2020/11/20

Road to Daigaekai

はすです。

 

 

 

 

 

 

 

ありがとうございます!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

????????

本当は「全体MTの資料あげるの遅くてすいません」から入ろうとしたけど、いきなりすいませんって言うよりはありがとうと言った方が言い手の脳にも聞き手の脳にも良さそうなのでとりあえず万物に感謝します。(資料が遅い&煮詰まってないのはまじですみませぬ)

 

さて、代替え会から早一週間がたち、「新幹部発足報告まだかな、、」「いまさら??」という声が方々から聞こえたり聞こえなかったりするような気がしなくもなくない今日この頃ですが、このタイトルでどうしてもやりたかった(といいつつ遅れたのは怠惰のため)&今年は観音寺も渡良瀬verもなかったので "Road to"を途絶えさせないため(誰得(ゆうじさん得?))書きまする。

 

-----代替え会2日前-------------

トライアスロンに興味あると言ってくれている1年生くんと高麗へ。向こう1人につきこちらは7人。これぞほんとの囲い込み。だいじょうぶだいじょうぶ、つくトラは怖くないよ。そして相変わらず新歓における堀田選手への依存度の高さを認識。(自立せねば、、)

 

といいつつ、けっこう楽しくいい感じの雰囲気でご飯会は終わる。しかし店を出た瞬間、背筋に寒気を感じる。たぶん寒いからではなさそうだ。

 

「代替え会まであと2日!資料、もろもろ終わってねえ!やばい!!」

 

ということで2年生sは解散・帰宅後すぐに準備に取り掛かる。(太田選手は監視対象なので佐藤家に連行。)

zoomであーだこーだ言いながら2時間弱、大体は出来たがこれでいいのか感満載。(特に運営方針)

 

 

 

「どうしたもんじゃろのう、、」

 

 

 

 

ぽくぽくぽくぽくぽくぽくぽくぽく(じかんがけいかする音)

 

 

ぴかーーーん!(なにかをひらめく音)

 

 

 

「ブログ見よう!💡💡💡💡(既視感)

 

 

時刻は既に24時を回りそう。明日は5:50起床からの朝練。さあどうする、見始めたらきりがなさそうだぞ

 

と思いながら右腕は本能的にパソコンにのびる。

 

部ログは面白い。お馴染みの人→懐かしい人→名前は分かる人→顔も名前も知らない人

それぞれのストーリーがあるし、あんまり練習で見かけない(見かけなかった)お兄さんお姉さんが練習していた時の姿は新鮮で楽しい。

そして、いろいろなことを考えるにあたってのchipsがところどころに落ちているし、やっぱりみんな苦しみながら練習・レースしてたんだなって思うとちょっと気が楽になる(笑)

そんなこんなで約3時間ブルーライトを浴び続けたのであった。

 

-----1日前-------------

目が覚める。時計を見たら6時前。

 

だろうなーーーどうせ起きれちゃうと思ったんだよなーー(心の声)

 

起きてしまったからには行くしかない!!今日も脳死でせっせと準備を進める。部屋では目覚まし代わりにサザンが歌ってる。

 

嫌々やってるように思えるかもだが、1年生もがんばって(楽しんで?)練習に来ているので自分も頑張らなければなと思ってる。そしてちょっとずつ泳げるようになって心なしか練習も楽しい。いいことだ。

練習自体はサークルが緩かったので自分でも回れた。(IMIM/freeにしたのは内緒)

 

練習後、いつものように昼寝をぶちかましてしまい、夜はバイト・空いている時間は代替え会どうしよっかなーーで相変わらず溜まった授業が減らない。南無南無。あ、けどこの資料は時点で大体完成してましたよ(遅い)

 

----当日-------------

目が覚める。時計を見たら7時。今日の朝はゆっくりだ(感覚の麻痺)と思いながら青栁さん実験に向けてせかせか余裕をもって準備。

 

実験は今回がラスト。締めはOD。裏側で(圧倒的にこっちが裏側なのだが)1年生のbike講習会&パフェライドが行われている。めちゃめちゃパフェりたい気持ちを抑えながらごくごくと水とビタミンCとヘム鉄(サプリ)を摂取。

 

 

せっかくなので軽く実験レポします。

 

Swim

寒い、冷たい。手元の温度計では水温17度くらいだったような。ただ、「所詮那須塩原よりあったけえんだろ!」と思ったら普通に思えてきた。思い込みって大事。ペースは1500m/30minくらいのゆっくりとしたものだったので2ビートを試しながらゆっくりゆっくり

 

Bike

リベンジ。前回は尿意との戦いに負けて途中でトイレに駆け込んだので今回はSwimの後すぐにトイレに駆け込んだ。(尿意に勝ったとは言っていない)

漕ぎながらもめちゃめちゃトイレ行きたくなったけど、ポジションを変えながらうまくコントロールして大体70分間。Bikeでオールアウトするという話もよく聞く以上設定負荷が結構軽めだったんだなと思う(まあ当初のよりは低くしてもらったんだけど)

 

Run

メインイベント。練習(ジョグ)の成果出したる!って思ったけど、スタート1km地点で既に体が思ったより重い。。そしてウォッチ使用禁止というサプライズ(把握しとけ)によりペース調整が難しかった。GPSに頼りすぎる練習は良くないと。

 

