2023/09/24

おまけ 旅行日記

 

9/9つくば-新地

ツールド福島チーム戦に出場するため3人は車を新地町へと走らせる。ツールド福島は新地,相馬,浪江,双葉,大熊,冨岡,大野,川内,葛尾(他にもあるかな)3.11及びF1事故の被災地を駆け抜けるコースで、とても楽しみだった。ところが一転、日立へ差し掛かったころに届いた運営からの先の台風一過によるツールド福島中止を告げるメール。一旦は日立駅の有名なデートスポット(?)で哀愁漂わせるも、僕らは果敢に北へ向かった。俺たちのツールド福島はまだ終わってない_____


海まで濁す我が哀愁

 

9/10 磐梯吾妻スカイライン

第一戦:福島駅-湯本17km

福島駅に車を移動させて、そこを拠点とした。駅から湯本入り口まで平坦10km、鬼勾配7kmのステージだ。入り口までは適当に牽いて、登る、登る。不動峠かそれ以上の勾配の道は無限に続くかと思われた。そうはいってもペダルを回し続けさえすればいつかはたどり着く。スカイラインの洗礼を浴び、公共の()温泉に浸かった。


硫黄の匂いがプンプンしたけどめっちゃ気持ちよかった

 

 

 

第二戦:湯本-浄土平15k

頂上の浄土平まで、勾配が緩くなって幾らか易しくなった。ただ15km登り道というのは思っているより堪える。途中で何度か休憩を挟み、濃霧や硫黄ガスも潜り抜けてゆっくりゆっくり進んでいった。やがて標高1700mに達し、硫黄ガスのせいか森林限界のためか表土が剥き出しになって”浄土”というに相応しい景色が目の前に広がる。霧のせいでチラチラとだけ見えるのがまた浄土感ある。







道路一本通して周囲はこんな感じ。

 






第三戦:浄土平-福島駅48km

 


頂上で一枚。実はトライスーツでした()

 

最後はいままでの獲得標高を吐き出すだけ。40kmダウンヒルというかつてないスケールに圧倒された。ペダルなんか回さないでブレーキで進んでいくのだ。福島市街地になっても下り坂続きでびっくりした。何もなかったが怪我もなくて本当によかった。

 

俺たちのツールド福島、完。

 

レースレポのような日記

 


ヒトの集合分離表。時系列とイベント。点線はインカレ後旅行中。

 

 

8/29 つくば-東京

つくばから東京へ帰る。渡邊は北柏まで来てくれた。松戸で行の新幹線乗車券と帰の青春18切符を購入した。もう戻れない。賽は投げられた!

 

 

9/1 東京-岡山-観音寺


車窓越しの富士山!

玉井と東京駅に集合して新幹線で岡山へ。手荷物予約指定席の威力は絶大で、自転車2台を新幹線に突っ込んで快適な旅が幕開けた。

岡山で降りて、岡山城と吉備津神社を観光した。軽い峠を越えたりして、知らない街を感じるのは楽しい。吉備津駅には吉備津駅北遊園地と明治天皇御駐車跡があった(つまり何もなかった)。もし、岡山を観光して時間が有り余っていたら寄ってみるといい。吉備津からは瀬戸大橋線を経由していざ観音寺入り。他の選手は既に宿に入っていたらしいけど姿はなく、買い出しや試走に行っていたみたいだ。夕食の時間にも揃わず、どうにもちぐはぐでおもしろい。玉井と2人部屋で寝た。

 

9/2 観音寺

コース試走を終え、ちょっとだけインカレへの実感が強まった。夜行バス組の渡邊と銀河とこじさんと昼うどんを食べた。彼らは2軒目へ食べ歩きに行ったので、私は千切れた。うどんラップ。選手受付まで時間があったので観音寺駅まで散歩したらサポートで来てくれた人たちが駅から降りてくるところだった。宿まで10人超の大集団を牽いたので、観音寺で集団を牽く役目はここで果たしたことになる。

さあ、いよいよ明日。スイムもランも去年より成長してるはずで、1,2個上のところでレースがしたかったし、できるだけの実力はあると思ってた。体調を万全にすべく、早めに寝た。また、玉井と2人部屋で寝た。

 

9/3 観音寺

お祭りの日。女子のレースは申し訳ないけどスイムだけ見てテントで休んでアップ始めました。女子の開始時は干潮近くてコースの1/3くらいが腰までしか水がないからいるか飛び祭りだった。年によって若干違うと思うけど、女子のインカレ選手はいるか飛びがんばろう。時は飛んで男子のレーススタート。

