2022/09/19

インカレ レースレポ

 

こんにちは。物理学類2年次小林です。

 

既にインカレから一週間がたちました。インカレ前後の波乱の一週間も終わり、私の生活は日常へ落ち着きました。時期悪く9月上旬から高給を引っ提げて連日募集をかけていたつくば市内の出稼ぎ労働市場の需給も落ち着いてきたみたいで、弾かれてしまいました。時間が不意にできたので、部ログ、いざ書かん。

 

 

\section{思い返せば}

 

熱いレースレポでこんなことを告白するのは興冷めだが、一個前に部ログを書いた部長に準じて正直でいようと思う。

インカレに懸ける想い、と聞かれると困ってしまった。だって、つくとら部員の大学生活での堅固な拠点である「つくとら」を維持、発展させてきたというような自負がなかったから。テレビで鳥人間コンテストを見ていて思う。彼らは自分で作った飛行機(つくとら!)で琵琶湖(インカレ!)を飛ぶ、もしくはパイロットに飛んでもらうのだ。

 

私は気づいたら機体を用意されていたパイロット。つくばいばい前やつくばっく後にキラキラした目で「インカレ、どんな気持ちですか」って聞いてくれたひとたちはいまにも燃え移ろうとせん想いを期待してくれていたのか、煮え切らない態度に困惑したように見えた。それでも「楽しみ(楽しかった)」以上の言葉で応えることは不誠実だ。

 

懸ける想いという面では私は語る資格はないのかもしれない。尤も、出場メンバーを思いだせば私の他は幹部代や大学生活の集大成。自分や仲間たちと作り上げた機体でいままさに夢見た大空を飛びたたんとする。感動のポケットはあからさますぎるほどにたくさんあるではないか。でも、ドラマがわかりやすいかどうかと価値があるかどうかとは関係ないと思う。ひとり感情砂漠にいるようで、それでも私はインカレを楽しんだということを公理に、自分なりに意味を見出しているつもりだ。

 

悲観主義者である必要はない。ドラマを紡ごう。

 

青年はトライアスロンを楽しむことを第一義に掲げつくとらへ仲間入りをした。部活に参加するだけであったが、懸念だった学問が脅かされることもなく満足していた。部活のない日はもちろん、二部練の合間にも練習に励む仲間を鉄人だと誇らしく思うがそうしたいとは思わなかった。そうしなくても十分楽しいのだ。小さな自己満足で毎日は満たされていた。

しかし、ある時気づく。私は何のために部活にいるのだろう。少なくない時間を部活に費やして、楽しいだけで終わっていいのか。同期の努力に押し流されて、未来、遂に覆せない実力差をつきつけられたとして笑っていられるだろうか。お前は負けたら悔しいだろう、結果がほしくはないか。セイレーンに囁かれ船は舵を切る。

結果、すなわちインカレ完走。速さを楽しさの奴隷のまま、運動を学問の傀儡のままで求めるにはどうするか。ポイント練前後のjog、学問の支配の及んでいない早朝時間帯でのbike,runなどで練習量を工面した。数カ月前の鉄人たちから一番コンスタントにやっていると言ってもらえるくらいには努力した。運動は学問から独立して生活に一大分野を形成していた。

練習量は実力へ変わり、構築された自信は強力だった。予選を突破し、完走もした。青年は大きな自己満足を抱いて眠りにつく。

 

見ればわかるが、動機も曖昧なままでよくやったと思う。盲目だったと思うが、なんで部活にいるのか分からなかった。盲目になってインカレに逃げた。逃げた先に運よく宝物が転がっていたのだ。

 

\section{完走の感想}

Total 2:12:43(52/84)

Swim 25:01(100/156)

Bike 1:06:06(71/86)

Run 41:36(35/84)

 

 普段は一緒にレースに出る仲間も含め、たくさんのひとに応援してもらえる。レースにでるわけでもないのに香川まで一緒に来てもらえる。こんなに嬉しいことはないし、これには応えなければいけない。ぐしゃぐしゃな背景とは裏腹にレース単体を取り出せばくっきりと明快だった。楽しめるだろうし、楽しまなければならない。

 

 なんだかんだ緊張していて、女子のレース中は不屈の腹痛に苛まれた。女子のレースが終わって、緊張のボルテージが高まって、ちょっと泣きそうだった。つくとらとちょっと会話して、いままでの練習を思いだして一斉射撃で不安を撃沈したかったが、さすがに全国大会。そのまま入水チェックに進む。それでも、意外と泳げることを確認して、ブイの真正面を探して位置どっている間に自信が戻ってきた。おもしろかった。ホーンをきいたときの緊張は関カレのそれより小さかった。

