2023/02/11

「calfman」の意味を知っていますか?

こんにちは。

箸休めにどうぞ?B3のかのです。

先日、ブログを書いている部員に3学食堂跡地で遭遇したので、その日の夜に覗きに行ったら、3つも更新されていたのでびっくりしました。この流れに乗らせていただきます。

 

かくいう私も明日、カーフマンに出てきます。

 

出場理由

デュアスロンのレースを一度はしてみたかったから。

「トライアスロンより苦しい」と言われ、

calfman=CalfmanCalfはふくらはぎの意味です。ラン・バイク・ランのこの複合競技における身体の特徴としての厳しさを痙攣するふくらはぎに例えました。(http://www.calfman.jp/gaiyo.html)」と公式が言っている。とことん苦しみたい。わくわくする。

 

悶々と過ごしていた秋の終わり。カーフマンエリートで目標を定めて頑張ってみようかなあとよぎった。しかしパワートレーニングは苦手だし好きでない。責任や重圧を引き継いだ今、敢えてするその挑戦が魅力的でなくなってしまった。

 

守りたい生活や余裕、今熱中したい他のものがある。割り切って、カーフマンを思い切り苦しみ楽しむことに決めた。オープンに入金。

 

210日、学類の演習の発表会。

インカレ以来、久しぶりの達成感を得られた日だった。

余韻が抜けないこの感じが、トライアスロンのレース後を思い出させる。

妥協をしなかったことを評価されたことはうれしかった。チームメイトがみんな真剣で素敵だった。年明けから「これこそが大学生だ」と何度も思った。グループで議論を重ね衝突もしばしば、納得解を見つけるまで粘った。今好きでいたいことはこれだった。

 

その難しさに直面しながら、スポーツは言葉の要らない自己表現だと思った。

プレゼンで伝わるようにわかりやすく言葉を選ぶ。話す。考える。それが準備。

同じように、トライアスロンで、私の場合、自分が"普通"で不器用であるとを認め、練習を積み重ねたり、知識を入れたり、調整したりした。「準備」の大切さはハスさんに教わった。レースで発揮すると、はからずも周りのひとたちに何かを魅せていた。

"この競技を選びこの展開をする"

美しい自己表現だなとおもう。芸術も似たような感じだろうか。

 

明日のために練習を重ねてはいない。

それこそ自己表現だろう。

練習が相対的に評価される舞台からは降りた。それでも出るから。

 

身体を動かす気持ちよさを、レースという特別な場で、つくトラの一構成要素としての遠征で、強く感じたい。刺激が欲しい。不安や重圧、準備の量に比例するような類の達成感を期待はしていないが。わがままである。

準備をしてくれたひとたちに感謝して寝る。明日が楽しみだ。

 

カーフマンを終えた時、トラブルがなければ幸せでいっぱいなんだろう。それか、またトライアスロンへ燃えているところだろうか。

 

けれど、ほんとうは、もっと、

根っこにかかわりたい。泥臭く生きていたい。社会になじみたい。最近思うこと。

 

スポーツは美しい。心地よい。何にも代えがたい。

ただしトライアスロンと都市計画がトレードオフ"だとしたら"、これからは都市計画を選び続けるということを添えておく。

 

そんなんだけどブログ書くくらいなんで、やっぱり続けていたいよね。ここは帰る場所。

矛盾に満ちた自分自身をも認められるくらい真摯であれ

 

おわり

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