2025/05/06
茨城県練習会@潮来
2025/04/26
2024年のインカレについて
インカレの日に、私の身に何が起こったのか。
私が2024年の学連の活動で最も覚えているのは、学生レース最後のインカレで、私が鍵を無くして、全ての大会関係者が会場に入れずにインカレの開催時間が大幅に遅れてしまったことです。
それについて、話していこうと思います。何となくです。
インカレ当日
選手駐車場の開放時間は、朝5:30。
選手駐車場を開けるのは、大会運営委員長である私の役目だ。
雨が降っていた。確か、朝5:10〜20くらい、私が会場に着くと、朝5:30から駐車場開放のはずなのに、すでに選手の車で、1本の道が渋滞していた。
真っ暗闇の中、車の赤いランプが連なり、長い列を作っていた。朝とはいえ、一般の大型運搬トラックも通る一車線道路。トライアスロン関係者が一般人に大きな迷惑をかけていることになる。すでに大型トラックが、渋滞に巻き込まれていた。
第一パニック
状況を理解して、ジャラジャラした大量の鍵を握りしめて、運転していた車を急いで降りた。まず向かったのは、一般道路と会場を繋ぐ道に入るための両開きの門。そこは元々開いていたようだが、左側しか開いていなかった。
「この渋滞をすぐに緩和しないと。できるだけこの道を通れる車を増やさないといけない、右側も開けないと。」
鍵を持って、雨の中、真っ暗な中、南京錠を回す。道路から折り返すような道になっているため、前にも後ろにも車の渋滞が続いていた。鍵を入れて、回す。
「やばい、開かない。」
これ詳しくは忘れたけど、鍵を入れて回すだけでは開かない仕組みになっていた。そんなこと知らないから、何回か試してみるのだが、何度やっても開かない。鍵が違うのか、別の鍵でも試す。開かない。
第1プチパニック。そんな中、渋滞に巻き込まれた大型トラックが、それはそれは大きなトラックのクラクションと怒号を私に浴びせるのだ。
『馬鹿野郎!クソが!』ぶーーーーーーーーー!!!!!
(もう、だめだ、ここは左側が空いているから、もう諦めよう)
第2パニック
ダッシュして、次に向かったのは関係者駐車場。なぜなら、さっきの場所から一番近かったから。笑
鍵がジャラジャラぶら下がったアレ。アレが私の手に3種類くらいあった。雨の中、真っ暗の中、1人でたくさんの鍵を1つずつ試して、そこの駐車場を開けようとした。鍵が大量にありすぎる。鍵が入らない、回らない。全部試した。
「え、どの鍵でも開かない、」
第2プチパニック発生。こうしている間にも、トラックの大きなクラクションは鳴り響き続けているし、車の赤いランプは恐ろしい光景になって私の後ろに陳列している。
それと並行して、学連の宿を出発する学生から、私に電話が入る。
学連の学生「かのこさん、車が足りません!」
日本人の私「What the F**k」
学連の宿から会場に向かうための、使用できる車の数は把握していたし、誰が運転して誰が何に乗るか、資料まで作って指示していたのに、「車が足りないので会場に行けません」というトラブル発生。※詳細は最後
「おけ、どうにかする、一旦待機で!!」
渋滞はえげつない、鍵はない、車はない、カオス状態でした。
話は戻り、関係者駐車場の鍵が開かない。
(私の開け方が間違えていたのかな、もう一回、、)なんてしている場合じゃねえわ、そこも諦めて全力ダッシュ、次に向かうは選手駐車場。
第3パニック
渋滞している車の横をダッシュして、選手駐車場に到着。安定に、雨の中、真っ暗で、車の赤いランプの列が私をプレッシャーで押しつぶす。
選手駐車場の門は一番大きい。あの門には、南京錠が4つ(だったかな)ついている。南京錠に入る鍵はあったが、例の如く、開かない。第3プチパニック。たった一人、大きな門と車の渋滞に挟まれて、鍵を開けられない。本当に恐ろしい光景だった。暗闇の中、私を先頭に奥まで見えない渋滞、赤いランプがずっと遠くまで続いていた。
駐車場開放
確か、1つ目の南京錠は開けることができた。私はその時、その門に4つもの南京錠が付けられていることを聞かされていなかった。1つ目の南京錠を開けて、門を開けようと引っ張ったり、押したりしていた。開くわけないのだ。1人で門と格闘していると、後ろで渋滞していた車から、選手がワラワラと降りてきて、助けに来てくれた。
「大丈夫ですか?手伝います!」
「こっちにも、南京錠ついてます!」
「鍵をパスして!こっち開けとくよ!」
