2025/05/06

茨城県練習会@潮来

こんにちは。
かのです。
修士2年になりました。

自分でもびっくり、4/29昭和の日に、潮来の練習会に参加させていただきました。
茨城県トライアスロン連合主催で、つくトラから15人くらいいったのかな。
スプリント形式の実践練習であり、3種目連続のとても貴重な練習会でした。今回そのレポをします。(メールうまく送れなかったので、別アドレスから再送します。)


朝7:00につくばを出発。
今回の遠征責任者しんめいがハイエースを運転してくれたので助手席でした。

ローイングセンターあめんぼに到着して、ここが国体の会場かと。
潮来には研究室活動で毎年2,3回行くのですが、「あめんぼ」には初めて行きました。

到着して準備して、まずはバイクのテク練。普段もこれをやってから出発するといいそうです。
バイクコースで鹿島神宮の西の鳥居が見えるところまで行きました。片道10km。風がちょっとある。

次に、ランコースを試走しました。ボート部の中学生が元気でした。さすが水郷潮来、中学生もボートやるんですね。
ついに入水、久しぶりのOWSは常陸利根川でした。実は初めての川OWSでした。
冷たかったものの18度で、ウェット着ていれば大丈夫でしたね。
むしろ、風が寒くてバイクの時寒さでやられないか心配でした。

そのまま流れでスプリントスタート!
Swimは数日前のスイム練よりは泳げた気がする。。?
気持ちよく泳げたわりに、バイクでとにかく腹筋とか体幹がなくてまったくこげませんでした
数日前に愛さんと筑波山いったのですが、不動峠のぼりながら金田に笑われてしまいました。
今より5分も早く不動登れてたなんて別人の記録見てるみたいです
なんとか漕いでランに入ったものの、スピードが出るわけがありません。(ジョグもしてないので怪我しそうだし。春はシンスプ。。)
でも完走はできてほっとしています。
新入生こうとくんも初トライアスロン楽しんでおり何よりです。
レース外でトライアスロンを体験できるのは、自分の初トライアスロン@阿字ヶ浦を思い出し、とてもありがたい機会ですね。

解散して、お昼ご飯は道の駅潮来へ。
アイス食べたかったけど並んでおり時間がなくて断念。
唐揚げ定食でつくばっくです。次はフォー食べましょう。運動するとご飯が美味しい。
帰りもしんめいが運転してくれてたのもしいな。
帰ってきて、荷物おろして、レンタカー屋さんいって。
天気も最高だったので楽しい祝日でした☀️

今つくトラは、インカレ、Duathlon世界大会、U23、国スポ、KONAなどなど、、、みんなレベル高くてアツい🔥それに個が強いのにみんな楽しめてる感がある。すごーくいいチームになってるとおもう。

希望にあふれることを言ったけど、
楽しまないと意味ないし、やりたくないことやっても意味ないから、ひとりひとりが楽しく活動して悔いなく力を発揮できるといいですね。


入部式📸 ナイス新歓

自分も鍛えながらみんなをサポートできたらなと思っております。
学生ラストイヤーはトライアスロンを楽しみます。

おわり

2025/04/26

2024年のインカレについて

強力な台風の影響により、インカレが延期され、スプリントと連日開催となった異例の2024年。
さらに、インカレの大会スタートが遅延するという、異例に異例を重ねた中での大会開催となりましたね。

どうも、私です。つくとらの人たちに分かってもらえれば大丈夫なので、名前は出しません。

インカレの日に、私の身に何が起こったのか。


私が2024年の学連の活動で最も覚えているのは、学生レース最後のインカレで、私が鍵を無くして、全ての大会関係者が会場に入れずにインカレの開催時間が大幅に遅れてしまったことです。