 

 

↓レースレポ

スイム 2517(105/161)

満潮になって、もはやドルフィンスルーは飾り。でも2回くらいはできたし3回アップすれば上手ければ10s以上は変わるのでは。スタート位置は左端やや後方になった。玉井は開幕ダッシュで見失った。そして人生で一番激しい水中戦となった。頭は沈められ、腰には乗られ、腕を回せばヒトにぶつかる。結果的に開幕ドラフティングの恩恵は受けれず、かといってヒトもまばらになる2周目以降スピード上がったわけでもなく(東北大の誰かの後ろついてたんだけど素で離された)3周目は集団の中に入って上がった。幸か不幸か最初のもみ合いで時計が一時停止されていたので、タイムは2周目以降の16分と表示されていて、最初ドラで速くなっただろうしなんやかんや7-8-8分で23分ではあがったんかな?って楽観視して浜ランした(リザルトみたら8-8-8分で24分でした。ふざけんなよまじで。去年より遅いタイム。プールスイムのタイムは着実に上がってたし、一番積み重ねたと思ってたのに今年のOWSは彩の国以降ダメだった。OWSの泳ぎ方としてはキックは波に揺られて空振っちゃうからプル重視らしい。プルのタイムもまだ遅いけど去年よりはだいぶ速いサイクルで回せるようになったんだけどね。倉橋,館山,横浜,観音寺,熱海といっぱい海で泳いだけど、波に身体ごと持ってかれる感覚がだいぶ強かった)


時計動いてなくて焦り中

 

バイク 10147(18/117)

スイムを集団で終えたけど結局トランジでばらばらになって、開幕は速めにトランジ終えて前で形成された小集団を全力で追いかける展開になった。ヒトの後ろついてければ楽だったんだろうけど、どうにも追いつく気がしなくて単走した。そういえば後ろでずっと”いいよー、もっと飛ばせー、あげろあげろ”って声がしてたけどなんだったんだ。結局、誰かを後ろにつけたまま最初の橋をこえるくらいまでには集団と合流できた。ここ一番がんばったとこ。最初は集団が小さかった(といっても10人弱)ので多くの人が回していて、集団のペースが落ちる時間もあって少し休めた。2周目奥の折り返しから、「行ける人だけ行こう」の声が上がってペースが一気に上がって、集団人数もうなぎのぼりに増えていった。自分はちょっとだけサイクルに参加して何回かは立ち上がりの時に前にいることもできてなんとか付いていけたが千切れた人も多かったと思う。玉井,ゆーしんの集団も見えてきて、トランジインするときに彼らは走り始めていた。最初はゆっくりめで途中から超高速パックになった集団に遅れて入ったのでバイクラップ18位のトンデモ順位獲得しました。

集団に追いつくのや立ち上がり操作は数歩譲って実力だとして、先頭が去年ほど速くなかったのと、入ったパックが高速だったのは完全に運が良かった(去年より周回数増えたのでラップボーダーきつくなった)


大集団牽き中

 

ラン 4217(63/114)

前述の通り、ランスタート時点で玉井ゆーしんは40分ある競技のうちでたったの1,2分前。呑めると思った。途中からはサポートに何分前って言われる前に聞いてた。早々に玉井を回収すると気持ちよく送り出してもらった。このときキロ4。また、イーブンペースのつもりでいたけど実際疲れてて維持できないペースであった。2周目坂直後。しんめい1分前。3周目坂手前。しんめい1分前。1分5秒。1分半。キロ5。自分の実力じゃ追いつけなかった。ランで会うって言ったのに。

 

 

終わってからはかけた時間に見合うだけの満足感は得たし、それでもまだまだ活力エネルギーの尽きないのを感じた。去年より特別な感情はなくて、燃え尽きシンドロームはまだまだ先と思う。持続可能な生活であるだろうか。

今年はなんと後泊した。疲れてるしお酒は飲まないと決めたら楽しかった。水を求めてローソンまで歩いたら釣り人が帰ってきた。鮭を見に行って後ろを振り返るとネコがいた。

観音寺での最後の玉井と2人部屋。

 

9/4 高松-今治

夢から醒めてまた別の夢へとダイブ。観音寺から車で高松へ。高松港から船で小豆島へ。高松駅から観音寺駅経由で今治駅へ。観音寺では若干一名ご飯食べてて可愛かった。車返却場所が高松で変えられなくて、ホテルはそのまま今治で予約してたから香川大返しになってしまって申し訳。今治はちゃんと見てないので特に感想なし。