助けに来てくれた選手は1人だけじゃない、いっぱいきてくれた。しんめいもきてくれた。あの時、本当に辛かった、どうにもできない自分の力不足、何もうまくいかない、何も解決できていない、すでに大会遅延は確定、私は冷静ではなかった。
あの時助けに来てくれた選手たちの大学や名前、なんなら顔も覚えていない。けど、あそこで彼らが来てくれて、一緒に開けてくれて、なんとか選手駐車場を開放することができた。
本当に感謝しています。もちろん、大会運営委員長として、『駐車場を開ける手伝いをしてくれてありがとう』というのもあるけど、私個人として『あの時、助けに来てくれてありがとう』
人からの手助けが、こんなにも精神的に安心をもたらすのかと、感動致しました。人間の暖かみを、ふと噛み締めて、駐車場を開放していたという裏話でございました。
ちなみに、選手駐車場が開放したのはおそらく、朝6時くらい。
なんと第1パニックの時から30分くらいしか経っていない。
選手駐車場を開けられても、関係者駐車場を開けないと大会は開催できない。ダッシュして戻って、また大量の鍵を1つずつ試すのだが、やっぱり開かない。鍵を落とした可能性も視野に入れていたので、LINEの学連グループで「至急、鍵を間違えて持っていないか、`近くに落ちていないかを確認してください」と連絡を入れていたし、私が乗っていた車の中を探すよう、同乗していた学生に指示は出していた。それでも見つからないのだ。
鍵はない、そして学連の宿にまだ学生が取り残されている、という危機的状況。(*第2パニック参照)
もう空は明るくなってきていた。
結局、鍵は見つからないまま、普段は使わない門から無理やり入れることを発見し、ランコースを車で通って、本部に入場できた。
すんなり書いたけど、その結論に至るまでも、結構大変だったよ。
そこ、大事だからさ、頼むよ
以上、余談でした。
宿に取り残された学生たちのその後
宿に取り残された学生は、学連に参加していた学生の親御さんにご協力いただき、宿に1人を残し、会場へ到着。その時、車に乗り切らなかった学生はつくとらのこじさん、迎えにいってくれたのは森竹。私が頼んで、森竹に車を出してもらった。非常に助かった、ありがとう。
ちなみに、車が足りなくなった理由は、ドローンで選手を撮影するサービスをしてくれたドローン会社の人たちが勝手に乗っていってた。怒るよ〜?
この1日を通して
2025/04/07
拗らせカーフマンレースレポート
学生延長モードをクリックしてしまったしのです。
念願のカーフマンエリートに先月出場しました。
エリートに出たいという気持ちは前年からずっとあった。
後ろにつくのだけは得意なので、パックさえ組めれば完走できる自信があった。
1週間前からかなりソワソワしていた。練習を積めてない時、自信が足りなくてソワソワする。積めている時、満ち足りていて割り切れて、楽しめる。今回は前者。
就活>バイト>練習 の優先順位で半年ほど過ごしたのに2月になっても内定がなく、この時期は落ち着きがなかった。この不安定なメンタルが結局のところ一番の課題である。
レース前
1stランのタイムが近そうな人に挨拶して回る。
1stRun、先頭とどの辺までですれ違うべきか計算しておく。
スタート直前、たなそうさんが「大阪体育大の人がランはギリギリだがバイクが強い」という神情報を教えてくれる。これのおかげで踏ん張れた、感謝しかない。
【1stRun】 18:47 109/122位
Garmin 3:40/km
尻上がりタイプなので後方からスタート。目標は3キロまで3:35前後で耐え、それ以後も3:40は死守すること。
結果、3キロあたりから3:45/kmまで垂れ、気がつけば後ろには集団になりそうな人数はいない状態。既にやめたいくらいしんどかった、ここが本当にキツかった。やはりなるくんにはかなり序盤で離されてしまう。予想通りだが不甲斐なさを感じながら走る。
周りを見る余裕もなくなり、サポートの「このパック落とさなければいける」の声は本当に力になった。この一言がなければ心が折れもっと垂れ散らかしていただろう。
ラスト1キロは身体が慣れてきて少し楽になったが無理にパックを上げることはせず、呼吸を整えトランジに脳みそを備えた。
【T1】
早くはないが初歩的ミスもなく無難にいった。
バイクに飛び乗る前、後ろに赤いトライスーツ(大阪体育大学)の選手がいるのを確認し安堵
最近飛びのった後、足を浮かせて少しずつシューズにはめればいいんだという初歩的学びをした。ここで実践できたのは良かった。