結果としては4125秒。体感より全然早かったが距離がちょっと短かったらしく、10kmに換算するとちょうど42分くらい。体調、気温等コンディションが良かったことを考えるとやっぱ40分の壁はあるなと感じた。早くこの壁を越えたい。

また3-4km区間で明らかに集中力が落ちたのを感じた。練習時はいつもそうだが、この「折り返し手前~折り返しちょい後」でどれくらい耐えられるかが自分にとっては大切なんだと再認識。ジョグばっかりでなく腹筋トレとスピード練もしないとなあ。。シブシブ((+_+))

 

SwimTTから始まったはじめての実験。モチベ維持の観点から見ても自分にとってはとても良い機会で、思い切って参加してみて本当に良かったです。被検体のくせに前日の食事・練習内容がころころ変わってすいません。とにかく、青栁さんありがとうございました。

 

 

さて、実験が終わり時刻は13時半。代替え会は16(2年生の集合は15)からなので急いで帰宅、シャワー、ご飯かきこみ。たまたま家族がつくばに来てくれていたのだが、まともに話せずじまいでごめんなさい(いきなり家庭内事情をもちこんでしまいすいません)

もっと余裕を持ったスケジュールを組むべきなのだが、どうもそれができない。去年の館山合宿→インド、テスト→鈍行奈良行きだってそうだった。気が付いたらキッツキツの自分を追い込むようなスケジュールを立てている、多分そういう性なのだろう。死なない程度にこれから頑張ります。

 

 

と、いうわけでこれから代替え会がはじまりましたとさ。                 

                                              つづく(次はまじめな調子で書く予定)

 

 

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2020/11/11

大きくなりました

「大きくなりましたね」

と,とんとらの後輩に言われた当初はしっかり自覚していなかったものの,あとからハッスーのとってくれた写真みたらその意味がよーくわかりました.おそろしいです.

と,わけのわからない書き始めですが,M2の和間です.先日のスプリントについて書きます.研究とかやってたら1週間以上空いてしまいました…南無南無

コロナ禍もあり,部での活動は半年近く停止,自主練しててもメディアにさらすのはなぜかよくないという風潮(なぜだ…感染対策してればよくないか…とかいう話をすると本題に入れないので割愛)などもあり,実に半年ぶりにブログが動きますね!後輩諸君,選手じゃなきゃ書いちゃいけないという決まりはどこにもないので,トライアスロン観戦日記でもいいから書いておくれやす~(謎のエセ京都弁)(はっすーGJ)

って書いていたら眠くなったので,後回しにしたら大典の壮大なブログが出ちゃいました.(すでに数人に越されている)コロナ明け第1号は諦めて,壮大なブログじゃなくても書いていいんだということを再認識するための部ログを書きます(そうなの?)

今年はコロナの影響でスプリング・関カレがなくなりました.5度目の完走(B4の時だけ出てない)を目指していたのに残念…

そんなこんなで「学生トラ」ラストレースになりそうなスプリントにエントリー.

とはいうものの,練習量は

  • Swim:青栁さんの実験で1500mを9月に3度泳いだだけ
  • Bike:同じく実験で漸増負荷試験と40km相当を2回
  • Run:週2-3日のJogを一応続けていた.スピード練してないからキロ5より向こうは未知数
とかいう状態.

当日.

寒い.寒い.寒い.

まず風が寒い.そして10月も最終日の朝一なので水温も低い(それでも某所より水温高いのはもはやネタ).去年の関カレみたいに水から上がったら攣りましたなんてのは冗談にならないのでハムを伸ばせる限り伸ばす.

そしていつものごとく,しかし1年以上聞いていなかったホーンの音でスタート.とにかく楽しもう.そう思ってスタートした.

Swim 16:38(105/130人)

可もなく不可もなく.現状この程度でしょうという感じ.相変わらず渡良瀬の水は麦茶色.バトルは嫌だったけれど,後ろのウェーブからスタートした速い選手らに行きの半分~折り返しまででつぶされていく.南無.

Bike 43:10(92/128人)

トランジは相変わらず地面が痛い.スタッフが掃き掃除してくれてこれだからもうどうにもならん.みんななぜあんなに何もないかのように走れるんですかね?トランジを順調に済ませ, 乗車.飛び乗りは…70点かな.もう少しスムーズに乗れると気持ちいけど.なんて思いながらDHポジションをとろうとしたその時…

なにこれ~~~ 

右腕に真っ黒なゴム製のものが付きっぱなし.どうやらトランジで置いてくるの忘れたらしい(笑)どうするか悩んだ挙句,しょうがないからいったん路肩で停車して外して,ジェルのごみのようにトライスーツに挟んで競技続行.捨てたらペナルティとかありそうだし.

そんなアクシデントはあったものの,Bike自体は割と順調.おおむね34~35km/hで ぐるぐる回すことができ,適度に人も抜けた.つくばの陣地ではアサヒが「和間」やら「かずま」やらホワイトボードで賑やかしてくれている.楽しいBikeであった.

降車してまた地獄のトランジ.どうもBike乗車時間は38分らしいのでトランジ(1st,2nd合わせて) に5分もかけたらしい.遅い.一番の天敵は地面のごつごつ. 