それについて、話していこうと思います。何となくです。


インカレ当日

選手駐車場の開放時間は、朝5:30。

選手駐車場を開けるのは、大会運営委員長である私の役目だ。


雨が降っていた。確か、朝5:10〜20くらい、私が会場に着くと、朝5:30から駐車場開放のはずなのに、すでに選手の車で、1本の道が渋滞していた。


真っ暗闇の中、車の赤いランプが連なり、長い列を作っていた。朝とはいえ、一般の大型運搬トラックも通る一車線道路。トライアスロン関係者が一般人に大きな迷惑をかけていることになる。すでに大型トラックが、渋滞に巻き込まれていた。


第一パニック

状況を理解して、ジャラジャラした大量の鍵を握りしめて、運転していた車を急いで降りた。まず向かったのは、一般道路と会場を繋ぐ道に入るための両開きの門。そこは元々開いていたようだが、左側しか開いていなかった。


「この渋滞をすぐに緩和しないと。できるだけこの道を通れる車を増やさないといけない、右側も開けないと。」


鍵を持って、雨の中、真っ暗な中、南京錠を回す。道路から折り返すような道になっているため、前にも後ろにも車の渋滞が続いていた。鍵を入れて、回す。


「やばい、開かない。」


これ詳しくは忘れたけど、鍵を入れて回すだけでは開かない仕組みになっていた。そんなこと知らないから、何回か試してみるのだが、何度やっても開かない。鍵が違うのか、別の鍵でも試す。開かない。


第1プチパニック。そんな中、渋滞に巻き込まれた大型トラックが、それはそれは大きなトラックのクラクションと怒号を私に浴びせるのだ。

『馬鹿野郎!クソが!』ぶーーーーーーーーー!!!!!


(もう、だめだ、ここは左側が空いているから、もう諦めよう)



第2パニック

ダッシュして、次に向かったのは関係者駐車場。なぜなら、さっきの場所から一番近かったから。笑


鍵がジャラジャラぶら下がったアレ。アレが私の手に3種類くらいあった。雨の中、真っ暗の中、1人でたくさんの鍵を1つずつ試して、そこの駐車場を開けようとした。鍵が大量にありすぎる。鍵が入らない、回らない。全部試した。


「え、どの鍵でも開かない、」


第2プチパニック発生。こうしている間にも、トラックの大きなクラクションは鳴り響き続けているし、車の赤いランプは恐ろしい光景になって私の後ろに陳列している。


それと並行して、学連の宿を出発する学生から、私に電話が入る。


学連の学生「かのこさん、車が足りません!」

日本人の私「What the F**k」


学連の宿から会場に向かうための、使用できる車の数は把握していたし、誰が運転して誰が何に乗るか、資料まで作って指示していたのに、「車が足りないので会場に行けません」というトラブル発生。※詳細は最後


「おけ、どうにかする、一旦待機で!!」


渋滞はえげつない、鍵はない、車はない、カオス状態でした。


話は戻り、関係者駐車場の鍵が開かない。

(私の開け方が間違えていたのかな、もう一回、、)なんてしている場合じゃねえわ、そこも諦めて全力ダッシュ、次に向かうは選手駐車場。


第3パニック

渋滞している車の横をダッシュして、選手駐車場に到着。安定に、雨の中、真っ暗で、車の赤いランプの列が私をプレッシャーで押しつぶす。


選手駐車場の門は一番大きい。あの門には、南京錠が4つ(だったかな)ついている。南京錠に入る鍵はあったが、例の如く、開かない。第3プチパニック。たった一人、大きな門と車の渋滞に挟まれて、鍵を開けられない。本当に恐ろしい光景だった。暗闇の中、私を先頭に奥まで見えない渋滞、赤いランプがずっと遠くまで続いていた。


駐車場開放

確か、1つ目の南京錠は開けることができた。私はその時、その門に4つもの南京錠が付けられていることを聞かされていなかった。1つ目の南京錠を開けて、門を開けようと引っ張ったり、押したりしていた。開くわけないのだ。1人で門と格闘していると、後ろで渋滞していた車から、選手がワラワラと降りてきて、助けに来てくれた。


