2020/11/02

ここは、確かに、夢の舞台だった。

 

僕等が駆け抜けたとき

明日へと向かう旅

多くを語らず自らその先を見据えてく

一瞬迷うけど必ず道がある

届かないようなゴールなんてない

 

遠くに見えてた舞台に

待つものは何だろう

心に蒔いたその種子は

いつかきっと芽吹くんだ

眠れない一人の夜

巡る思考回路は悟る

「今の自分で間違いない」ってさ

 

心にある花を枯らさずに咲かせよう

夢がやがて確かな

輝きへ変わるように

夢見たその景色は決して色褪せずに

永遠に僕等の胸に刻まれるのだから

今日の日もここに

「僕」という意味を生む

曇りなき素朴な光だ

 

渡良瀬遊水地からの帰路

車内にはここ数か月間毎日のように練習した4

東大通りを運転中、もうすぐ大学につくといったところで

この曲が流れ始めた。

この曲が高校サッカーのテーマ曲として世に出た当時、自分はサッカー少年であったこともあり自然と耳にすることが多かった。

これまで幾度となく節目節目を支えてきてくれた曲だ。

ここまでやってきた6年間と、車内にいる4人で駆け抜けた燃えるように熱い3か月を思い込み上げてくるものがあったがグッとこらえた。なぜなら僕は運転手だったから。

 

自分の最後のブログを読みながら、どうか近しい人には一緒に歌詞と重なって思い当たる場面を想像しながら読んでほしい。

※本ブログにはおそらく多くの個人名が出ると思います。それだけ多くの人々に支えられてきたということです。もし名前を伏せてほしい等ありましたら連絡ください。

 

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多くの方々に支えられてきた6年間であった。長い6年間だった。

ただ単に「インカレに出てみたい」という気持ちだけではもうとっくの昔に競技をやめていたと思う。

 

トライアスロンを通して素敵な方々に出会って、魅せられて、勇気づけられて、いつか自分もあんな風になりたい、勇気づけられただけ自分もなにか返していきたい。

特に幹部以降の3年間はそんな気持ちが自分を突き動かしてきた。

 

トライアスロンに出会った2015

泣き虫の主将。

関カレ8位という誰が見ても認める結果を残してもなお涙していた山下さん。

レース外での様子も併せて考えると不本意ではあるが?()

その背中で部を引っ張る姿はヒーローであった。

 

秋にはカーフマンいわきで見たアフロOBの高﨑さんの衝撃的なバイクパート。

いつか自分もあんなレースができたらと思う。

 

時が過ぎていく中で思いつく限りひとつひとつ挙げるならば

長年の目標を果たしたトモヒロ

トモヒロと切磋琢磨しあい、競技と運営の両面から部を支え続けたミキオ

何度も折れかけながらも着実に道を進んでいる集

やばい たかし

 

文句なしに日本を代表するトライアスリートになったマツコ

一年目から衝撃的なレースをしたホタカ

強大な2人の同期に負けない存在になったアサヒ

ほぼ金づちからインカレ完走を果たしたあいぽん

 

毎度カーフマンで激走を見せる宮

本物の文武両道を体現する藤井

有言実行男ワタナベを中心としたアフロQの躍進

とんとらのインカレ団体入賞などなど

 

6年間もこの世界にいれば部内外問わず様々な場面に出会い、魅せられてきた。

 

しかし自分は肝心な時にはいつもコースから一線を画した観客席にいた。

 

自分は何もできてない。

 

今でもその積年の悔しさが一度にこみあげてくることがある。

 

いつかあちら側に

 

そんなことを考えながら必死で走り続けていたらこんなにも時間がたってしまった。

果たして自分は一か月半後、お世話になった人に、これからを担うトライアスリートたちに、何か熱いモノを感じさせるようなレースができるのだろうか…。

(2020919日、4日後に控えた修論中間審査に向けて準備をしようにもやる気が出ない)

 

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ここから112日の書き込み

 

もう半ばあきらめていた

先行きの見えないコロナ禍、なかなかあと一押しが出来ずに足踏みばかりの就活

心がそこまで強くない自分は練習どころではなく

自分のインカレへの挑戦は終わったと

そう思い込んでいた8

 

当時全く練習環境が整っていなかったつくトラがインカレの選手選考を行うにあたって取られた方法は話し合い。

ほぼ燃えカスのようになっていた私のことでも

「インカレでレースをする大典さんが見たい」と

そう推してくれる声があり

大変ありがたいことに出場枠を戴くことができた。

 

