こんにちは。3年の佐藤佳乃です。
インカレの運営、応援、サポートいただいたすべての皆様、ありがとうございました。
観音寺が大好きになりました。
まずレースの総括から。
シビアな戦いになった男子とは異なり、女子はラップされる人も少なく、例年に比べイージーなレースだったと思う。
私自身の順位も、タイムの割にはよすぎると思う。ラッキーにラッキーが重なった。
まず、完走を阻むトップの方たちがインカレに出ていなかった。私は暑さにつよい自負があるため相対的に好条件、集団走はまわすことより千切れないことを優先して引っ付いていただけであった。上位集団で2度も落車が発生してしまったり、集団があまり機能していなかったという話も聞いた。
運よく完走できた。悲しいことに結果はひどく感情を揺さぶる。
一年間の目標をクリア。プレッシャーから解放され、達成感と喜びに震えた瞬間だった。
Total 2:26:54(21/44)
Swim 26:06(32/50)
Bike 1:14:01(33/44)
Run 46:41(12/44)
SWIM
いつも通り、二番手で入水チェックスタート。ちなみに一番はいつもさわさん。今年の海練は15分館山でおよいでみただけ。存分に時間を使い、レース直前に浜ランの練習を開始した。プールでの練習を実践。
夏合宿を通して、知っている顔が増えた。挨拶をかわし、リラックスできていた。
スタート30秒前。ひらりに向けられたカメラの前で「自信をもってスタートホーンを聴きたい」と語ったことを、急に思い出す。苦しいレースになるのがわかっていたから、緊張でごくりと唾をのむ。楽しもうと思える余裕は全くなく、月並みだが、何があろうと、、、落車しても、パンクしても、決してあきらめないという覚悟だけが心を支配していた。
「スイムは十分戦えるから力まず。」
朝もらった言葉を胸に、落ち着いてスタートしよう。
これが結果的に吉と出た。
スタート。
いつもより人を抜かすことができない。あせらず、関カレの絶好調スイムを思い出しながら進む。
コースは3周回。
一周目を終え、浜ランで心拍が上がる。海に飛び込むものの異常な疲れで、このレースの雲行きを案じる。かき消す。二周目から、横に並んで泳ぐ選手と一進一退。結局ずっと一緒だった。ピンクの帽子誰だったんだろう。。。
リザルトみるとタイムは遅い。ただ、このタイムでさえ異常な疲労なので、心が焦らなかったのはかなり良かった。
浜ランも1stトランジも、インカレにおけるランナーへの救済措置、、、かと思いきや、瞬発的出力が足りずあっけなく抜かされる。足を取られているのがわかる。何とか走り抜けトランジエリアへ到着。ヘルメットをかぶっていると、順天堂の1年生がトランジをぬけていくのが見える。まずはそのオレンジメットを目標にした。
BIKE
「前のパック追いつけ!」つくトラサポートに言われた。前に4人くらい見えているが追いつけない。苦しい。一年前の単走が急によみがえる。果たして後ろを待っている場合なのだろうか、どうする。
そこに、救世主登場!!アフロのヒロインゆうかさんである。スイムスタート前に「一緒にバイク漕ぎたいです!」と申し上げていたので、この展開は激アツだった。目を合わせて、口角が上がる。ちぎられる覚悟はあった。同じパックになってもこの方に無理についていくことはしないと決めていた。しかし、「ついてきて」の合図。40キロの中でもかなりつらかった時間だったが、前に見えている集団まで運んでもらえた。本当にありがとうございました。
その間に順天堂大学の1年生と合流。ゆうかさんは前の集団を追いかけてお別れ。そのあとは、順天堂1年生、東海3年生、日体大の方と一緒に4人パックで順調に回していた。私以外3人のバイク力からしたらラップされることは想像できないから、ここについていけば大丈夫、と思えていた。徐々にポジティブに染まっていく。
すれ違う先導バイク。第二パックでいつもまわしているさわさん。みくさきも視界にとらえる。確認できてよかった。
後ろのパックが追いついて合流!!一時は8人くらいになって、バイカーもいて巡行上がる。そんな矢先の折り返し。やっぱり、この人数、見たことあるバイク、一年前がよみがえる。立ち上がりちぎれて、単走になって、残り半周でラップされた渡良瀬。
