2023/10/28

ラストレース

 

B3の玉井彪己です。
今シーズンも終わりですね。
先日のスプリント個人&チームTT選手権について書きます。
個人選手権の部
Swim0:10:22(30位/77)
 いつにもましてバトルきつかった。スプリントだけあってみんな激しかった。と言っても自分はバトル得意なので序盤で出遅れることはなかったです。しんめい(B2)氏は「バトルで出遅れた。トライスーツが目立ちすぎていたから狙われたんだ。」と申しておりました。インカレでスイマー達に離され、単泳を余儀なくされてしまった反省を生かして、Swim後半も気合を入れて泳ぎました。おかげでT1が過去一きつく、サポートの声も聴く余裕がないほどでした。
 後になって分かったことなんですが、自分の10秒前に最速パック(新幹線)が編成されていたみたいです。しかも第一パックにまで追いついてるみたいでとても乗りたかったなと思います。けど、自分的にはSwim尽力したので悔いはないです。悔いはないですが、、クヤシイ!
 トランジに着くと名簿順で近い髙平くん(とんとら)がいたので絶対についていくと思いながらBikeへ。
 
Bike0:33:36(31位/77) Split0:43:58(30位/77)
 髙平くんよりも先にバイクコースに出られたので後ろ見て待っていたら、なぜかしんめいがいました。なんでやねん。ついにしんめいにSwim勝ってしまいました。しかもしんめいは10:56で約30秒差。ウェットスーツって偉大ですね。
 この3人で前方100m先くらいに見える集団を目指しました。しんめいはしょっぱなに牽きすぎて消えました。最初の直角カーブ曲がって橋超えたところで脚ギリギリで追いつきました。追いついたときに髙平くんとハイタッチを交わしたのはとても印象深いです。ありがとう
 追いついて少し脚を休ませました。この集団には矢田目くん,藤本くんがいてとんとら率高めでした。それもプラスに働いたのか、かなり機能していたように思えます。さらに前の集団を捕らえられそうだったので、ペースを上げ長めに牽くと、またも髙平くんがこれに反応してくれて続いてくれたので、1周目終盤にはその集団にも追いつきました。大感謝
 この集団には、濱野さん(東海)がいました。インカレでは一緒にBikeまわそうと話していたものの、自分がSwim遅れてしまったので、今回は比較的早めに追いつけたので嬉しかったです。濱野さんが集団全体に声かけてくださったおかげか、この集団もとても機能していました。つき位置固定になっている人がおらず、全員が牽く良い集団でした。機能している集団走ってこんなに楽しくて楽なんですね。集団のペースが落ちたときに仕掛けてみたり、最後もまた髙平くんと抜け出してみたりとやりたいようにやれました。脚もインカレと比べて遥かに残っている状態でRunに入れました。
Run0:19:37(62位/77)
 3:52/kmペース。大会のブリックランでキロ4を切ったのは初めてです。欲を言えば19分を切りたかったですが、垂れなかったことは大いに褒めてほしいポイントです。Jogは偉大ですね。直近4週間はポイント練を行わず、その代わり計100kmジョグしました。自分的には過去一しっかりJogを積めました。明らかに後半の耐久力が違いました。
 しかしながら、現実は厳しく、Bikeでちぎったはずのしんめいと、どこからともなく現れた小林(B3)抜かれてしまいました。二人に対してT2時点では1分ちょいの差を持っていたみたいなんですが、、
 ちなみに髙平先生は14位まで昇ってました。
総合1:03:35(45位/77)
 一つの目標だったリザルト半分以上は叶いませんでした。まあいいです。個人的には全パート健闘したので満足です。そしてレースが楽しかったです。てかスプリントディスタンス最高にちょうどいい。もっと流行ってほしい。
トランジション(個人→チームTT) 1時間(11:40-12:40)
 一日に2回トライアスロンをやる練習はしていなかったのできつかったです。あと時間なさすぎ。指先が冷え込み、唇が青くなり、低体温気味で正直チームTT出るか本気で迷いましたが、とりあえずウェットスーツ着て考えよう。とりあえず入水して、Swim上がって考えて、Bikeは行けそうだし、Run中だったら最悪歩いてもゴールはできるしな。ということでスタートすることにしました。チームTTフィニッシュ後しばらくダウンすることはまだ知らない
チームTT選手権の部
Swim0:10:44(17位/36)
 絶望的コンディションで迎えたチームTT。寒気が止まらなかった。幸い、小林の同じくらいで上がれば文句は言われないので、無理せず泳ぐことにした。
 チーム筑波はスタート大外についた。なぜか他大は内側に集結していたので、スタートから一回も接触することなく快適スイムだった。単泳ペース走。心拍も上がりすぎてないし良い。このコンディションでこのタイムは嬉しかった。しんめいとトランジで小林を待ちながらゆっくりトランジした。
Bike0:37:20(19位/36) Split0:48:04(15位/36)
 小林のトランジをバイク乗りながら待ってる間に東海2年ズに抜かれた。私がRun遅いので3周目は喩こばに牽いてもらって脚使ってもらう予定だったので、その分1,2周目は長めに牽いた。チーム3人でドラしあうのは最高に楽しい。チームTTの醍醐味ですね。きつくはあるけどお互い声かけながら協力するのはとても素敵です。途中、小林がカーブと先頭交代がへたくそでしかも何回言っても直さないから若干空気悪くなったけど、何とか作戦通り行けて巡行も40km/hでいい感じにT2へ。体調も若干回復した。
Run0:20:14(21位/36)
 ランのスタートはまず小林と俺で先行して小林に伴走してもらった。喩はバイク3周目だいぶ牽いてもらったので、トランジで小休憩入れて追いかけてきてもらった。
 最初の1kmから脚重いし足首も傷んだので体調すぐれないので止まりたくてたまらなかった。それでも何とか1km目ラップは3:58で収めた。折返し前にしんめいが合流し、その時に東海2年ズを抜いた。インカレでは「ついてこいよ」と言って抜いていったゆうじんに「ついてこいよ」と言って抜いた。
 しんめいが合流してから二人にゴールまで腰を押してもらった。押されて走れるというよりも、押してもらっているということで責任感が増して走らざるを得なかった。間違いなく全ブリックランの中で一番きつかった。何度も途中止まろうと思ったし、中盤キロ4を超えてしまったが、ラストスパートしてAve3:59/kmでまとめられた。
総合1:08:18(6位/12大学中)
 3人で手をつないでゴールテープを切るとき、自然と声が出た。多分初めてだと思う。それほど素直に達成感を感じられるレースだった。案の定ランで明治大あたりに抜かれてしまったが、団体順位も6位でインカレが圧倒的ドベの最下位(11位)であったことを踏まえるととても健闘したレースだったと思います。しかし、体調無視して無理したためにしっかり倒れこみました。
 喩こばは今シーズンともにインカレまで頑張ってきた仲間であり、こうしてチームとして戦えたことを誇りに思います。また、今回は過去一番応援をもらえたのでおかげさまで走り切ることができました。つくトラのみんなをはじめ、合宿に参加して知り合えた人、大会を通して知り合えた人。応援してくれた人全員に感謝します。ありがとう。
最後に
 今大会をもって競技としてのトライアスロン(つくトラでいうところのA班)を引退します。一旦トライアスロンから離れる予定ですが、今後もつくトラに所属するし、折を見て何か大会にも出場する予定です。
 1年生の冬に入部してからのつくトラでの期間、特にインカレを目指したこの一年間はとても刺激的で有意義なものでした。自分に関わってくれたすべての人に感謝しています。そしてこれからもよろしくお願いします。
  B3 玉井彪己