その声を裏切らぬためにも

そして自分がインカレに出ることで喜んでくれる、決して数は多くはないけれど確実にいる誰かのため

何より6年間競技に打ち込み続けた自分のため

闘いの日々が始まった。

 

自身は大学院生であり、そしてぶっちゃけたところ研究はうまくいっていないことから日中はなるべく時間を割きたくないということで練習時間を確保するために着目したのは朝。

時には(まだ世間的には夏と言われる時期の)日の出前に下界を出発し、筑波山で練習をした日もあった。

毎週水曜か木曜には集団走練習

学生屈指の脚をもつマツコにけちょんけちょんにされる。

後にインカレロードで入賞することになる自転車部のエースにも協力していただき、純粋な脚力としては幹部代の時に劣るは言え、立ち回りという点では過去一番の状態まで上げられたと思うバイク。

 

スイムは出場が決まってから旧バイト先にちょっとずつ通い感覚を戻し、大学プールが何とか使用できるようになってから体力を戻した。ベストではないにしろ割と泳力を取り戻せたと思っていた。(その節は現幹部代の皆様本当にありがとうございました。)

 

ランは絶妙に遅いため走力が合う人がおらず一人で練習することがほとんどであったが、10000 mの自己ベストを(12000ペース走で)更新するなど、とにかく悔いのない練習を積むことができた。(ベスト更新については長らく測定をしてなかったというのが最大の要因であったと思うけど笑)

 

そのほとんどの練習の場をマツコ、アサヒ、ヒカルの3(と各種目でスペシャルサンクスの皆さん)で共にしてきた。きついながらも濃密な3か月を過ごすことができた。

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もう負けないと誓った

あの夜の泪を

拭ったその時に宿った魂があって

忘れない日々を超えて

やっと辿りつけた場所に

「後悔」なんてもんは

必要ないってさ

 

:レースレポートではないのでレース内容や反省点はそんなに詳細には書きません

詳しく知りたいと思った際には直接聞いてください!

迎えたレース当日

スタートラインに並ぶ

入水チェックを終えてしばらくしてもなかなか震えが止まらず、前日でたチームTTとなんかちょっと違う?と思いながらも気のせいということにした。

スイムはよくわからぬ間に終わってた。

タイムが良くないのは察してた。

宮が何か叫んでる。なんも聞こえないけど多分なんかやばいと察する。

 

バイクは何とかパックに乗れた。

落車をしないようにかなり周囲の選手の動きに集中していいたため声援が何も聞こえない。

静かなバイクパートであった。

中盤くらいまでは何とかローテを回せたが、だんだんときつくなりおさぼりが増えてしまった。パックの皆さん本当にごめんなさい。

かろうじて最終周回に入った際の鐘の音が耳に入る。

なぜか涙が出そうになる。

 

ランの走り出しは軽くいつも通り走れると思った。

しかし3 kmすぎから冷えを感じ、5 km過ぎから脚に力が入らなくなり気を抜くと蛇行してしまうような感じになってしまった。

余りにも情けなくて、やめてしまいたくなったところで

とんとらの石橋がすれ違い際に

「楽しんで」

と一声

この声で何とか気持ちを持ち直して脚を進める。

 

戦う準備をしてきたのに、それを出し切れない悔しさ、情けなさをかみしめながらも

ようやく目前に現れたFINISHの文字

6年間ずっと見たいと思ってた光景がそこに広がっていた。

最後の最後でチャンスを戴いたのにも関わらずボロボロなレースになってしまった。

それでもここは、確かに、夢の舞台だった。

 

とりあえずガッツポーズして倒れこむ

ゴールと同時に両ハム攣ってびっくりしました。

 

最後はともひろに抱えられながら

やっとひねり出せた言葉

 

「ながかった。つらかった。たのしかった。」


こうして私の6年間の学生トライアスロンが終わった。

 

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心に咲く花を大切に育てよう

時に雨に打たれ 時に風に吹かれ

やがて花は朽ちても

生まれゆく生命がある

永久に続く連鎖に

「僕」という意味を持つ

あの日の僕等が笑う

咲き誇る花を慕う

今の僕らに向ける その眼差しは語る

日常の日々こそ奇跡

僕たちが紡いでく奇跡

探すのは「特別」ではなく

日常という名の目の前の軌跡

 

輝いた今日に感謝と

惜しみなく続く拍手を

燃え尽きた僕等が今抱く

誇りこそ持つべき必然

いつか今日が過去に変わり

「今」に負けそうになっても

僕達は思い出すだろう

情熱に染まった日々を

 