 

 始まったswim。すごい密度で、最初は顔をあげてても勝手に進んだ。むしろ顔を沈めたら身体ごと沈んだ。一周目は最短で進めた気がした。ブイに真正面に進み、内側を曲がる。想定通りに進めたこと自体には安堵。でも海水の塩っぽさが選手たちが波を荒らすために更に際立って、このまま脱水してしまうんじゃないかってくらいに塩っぽい口になった。あと2周もあるのか、っていう苦しさが台頭してきた。二,三周目も周りにひとが多かったがこれといったことはなかった。普通に、無難に泳げたのは嬉しいことだろう。そうしてswimアップ。レースが終わって思うが、ここのトランジションが一番苦しかった。急に泳ぎから走りに意識を変えて、心拍があがっている状態でできるだけ早く走らなければならなかったから。bikeでうまくドラフティングできなければLapされる可能性は高いと踏んでいたから、swimとトランジでできるだけ早く、できるだけ楽に集団に入れる可能性を高めなければいけなかった。

 

幸い、私のbikeスタートは宇宙の中の銀河のようなところで、前にも後ろにもまわりにひとがたくさんいた。まさにその位置で上がることが目標だったため、心の中でガッツポーズ。パックは前を吸収しながら成長し、30人近い大集団になった。「引けないひとは下がって」って言ってくれたり、「後ろついてきてないから落として」って言ってくれたり、かなり優しいパックだったみたいだ。ここで改めてドラフティングの効果を実感する。40km/h超で漕いでいてもボトルを飲んだり数秒なら引いたりする余裕があるのだ。だからちょっと引いたりして、最高だった。しのさんや大城が何回も言ってくれたように、先頭に行くときはペースをそのままにするとか、すぐ落ちないとか、手信号での合図とか、集団が乱れないように意識できたのもよかった。立ち上がりが近づくとちょっと前に進んで陣取ったりして、体力ではなく技術でくらいつけたのだと思う。それでもしっかり足にきていて、少し間違えたらふくらはぎがつって置いていかれる気がして、立ち上がりは全集中だった。置いてかれない程度に速く漕がなければならないが変に力を入れるとつりそうなので気をつかった。そのせいか応援は思いだせない。結局4周目の奥の方の折り返しで千切られて、時間が止まったような気分になった。そのときにあと3km全力で漕ぐだけでよかったのは救いだった。4周目を通過して、応援がスーッと入ってきた。Lapの危険がなくなったことで気が緩んだ。ふくらはぎがつって漕がずにしばらく滑っていた。ある程度落ち着いたら再び漕ぎだすが、30km/hも出ていなかった。単走はこんなに辛いのか。しのさんがLapされたことにも気づいていて、沿道を歩く選手たちに対しても、さっきまで自分たちが必死で走り抜けようとした道をあり得ないスピードでゆるゆるしてる姿を見せるのはとても嫌だった。はやくrunに移りたいと思ったが集団走してたときは一瞬だった道は長く、無様を晒した。

 

 runに入れば沿道の選手に顔向けできるレースができると思ったのは、runの練習量と関カレでの実績に裏打ちされた自信からだった。少なくともキロ4では回せると思っていたのだが、初っ端から打ち砕かれた。心肺というよりはふくらはぎでペースが上がらなかった。キロ420秒で10kmを走りぬくことになった。みんな同じ気持ちだったのか、そのペースでも抜く側だったのは気持ちが折れずにすんだ要素だ。Runでは応援が痛いほど聞こえた。めちゃめちゃ嬉しかった。みんなが私を見てくれている。ペースだけで語ることはできないだろう、応援に応える走りはできただろうか。

 

レースは凝縮されて結晶になった。一生の思い出だ。

 

\section{これからのこと、それからのこと}

 

 色んな言葉をいただいたが、それでも一番耳に残ったのは「小林がいたからがんばれた」という先輩の言葉。そういってもらえることがどんなに嬉しかったか。私は素直にそう言えたっけ。いま、同期には競技思考が多い。勝手なことをいうと、来年は同期みんなで選手として行きたい(一個下と一個上は勝手に行けそうだと思っているので現状のA班男子全員あるか?)。次は、そうでなければ意味は薄いような気がするし、今回を集大成とみなすこともできてしまうだろう。幹部代を経てつくとらに抱くであろう思い入れと自負、それをインカレ完走というかたちで共有できるとしたら、それはなんて強力なドラマとなるだろうか。

 

 

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