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↑大荷物 |
↑マックスバリュー |
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↑レース前(意気揚々) |
↑レース中(へばり) |
↑レース後(光と影) |
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おはこんばんにちは、彗星のごとく部ログに現れ、長文連投で荒らしている工シス(体専)B3 のユです。
つくトラに入り丸2年半、トライアスロンとそれに関連した市民レース・学生レース・エリートレースに数えきれないほど出場してきました
が、しかし未だに部ログでレースレポ書いた覚えがない
(インスタの競技垢ではちょくちょく書いてます)
ので今年の一大レース、インカレ(代替大会@渡良瀬)とその翌日に行われたスプリント選手権を初レースレポートとして書いていこうと思います
10月18日(金) インカレ前日
昼過ぎに銀河が運転する風間family carに乗せてもらい渡良瀬へ
(レース慣れで最近忘れ物してなかったけど出発直後にガーミンウォッチを忘れていたことに気が付く(-_-;)汗)
会場に着いて受付と試走を済ます
当初アオコの発生でデュアスロンになるという噂が流れていたが会場での聞き込みによりスイムがあるという情報をキャッチ
夕飯からの宿へ移動
渡良瀬のレースは普段は当日明朝に出発しているが、今回は2日連続でのレースということもあってインカレのレース開始が早く、当日に受付をしているといつもみたいに入水チェックがギリギリになると判断し前日に全て済ませて時間を確保するプラン(4時前に起きてレースがつらいのもある)
特に特別なこともせず入眠(確か21:00くらい)
10月19日(土)インカレ当日
予定通り4:30くらいに起きて銀河と散歩
決戦の朝の空気感はやはり他じゃ味わえない
朝です
5:30会場着
6:00トランジ準備開始!
のはずが渋滞で運営側の当日準備とサポート組が遅れそわそわする時間に。出来ることをしようとなり入念にランのアップ
6:30
レーススケジュールが50分遅れになるというアナウンスを聞きサポートも到着したので少し安心。トランジへ向かう
今回はBシードでの出場となったのでバイク出口に近い小島、周りは学生トップの選手ばかりで緊張すると同時にここまで上り詰めたのだなぁと少し感嘆
ささっとトランジを済ませ陣地へ(お隣さんだった前年度チャンピオン大谷君のヘルメットを振動で落としたのは内緒(ちゃんと戻しておきました))
陣地に向かう途中スマホを確認すると現主将のあちゃから桐の葉お願いしますのメッセージが、、、残念ながら選手が自分含め2人で時間もない状況なので桐の葉はキャンセルさせていただきました(もう少し選手いたらやってました、きっと)
大所帯となったつくトラ陣地は和やかな雰囲気だったがドライに流しスイムのアップを開始(時間は限られていて、これがルーティンなんです、すみません)
トライスーツとウエットに着替え、いざ入水チェックへ
この日の渡良瀬は穏やかで水温はふつう(冷たいが寒すぎないくらい)だった。時間めいいっぱい泳いでスタートコール
認定芸人の自分がどんな紹介をされるか気になったがなんと途中でシード選手の紹介が切られ(あ、認定芸人は呼ばれないんだとその時は思ったがこれまた運営のミスだそう)
スタート位置は前2列目真ん中少し右側をチョイス
レーススタート!
