<前書き>
前日譚最終回です
華のアスリート生活が始まると思われたが現実は残酷に
4月
体育大学生にジョブチェンジをしたはずが4月の生活はそこまで変わらなかった
慢性的人員不足に悩まされていたことから主将でやったことリストに入るほど新歓には力を入れた
あちゃを新歓担当に任命し事務的なことと新歓全般を任せ、自分は去年の反省を活かし新しいイベントや制度に力を注いだ
結果、部車が足りなくなるほどの新入部員がつくトラに入った
同期激少の自分からしたらうらやましい限りのことだ
また去年の反省から自分の競技の方も新歓と並行して力を入れた。中旬に認定記録会に出たのだがその結果が良すぎた
13級をとったつい2週間前からスイムもランも大幅にベストを出し、12級を飛び越して11級だった
いわゆる国内コンチ(国内開催のアジアカップ)に出場できるようになったのとJTUタレント選手として認められ合宿に参加させてもらえるようになった
アスリート生活のスタートを飾るには最高の結果だった
5月
前々からスイムの更なる成長のためには自分より速い人達と練習することが必要だと考えていた。そして今がまさに絶好の機会だと思い筑波大学競泳部の門をたたいた。
火曜日と木曜日の朝練に混ぜていただけることになった、当たり前だが競泳の選手は競泳が本職なのでやっぱり強い、そして練習の質にも違いを感じた。RKU合宿で受けた刺激と似たようなものを感じた。
ここから圧倒的な練習量に圧倒される日々が続いた
練習が終わったらまた練習、オフの日があっても練習のことばかりを考えてしまい次第に楽しさは消え仕事や作業と同じ感覚になっていった
このとき未だに心身ともに完全回復できていなかったこともあり練習量に耐え切れず典型的なオーバーワーク症候群を発症した
今考えると誰がどう考えても練習しすぎなのだがやっているときはやらなければいけないという強迫観念に駆られ引くに引けなかった(次シーズン最大の改善点)
(ポガチャルも言っていたが練習を休むべきタイミングはもうやりたくないと思ったとき)
6月
練習量には自信があったが明らかに元気がなくパフォーマンスは良くなかった
その中でも関東ブロック選手権(国スポ予選)とアジアカップ蒲郡に出場してなんとか爪痕は残すことが練習量の割に奮わない結果に終わった(国体予選は代表外れてアジアカップは日本人スイム最遅)
(まさか自分がアジアカップに出る日が来るとはね)
(6月は練習とレース、関カレの遠征担当しかやっていたことがないので内容薄め)
7月
アジアカップ後少し休息を挟んでインカレに向け再び積み上げ始めた。インカレまでの8週間を期分けし練習量と内容に気を付けながらピークを持っていこうとしたが一度崩れたものはそう簡単には戻らずやはり体調を崩しやすい日々。かれこれ半年ほどこの体調不良と付き合っているので一周回って「はいはい、またこれね」という風に慣れができはじめていた。
8月
みんなが夏休みに入り部活にも活気が戻ってきたがこの夏は天候に恵まれなかった
かねてから準備してきた海合宿はちょうど台風と海難事故で続行不可と判断しとんぼ返り、その後予定されていたリージョン合宿も台風の影響で中止
予定していた強化練習が軒並み中止になったことと数か月前から準備していたことがパーになった喪失感は大きかった
幸いなことに国際武道大の佐藤大樹さん(遠征では必ずいる準つくトラメンバー)の誘いで勝浦で短いながら海練をしインカレに向けてできることはした、そう思った矢先
台風10号接近に伴うインカレ中止
今年最大のイレギュラーなのは言うまでもない、この日のために1年間必死に練習して準備して調整してきた
それが台風により文字通り吹き飛ばされた、しかも今年は国体という二の矢もないし、代替大会があるのかも当時不明だった
(JUTUさんの尽力により学生スプリント前日の開催となりました、詳しくはレースレポートで)
詳細は省くが香川に着いてから中止の発表を聞いてこの後どうしようか考えたがせっかく来たなら観音寺を楽しみつくそうということで大樹さんに加え、福島大学の近藤浄士君、東北大学の丸山一樹君と共に猛暑しまなみライドや観音寺アクアスロン大会をして観音寺成分をたっぷり摂取して満足の遠征となった
色々あって高校生の時から出来なかったしまなみサイクリング(爆速)
9月
インカレの代替大会開催が決定しみんなが動き出した(いかに素早く気持ちを切り替えられたかが結果に出たと思う)
インカレの余韻に浸りながらオフをする予定だったがそんな場合ではない、代替大会まで2か月もない
ということでまた夏が始まった
学生トライアスリートゆかりの地である大井ふ頭での練習、いつもお世話になっている東海大学の練習、国際武道大学での合宿、国スポ練習会
台風によって不完全燃焼だった8月を焼き直したかのような充実した月だった
10月
すっかり競技の話しかしなくなったが1年間務めた主将を引き継ぐ時期になっていた。不思議なことにつらくて逃げ出したくなることもあったこの役職だが、終わりが近づくと不思議と寂しくなった。
2024年10月13日
僕は主将の役目を終えた
理想の主将でいられたかと聞かれればおそらくNOだ、でも自信を持って自分なりの主将を貫いたと言えるそんな1年間だった
(慣れないスーツ姿で集まってるの面白いな、同窓会があったらオマージュ写真撮りたい)
以上インカレ代替大会・スプリント選手権前のお話を長々させていただきました。他にもここには書ききれないほどの苦労話・体験・事件がありましたがすべてを語るのは自分の美学に反するので胸の奥にしまっておきます
拙い文章ですが、つくトラで本気でトライアスロンに取り組んだ僕の軌跡が伝わっているとうれしいです。
以上で前日譚は完結!長文ありがとうございました
次回:はじめてのれーすれぽーと
喩 梓銘
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