「大丈夫ですか?手伝います!」

「こっちにも、南京錠ついてます!」

「鍵をパスして!こっち開けとくよ!」


助けに来てくれた選手は1人だけじゃない、いっぱいきてくれた。しんめいもきてくれた。あの時、本当に辛かった、どうにもできない自分の力不足、何もうまくいかない、何も解決できていない、すでに大会遅延は確定、私は冷静ではなかった。


あの時助けに来てくれた選手たちの大学や名前、なんなら顔も覚えていない。けど、あそこで彼らが来てくれて、一緒に開けてくれて、なんとか選手駐車場を開放することができた。


本当に感謝しています。もちろん、大会運営委員長として、『駐車場を開ける手伝いをしてくれてありがとう』というのもあるけど、私個人として『あの時、助けに来てくれてありがとう』

人からの手助けが、こんなにも精神的に安心をもたらすのかと、感動致しました。人間の暖かみを、ふと噛み締めて、駐車場を開放していたという裏話でございました。


関係者駐車場開放〜裏ルート〜

ちなみに、選手駐車場が開放したのはおそらく、朝6時くらい。

なんと第1パニックの時から30分くらいしか経っていない。


選手駐車場を開けられても、関係者駐車場を開けないと大会は開催できない。ダッシュして戻って、また大量の鍵を1つずつ試すのだが、やっぱり開かない。鍵を落とした可能性も視野に入れていたので、LINEの学連グループで「至急、鍵を間違えて持っていないか、`近くに落ちていないかを確認してください」と連絡を入れていたし、私が乗っていた車の中を探すよう、同乗していた学生に指示は出していた。それでも見つからないのだ。


鍵はない、そして学連の宿にまだ学生が取り残されている、という危機的状況。(*第2パニック参照)


もう空は明るくなってきていた。


結局、鍵は見つからないまま、普段は使わない門から無理やり入れることを発見し、ランコースを車で通って、本部に入場できた。


すんなり書いたけど、その結論に至るまでも、結構大変だったよ。


鍵の所在について
どこにあったと思う?



鍵を預かった際に、「ぜっっっったいに無くさないで」と言われていたので、車の中から出さないようにしていたのさ





ってことは車の中にあるに決まってるじゃん?






鍵がないって分かって、もちろん、一番に車の中を探した






どんなに探してもなかった。でもね、、、






どこにあったかというと、、、












車の運転席のフットシートの裏にあった。

これ、私納得していない。私も探したし、私以外の人にも探させた。なかった!!ぜったい、見えない何かに意地悪されてたって(T T)
妖怪とかいたって。

「フットシートの裏を探すのは当たり前だろ」と大人の方々や、車を所有して数年以上経つ方々は思うかもしれませんが、普段車を使っていないと、そうも簡単にそこを探そうとはならないわけです。学生だけしかいなかった、というのも見つけられなかった要因だと思いますね。

少なくとも、私たちはくまなく車の中を探しました。フットシートの裏以外。

あと余談なのだが、その後、本部にいた女性理事がインカムで
女性理事「鍵見つかったそうです。どうやら学生の車の中にあったそうです。」






いや、フットシートの裏ね?

そこ、大事だからさ、頼むよ

以上、余談でした。



宿に取り残された学生たちのその後

宿に取り残された学生は、学連に参加していた学生の親御さんにご協力いただき、宿に1人を残し、会場へ到着。その時、車に乗り切らなかった学生はつくとらのこじさん、迎えにいってくれたのは森竹。私が頼んで、森竹に車を出してもらった。非常に助かった、ありがとう。


ちなみに、車が足りなくなった理由は、ドローンで選手を撮影するサービスをしてくれたドローン会社の人たちが勝手に乗っていってた。怒るよ〜?