同じチームの選手(おそらく日体)が最前列に固まっていたこともあり、最序盤はスムーズに泳げた
しかし、往路中盤からバトルが激しくなり何度か減速
折り返した後、ノンウエットを選んだ知り合いのスイマー選手をすぐ前に発見し意外と悪くない位置にいると気が付く(オープンウォーターは自分の位置がわかりづらいので同じくらいの泳力の人をマークしておくのも重要)
1周目復路は人がばらけたのもあってバトルは少なくそのまま2周目への折り返し
ここでやらかしてしまったのが回るときにブイを固定しているロープとブイの間に挟まって数秒タイムロス(純粋にタイムロスもあるが人が近くで見ているので恥ずかしかった)
2周目はそのままの流れで進みスイムアップ 20'02 40th
ちょい上振れもしくは実力通りの結果に
もう少しバトルを回避し、やらかしがなければ19分台で上がれたのだろう、すこし悔しさが残る
トランジを駆け抜けバイク飛び乗り、ここまではもう完璧といっていいだろう
前後に数人いてパックをつかめたことに安堵した、小さいものを除くと第3パックだった
事前のレース戦略では第3パックなら先頭まで追い付けると想定していたのでチャレンジングな動きはせずみんなで追いつくこうムーブをした(これはおそらくパック内で一致)
しかし前のパックが大きく高速だったことに加え自分のパックに抜き出てバイクが強い人が少なかったこともあり踏めど踏めど、じりじり差が広がる始末
大歓声が聞きたくて陣地前で調子に乗るワイ
6周中4周目までは積極的に前を追ったが後ろの高速パック(いつもの東海大のあちゃんまる号)につかまり大集団になり先頭との差も離れていたので脚を休めこのパックで順位を決めるプランに変更した
T2を抜けると30番という声が聞こえてきてここで6位入賞は諦めた
(書き忘れてましたが6位入賞を目指していました)
潔かったのは翌日にスプリント選手権が控えていることとトップ層に対しランで大幅に差を縮めるのは不可能だと戦略を練るときに割り切っていたからだ(2023穂高スロン座学で学んだレースプランをいくつか持つことの大切さ)
ゴールまですっ飛ばすと 2:00’48 26th
翌日のことを考えずランで出し切れば良くて16位くらいだったと推測されるから半分諦める判断は悪くなかった
去年のリベンジを誓ったトライアスロン歴3年、2度目のインカレは良くも悪くもない順当な結果で終わってしまった
ここまでつくトラもう一人の選手、風間銀河に一切触れていないが決して敵として認めていなかったわけではない
駅伝部で培った根気強さで春先からめきめきと実力を伸ばし、直前にランを絶好調に仕上げてきた
展開次第では彼に負ける未来もあっただろう
しかし彼は(バイクで踏まなかったのに)ランで不発となり自称引退レースを締めくくった
トライアスロンでは1年先輩の僕から言わせてもらうとまだまだ経験が浅いのだし、時の運が悪かっただけかもしれない
共に練習を乗り越えてきた戦友としても、どうか腐らずこのまま続けてほしいところだ
勝ったら奢ってやると約束したので奢ってやりました、絶賛金欠中です
このまま翌日開催されたスプリントの話を続けてもいいのですがまたまた長くなっちゃうので次回に送ります
次回
崖っぷち 裏本命 スプリント選手権
果たして実績はゲットできたのでしょうか?お楽しみに~
喩 梓銘
<前書き>
前日譚最終回です
華のアスリート生活が始まると思われたが現実は残酷に
4月
体育大学生にジョブチェンジをしたはずが4月の生活はそこまで変わらなかった
慢性的人員不足に悩まされていたことから主将でやったことリストに入るほど新歓には力を入れた
あちゃを新歓担当に任命し事務的なことと新歓全般を任せ、自分は去年の反省を活かし新しいイベントや制度に力を注いだ
結果、部車が足りなくなるほどの新入部員がつくトラに入った
同期激少の自分からしたらうらやましい限りのことだ
また去年の反省から自分の競技の方も新歓と並行して力を入れた。中旬に認定記録会に出たのだがその結果が良すぎた
13級をとったつい2週間前からスイムもランも大幅にベストを出し、12級を飛び越して11級だった
いわゆる国内コンチ(国内開催のアジアカップ)に出場できるようになったのとJTUタレント選手として認められ合宿に参加させてもらえるようになった
アスリート生活のスタートを飾るには最高の結果だった
5月
前々からスイムの更なる成長のためには自分より速い人達と練習することが必要だと考えていた。そして今がまさに絶好の機会だと思い筑波大学競泳部の門をたたいた。