Run  20:12(113/127人)

S・Bに比べて,そこそこ走っているのでうまく走れないと嫌だなという感じのパート.タイムもそうだし,苦しい状態で走るのはマジで御免だぞ…とか思ってたら案外足が回る.手元の時計でペースは4:40/km.悪くない.終始楽しみながら走ることができた.沿道ではつくトラ・とんトラの面々を中心に応援に応えていく.これが一番楽しんだよな~とか思いながらずんずん進む.そしてついにフィニッシュ.

Total 1:20:00(110/127人)

Run短くなってるし,過去のタイムと比較してもあまり意味がないですが,1年のときより遅い.特にSwimとトランジですね,これは.

とは言いつつ,あまりタイムは気にしてないです.もちろん,タイムを削って戦っている人たちはかっこいいとは思う.だけど,僕としてはレースでは環境を楽しむことを第一と考えています.というのも,トライアスロンのタイムが数秒良くなっても,自然環境下で行われるレースでその数秒は環境によるところが大きいと思います.だから「関カレ突破をボーダーで目指している人」や「優勝争いをしている人」でない僕のような人間は,レースでのタイムを気にするより,身体の限界を超えて運動するより,環境に合わせてレースをする(ex.風の向きに合わせてバイクのポジションを変える)ことの方が有意義だと思うのです.分単位で変わるようなところはレースで頑張るんじゃなくて練習で頑張りましょうよというお気持ち(練習をしますとは言ってない).といいつつ,今回はそんなこと考えてないんですが…(じゃあなぜ言った)

まあ,何はともあれ,それこそM2になってまで,沿道で名前読んで応援してくれる人がいる.これが最高に幸せだとおもうのです.

長くなったので終わりにしましょう.写真載せることも考えましたが,醜いので無しです.ええそうです.「大きくなりましたね」といわれたその発言の趣旨はおそらく

太ったな

ということなのでしょう(少なくとも僕がそう自覚するきっかけにはなりました.発言者に感謝).となると修論と闘いつつ迎える残り5か月の目標はただ一つ

痩せる

以上です.とりあえずスピード練には(予定被らない限り)参加するよう努めたい.

2020/11/10

10月振り返って

こんにちはす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

びっくりしました?なんか閃いたので書いてみました。(みなさん苦笑いありがとうございます!)はすぬまです。

アツいインカレレポが続いていましたが、ここはひとつ箸休めに僕の10月レポを置きます。

本当は会報にまとめるつもりだったけど、5枚を超えそうだったのにこっちに引っ越してきました。

それでははじまりはじまりーーー

 

 

10月、この月は今までよりも部活に力を入れようと思っていた。主な理由としては、

 

・部活動の本格的な再開,青柳さんの実験,スプリント,1年生が入ってくる(かも)等々モチベーションとなるものがあった

11月から新幹部になり部活へのコミット量が多くなりそうなので、そうなった時の自分の気持ち・生活への影響度を前もって確かめたかった。

 

特に一つ目は実験の存在が大きな原動力になった。

結論としては、

新鮮で楽しかった!けどきつかった、、

 

新鮮なのは、自分の中でいままでこんな練習に取り組んだことがなかったから。今まではRTをとりあえずこなすだけだったが、ATも増やし2部練も結構取り入れた。主にRun(ジョグ)に力を入れたけど、9月中旬には6'00/km10km走れなかった(歩いた)くらいだったのに、10月後半には3'45/km1000m×6走りきれたのでとても自信になった(比較対照がバラバラなのは気にしない)。前にみきおさんがゆっくりでも走り続ければタイム伸びるって言ってたのと、青栁さんが「距離積めば速くなる」的なこと言ってたので試してみたけど結構効果あった気がする!(最初のうちだけかもしれないが。)いやけど、一緒に走るようになったしの、引っ張ってもらったあさひさん・ほたかさん、背中を押してもらったまつこさんの存在もめちゃ大きかったなあ。直近の目標は5000m20切り、ゆくゆくは17分半切り,,,?

 

Bikeもひかるさんとの霞ケ浦120kmリハビリライド() に始まり、1回だけ集団走にも参加した。(本当はあと3回くらい行く予定だったのに、雨だったりでリスケで不参加が続く)。 一緒に走っているだけでサイコンを見ると      40キロ後半とかになっているので走りながらちょっとワクワク(後にドリルタイムだったことを知る)。しかし立ち上がりで千切れる。自分がぶっちぎれるのは分かっていたので気持ち的には参加自体は結構楽だった (尚メンタリティ)し、自分が練習参加してくれたことを喜んでくれていたのがうれしかった。これを機にあまり好きじゃないけどローラーをちょくちょく始めた。

 

Swimもだいぶおっそくなっていたけど、1コース分のびのびと泳がせてもらって(with岡田先生)3月の強化練のときの良い感じの感覚に戻りつつある気がする。あと頑張れた理由として上級生たちが1年生の面倒を見てくれたため自分の練習に集中できた&1年生たちも毎回ちゃんと来て隣のコースで泳いでいたのがあるかな。

 

練習再開時の初期能力が低い分成果が出やすかったため楽しく感じられたのは往々にあるとして、振り返ってみると、やはり環境って大事だなと思った。近くにプールがあり(幹部の皆さんありがとうございました)、短期目標(毎週の実験)があり、中期目標(スプリント)があり、一緒に練習をしてくれる人がいる。めちゃめちゃ恵まれていた気がする。

 