毎朝早くに起きて

きつい練習して

学校行って研究して

次の日に備えて早く寝る

学部1年生の時からずっとこんな生活をしてきた。

 

そりゃトライアスロンは楽しかったけれど、大学生らしい遊びみたいなのが一切ない生活が嫌になることはたくさんあった。

 

何か1つに打ち込むことが、他の多くの機会を逃すことにつながっているんじゃないかとなやむ日は多かった。

 

幹部代の時は主将として競技以前に団体としての生命維持活動に奔走し精神をすり減らし気が付くと涙が流れてしまうそんな時期もあった。

 

何度も言うがトライアスロンは楽しかったが、決してすべてが平坦な道のりではなく、ながくつらい道のりであった。

 

 

最後にそんな6年間の集大成として、大学院生でもやれるということを示し、後に続く人たちを勇気づけるレースがしたかったが不発に終わってしまったのが本当にほんとうに心残りである。

そんな自分のことでも何か感じ取って前向きな形に生かしてくれる人がいたら本当にうれしいです。そんなあなたの存在に支えられて私はここまでやってこれました。

 

 

6年間競技の世界に身を置いてきて得た最大の教訓があります。

それは努力は必ずしも実るわけではないということです。

この言葉を読んで不安になってしまう人もいるかもしれません。すみません。

勝ちがあれば負けもある。それが勝負の厳しさでもあり美しさです。

勝利の女神は必ずしも我々の努力を見ているわけではありません。

しかしやりきった負けにはちゃんと価値があります。

何かに打ち込む中で知った自分の動かし方

厳しい状況に置かれたときどのようにすれば自分を奮い立たせることができるのか

どのような精神状態を作れば、どのような準備をすれば自分の好調を維持できるのかなど

 

競技の中で知った自分の動かし方は他の場面でも大いに生かせるのではないでしょうか?

 

もう一点得た教訓があります。

勝利の女神は努力を見落とすことはあるが、

必ず誰かが見てくれている

インカレの選手選考の際に一番これを強く感じた。

何かに対する努力は必ずしも実は結ばないかもしれないが、その過程を誰かが見てくれている。

今回の選手選考のように直接的なかたちとして現れるかもしれないし

自分が気づかないところで努力する姿勢が誰かを勇気づけてるかもしれない

 

とにかく何が言いたいかというと、無駄な努力はないってことです。

すぐに結果には表れないかもしれないけれど、巡り巡って自分や周囲の人々に良い影響をもたらすことができる。そう思います。

 

私はインカレに出ることが決まったとき、レース中、レース後たくさんの方々に声をかけていただきました。正直競技力が低く知名度も高くない私にわざわざ声をかけてくれる物好きな人たちはやっぱりここまでの道のりを見てくれた人たちなのかなと思いなす。

誰かが見てくれています。

そしてその人たちが喜ぶ顔が見たくてここまでやってきました。何度でも言います。

感謝しきれないです。ありがとうございました。

 

たのしい6年間だった。

 

心にある花をいつまでも咲かせよう

たとえ水が尽きても

たとえ闇が覆っても

終わりという始まり

始まりという名の終わり

僕達はまだ歩いてく

僕達がまだ歩いてく

その先に未知なる

癒えぬ痛みが待つとも

ひたすらに続く未来が見たい

ひとひらの淡い奇跡を見たい

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最後に北大OBのアベ君が昨年の春渡良瀬で発した素敵な言葉で締めたいと思います。

 

「俺はトライアスロン続けるよ。続けていればまたみんなに会えるからね。」

また会いましょう!

筑波大修士2

松﨑大典

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タイトル元ネタ

トライアスロン界隈で尊敬する同期であるワタナベ君が初めてインカレに出たときのブログ

https://ameblo.jp/afroq/entry-12197198139.html


院でも競技を続けると決意したときのブログ

宮エクスプレスは止まらない

https://tsukuba-triathlon.blogspot.com/2018/10/blog-post_74.html

2 件のコメント:

  1. インカレに推してくれる後輩がいて、応援してくれる仲間がいて、感謝する人達が沢山いることが大典君らしさだね。やり切った姿には感動しました。6年間本当にお疲れさま。
    結果を出すためにはやるべき事があるのは何でも同じだから大丈夫だよ笑。でも続けられるのはとても大きな力。これからも仲間を大切にしてね。また一緒に練習したり大会で会えたら。
    秋本

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  2. コロナの影響の中、練習が思うように積めないもどかしさや苦労があったかと思いますが、インカレお疲れ様でした。6年間最後まで競技に挑み続けた姿勢に尊敬致します。
    2016年卒 近藤

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