火曜日と木曜日の朝練に混ぜていただけることになった、当たり前だが競泳の選手は競泳が本職なのでやっぱり強い、そして練習の質にも違いを感じた。RKU合宿で受けた刺激と似たようなものを感じた。
ここから圧倒的な練習量に圧倒される日々が続いた
練習が終わったらまた練習、オフの日があっても練習のことばかりを考えてしまい次第に楽しさは消え仕事や作業と同じ感覚になっていった
このとき未だに心身ともに完全回復できていなかったこともあり練習量に耐え切れず典型的なオーバーワーク症候群を発症した
今考えると誰がどう考えても練習しすぎなのだがやっているときはやらなければいけないという強迫観念に駆られ引くに引けなかった(次シーズン最大の改善点)
(ポガチャルも言っていたが練習を休むべきタイミングはもうやりたくないと思ったとき)
6月
練習量には自信があったが明らかに元気がなくパフォーマンスは良くなかった
その中でも関東ブロック選手権(国スポ予選)とアジアカップ蒲郡に出場してなんとか爪痕は残すことが練習量の割に奮わない結果に終わった(国体予選は代表外れてアジアカップは日本人スイム最遅)
(まさか自分がアジアカップに出る日が来るとはね)
(6月は練習とレース、関カレの遠征担当しかやっていたことがないので内容薄め)
7月
アジアカップ後少し休息を挟んでインカレに向け再び積み上げ始めた。インカレまでの8週間を期分けし練習量と内容に気を付けながらピークを持っていこうとしたが一度崩れたものはそう簡単には戻らずやはり体調を崩しやすい日々。かれこれ半年ほどこの体調不良と付き合っているので一周回って「はいはい、またこれね」という風に慣れができはじめていた。
8月
みんなが夏休みに入り部活にも活気が戻ってきたがこの夏は天候に恵まれなかった
かねてから準備してきた海合宿はちょうど台風と海難事故で続行不可と判断しとんぼ返り、その後予定されていたリージョン合宿も台風の影響で中止
予定していた強化練習が軒並み中止になったことと数か月前から準備していたことがパーになった喪失感は大きかった
幸いなことに国際武道大の佐藤大樹さん(遠征では必ずいる準つくトラメンバー)の誘いで勝浦で短いながら海練をしインカレに向けてできることはした、そう思った矢先
台風10号接近に伴うインカレ中止
今年最大のイレギュラーなのは言うまでもない、この日のために1年間必死に練習して準備して調整してきた
それが台風により文字通り吹き飛ばされた、しかも今年は国体という二の矢もないし、代替大会があるのかも当時不明だった
(JUTUさんの尽力により学生スプリント前日の開催となりました、詳しくはレースレポートで)
詳細は省くが香川に着いてから中止の発表を聞いてこの後どうしようか考えたがせっかく来たなら観音寺を楽しみつくそうということで大樹さんに加え、福島大学の近藤浄士君、東北大学の丸山一樹君と共に猛暑しまなみライドや観音寺アクアスロン大会をして観音寺成分をたっぷり摂取して満足の遠征となった
色々あって高校生の時から出来なかったしまなみサイクリング(爆速)
9月
インカレの代替大会開催が決定しみんなが動き出した(いかに素早く気持ちを切り替えられたかが結果に出たと思う)
インカレの余韻に浸りながらオフをする予定だったがそんな場合ではない、代替大会まで2か月もない
ということでまた夏が始まった
学生トライアスリートゆかりの地である大井ふ頭での練習、いつもお世話になっている東海大学の練習、国際武道大学での合宿、国スポ練習会
台風によって不完全燃焼だった8月を焼き直したかのような充実した月だった
10月
すっかり競技の話しかしなくなったが1年間務めた主将を引き継ぐ時期になっていた。不思議なことにつらくて逃げ出したくなることもあったこの役職だが、終わりが近づくと不思議と寂しくなった。
2024年10月13日
僕は主将の役目を終えた
理想の主将でいられたかと聞かれればおそらくNOだ、でも自信を持って自分なりの主将を貫いたと言えるそんな1年間だった
(慣れないスーツ姿で集まってるの面白いな、同窓会があったらオマージュ写真撮りたい)
以上インカレ代替大会・スプリント選手権前のお話を長々させていただきました。他にもここには書ききれないほどの苦労話・体験・事件がありましたがすべてを語るのは自分の美学に反するので胸の奥にしまっておきます
拙い文章ですが、つくトラで本気でトライアスロンに取り組んだ僕の軌跡が伝わっているとうれしいです。
以上で前日譚は完結!長文ありがとうございました
次回:はじめてのれーすれぽーと
喩 梓銘
〈前書き〉
部ログをご覧の皆さん、どうもお久しぶりです