きつかったのは私生活。驚いたのは「運動ってこんなに疲れるんだ」ってこと。おそらく9月までロクに動いていなかったせいもあってか、練習後すんごく眠かった。いっぱい昼寝した分可処分時間は減り、なおかつ所属している他団体のビッグイベントが11月の頭にあったのでライフサイクルにどんどん侵入してきた。気がつけば

 

起きる→練習→ご飯→昼寝→起きる→ご飯→練習→ミーティング→ご飯→だらだら→寝る

(※風呂は入っています)

みたいな感じになっていた。あれ?べんきょーは??( ;;)

だらだら時間が気になるところだけど現状ここを削ったら気持ちがいっぱいいっぱいになりそうでなかなか削れない、、。他団体の運営も結構大変で、ここにたまに勉強時間を入れるとけっこうストレスだった。幹部の引継ぎ、部の遠征や代替え会ことについて考えなくてはいけない時間も増えた。そこで、「こんな何かに追われる生活いやだ!心の健康のためプライベート(遊び)も大事に!」と色んな予定を詰めたのでもうてんやわんや。疲労もたまっていき、体調を崩したり20時からのラン練を寝過ごしたこともあった。本末転倒感がすごい。

 

 10月は練習量を増やした分、競技力の伸びはあった。しかし同時に色々なものを犠牲にしたなと思う。自分でやってみて、今までの先輩たちはこんな生活を続けていたのかすごいなと改めて認識&リスペクト。しかし自分ももうすぐ3年生。将来に向けて本腰入れて向き合わないといけない。部活もいいけどそれだけでは終わらせない。英語の資格も取り、いろいろなイベント・プログラムにも参加したいと思うので、これからそれらとどう折り合いをつければいいのかと悩み始めた。なんか暗くなったけど、練習自体は楽しく、これからも続けていきたいと思った。(ジョグが多かったからかな?)そして、「部活に力を入れるという」目的を持って取り組むんだことはとてもよかった。これからに向けて自分の扱い方が少しわかったし、体力もキャパも増やさねばと気付いた。

 

半年後、1年後のことは分からないけど、とりあえずカーフマンに向けて11月を引き続き頑張っていこうと思う。もちろん文武両道で。

 

おしまい

 

 

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2020/11/04

インカレ 学群4年 松本滉平

お久しぶりです。
学群4年の松本滉平です。


個人で執筆しているブログ(練習日誌?)の方にインカレレポートを載せました。
ここにも同じものを載せるのはめんどくさかったので省略します。笑

お時間ある時にでも読んで頂ければ幸いです。
以下がリンクです↓



最後に、大会開催にあたってご尽力くださいました関係者各位・幹部の皆さん
本当にありがとうございました。
お疲れ様でした。


靴ひもがほどけかかって


何度も靴ひもがほどけかかった。

走っているときだけじゃない。ニュースの報道で、夜寝る前に、ドアを開けるときに、行きかう人々の中で、スマートフォンの中で、色々な人の靴ひもがほどけかかっているのを見た。もしかしたら、もうほどけてしまっていたかもしれない。

――――――――――――――――――――――――


不思議と落ち着いていた。水が足を濡らすと、さっきまでの緊張は嘘みたいに思えた。しかし、緊張がなかったわけではない。とても不思議な感覚だったが、落ち着いていたとしか言えない。7,8分の試泳を終わらせて、陸に上がる。

勝負は最初の10分間、いや下手したら1分ほどだ。これからの約2時間のレースは最初の数分間で決まる。おかしなことだが、今までの数か月間がこのたったの二時間のレースのためであったのだと考えると、ますます奇妙に思えてくる。


3分前

スタートラインに浮かぶ。バトルを避けようと、人が少ない外側に位置取ることは事前に決めていたが、たまたま前が空いていたため、最前列に上がった。


30秒前


今までの数か月が終わる。ここは長い長い線路の終点みたいに、本当にあるのか分からない場所だと思っていた。


10秒前



時間がやけに遅く進む







そして11月1日12時40分、大変な時代で渡良瀬遊水地にホーンが響く。







激しく水しぶきがあがる。何も見えない。腕を回すしかない。幸いにもスタート直後はスムーズに泳げた。少し落ち着いて呼吸しヘッドアップする。水が激しくはじける音がする。呼吸毎に周りに人がいることを確認し、僕は安心した。

なんとか集団はある。あとは淡々と泳ぐだけだ。泳ぎ自体は悪くない。水が手のひらを流れるのが分かる。肩もよく回る。丁寧にストロークをし、控えめにキックを打つ。全身が水をかき分ける。水の音だけが聞こえる。





プールの飛び込み台の横に立ち、ふっと息をつく。やや体を前方に屈め、少し踏ん張り、勢いよく膝を伸ばし跳躍する。まるで吸い込まれるように、水の世界に飛び込む。水の中はなんだか好きだ。とても静かで、水中から見上げた世界は神秘的だ。

スイムが一番きつかった。水泳など、学校での経験しかない全くの素人だった一年生の僕は100m泳ぐのが精いっぱいだった。ただ水の中は好きだった。

インカレはとにかくスイムが心配だったため、特に力を入れたつもりだ。二部練をして、ある一週間は20km泳いだ。恐らく週間の平均は15㎞ほどであろう。2日泳がなかったことはない。とにかく泳いだ。それでもなかなか速くはならないから、不安であったが、自分には才能がないと思う。