2023/10/25

The Road to IRONMAN in LK 第1章 渡航前編~僕は生きて帰れるのでしょうか~

はすです。



「鉄人レース」という言葉を初めて知ったのは、確か実家に置いてあった父?が少年時代に読んでいたこち亀の昔の方の巻を読んだ時だった気がする。その話は「鉄の重りをつけて数十キロ泳ぐ・米俵をかついで走る・コース内に建物があったら曲がらずよじ登って直進する」などの無茶苦茶なもので、賞金に目をくらませた両さんが参加するといった話だったような。さすがに「やってみたい」とはならなかったが、結構ワクワクした会だったので覚えている。

 

それから数年。形は違えど「鉄人レース」なるものが実在することを知った。さすがに鉄の重りはつけないが、どうやら3.8km泳いで、180km自転車を漕いで、極めつけは最後にフルマラソン(42.195km)走るといったものらしい。基本的にクレイジーなこち亀に負けず劣らず、十分に無茶苦茶である。「やってみたい」とはならなかった。ワクワクもしなかった。

 

更にそれから数年。何の因果かトライアスロンを始めることとなった。そして、「鉄人レース」に先輩たちが卒業旅行としてさも当たり前のように出場していることを知った(後々知るところによると、最近新しくできたムーブらしい)SwimBikeRunへの抵抗が徐々になくなりつつあった当時、そして身近な人たちが参加してなんだか楽しそうな()様子を部ログにupしているのを読んだ時、人生で初めて「おもしろそう、やってみたい!」となった。"IRONMAN"という称号も、ジャンプに育てられ万年厨二病になってしまった私を惹きつけるには十分だった。というか「男の子ってこういうのが好きなんでしょ」にまんまと釣られた気分。私のThe Road to IRONMANは、この時初めて開かれたように思う。