死ぬ気で立ち上がり。これ以降の立ち上がりでは、毎度毎度「あああああああああ!!!」って叫ぶことになった。私はこんな事めったにない。死ぬ気でペダルを踏んで踏んでまわして回して回した。
パックの後方にいながら、立ち上がりで運よくおいていかれることもなく、無事合流できていた。その一方で、集団の人数はひとりまたひとり減っていく。悪くない立ち上がりができていることがわかってきた。
千切れないことばかり考えていて、5回に一回くらい前に出るだけで、挙動もかなり不安定で、集団には迷惑をかけたと思っている。一緒だった選手のみなさん、あのときは申し訳ありませんでした。
すれ違う先導の距離は、危うさをはらむほど迫ってきているわけではなかった。これは行けるのではという思いと、気を抜いて落車はダメだ。最後まで集中。という気持ち。
みくさんが単走しているのが見えていたから逃げ切ることを祈る。
徐々にラップから逃れるための最後の折り返し地点が近づく。感極まって、鳥肌が立つ。
最終周に入れた!つくトラの声を背中で受け止めて笑顔になる。
同じパックの皆様、ほんとうにありがとうございました。ついていくぶんには問題ないペースだった。自分の成長か、周りが遅かったかわからない。正直去年のほうが体のコンディションはよかったから。
そういう意味では、身体以外の部分…心とか、経験値とかでカバーできるようになったのかもしれない。
RUN
水とスポドリと塩分を摂り、トランジを終えて走り出す。いやな感じはなく、いつものりんりんブリックランと同じ感覚であることに驚いた。しかし、これから10キロである。「バイクで120パーセントを出したら、ラップされなくても完走が確実とは言えない」という不安がラップの次に大きかったので、とにかく落ち着いてペースを刻むことに集中した。なったことないけど熱中症が怖い暑さだったし、ラン練は積んでいなかった。10キロはジョグ以外していない。ポイント練も週一しかできていなかった。
でもあれ??どんどん抜かせる気持ちいい!!
ペースも4:50をキープできた。
そして、、あらゆるところにいる応援の声がほんとうに、ほんとうにうれしい。
知らない人がたくさん「筑波!」とか「27番!」とか。
ゆみさんの「かのちゃーん!」って声。メカニックさんも名前呼んで応援してくれました。
そしてつくトラの全身全霊応援。走りながらとび跳ねてる気分になるくらいうれしかった、坂の前のはすこじ。坂道で待っててくれるみゆさんしゅん。陣地のしのこば。めっちゃ煽ってくるしんめい(笑) 思い出している今も、口角が上がる。
背中が見えてから抜かすまで、ただ前の人を見続けた。一歩一歩、腕を振って踏みしめていれば、必ずその背中が近づいた。
一周目の最後、さきの背中。同じパックで漕げなかったことは少しだけ残念。力が足りなかった。一声かけて追い越す。
3周目、人生で初めてハムが攣りかけた。ふくらはぎは、なぜか入部したてのスイム練とか、運動不足の時の睡眠中とかしょっちゅうだけど、上は初めて。と同時に、ハムを使えていることに感動してしまった。かんかれ後ほたかさんに筋トレを教えてもらったり、夏のインカレ合宿でじっくり教えてもらっておしりと太ももの筋肉を意識できた。
結局攣りかけただけで全くペース変わらず行けた。全給水でポカリと水を飲んで水をかけた。ピッチ!のこえに大きくうなずいて刻んでいく。
最終週。
ハスさんの前を通ると「ゴールのポーズ考えといて!」って。うれしくて笑顔でこたえる。
またラップされたら、という思いに支配され、今まで考えたくなかった楽しい10キロとゴール。
想像していない分、文字通り、夢を見ているようなふわふわした感覚だった。
一足早くゴールしたさわさんに名前を呼ばれて笑顔になる。
最後の陣地の前。笑顔のつくトラ。ラストラン。最後にもう一人抜かして、ゴールの直線へ。
先輩のインスタで幾度となくみた、観音寺のゴールが今自分の目の前にある。
帽子とサングラスを外す。やっとやっと、終わりだ。
ゴール。
今期の目標「笑って走り終える!」を達成。
はすさんが見える。感極まる。