だんだんとバトルが激しくなったが、落ち着くように努めた。周りには十分に人がいるから大丈夫だと言い聞かせる。どうやらレース前の心配は杞憂に終わったようだ。丁寧にヘッドアップをして、順調にブイが少しずつ大きく見えてきた。しかし、自分の予想より人がいたことに一抹の不安を覚えながら、やや余裕を持ってスイムアップする。




トランジでは、動線と動きを十分に把握・練習していたのでほとんどもたつくことはなかった。前には集団があり、パラパラと数人が続いた。


乗車すると、すでに少し先に集団が形成されつつあり、僕のすぐ後ろにも比較的多くの選手がいた。ここは前にジョイントしようとすると、東北の木元さんが後ろから僕を抜き去る。ここにつければ追いつけると思い、なんとかつく。その背中と練習中の先輩たちとの背中が自然と重なった。





随分先輩方の後ろ姿を見たものだ。大きくて強い背中だ。その背中を今まで追い続けてきた。

何度も千切れ、ハンガーノックになり、迷惑をかけた。それでも笑って許してくれた。本当に感謝という言葉しかない。だんだんとついていけるようになり、成長を感じて嬉しかった。もちろんキツイ。しかし、同時に楽しかった。たくさん学んだ。辛いことも先輩たちとだったから笑って乗り越えられた。



徐々に前との差は詰まってきているが、もう集団となっており、合流するのに時間がかかる。振り向いて後ろからも集団が来ていることを確認した。

ここで僕はペダリングを止め、離れる。落ち着いてシューズを履いた。序盤で消耗しすぎると取り返しのつかないことになるし、おそらく追いつけるだけの勢いはあると踏んだからだ。

後ろからの集団を待ち、第一コーナーを越えたあたりで吸収される。集団内には7,8人いた気がする。後ろで少し休憩しつつ、前との差もつきすぎないように注意を払っていた。

ローテーションも回っていたので、前とも詰まってはきているが、なかなか捉えられない。ここで単独ブリッジを試みる。集団のペースが少し落ちてきたところだった。ここで差をつけられるのはまずいと思い、飛び出す。ほどなくブリッジに成功した。

ジョイントした集団はそのままペースを落とすことなく回る。次々と集団を回収し、気が付くと30人以上の選手がいた。Bの選手のスイム力は割に固まっていたためだと思われるが、これは多すぎる。

落車の危険性が格段に高まり、緊張の糸がピンと張る。危ないと感じたので、できるだけ前方にいようと位置を上げたその時、隣の選手が知り合いの選手と声をかけた際に、バランスを崩した瞬間、バイクの制御を失い倒れた。ここで選手間の空気は一気に変わる。とにかく落車を回避するべく声を掛け合い、より集中した。

この集団内には知り合いがたくさんいたから興奮して踏みすぎてしまい、前にもたびたび出てしまったのは反省点ではあるが、後悔はしていない。

なにより楽しかった。欲を言えば、飛び出したいところだったが、自分の力で逃げる自信がなかったため、他の選手のアタックに反応しようと考えたのだが、結局そんなチャンスは来なかった。


その後は順調に周回数を消化したが、5周目当たりで僕は脚に嫌なこわばりを感じながらもサドルから降りた。



ランに移るものの、足が上手く運べない。これは何度も経験しているのだが、今回はひどい。足の筋肉だけじゃなく、差し込みがあり、腹斜筋にズキズキとした痛みが走る。いつものようにペースを落として対処するが、一向に回復しない。大腿四頭筋と三頭筋は今にでもつってしまいそうだ。加えて、空腹感もある。ハンガーノックかもしれない。脱水状態にも近い。心拍が上がらず、寒さを感じる。ここまで辛いランは滅多にない。歩いてしまいそうになる。


だが、声が聞こえる。応援してくれる人がいる。筑波からだけじゃなく、他大学の方からも声援を送られる。重くて重くてしかたがない脚がなぜか軽くなる。応援には間違いなく力があるのだと強く感じた。




とにかく、走って完走したかった。

今年は色々なことがあった。個人的にも文字通り、苦い涙をたくさんのんだ。おそらく、全世界でも同じだろう。

一人でいる時間が増えるにつれて、僕は自分自身に失望した。自己嫌悪、目標の喪失、将来への漠然とした不安、終わりが見えない生活。自分と向き合えば向き合うほど、僕は情けない人間だと思った。最低な人間だと思った。協調性のない自己中心的な人間だと自覚した。

関カレが近づくにつれて、怖くなった。自分の力が出せずに納得のいく結果じゃなかったらどうしようかと思った。レースはそんなものなのに、理由をつけて逃げようとした。そのせいで人に迷惑をかけてしまった。恐縮だが、この場を借りてお詫びしたい。わがままを言って申し訳ございませんでした。

それでも、本当にありがたいことにインカレを託され、出場させていただくことになった。誰よりも練習することを決意した。先輩たちは僕よりも忙しいなかで、闘うんだから、僕はもっともっと頑張ろうと思った。せめて練習だけはと。

だから9月は一日も休まず、練習し続けた。後半になるにつれて、体がボロボロになった。だけど辛かったのは心だ。どんなに体が重くても練習しなければならない強い義務感が腫瘍のように肥大した。