【Bike】 46:20 93/110位
Garmin 39.6km/h
正直バイクは必死すぎて記憶があまりない。
後ろをキョロキョロしながら例のバイクつよつよお兄さんの列車を逃さないよう、いつでも全力走できるよう、呼吸とギア数を整える。
と思っていたら不要な心配で、優しく引き連れてくれる超優しいお兄さんだった。とんとらの丸くんも一緒で再び安堵。知った顔が一緒のパックなのは非常に気持ち的にでかい。
最初のカーブまでには7人くらいのパックになってた気がする。おかげであまり力を使わずに済んだ。
風は強め、頻繁に回しながら前を追いかけようという声がかかる。集団走には自信があったが、貢献するどころか基本的にお荷物になっていた気がする。
パックを組めた安堵か、4年越しに念願の集団走ができて、興奮しすぎたのか、うまく力が入らない。変なところが力んでいる。そのせいで普段攣らない腹筋とか腸腰筋だとか腕が早くも攣りそうになる。
後ろにつくのも想像より楽ではなく、気を抜いたらすぐに置いて行かれてしまいそう。これが集団走か。。りんりんとは全然違う緊張感を初めて知る。
結局攣って漕げなくなるのを怖がり、2〜3回に1回はローテを回さずに後ろで休ませてもらった。この時なぜか声がガラガラで声があまり出ず後ろに迷惑をかけてしまった。。普段の練習でも声を出していかないといけないのだね。
奥のコーナーで駿亮の顔が見えた。笑みが溢れる。おかげで少し興奮を落ちつかせることができた。
ターンは本当にヒヤヒヤする。砂利もかなり気になり、必要以上に減速、立ち上がりで無駄に体力を消耗する。妙に寄せてくる人もいてホイールが一度擦れた時は心臓止まった。
2〜3周した頃、奥の折り返しで中切れが起き始める。いち早く気付きなんとかブリッジして前と後ろを繋いだのは、この日一番のファインプレーだったと個人的には思っている。こういう勘だけは腐らず残っていてくれるので好きだ。
ずっと列が汚い。2列なのか、3列なのか。ブレーキかけたりダンシングしたり。こんなにペースの変動があるものなのか。
陣地近くでは積極的に前を引きたくなっちゃう。楽しすぎる。
いろんなところをつりかけながらもなんとか最終周を終え、トランジへ。ランシュー履こうとかがむ動作は本当にハムを攣りやすい。1分くらいロスしランへ向かう。
【2nd Run】 29:12 (109/109位)
攣りすぎてマジで公開処刑。10回は攣った。「カーフ」(ふくらはぎ)だけならいいのだけど、ハムをやっちゃうとやっぱり走れない。
2周目くらいで「このまま行けばエリートレースを完走できる」と実感が湧いてきて泣きそうになってしまった。
3周くらいした頃には全員に抜かれ、気づけば後ろには誰もいない。残り2周以上あって梓銘はもうフィニッシュしている。
結局一度も軌道に乗らず、止まったり走ったりを繰り返しながらなんとか5周をやりきり、完走させてもらえた。遅すぎて、後2周の時に「ラスト1周ファイト〜」と何人かに言われるくらいには遅かった。。
【Total 】 1:34:19 (109/109位)
ラップされると本当に凄く悲しくなるから、なんとか完走したいと思っていた。観音寺で2分しかバイクに乗れなかったあの日以降、2年以上「エリートレース完走」という肩書きを欲し拗らせていた。
とは言いながらも就活・研究・バイトの次の優先順位が「練習」なので、欲張ってしまい決めて「断つ」をできない自分の器の小ささなのだが、その中でも拗らせをクリアできたのは、何か胸のつっかえがとれた気分で本当に爽快だった。
来年はもう少し見栄えある走りをしたい。バイクはもっとパックを引っ張っていきたい(その方が楽しい)し、セカンドランは攣ってもいいからキロ4に抑えたい。とりあえず入部以降の僕は、ランの練習距離がナメ腐っている。正直3種目の中でランは唯一好きではない。練習量は15〜20キロ/週がアベレージで、気が向いた時だけ30〜40/週走っているのがいいとこだ。ランをコンスタントに積んでいきたい。ベースが無さすぎる。関カレもキロ4で走りたいことを考えると、これから関カレ超えて夏、冬超えてカーフマンまでは継続的に30キロ週は守っていきたい。B4とM1は競技以外に寄り道したが、進路が確保された今、ラストイヤーは競技でもう一度だけどはしゃいでいきたい、だって未練があるから。つくとらデュアスロン王国復活に向け戻ってきてほしいメンバーも数人。たのしみな2025シーズンだ
2025/03/31
2年生ラストの日に思うこと
