2024/11/19

前日譚 その1

 〈前書き〉

部ログをご覧の皆さん、どうもお久しぶりです
1年生の義務他己紹介以来(実に2年ぶり?)の執筆になります、B3 工シスの喩です
どうして2年ぶりに突然部ログを書きだしたのかというと

ズバリ、会報を4期連続で出していないことへの贖罪です

忙しい時期に会報の期限が設定されているのと会報なんてどうせ読まれないだろという気持ちからこのような事態になってしまいまし
以後より一層会報を出す気持ちを強めていきたいと思います(必ず出すとは言ってません)

それでは僕の2023-2024シーズンを振り返りを前日譚と題してやっていこうと思います

〈2023春目標〉
まず始めに2023年の目標として認定13級(インカレシード権)と国体代表、そしてインカレでの順位にこだわっていました
パフォーマンスはこの時はまだまだ伸び盛りでハマればいい記録を狙える、そんな状態でした

3月
合宿に明け暮れ、新歓の準備に追われていたら年度を跨いでいた(会報すっぽかしその1)
4月
新歓と慣れない対面授業で有意義だけど余裕のない日々
5,6月
月の頭に茨城と東京で認定記録会を2つ
中2日ということもあり、茨城はランでDNF
東京に賭けたがswim4’26 run9’17の14級で目標まで数秒足らず…
この時1秒を削り出すことの大切さを知った(インカレシード権❌
(伝説の派手髪時代、今年入った人は知らないわたし)

その後は
OD→競泳のレース→OD→OD(国体予選)
毎週末レースをするハードな月だった(今思うと10代のバイタリティすげぇ)

こんな連戦をしていたのにも関わらず国体予選では調子が上手くハマり茨城県代表に内定(国体代表⭕️)
スポーツ人生10数年、小学生の時の全国大会出場(しかもリレー)しか経験がなかったのもあり大興奮、この競技で戦っていける、そう思っていた
(ジャイキリで掴んだ代表権、初エリートレースは蜜の味)

6,7月

しかし残酷なことに工シス2年のカリキュラムはそんなことお構いなしに襲ってきた

初っ端は国体予選の次の日
鬼単で有名な線形代数の試験が朝からあり現実に叩き戻された(ナンバーが剥がれていない状態で受けたから記憶に鮮明)

必修しかとっていないのにも関わらず春B期末は7-8個の試験と期末レポート・実験レポート
おまけに紹介料目当てで某Z◯Z◯バイトをしていたこともあり練習頻度は激減、限界スレスレで生きる生活を送った

当然の如く関カレは微妙な成績(これに関しては怪我とインカレボーダーさえ突破できればいいやという気持ちがある)
体調不良発症、試験を半分延期してもらえたが春C期末と合体し試験期間が2ヶ月続く地獄が完成し
受験期ぶりのメンタルヘルスの低下(これがおそらく悪魔の始まり)

8月
すっかり夏になり、お盆も近づいてきたという頃試験地獄から抜け出し夏休み開始!
夏休み2日目から館山合宿、続けてつくば合宿
かつてつくトラバイク練で猛威をふるっていたジャイアント玉井 photo@館山合宿高速自走中)

運動していなかった体で高強度な練習をすればどうなるかみなさん知っているであろう

そう!怪我をする(中足骨を疲労骨折)

しかも時期が最悪だった
インカレの2週間前、普通の人間であれば治るわけがない
自分が超人である可能性を信じたかったが、思ったよりすんなり気持ちを切り替えることができた(国体という二の矢があったのも大きい)

〈インカレ〉
過去の誰かの部ログを見てもらえればわかるが、なんとも歯痒いレースだった
足が痛くて浜ランでパックから離され(後にこのパックが先頭に追いついていたと知る)バイクは足が痛く無かったので集団牽引し、ランは心拍余裕なのに足の痛みに耐える40分
レースに対する悔しさじゃなくもっと根本の練習内容やスケジュールに対する悔しさが強かった(この頃からメニューに意図を求め、今やるべきかやるべきでないかを判断するようになった)
バイクでどんなに休んでもランは走れない(予定調和)ので先頭を牽く

9,10月
〈国体〉
秋学期が始まってすぐ飛行機を乗り継いで鹿児島県徳之島へ
全てが経費、充実のサポートのおかげで長旅の割にノンストレスな遠征
レースも足が本調子ではなかったが良い展開で出し切ることができとても楽しい遠征だった

(国体・国スポは本当に楽しいので狙える人は積極的に!特に女子選手

〈スプリント選手権・チームTT〉
自分がスイマーじゃなくなっているのに気付かずにノンウエットで泳ぎ爆死
チームTTは某巨人選手が走れていれば4位とか狙えた(今思うとメンツ揃っていたな〜)
(彼曰くバイクで踏む踏まない関係なくランが限界だそうです)

思ったより長くなったので分割します
その2へ続く

喩 梓銘

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