どんなに朝眠くても、練習に出かける。ほとんど同じ毎日。毎日一日中三種目練習して、合間に家とコンビニとスーパーを往復して、飯食って、寝るだけ。バイトも就活も辞めた。本当に練習だけの日々が続く。

そのうち眠れなくなった。体は疲れているのに、目を閉じると、様々な思いが頭の中を埋め尽くす。どうしようもない孤独感。夜が、朝が怖い。それでも、翌日は練習だからと常に寝不足の状態で練習していた。気が付くと睡眠時間と練習時間が逆転していたことも珍しくはなくなっていた。

パフォーマンスも上がりにくくなって、焦った。知らず知らずのうちに練習を休むのが怖くなっていた。周りに言われなければ、オーバートレーニング症候群だと自覚しなかったかもしれない。

体も心ももうボロボロだった。だけど、ここまで走り続けられたのは周りの人が支えてくれたからだと声を大にして言いたい。優しい言葉をかけてくれたから、一人じゃないんだって思えた。応援してくれる人が一人でもいるなら頑張ろうと思えた。

もう何が正しいことなのか、何が悪いことなのか分からなくなって、どうすればいいのか判断すらできなかったとき、僕に「がんばってね」って言ってくれたあなた、「できることをやればいいんだよ」と言ってくれたあなた、「応援してるよ」って言ってくれたあなた。無言のまま見守ってくれたあなた。多くの人に心が救われました。ありがとうございました。




だからこそ走って完走したかった。みんなの想いをゴールまで届けたかった。みんなも同じように辛かっただろうから。大学の代表としてではない。顔も知らない、話したこともない誰かために、想いを代表して走るんだ。僕が走ることで、感謝の気持ちを届けたい。何かをみんなに還元したかった。

ラン自体はとても情けないものだったと思う。もう体に力が入らなかった。まるで自分のものじゃないみたいに思えた。準備に反省点が残る。だけど何か感じて頂けたのなら今までが報われる。





そしてゴールは近づく。夢にまで見たFINISHのゲート。ひとまずの終着点。大きな声援の中を走り抜ける。紛れもなく幸せだ。



この時代にスタートラインに立てたことを光栄に思う。部内外問わず練習再開・大会開催にあたって尽力してくれた方には頭が上がらない。



そして、辛かった日々にも感謝している。辛い経験は人を強くすると信じてるから。





この日々を僕は忘れないだろう。

覚悟を持って、みんなで乗り越えたこの日々を僕は忘れない。

画像2



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何度も靴ひもがほどけかかった。

走っているときだけじゃない。ニュースの報道で、夜寝る前に、ドアを開けるときに、行きかう人々の中で、スマートフォンの中で、色々な人の靴ひもがほどけかかっているのを見た。もしかしたら、もうほどけてしまっていたかもしれない。



でも大丈夫。少し立ち止まって、しゃがめばいい


僕らはきっと結び方を知っているから


また何度でも結び直せるから

画像1

              

               齋藤光

2020/11/02

ここは、確かに、夢の舞台だった。

 

僕等が駆け抜けたとき

明日へと向かう旅

多くを語らず自らその先を見据えてく

一瞬迷うけど必ず道がある

届かないようなゴールなんてない

 

遠くに見えてた舞台に

待つものは何だろう

心に蒔いたその種子は

いつかきっと芽吹くんだ

眠れない一人の夜

巡る思考回路は悟る

「今の自分で間違いない」ってさ

 

心にある花を枯らさずに咲かせよう

夢がやがて確かな

輝きへ変わるように

夢見たその景色は決して色褪せずに

永遠に僕等の胸に刻まれるのだから

今日の日もここに

「僕」という意味を生む

曇りなき素朴な光だ

 

渡良瀬遊水地からの帰路

車内にはここ数か月間毎日のように練習した4

東大通りを運転中、もうすぐ大学につくといったところで

この曲が流れ始めた。

この曲が高校サッカーのテーマ曲として世に出た当時、自分はサッカー少年であったこともあり自然と耳にすることが多かった。

これまで幾度となく節目節目を支えてきてくれた曲だ。

ここまでやってきた6年間と、車内にいる4人で駆け抜けた燃えるように熱い3か月を思い込み上げてくるものがあったがグッとこらえた。なぜなら僕は運転手だったから。

 

自分の最後のブログを読みながら、どうか近しい人には一緒に歌詞と重なって思い当たる場面を想像しながら読んでほしい。

※本ブログにはおそらく多くの個人名が出ると思います。それだけ多くの人々に支えられてきたということです。もし名前を伏せてほしい等ありましたら連絡ください。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

多くの方々に支えられてきた6年間であった。長い6年間だった。

ただ単に「インカレに出てみたい」という気持ちだけではもうとっくの昔に競技をやめていたと思う。

 

トライアスロンを通して素敵な方々に出会って、魅せられて、勇気づけられて、いつか自分もあんな風になりたい、勇気づけられただけ自分もなにか返していきたい。

特に幹部以降の3年間はそんな気持ちが自分を突き動かしてきた。

 

トライアスロンに出会った2015

泣き虫の主将。

関カレ8位という誰が見ても認める結果を残してもなお涙していた山下さん。

レース外での様子も併せて考えると不本意ではあるが?()

その背中で部を引っ張る姿はヒーローであった。

 

