2022/06/22

関カレに向けて.

さて。こんにちは。かのです。

読書の波が来てます。高校生の時から小説家の西加奈子さんのファンなのですが、ほんとにいつか会いたいです。ここで言っておきます。届いたらいいな()

おすすめは「サラバ!」です。数人の部員もよんでくれました!


さてさて関カレの決意表明です。

過去ばかり見ているのか、初心を思い出しているのか。さぞお見苦しいことでしょう。なのに投稿するのは、たぶん発言の責任が欲しいからです。


こんなに書いちゃって、こんどの会報はどうするつもりなんでしょうか 🤷‍♀️


<晩夏> さかのぼること8

「覚悟はある」と言った。

一つは、主将を任されるのは光栄。やってやろうという気持ち。もう一つ、それが同期の望むことなら引き受ける、という気持ち。重圧、拘束。好きなひとたちが苦しむ姿は見たくないから、だったら私が引き受けるよ、積極的に。と思った。

 

<秋> 10月 インカレ-スプリント

初めてのインカレ。

直前期、心が練習を拒否する。切り替えられず、自分の扱い方はわかっていなかった。今は準備や対策が足りてなかったなあ、って思える。

 

初めての遠征運営。

ドラ講からはじまる遠征。畳みかけるあれ確認これ確認に狼狽。たいへんだあ。

 

<春>

練習を楽しめるようになってきた。

三部練の充実感。持久系からスピード系にメニューに移り変わり、参加人数が増え、気候が春らしくなり、その雰囲気が幸せだった。

 

強化練。一週間練習漬け。動きすぎて眠かったり、食べても食べてもおなかがすいたりしていたら、感情が薄くなった。最終日、達成感と一緒に虚無感に襲われたのは覚えている。夜空の下で泣いていた。どんな言葉がこぼれたのかどうしても思い出せないが、競技で高みを目指す意味を自問していた気がする。

「一週間までなら完休しても取り戻せる」と信じて、しばらく何もしなかった。少しずつ取り戻して、運動の本能的快楽を感じるまで待った。

 

運営で頭を使うことはどうやらあまりなかったみたい。徐々に慣れていった時期かな。

 

<年度が替わって、初夏>

ランセッション。競技に対してプラスの気持ちをもてるきっかけが欲しかった。一つの正解をもらえた。いってよかった。

認定記録会。とても健やかな悔しさ。そしてそんな感情が生まれてきたことがうれしかった。どこまでも上を目指せるような気がしていた。

 

5月 スプリング

高みを目指す気持ちの地盤は緩いから、ちいさなことで崩れるんだなあ。高い目標が独り歩き。レース中の頭の中は「楽しくない」。体は動く、完走もできた。でも出し切れない。


遠征運営は、前も書いたが、どこかうまくいかない。無礼極まりないのは承知で。理想が高いのかもしれない。具体的には、ストックホイールとか、時間とか。準備不足は目立った気がする。

学連参加が多かったこの遠征、「大変だった?」と聞かれた。

口から出たのは思ってもいない「ほぼ何もしてないよ」という言葉。北方から歩いて帰りながら、もう泣いていた。自分がいちばんわからなかった。大変だったけど、甘えたくなかったし、レース楽しめなかったし、感情ぐちゃぐちゃ。誰かと比べなくてもいいんだよね。気づけなかったなあ。

 

6月 彩の国サポート

関カレの前哨戦として闘志燃ゆる仲間たちを支えたかった。すごく楽しかった。出場しないという気楽さも救いだった。支えることで幸せになれる性分なんだから、それを楽しめばよいじゃないか。 

でも、その自分の楽しみのために、期待しすぎて、理想を押し付けていた。自分の軸で生きられない自分のことが大嫌いだった。周りは、学業にも真剣で、充実しているように見えた。劣等感、孤独感、焦り。持て余す愛を注げば「自己犠牲」と指摘され、セーブすれば「自分はどこにいるの?」という不甲斐なさに襲われる。同期相手に電話口でまた泣いていた。

 

関カレは絶対に楽しみたい。出し切りたい。このままじゃだめ。間に合わせなければ。どうする? 

このころから、なりふり構わず考えてることを話すようになった。機会に恵まれ本当にいろんな人と話せた。気づきは「人を束ねることが自己実現?キャプテンってそんなもん」。脱力できたよ。

 

「楽しみ。そういう気持ちになれたことに安堵しています」

絞り出した今の気持ちを表すことば。コミュニケーションも大切なピーキングですね(現在進行形)。

 

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まっすぐに、気持ちに素直に生きていたい。好きな人たちを好きでいて、尽くしたい場所で尽くしたい。その結果、自分がつぶれてしまうことは確かに求めていないことだけど、尽くす過程を欲している。

いま、こうなりたいに素直に生きる自分を、受け入れてあげよう。

出し惜しみせず愛を注ぐことを、ゆるしてあげよう。

 

きっと、大きな波も小さな波も、再び経験していくのだろう。

沈んでいるときには、周りが見えなくなり、盛り上がるときには、恥ずかしくも全能感で満たされるのだろう。今みたいに。

制御できずに流されながら、自分に噓をついたり、見栄を張ったり、また思ってもいないことを言ってしまうこともあるだろう。

封じたいはずの「怒」や「哀」を心に育て、やりきれなくなる日。

どこまでも走り続けられるような「喜」や「楽」を愛でる日。

どちらもあるのは真剣な証拠。


競技と運営のせめぎあい。ちょっと前までそう感じていたけれど、せめぐとは争うこと。違う。

大丈夫、こう見えて競技は捨ててない。楽しんだら、出し切れたら、結果はついてくると信じる。トライアスロンが好き。

あまりにきれいな言葉ばかり並べたお陰か、受容と肯定はできた。さあ笑って関カレへ出陣。楽しみたいです。


無事に終わりますように。みんなが笑えますように。感謝忘れずに。

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