 

そしてそれから4年。先日マレーシアのIRONMANレース(IRONMAN Langkawi、以下「IRONMAN LK)を完走しました。そして、つくトラにはIRONMANを完走したら部ログに収めるという 部員の義務があります(ない)。片割れのコジお君はインドでのインターンで忙しそうなので、代わりに僕が、出国前から帰国後までの「The Road to IRONMAN」をまとめていきたいと思います。まだ書き溜めていないので、1週間ずつくらいでゆっくり更新していきたいと思います。リアタイ勢はポケモンやドラえもんを楽しみに1週間を過ごした小学生時代を思い起こしながら待っていてください。尚、大人の事情によりお休みになる週があるかもしれないのは悪しからず。


では。



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今考えても、アホなスケジュールだったと思う。インカレ応援に始まり、9月から常にエンジンがかかりっぱなしだった。まあ欧州旅行中はかなりのびのびしていたんですけどね。特に10月頭は過酷だった。9/30に一か月の欧州旅行から帰国し、10/2に内定式を行い、10/3に所属団体のプレゼンを行い、10/4に出国し、10/7にレースを行い、10/10に授業と再度プレゼンを行う。常に何かしらの悩みの種を抱えて、寝てるときも頭はアイドリングストップ状態。なぜこの日程にIRONMANという激オモイベントをぶち込んでしまったのか。

当時の思いとしては、「関カレ、夏合宿でつけた体力が落ちきる前に行きたい」、「つくばIRONMANもやったしなんだかんだいけるっしょ」、「3(NZに行く世界線もあった)はアフリカ行きたい」というものだったが、自分の挑戦心は想像力の欠如によって構成されていることを後々痛いほど思い知る。トライアスロン開始・インド渡航・カンボジアインターン等々基本的に好きなことを自由にやらせてくれた両親にも、さすがに心配されて「今じゃなきゃダメなのか」と諭されたのは記憶に新しい。

 

【渡航前】

〈渡航前々日〉

コジおがインスタのストーリーで、インド渡航直前にIRONMANエントリーしたことを後悔するようなストーリーを挙げていた。「そうだよな〜かわいそうにw」「詰めすぎだろww」とこの時蓮沼はいたって他人事だった。しかし、彼は自分がもっとやばい状況だったことをまだ知らない。久しぶりの日本食はおいしかった。



〈渡航前日〉

日中は所属団体のプレゼンの準備と授業に勤しむ。プレゼンが終わり時刻は21時。ようやっと準備に取りかかろう(圧倒的に遅い)とした矢先、コジおから持ち物を確認しようとの電話。のんきな蓮沼にコジおから開口一番、

 

「ウェット禁止らしいっすよ」

 

え。ウソでしょ?3.8kmでしょ?海でしょ?、混乱する

 

「バイク1500m上るらしいっすよ」

 

はい?180kmでしょ?登り嫌いすぎて1000m以上登ったのは数回なんですが?

 

「ラン熱中症やばいらしいっす」

 

それは知ってた(ドヤ)。いやそんな場合じゃない。対策できてないし、普通にあかんやつ。

 

遠ざかる意識の中気力を振り絞って電話を終え、「もっと良く準備しないといけない」とようやく火が付き、IRONMAN LKに参加した先人たちのブログを読み漁る。分かったことは

 

Swimは水温が高すぎるためウェット禁止ほぼ確定。温水プールみたいらしい

Bikeは獲得標高1500m、昨年はスコール(亜熱帯〜熱帯地域特有のどしゃ降りの雨)がひどすぎて道が冠水し、何回もバイクを担いで渡る区間があったらしい。果たしてそれはトライアスロンなのか、、?