秋にはカーフマンいわきで見たアフロOBの高﨑さんの衝撃的なバイクパート。

いつか自分もあんなレースができたらと思う。

 

時が過ぎていく中で思いつく限りひとつひとつ挙げるならば

長年の目標を果たしたトモヒロ

トモヒロと切磋琢磨しあい、競技と運営の両面から部を支え続けたミキオ

何度も折れかけながらも着実に道を進んでいる集

やばい たかし

 

文句なしに日本を代表するトライアスリートになったマツコ

一年目から衝撃的なレースをしたホタカ

強大な2人の同期に負けない存在になったアサヒ

ほぼ金づちからインカレ完走を果たしたあいぽん

 

毎度カーフマンで激走を見せる宮

本物の文武両道を体現する藤井

有言実行男ワタナベを中心としたアフロQの躍進

とんとらのインカレ団体入賞などなど

 

6年間もこの世界にいれば部内外問わず様々な場面に出会い、魅せられてきた。

 

しかし自分は肝心な時にはいつもコースから一線を画した観客席にいた。

 

自分は何もできてない。

 

今でもその積年の悔しさが一度にこみあげてくることがある。

 

いつかあちら側に

 

そんなことを考えながら必死で走り続けていたらこんなにも時間がたってしまった。

果たして自分は一か月半後、お世話になった人に、これからを担うトライアスリートたちに、何か熱いモノを感じさせるようなレースができるのだろうか…。

(2020919日、4日後に控えた修論中間審査に向けて準備をしようにもやる気が出ない)

 

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ここから112日の書き込み

 

もう半ばあきらめていた

先行きの見えないコロナ禍、なかなかあと一押しが出来ずに足踏みばかりの就活

心がそこまで強くない自分は練習どころではなく

自分のインカレへの挑戦は終わったと

そう思い込んでいた8

 

当時全く練習環境が整っていなかったつくトラがインカレの選手選考を行うにあたって取られた方法は話し合い。

ほぼ燃えカスのようになっていた私のことでも

「インカレでレースをする大典さんが見たい」と

そう推してくれる声があり

大変ありがたいことに出場枠を戴くことができた。

 

その声を裏切らぬためにも

そして自分がインカレに出ることで喜んでくれる、決して数は多くはないけれど確実にいる誰かのため

何より6年間競技に打ち込み続けた自分のため

闘いの日々が始まった。

 

自身は大学院生であり、そしてぶっちゃけたところ研究はうまくいっていないことから日中はなるべく時間を割きたくないということで練習時間を確保するために着目したのは朝。

時には(まだ世間的には夏と言われる時期の)日の出前に下界を出発し、筑波山で練習をした日もあった。

毎週水曜か木曜には集団走練習

学生屈指の脚をもつマツコにけちょんけちょんにされる。

後にインカレロードで入賞することになる自転車部のエースにも協力していただき、純粋な脚力としては幹部代の時に劣るは言え、立ち回りという点では過去一番の状態まで上げられたと思うバイク。

 

スイムは出場が決まってから旧バイト先にちょっとずつ通い感覚を戻し、大学プールが何とか使用できるようになってから体力を戻した。ベストではないにしろ割と泳力を取り戻せたと思っていた。(その節は現幹部代の皆様本当にありがとうございました。)

 

ランは絶妙に遅いため走力が合う人がおらず一人で練習することがほとんどであったが、10000 mの自己ベストを(12000ペース走で)更新するなど、とにかく悔いのない練習を積むことができた。(ベスト更新については長らく測定をしてなかったというのが最大の要因であったと思うけど笑)

 

そのほとんどの練習の場をマツコ、アサヒ、ヒカルの3(と各種目でスペシャルサンクスの皆さん)で共にしてきた。きついながらも濃密な3か月を過ごすことができた。

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もう負けないと誓った

あの夜の泪を

拭ったその時に宿った魂があって

忘れない日々を超えて

やっと辿りつけた場所に

「後悔」なんてもんは

必要ないってさ

 

:レースレポートではないのでレース内容や反省点はそんなに詳細には書きません

詳しく知りたいと思った際には直接聞いてください!

迎えたレース当日

スタートラインに並ぶ

入水チェックを終えてしばらくしてもなかなか震えが止まらず、前日でたチームTTとなんかちょっと違う?と思いながらも気のせいということにした。

スイムはよくわからぬ間に終わってた。

タイムが良くないのは察してた。

宮が何か叫んでる。なんも聞こえないけど多分なんかやばいと察する。

 

バイクは何とかパックに乗れた。

落車をしないようにかなり周囲の選手の動きに集中していいたため声援が何も聞こえない。

静かなバイクパートであった。

中盤くらいまでは何とかローテを回せたが、だんだんときつくなりおさぼりが増えてしまった。パックの皆さん本当にごめんなさい。

かろうじて最終周回に入った際の鐘の音が耳に入る。

なぜか涙が出そうになる。

 

ランの走り出しは軽くいつも通り走れると思った。

しかし3 kmすぎから冷えを感じ、5 km過ぎから脚に力が入らなくなり気を抜くと蛇行してしまうような感じになってしまった。

余りにも情けなくて、やめてしまいたくなったところで

とんとらの石橋がすれ違い際に

「楽しんで」

と一声

この声で何とか気持ちを持ち直して脚を進める。

 

