさい(笑))