山梨からはるばる車で応援に駆けつけてくれた両親をみつけ言葉をかわし、
つくトラの陣地へ戻る。
はああ。終わった。完走できた。
ここへきて涙が止まらない。仲間が待っている場所へ向かいながら、頼りない足を運び顔は崩壊しているのである。
駆け寄ってくる同期。全身の力が抜ける。やり切った。
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コロナ、復帰戦榛名湖を終え、8月中旬、インカレ合宿に参加した。
直後にインターン一週間、その間の筑波合宿は部分参加、残念ながら中止を決断した館山合宿の期間で休養し、そのあと再びインターン一週間。という8月だった。
主将として、部にいられないこと、運営の力になれていないことがもどかしかった。
大義をもって部から離れてみて、自分がどこにいるのかわからなかった。嫌いになった。前も同じこと言ったけど今回はもっとだった。
以下は、当時書いた文章の一部。
おぞましい承認欲求に気づいた。組織のために動くことが、自分を認めてもらうためだった。気持ち悪い。苦しい。気づいているつもりだったけど、それでもいいよね、と美化して目をそらしていた。逃げだ。卑怯な逃亡だ。表ではそうは見えにくいから。本性を暴かれたら嫌われるのだろうし、だから嫌われたのだろう。いちいち傷つく、なんてよわよわしい人間だろう。認めてくれる人に甘えていた。ぬるいつくトラになれすぎた。愛されていることを自覚し努力を怠ってのけぞっていた。そんなに簡単な世界じゃない。
結局は他者ために動いて評価されるため。親に認められようとしたあの時と変わってないし、私はみんなのために頑張っているんですよーって示して、いいように飾っている分、より卑怯である。中途半端な努力で惨めである。死ぬくらいならこっちのほうがよいか。見栄を張って嘘をついて生きていて、それでもこっちのほうがよいのか。
どうなりたい。
すぐに変わることができるはずはない。大して目を向けていない目標を、たった2週間で達成できるわけがない。
もっと自分の黒くて濁っていて惨めな部分を、目をそらさず見なければならない
弱さを肯定する前に、弱さを知らなければならない
目の前に示された楽な選択肢を選び続けている。ずっと、逃げている。
インカレまでずっとこんな気持ちだったから、
ほんとうに今回は運がよかった、としか言いようがない。
自分のことを振り返ると、やっぱり夢を見ているような2年間だった。
帰省するといまだに弟に「変わったね。」と言われる。
つくトラに来て、世界は大きく広がった。いろんな経験をした。染まった。たくさんの人に愛され愛した。
でもきっと、私が大切にしたいのはもっと「小さな世界」である。優劣の問題ではない。だが私は世知辛い世の中を渡るには、どうやら育ちがよろしすぎた。(笑)
つつましく、謙虚に、健やかに生きていきたかった。刺激が強すぎて疲れてしまった。
そうやって広がった「円」の輪郭はぼやけてにじんで、頼りない。
きっと私が望むのは、小さいけれどくっきりとした円。小さな幸せを全力で愛でたいのだ。
何を意味するかは想像に一任する。
でもトライアスロン以上に好きになれる向いているスポーツはないと思う。つくトラ以上にあったかい組織はこの先ないと思う。トライアスロンもつくトラも、自分が作ってきた自分の居場所であると思う。
レースでは、必死、緊張、重圧。あと「せめて後悔しないように。」
スタートする前から結果は決まっていると思っていた。
誰かに何かを魅せたいなど思っていなかった。
でも、たくさんのOBOGさんを含む先輩方から、「感動した」「いいものを見せてもらった」「現地ではみれなかったけどリザルト見て努力感じた」とメッセージをいただいた。
特に驚いたのが「バイクの粘りとランの楽しさが、つくトラやトライアスロンへの思いを体現しているようだった」という言葉。つくトラもトライアスロンへの思いも、レースを通じて伝えることができたのなら、主将としての最後の役目は果たせたのかなと思う。
競技思考の男子が2人もいるなら、筑波大学体育会トライアスロン部が、弱弱しい女子主将である必要はなかったのでは、と常に不安だったし自信はなかったけど、こういってくれる人が一人でもいるなら、その人に勇気を与えられたのなら、良かった、と感じた。