最後の玉井と2人部屋。


高松-今治大返しなう

 

9/5 今治-尾道

何のために今治まで来ただろうか。そう!しまなみ海道だ。自転車に乗るのになぜかスーツケースで来た女子2人をバスに送り込んで、男子4人は念願のしまなみ海道した。レンタルクロスバイクでロードバイクに合わせるとヒトも自転車もパンクします。一名発狂しました。来年はみんなでロードバイク持っていこうね。


映えスポットをたっくさんすっ飛ばして来た

 

夜は尾道を歩き倒した。港,空き家,商店街……。半径2km程度で様々な顔を見せてくれる。古風な街並みと路地裏の宿は時間の流れを遅らせるような雰囲気を漂わせていて、それに促されるままに夜更かしをして語って歩いた。



色んな想いが聞けたのは土地の力かもね

 

9/6 尾道-姫路-名古屋

距離的な折り返しの日。多様性を尊重して3手に分かれて帰宅した。新幹線と夜行バスと青春18切符鈍行。小林は渡邊と鈍行。1日目は尾道8-姫路12,姫路14-名古屋18時。そんなに乗ってて飽きないのかって?めっっっちゃ飽きた。渡邊は寝てるし景色は同じだし。まだ見ぬ新天地を胸に車窓を視界に入れ続けた。だけど、端麗な姫路城もギラギラの名古屋のビル街も疲れきった心には消化試合。安さと新天地を求めた希望溢れる旅人は一日にして業務遂行マシーンと化した。

 

 

9/7 名古屋-つくば

鈍行2日目。5時前にネットカフェのチェックアウトを済ませて散歩に出る。9時の開城に合わせて名古屋城を見に行く。不幸にも天守閣は立入禁止期間だった。10kmの散歩を駐輪場で終えて、鈍行旅を再開させた。途中で見た浜名湖には感動したのを覚えている。大体16時間の鈍行の終わりはインカレ旅行の終わりでもあった。りんりんロードの暗がりは私の未来のよう。インカレは近づくにつれて存在感を増し、それはある意味で人生の道標であった。今日何をするか、明日どうすればいいか。時間の使い方を評価するひとつの指標であった。新しく指標は導入されるべきで、暗がりは照らされるべきである。去年よりかは見えている。それでいいのだと思ってつくばっく。

一週間の大遠征が終わった。

2023/09/16

インカレレポ(B3玉井)

B3の玉井彪己です。
インカレが終わってしまいました。
いつもみたくきっちりレースレポを書こうとしたら頓挫したので、今回は超主観!ざっくりレポ!!でいかせてもらいます。

 

リザルト

総合2:17:51(100/159[完走114])
Swim0:22:29(68/159)
Bike1:03:19(81/117)
Split1:25:48(57/117)
Run0:52:03(106/114)

 

 

ぼっちざすいむ

スタート位置につき(最左端)、ゴールで会おうとこじさん(B4)と約束し、スタート。殴ったし殴られた。そんなスタートが個人的には大好き。今回は確実に丸山くん(とんとら)を土台にドルフィンスルーをした。ごめんね!

流石はインカレ、100m進む前に前後左右囲まれた。毎度第一ブイ回るときが一番怖い。1周目の上陸で、すぐ前にしんめい(B2)いた(なにしてんねん)Garmin見て6:30台だったからチキって集団から離れてしまった。そしたら前にも後ろにも人がいなくなってしまい悲しみの単泳。競泳出身者と水泳経験者の狭間みたいなのを感じながら泳いだ。寂しかった。いつもだったら中盤以降は誰か同じペースの選手にドラして楽してきたのになあ。後ろ待つか悩んだけどそんな勇気はなくそのままスイムアップまで単泳。異常に人が少ないからバイクしょっぱな脚使っちゃうなーと鬱りながら浜ラン。ちなみに浜ランメッチャキツカッタ。

 

 

ドラレースの洗礼を浴びた話

超主観のバイクの流れがこんな感じ。

半周 単走でしんめいに追いつく

1周 中山さん(広大)合流

2,3周 中山さんにぶん回してもらう

4周 中山さんに全員ちぎられる

5周 のあパック合流&中込芝パック回収

6周 みんなで仲良くトランジ(30人くらい)

 

さらにインスタライブ見てざっくり超主観で全体整理したのがこんな感じ。

[はじめ]先頭-追走-新幹線-中込芝-玉井喩-のあ-こば大樹-みやはる

([各々スイムラップ]20切り-20-21-21後半-22-23-25前後-26)