2025年3月31日。大学2年生最後の日。無事に筑波春合宿を終えることができました。
主将の根本あさひです。
合宿に参加してくださった他大学の皆さん、サポートをしてくれた先輩方、そして一緒に運営を頑張った同期の梅木と中野。本当にありがとうございました。
合宿をやってよかった。心の底からそう思いました。
新しい出会いもたくさんあったし、選手として主将として成長することができたと感じたからです。
大きなトラブルもなく無事に終えることができたことが何よりも嬉しいです。
合宿初日から雨の中つくばエクスプレスの運行停止による大混乱。どうなることかと思ったけれど、現状を的確に教えてくださった合宿参加者の皆さん、車出しを調整し実行してくれた先輩方のおかげで、何とか時間通りに合宿を始めることができました。
合宿をやらない選択肢もあったわけです。
実際昨年はそうなってるし、私たち同期はそこまで競技の実績があるわけでもない。
それでもなぜやる決断をしたのかというと、私たちならできると思ったからです。
1年生の入部式からずっと3人でやってきた。
2年生になって同期仲間は増えたけれど、彼らはつくトラのことをまだよく知らない。
私は主将、中野は副主将、梅木は主務と会計。
きっと同じクラスにいたとしても決して交わらないような3人。
お互いに理解不能なことが多々ある。
しかし、だからこそ適材適所がうまくいっているのだと私は思う。
世はこの3人組をあちゃずと呼ぶ。
梅木が合宿やろうよって言ったときから、主将のやる気はマイナス面を上回った。
3月は忙しかった。
OBOG駅伝、卒業式、追いコン、筑波春合宿。
やることに優先順位をつけて淡々とこなしていたつもりであるが、精神はそうでなかったらしい。普段なら落ち着いて対応していたものも、すぐにカッとなったり、涙が出たりした。皆に迷惑をかけた。
合宿が終わった今、緊張と重圧から解き放たれ、3月を冷静に振り返ることができている。
私が泣いた夜、なぜか梅木も泣いて、中野も見たことないくらい落ち込んでいた。
2人が私におんぶにだっこされているだなんてとんでもない。
おんぶにだっこさせてもらってるのは私の方だよ。
役職柄、梅木の仕事は目立たない。主務の仕事はいちいち部全体に報告なんかしないし、やって当たり前だと皆が思っている。それにプラスで大きなお金を扱う会計もやっている。正直、私は梅木がどれだけの書類を抱えているのか生で見たことはない。彼は私と中野にすら文句ひとつ言わず2役の大仕事を淡々とこなしている。感謝と尊敬しかない。この状態をうまく部員に伝えられていなかったのは私の責任だと思っている。ごめんなさい。部の存続がかかる大切な仕事を梅木がやってくれているから今のつくトラはあるのです。
中野は練習に関わる重要な仕事を全部引き受けている。バイクパート長、ランパート長兼任、ブロック会議出席、ミーティング資料作成、etc. 俺は仕事足りてないんじゃないかとか、あさひと梅木に比重が偏っているだとか、そんな心配をする必要はない。だって私と梅木は中野が今やってくれている仕事を代わりにできないから。バイク練習も、ラン練習も、中野が日程調整や練習強度などを考えてくれるから行うことができる。すごいことだよ。
主将は、その名の通りよく目立つ。指示を出す場面も多いからたくさん仕事しているように見える。確かに3月は部としてのイベントが多く忙しかった。しかし、その指示の裏にはいつも梅木と中野との協議がある。2人とも自分の仕事をしながら私の質問や提案に答えてくれる。私ができない部分はフォローしてくれる。そんなこんなであちゃずのラインは遡るのがとても大変なのだ(笑)
2年生ラストの日に思うことは、幹部半年お疲れ様、いつもありがとう。
合宿最終日、所属大学など関係なくお互いをたたえ合い、みな笑顔で写真撮影をしていたのが印象的でした。こういう機会を作ることができるのってとても嬉しいな、そう感じました。主将になって半年が経ち、やっとその実感が湧いてきた瞬間でした。
このように私を主将たらしめてくれるのは、梅木と中野のおかげです。
2人がいるからこそ、私が主将になれるのです。本当にいつもありがとう。
明日からは3年生。
今年も一緒に成長しよう。
2025/03/26
最後に
2025/02/20
カーフマン2025 bike弱者なりに考えたこと
第2回カーフマン・シグネーチャーデュアスロン in 東扇島2025・日本学生デュアスロン選手権・JTU 関東ブロックデュアスロン選手権