この湖と青空、バイクコース、その全てが今はほんとにただだた憎い。
写真を見ると、後悔の言葉が次から次へと脳裏を駆け巡る。
1年前のカンカレは、水の冷たさバトルの激しさに揉まれて溺れかけて、何とかブイを頼りに泳ぎきるだけで、いっぱいいっぱいだった。
岸上がった時の、安心感は1年経った今でも鮮明に覚えてる。
その時から比べるとswimはだいぶマシになったと思う。(カナヅチであることに変わりはないけど)
bikeもそれなりの順位は安定して狙える自信があった。
そうした去年とは違う、1年それなり練習してきたという、自分への期待がこういう結果になったのだと思う。
(みんなにどう思われてるかわかんないけど、)「緊張しぃ 」なんです。
前の部活の野球では、ほんとに酷くて、打席に立つ前の緊張感がほんとに苦手でした。
でもこの緊張は他の選手に迷惑を掛けたくない気持ちと、出れない人の分も頑張らなきゃ、打たなきゃというチームスポーツ特有の責任感からの緊張でした。
しかし、トライアスロンを始めてからはこの緊張感とは無縁でした。別に自分が失敗しても誰にも迷惑かけることないし、レースに出るか出ないかなんて自分で決めるものだから責任感なんてない、そんなふうに考えると、緊張なんて微塵も感じたことがなかったんです。
今考えてみると、当日はかなり緊張していたんだと思います。
今まで味わってきた別の緊張感、自分自身への期待への裏返しに...
ひょっとしたらインカレラインに入れるじゃないかそういう期待があった。そのために自分がもってる実力より少し上のパフォーマンスを出さないといけないという、気負いがあったのだと思います。
だからこそ、swim up後のトランジで玉井を見つけて、「これはいけるかも!」と
普段以上に力が入ってしまった、
気づいた時には、
登りの途中で急に足に全然力が入らない状態になっていました。
みるみる手元のサイコンに表示される速度が落ちていき、それに伴い、体が全然動かない、やばいどうしよう、もうダメじゃん、終わった、1周目から動かなかったからもう無理じゃんと次から次へと悪いことばかりが浮かん出来ました。
bikeにかける比重の重さが仇となり、ここでこの状態だともう無理だと、プツリと集中力の糸が切れ、どう乗り切るかという思考にも至りませんでした。
サポートの人にbikeで垂れている姿を見られるのも、
大好きなbikeで思うように走れないも、ほんとに嫌で、歯痒くて、悔しくて、漕ぐのやめて降りようと何度も何度も思いました。
いっそのこと落車してくれないかとも思いました。
そこからのことは、あんまりよく覚えてないです。とりあえず、bikeが終わって、ランはジョギングで最後の方にゴンさんに越されていきました、
やるべきことは全て、やり尽くした?
準備は万全だったか?
同期がインカレ決めたことを、素直に喜んであげられない、彼の方が実力的にも上のはわかってるけど、いつも通り、欲をいえば調子がいい時の状態だったら、ギリギリくらいには入れたんじゃないかってどうしても思ってしまう。
そしたら自暴自棄にならなくて、怠慢な走りをしなくて済んだじゃないかって…
今はほんとうに、何をしていても「なんであそこでもっと踏ん張れなかったんだろ、なんでドラしてでも喰らいつかなかったんだろ、最初から攻めて漕がないといけないってわかってたじゃんて」何度も何度も頭の中を反芻している。
自分のメンタルの弱さがほんとに嫌になって、自分が嫌いになる、
でも、
でも、
ここで諦めたくない、
もっと強くなりたい、
来年は笑って堂々とインカレ行きを決めたい!、
それくらい強い選手になりたいって気持ちが湧いてくる。
正直、トライアスロンをこんなに夢中になって、勝ちにこだわってやるつもりで始めてなかったけど、今はいいことか分からないけれども、とにかく結果が欲しい!
自分が心から満足のいくレースをしたい!
この気持ちがどれだけ続くか分からない、1ヶ月、3ヶ月そこらもしないうちに、この悔しさが薄らいでどんどん楽な方に逃げたくなるかもしれない、寒い冬の朝プールが嫌になって休みがちになるかもしれない。
そんな弱い自分を見かけたらどうぞ遠慮なく「口だけじゃん」って厳しい言葉で注意してください。お願いします。
多分まだまだトライアスロンは好きです。こんなに自信を喪失するくらい情けない結果で、レース中、帰りの車の中では、もうしばらくレース出たくない、練習もoffの期間は絶対にやりたくないって思ってたけど、1日休むと、徐々に練習少ししたい、夏休み1本位はレース出たいなって思ってくるんです。そういう病気なのかもしれません。
ここから1年、
来年は好きって、最高って、あの時はありがとうって言えるように、
嫌なこと、きついこと、苦手なことを
我慢して、向き合って那須塩原に戻ってきたい。
2年 大城 でした
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