[おわり]先頭,追走,新幹線-大集団(中込~のあ)-こば大樹-みやはる

([各々スプリット]1:22-1:26前後-1:27-1:30)

 

結構これわかりやすい気がします。結果論的には、俺は新幹線に乗れそうならスイム頑張ってみる、全然無理そうならのあさん待ってもよかったのかな。少なくとも、しんめいは新幹線に乗りましょう。結果見るにこば大樹パック相当早かったみたいですね。関カレはバイク差でこばに勝ったのに、インカレではバイクラップでぼこされました。

コバチャル(バイクラップ18)爆誕。

 

今回得た教訓

ドラレースで順位上げたきゃ

早くスイム上がるかバイカーになるかだ

 

 

ジョグ

バイクアップ同じ時点で喩には勝てん。ランスタートの時にこばがトランジ入ってきた時点でこばにも勝てん。こじはLAPされたと涼太(B3)に知らされたから、こじとも勝負できん。

ここまでの展開もスプリットも全然よくないし、ランスタートの時点でつくトラ内順位が決まってた。俺のラン力では追い込むモチベーションを失ってしまった。俺がやることは2020ぶりの団体順位を獲得するために歩いてでもいいから完走することだけ、と思ってしまった。

同じ立場なら涼太は性格的にLAPされた人たちに申し訳ないとか言って全力で走り切れるだろうかとか思いながら、自分は途中歩きながらジョグでゴールを目指した。長かった。

順位はキリよく100位。最低限目標通り団体順位獲得。ダントツビリだけど。

団体順位を上げていくのは後輩たちに任せます。(女子も団体順位欲しいね)

 

インカレメンバーへ

Toこじ Swimなんとかして(LAP的な意味で)

Toこば Swimなんとかして(スイムパートリーダー的な意味で)

Toゆ  Swimなんとかして(つくトラのエース的な意味で)

 

2023/09/05

つくトラとしての幕引き 〜インカレを終えて〜

4年の小島です。
9/3
昨日、2023年のインカレが終わりました。

そして翌日の今日、新鮮な思いをそのままに書き残して区切りとしたいと思います。

(寝落ちしたので2日後)

先日の一言では言葉に詰まった分、しっかりと書かせていただきます。

長くなるかもしれませんがお付き合いください。

 

今回のインカレ。

並々ならぬ覚悟をもって挑みました。

結果としては目も当てられぬタイム。DNF

競技中、手を抜いたわけでもない。感触はむしろ良く、全力で泳いだ。

その結果が、弱さの露呈とはなんともやるせない。

 

今まで、自分ができうることは全てやったつもりだ。

どんなにきつい時でも継続的に練習を行い、自主練もしてきた。

趣味である旅も封印し、他にやりたいことが色々あるが全て断ってきた。

過程に後悔は1つも残していない。

それでも結果が「弱かった」で片づけられてしまう無力感。

 

リベンジすることは可能だ。来年夏も大学に在籍している。

けれど、スイムの壁にぶち当たって今年以上の努力をする必要がある。

もうインカレの為に修行のような部活生活を送る覚悟、根気はない。。

惰性で行けるほど甘くないことは知っている。ならばキッパリやめよう。

 

関カレ前に決めた決断。

同期を含め、周りの同級生が就職やら研究やらで忙しい中、自分は部活だけしかないし、そういう環境を作ってきた。

不退転の覚悟をもって挑むんだからと1日中、練習しないと罪悪感を感じていた。

そんな生活から早く解放されたいと4月からずっと思ってきた。

 

待ちに待った幕引き。

いざ、その日が来ると色々とこみあげてくる。

 

3年前、コロナで遅れた入部。

高校のインハイをあと少しで逃した未練をもって部活を探していた僕はトライアスロン部に出会った。

水泳は一応泳げる。自転車は夏に3000キロの旅をした。陸上部出身。

 

11月初旬、入部を決めた

決め手は初めての対面の新歓イベントでの2020のインカレ観戦。

そこで今の同期と初めて顔を合わせて、言葉を交わした。

 

先輩のレース姿、ゴールシーンを観て、

「自分らもここに立とう」

しのとそう誓った記憶はあった。

 

素質があるんじゃないか?