この1日を通して

県協会のおじさまたちが、とても頼もしかったし、優しかったのを覚えております。

「しょけた顔してたら、引っ叩いてやろうかと思ったけど、案外元気ならよかったよ。大変だったと思うけど、なんとかやりきったな!よくやったな!」

と言っていただき、肩の荷が降りたというか、スッと脱力できたというか。レース当日の運営側のあの空間は、何だかずっと気を張っていました。みんな疲れているし、自分がうまくできていないような感覚(実際できていなかっただろう、という意見も受け入れます)とずっと過ごしてきました。

運営中は、疲弊し切った思い出ばかり目立ちますが、全て終わり時間も空いた今、伝説に残るやらかしをしてしまい、無事レースが終了できたことだけでも喜ばしいこととは思っておりますが、「より効率よく、それぞれの学生が主体的に行動できる運営」を目指していたので、最後のレースであの混乱の中、それぞれの学生が自分の役割を理解し、主体的に動けるような様子が見られ、大会運営委員長としてのモットーはなんとか実現ができたのだろうと、ポジティブに捉えます。

最後まで読んでくれてありがとう。





2025/04/07

拗らせカーフマンレースレポート

 学生延長モードをクリックしてしまったしのです。


念願のカーフマンエリートに先月出場しました。


エリートに出たいという気持ちは前年からずっとあった。


後ろにつくのだけは得意なので、パックさえ組めれば完走できる自信があった。


1週間前からかなりソワソワしていた。練習を積めてない時、自信が足りなくてソワソワする。積めている時、満ち足りていて割り切れて、楽しめる。今回は前者。


就活>バイト>練習 の優先順位で半年ほど過ごしたのに2月になっても内定がなく、この時期は落ち着きがなかった。この不安定なメンタルが結局のところ一番の課題である。



レース前

1stランのタイムが近そうな人に挨拶して回る。


1stRun、先頭とどの辺までですれ違うべきか計算しておく。


スタート直前、たなそうさんが「大阪体育大の人がランはギリギリだがバイクが強い」という神情報を教えてくれる。これのおかげで踏ん張れた、感謝しかない。



【1stRun】 18:47 109/122位

Garmin 3:40/km


尻上がりタイプなので後方からスタート。目標は3キロまで3:35前後で耐え、それ以後も3:40は死守すること。


結果、3キロあたりから3:45/kmまで垂れ、気がつけば後ろには集団になりそうな人数はいない状態。既にやめたいくらいしんどかった、ここが本当にキツかった。やはりなるくんにはかなり序盤で離されてしまう。予想通りだが不甲斐なさを感じながら走る。


周りを見る余裕もなくなり、サポートの「このパック落とさなければいける」の声は本当に力になった。この一言がなければ心が折れもっと垂れ散らかしていただろう。


ラスト1キロは身体が慣れてきて少し楽になったが無理にパックを上げることはせず、呼吸を整えトランジに脳みそを備えた。


【T1】

早くはないが初歩的ミスもなく無難にいった。

バイクに飛び乗る前、後ろに赤いトライスーツ(大阪体育大学)の選手がいるのを確認し安堵


最近飛びのった後、足を浮かせて少しずつシューズにはめればいいんだという初歩的学びをした。ここで実践できたのは良かった。


【Bike】 46:20 93/110位

Garmin 39.6km/h


正直バイクは必死すぎて記憶があまりない。


後ろをキョロキョロしながら例のバイクつよつよお兄さんの列車を逃さないよう、いつでも全力走できるよう、呼吸とギア数を整える。


と思っていたら不要な心配で、優しく引き連れてくれる超優しいお兄さんだった。とんとらの丸くんも一緒で再び安堵。知った顔が一緒のパックなのは非常に気持ち的にでかい。


最初のカーブまでには7人くらいのパックになってた気がする。おかげであまり力を使わずに済んだ。


風は強め、頻繁に回しながら前を追いかけようという声がかかる。集団走には自信があったが、貢献するどころか基本的にお荷物になっていた気がする。


パックを組めた安堵か、4年越しに念願の集団走ができて、興奮しすぎたのか、うまく力が入らない。変なところが力んでいる。そのせいで普段攣らない腹筋とか腸腰筋だとか腕が早くも攣りそうになる。