後輩にも、何かを感じていただけたのなら、本望だ。
いろんな人のいろんな言葉に救われてきた。
こんなにも応援してくれる人がいる環境で、大好きなトライアスロンができたこと、あらためて感謝します。ありがとうございました。
とりあえず、しばらくは学連ボラをやりたい。
あと、いつも仕上げるのに必死なのはスイムとバイクなので、ランに集中できる今の時期のつくマラが楽しみでしょうがない。初フルマラソン。完走できるかな。
インターン先でガーミンつけてると、ランナーは黙っておらず(つくトラOBさんともつながる奇跡がおきた)つくマラは一層楽しみになりましたとさ。
最後に、一緒に幹部としてやってきた同期のことを一言(?)添えます。
この一年間、同期の涙を何度も見た。
汚点は、責任感が強すぎたこと。すべてを6人それぞれが抱え込みすぎた。藪はいきなり「つくトラをやめる」という言葉を使って相談してきた。別にやめることが悪いことではないのに、罪悪感を必要以上に背負っているように見えた。さきは私なんて、とか任せた方が、とか言っていた。仕事の漏れをフォローしていることが彼女を追い詰めていた。しのもごんも、愚痴1つこぼさず、投げ出すことなく、仕事を完遂していた。駿亮も場を和ませるキャラしていながら意外と繊細だというのは本人のブログがよく表していると思う。私も、部のことは適当にできないタチだったから。泣いたし怒った。
その汚点は言葉にしたり、声を上げたりして、なんとか、洗い流されてきた。
どんなときでもありがとう、って言うみんなが好き。
心は弱くても脆くても仕方がない。抱え込みすぎなければよかった。いつも、もっと早く、洗い流せればよかったね。
よく頑張った。
コロナのせいで例年通りの新歓をされなかったけど、私たちは集まった。
初めてのお仕事は、新歓だった。入部して体感すぐに先輩になった。
最初にして最大の遠征、インカレ-スプリントを運営した。
代替え会に参加するのは初めてだったが新幹部として前に立った。
対面を知らないまま対面のミーティングを運営して、入部式をした。
初めての合宿は、指揮する立場。初めての観音寺は運営。
もちろん、私たちだけではできなかった。たくさん力を借りた。
正直力足らずだったことばかりだった。
でも、私たちじゃなかったらできなかったのではないだろうか。
こんなに果敢に闘う人たちじゃなかったら、前向きの気持ちを保てなかったら。
そしてみんなからのねぎらいとありがとうがなかったら。そう思うと尚、よく頑張ったなあとおもう。
「テキトーでいい」と言われ続けた。部に貢献することは自己犠牲、自己破壊といわれ続けた。そんな声に流されてふらふらしていたし、自分のことに熱中できる、自分のために頑張れるみんながうらやましくて妬ましかった。けれど関カレで吹っ切れた。部をうまく回すことが自己実現なら犠牲でも破壊でもなく、実現。大丈夫、できることをやりつくそう。それが私のやりたいこと。
でも、テキトーでいいんだよって言ってくれている同期たちがいたから、わたしは何度も何度も本当に救われてきた。頭が固くて、でもつくトラは好きだから必要以上にハードルを上げていたのは否定しない。
組織として大事なことが個人の心をむしばむ凶器となる。そういう意味で「テキトー」という折衷案である。わかってくれる人がいて、応援してくれる人がいて、心配してくれる人がいて、よかった。
これを書いたのも実は結構前。
最後の一か月は、正直こんな気持ではなかった。
自分がつくトラに物理的にいないのに何かをしようとすると空回りして、何もできないと感じた。
一年で一番苦しかったし、それは私の汚点である。悔しい。悲しい。
どうかこれからのつくトラも、たすけあって、ねぎらいあって、
そして何より、感謝を忘れずに、進んでほしいと願っている。
2022年9月
3年 佐藤佳乃
追伸
執筆活動()はあと一回!そのラストの会報、一体何書くんだろう()
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