泳ぐことも一応できるし、そこそこ走れて自転車も乗れる。

希望に満ち溢れていた。

(トライスーツ全員エリートなのはそういうこと)

↑入部後、同期でママチャリ漕いで登った筑波山

 

結局、1月中旬まで部活は停止していた。

筑波に行く理由がないから地元にずっといたから、この時期は部活との関係はほぼ無く宙ぶらりんだった。

練習しておこうと思って意気込んだけど、2月頭に落車して、両手首を骨折した。

その結果、3月末の強化連まで練習はほぼできず、新学期を迎えることになった。

 

20214月。部活に専念し、月数回帰ることを条件に一人暮らしを認められた。

そこからは2年半、部活漬けだった。

離された同期の実力に追いつく為、後輩に先輩の姿を見せる為、努力し続けた。

 

そして迎えた初めてのレースにして関カレ。いいレースが出来て60位。

その後、延期に延期を重ね、挑んだ10月の初ODインカレ。

出場枠が1つ回ればよかったのに出場枠が2か月半来なかった。

結局、伝わったのはレース10日目、最終入金日。

気が切れていたのでバタバタ調整。

結果は散々だった。

 

絶対リベンジしてやるという熱意と初年度からインカレ選手という希望をもってシーズンを終えた。

そこからは、練習して怪我して旅しての繰り返し。

歯車が狂ったのは20222月。

自分の慢心が生んだ胸部の骨折。

 

復帰は4月末。駆け込み努力をするが関カレ敗退。

同期と後輩が3年ぶり香川に立つというのにそこにいないという虚しさ。

本当に絶望した。もう来年春から休学して世界一周してやろうと本気で思ってた。

 

けれど、気持ちを繋いでくれたのは

同期の「お前と一緒にゴールしたい」という言葉。

このセリフがどれほど俺の大学生活計画を歪めたことか。

そして辛い時にどれだけ助けられたことか。

本当に、本当にあの場面であのセリフを言ってくれてありがとう。

この約束が俺を一年間突き動かしてくれた。

 

そこからは

入れ違いで同時に出場できなかったインカレで一緒にゴールする。

それだけを目標に突き進んだ。

彼は別の道へ進んだが、それなら彼の代わりに俺が思いをゴールへつなぐと決めた。

 

怪我に悩まされ続けてきたが、今年の冬は怪我をしなかった。

学業の方で海外研修を行うことがあり1か月離脱したが、彩の国までに実力は飛躍させた。

 

関カレ。リベンジ達成。結果は実った。

7・8月。意欲維持の為、合宿中心の練習漬け。

そして2023年、93日。来たるインカレ。

 

自意識過剰かもしれないが、色々な人が自分を応援しに来てくれたと思う。

その思いに答えることができなかった。

そして、同期の代表として自分らの代は最高だったことを証明できなかった。

最後に、去年の約束を果たせなかった。

けれど、許してほしい。ここまで自分なりに精いっぱいやってきました。

 

つくトラとして最高の幕引きはできなかったけど、爪痕は残せたと思う。

自転車で日本一周してるわ、毎年骨折してるわ、滅茶苦茶してたけど受け入れてくれた

お陰様でコロナ禍の代から今の代まで長く選手として第一線に立ってみてこれた。

それぞれの代、全て良かった。そして変遷して今の部は最高だ。そこに一員としていられたことは誇りです。

インカレを完走した三選手を含め、常に高い意欲と練習の質を保ち続けられた。

たるんでいるときは横を見れば気を引き締められた。

周りがいなければ、ここまで強くなれなかった。

一緒に練習をしてくれてありがとう。

 

そして、同期。

3年間、ありがとう。

滅茶苦茶なままで入れたのは寛容だった同期のおかげです。

なんだかんだで同期のことを一番大切におもってきたのかもしれない。

部活を通して3年間、最高の時間を一緒に作ってくれてありがとう。

 

最後に一人だけ。

同期であり、ライバルであり、戦友である篠原君。

性格は真逆だったけど、僕は君のおかげでここまで努力を続けられた。

結局、一緒にインカレに出ることは叶わなかった。

けれど、大会後に一緒にランコースを走ってゴール地まで行けたのは良かった。

形式上だけど、一緒にゴールする約束を叶えることができた。

長らくありがとう。

 

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引退宣言。撤回するつもりはない。

つくトラとしては終わった。今年の追いコンで追い出してほしい。

 

競技を引退するわけでもない。

ここからは生涯競技として極めていく。

そのスタートがironman

次のステージはすぐ迫っている。

今日、四国を発つのをもって心機一転、切り替えていきたい。

 

つくトラの皆さん、ありがとうございました。

旅するアスリートとして全国・世界各地で競技していきます

またつくば、インド?、どこかで会いましょう!