戦う準備をしてきたのに、それを出し切れない悔しさ、情けなさをかみしめながらも

ようやく目前に現れたFINISHの文字

6年間ずっと見たいと思ってた光景がそこに広がっていた。

最後の最後でチャンスを戴いたのにも関わらずボロボロなレースになってしまった。

それでもここは、確かに、夢の舞台だった。

 

とりあえずガッツポーズして倒れこむ

ゴールと同時に両ハム攣ってびっくりしました。

 

最後はともひろに抱えられながら

やっとひねり出せた言葉

 

「ながかった。つらかった。たのしかった。」


こうして私の6年間の学生トライアスロンが終わった。

 

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心に咲く花を大切に育てよう

時に雨に打たれ 時に風に吹かれ

やがて花は朽ちても

生まれゆく生命がある

永久に続く連鎖に

「僕」という意味を持つ

あの日の僕等が笑う

咲き誇る花を慕う

今の僕らに向ける その眼差しは語る

日常の日々こそ奇跡

僕たちが紡いでく奇跡

探すのは「特別」ではなく

日常という名の目の前の軌跡

 

輝いた今日に感謝と

惜しみなく続く拍手を

燃え尽きた僕等が今抱く

誇りこそ持つべき必然

いつか今日が過去に変わり

「今」に負けそうになっても

僕達は思い出すだろう

情熱に染まった日々を

 

毎朝早くに起きて

きつい練習して

学校行って研究して

次の日に備えて早く寝る

学部1年生の時からずっとこんな生活をしてきた。

 

そりゃトライアスロンは楽しかったけれど、大学生らしい遊びみたいなのが一切ない生活が嫌になることはたくさんあった。

 

何か1つに打ち込むことが、他の多くの機会を逃すことにつながっているんじゃないかとなやむ日は多かった。

 

幹部代の時は主将として競技以前に団体としての生命維持活動に奔走し精神をすり減らし気が付くと涙が流れてしまうそんな時期もあった。

 

何度も言うがトライアスロンは楽しかったが、決してすべてが平坦な道のりではなく、ながくつらい道のりであった。

 

 

最後にそんな6年間の集大成として、大学院生でもやれるということを示し、後に続く人たちを勇気づけるレースがしたかったが不発に終わってしまったのが本当にほんとうに心残りである。

そんな自分のことでも何か感じ取って前向きな形に生かしてくれる人がいたら本当にうれしいです。そんなあなたの存在に支えられて私はここまでやってこれました。

 

 

6年間競技の世界に身を置いてきて得た最大の教訓があります。

それは努力は必ずしも実るわけではないということです。

この言葉を読んで不安になってしまう人もいるかもしれません。すみません。

勝ちがあれば負けもある。それが勝負の厳しさでもあり美しさです。

勝利の女神は必ずしも我々の努力を見ているわけではありません。

しかしやりきった負けにはちゃんと価値があります。

何かに打ち込む中で知った自分の動かし方

厳しい状況に置かれたときどのようにすれば自分を奮い立たせることができるのか

どのような精神状態を作れば、どのような準備をすれば自分の好調を維持できるのかなど

 

競技の中で知った自分の動かし方は他の場面でも大いに生かせるのではないでしょうか?

 

もう一点得た教訓があります。

勝利の女神は努力を見落とすことはあるが、

必ず誰かが見てくれている

インカレの選手選考の際に一番これを強く感じた。

何かに対する努力は必ずしも実は結ばないかもしれないが、その過程を誰かが見てくれている。

今回の選手選考のように直接的なかたちとして現れるかもしれないし

自分が気づかないところで努力する姿勢が誰かを勇気づけてるかもしれない

 

とにかく何が言いたいかというと、無駄な努力はないってことです。

すぐに結果には表れないかもしれないけれど、巡り巡って自分や周囲の人々に良い影響をもたらすことができる。そう思います。

 

私はインカレに出ることが決まったとき、レース中、レース後たくさんの方々に声をかけていただきました。正直競技力が低く知名度も高くない私にわざわざ声をかけてくれる物好きな人たちはやっぱりここまでの道のりを見てくれた人たちなのかなと思いなす。

誰かが見てくれています。

そしてその人たちが喜ぶ顔が見たくてここまでやってきました。何度でも言います。

感謝しきれないです。ありがとうございました。

 

たのしい6年間だった。

 

心にある花をいつまでも咲かせよう

たとえ水が尽きても

たとえ闇が覆っても

終わりという始まり

始まりという名の終わり

僕達はまだ歩いてく

僕達がまだ歩いてく

その先に未知なる

癒えぬ痛みが待つとも

ひたすらに続く未来が見たい

ひとひらの淡い奇跡を見たい

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最後に北大OBのアベ君が昨年の春渡良瀬で発した素敵な言葉で締めたいと思います。

 

「俺はトライアスロン続けるよ。続けていればまたみんなに会えるからね。」

また会いましょう!

筑波大修士2

松﨑大典

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タイトル元ネタ

トライアスロン界隈で尊敬する同期であるワタナベ君が初めてインカレに出たときのブログ

https://ameblo.jp/afroq/entry-12197198139.html


院でも競技を続けると決意したときのブログ

宮エクスプレスは止まらない

https://tsukuba-triathlon.blogspot.com/2018/10/blog-post_74.html