Runはひたすら高温多湿に耐える。日焼け対策必須。直線が長すぎて心理的にキツイ。

 

上記のハードルを裏付けるかのように、極めつけは世界40か所で開催されるIRONMANシリーズで平均タイムはワースト2番目とのこと。



うん、オワッタ。。。



最後に泳いだのは1か月半前の館山での海練習。自転車に乗ったのは同じく1か月前の館山自走と祖父母家訪問(50km)、走りは、、黙秘します。1ヶ月間欧州に持って行ったランシューが日の目を浴びたのは1回でした。

 

7本くらいのブログを読み、その過酷さと事前準備の必要性を渡航前日に痛感。とりあえず一呼吸、ふぅーーーーーーーっとトイレにでも行こうと思って立ち上がった瞬間、目眩がして目の前がリアルに真っ暗になったことは鮮明に覚えている。これマジデヤバイヤツヤ。日本食は味がしなかった。

 

数時間前、シノに会って「完走できるんですか?」と言われた時はなんとなく「わかんね~(まあできるんじゃね)」と返しといたが、これは本当にあかん。大変なことになりそうだ。

レース当日は早朝3-4時に起きる予定だったので、それに合わせて21-22時ごろには寝る予定だったが、寝てる場合ではなくなってしまった。26時ごろまで再度ブログを読み漁り、必須アイテムや暑さ対策のインプットに勤しんだ。一通り読み終わったあと寝ようとしたけど、ブルーライトを浴びまくったせいか全く寝付けんかった。結局寝たのは早朝3-4時頃だったと思う。いやそれ当日起きる時間やで。

 

〈渡航当日〉

8時半起床、というかゴンに起こされた。つくマラに備え15分くらいジョギングするようだ。なんて準備ができる男。「ハスさんもやりませんか」と誘われた。前日が最悪の寝方をしたので当たり前のように寝覚めが悪い。とはいえ「少しは運動しなきゃな~(←渡航当日のメンタリティではない)」とか「ここで断って二度寝したらダサすぎんか!?」などの葛藤を越え、一緒に走ることに。結局準備にもたついたので先に行ってもらって個別で走ったけど。感覚としては、身体が重すぎた。特に腹筋が衰え、キロ7くらいでもけっこう張ってくる。余談だが道にも迷った。春日の土地勘はあまりない。

 

暗雲漂う。「今日出発するんですかw」という心配とドン引きが混じったゴンの言葉には全オレが激しく共感。まあ、けどしょうがないよね、やることやろう。

 

日中はレース準備に全ふりした。改めて昨日のブログを読み返し、採っていたメモを振り返りながらレース展開と必要アイテムを再確認する。細かい作戦は後述。体芸図書館、トライアル、部室、ゴン家、ゼビオをくるくる回ってギリギリ必要な物は準備できた。輪行バッグはマッスンに借りた。ほぼ理想どおりの動き。モノも準備できた。誤算があったとしたら、10月になり塩分チャージが市場から一掃されてたことと、午前中に届く予定だったサドルバッグが届かなかったこと(こいつは家でた瞬間届けられたらしい、許さんお前の準備が遅い)。サドルバッグは緊急でカノさんにお借りしました。

 

そしていよいよ出発の時。珍しく「余裕をもって予定の2本前のバスに乗ろう」と意気込んでいたものの、準備に時間がかかり既に1本目のバスは行っていた。そしてここにきて輪行バッグにチャリが入らず。。恐らくDHバーを外さなかったからだろうけど、一度取り出してはずす余裕はなかった。結局半開きのまま電車内でチャックを締めることに。2本目のバスには余裕をもってバス停についた。数分後、他の乗客が集まってくる。んーなんか多くね?ここで衝撃の事実に気が付く。



《《雨だからみんなバスに乗る = オレ、メッッチャジャマ》》



自転車とデカいバックしょって、自分がおおよそ公共交通機関を使わない方がいい存在なのは分かっていたが、にしてもバス&人が多かったらいよいよ詰み。

 

事情を察したゴンが、カーシェアで駅まで乗せてくれることを提案してくれた。なんというデキる男。ニーチェは神の存在を否定したが、つくばの春日エリアに実在した。



無事TXに乗車した後、NAVITIME5分の乗り換え(改札1度抜けるやつ)2回も指令された。乗り換えアプリに輪行バージョンとかないんかな。ゴンの助けを無駄にするわけにはいかない!と気合いで乗り越えた。空港でようやくコジおと合流。同じくIRONMANにでる日本人の方とも知り合う。自転車飛行機に乗せるのは初めてだったのでちょっと手間取ったが、去年フィリピン行きの飛行機をフライト10分前に駆け込み搭乗した記録があるので、いたって冷静に対応できた。

 

登場してようやく準備完了。いざマレーシア!!

エアアジアは相変わらず顧客満足度をCAさんのクオリティに全振りしているので、席は狭く機内は明るくてうるさくて眠りにくかった。

 

出国まででこんなに書き連ねるとは思わなかった。濃ゆい3日間でした。

次週、「The Road to IRONMAN in LK 第2章 レース準備編~試走は体力温存のためナシで~」お楽しみに。


それではここで一句、

あいあんまん
いとあをかえれば
あんぱんまん

みんなもセグメント、ゲットじゃぞ~