後ろにつくのも想像より楽ではなく、気を抜いたらすぐに置いて行かれてしまいそう。これが集団走か。。りんりんとは全然違う緊張感を初めて知る。


結局攣って漕げなくなるのを怖がり、2〜3回に1回はローテを回さずに後ろで休ませてもらった。この時なぜか声がガラガラで声があまり出ず後ろに迷惑をかけてしまった。。普段の練習でも声を出していかないといけないのだね。


奥のコーナーで駿亮の顔が見えた。笑みが溢れる。おかげで少し興奮を落ちつかせることができた。


ターンは本当にヒヤヒヤする。砂利もかなり気になり、必要以上に減速、立ち上がりで無駄に体力を消耗する。妙に寄せてくる人もいてホイールが一度擦れた時は心臓止まった。


2〜3周した頃、奥の折り返しで中切れが起き始める。いち早く気付きなんとかブリッジして前と後ろを繋いだのは、この日一番のファインプレーだったと個人的には思っている。こういう勘だけは腐らず残っていてくれるので好きだ。


ずっと列が汚い。2列なのか、3列なのか。ブレーキかけたりダンシングしたり。こんなにペースの変動があるものなのか。

陣地近くでは積極的に前を引きたくなっちゃう。楽しすぎる。


いろんなところをつりかけながらもなんとか最終周を終え、トランジへ。ランシュー履こうとかがむ動作は本当にハムを攣りやすい。1分くらいロスしランへ向かう。


【2nd Run】 29:12  (109/109位)

攣りすぎてマジで公開処刑。10回は攣った。「カーフ」(ふくらはぎ)だけならいいのだけど、ハムをやっちゃうとやっぱり走れない。


2周目くらいで「このまま行けばエリートレースを完走できる」と実感が湧いてきて泣きそうになってしまった。


3周くらいした頃には全員に抜かれ、気づけば後ろには誰もいない。残り2周以上あって梓銘はもうフィニッシュしている。


結局一度も軌道に乗らず、止まったり走ったりを繰り返しながらなんとか5周をやりきり、完走させてもらえた。遅すぎて、後2周の時に「ラスト1周ファイト〜」と何人かに言われるくらいには遅かった。。


【Total 】 1:34:19 (109/109位)


ラップされると本当に凄く悲しくなるから、なんとか完走したいと思っていた。観音寺で2分しかバイクに乗れなかったあの日以降、2年以上「エリートレース完走」という肩書きを欲し拗らせていた。


とは言いながらも就活・研究・バイトの次の優先順位が「練習」なので、欲張ってしまい決めて「断つ」をできない自分の器の小ささなのだが、その中でも拗らせをクリアできたのは、何か胸のつっかえがとれた気分で本当に爽快だった。



来年はもう少し見栄えある走りをしたい。バイクはもっとパックを引っ張っていきたい(その方が楽しい)し、セカンドランは攣ってもいいからキロ4に抑えたい。とりあえず入部以降の僕は、ランの練習距離がナメ腐っている。正直3種目の中でランは唯一好きではない。練習量は15〜20キロ/週がアベレージで、気が向いた時だけ30〜40/週走っているのがいいとこだ。ランをコンスタントに積んでいきたい。ベースが無さすぎる。関カレもキロ4で走りたいことを考えると、これから関カレ超えて夏、冬超えてカーフマンまでは継続的に30キロ週は守っていきたい。B4とM1は競技以外に寄り道したが、進路が確保された今、ラストイヤーは競技でもう一度だけどはしゃいでいきたい、だって未練があるから。つくとらデュアスロン王国復活に向け戻ってきてほしいメンバーも数人。たのしみな2025シーズンだ


↑本当に無様 ちゃんと練習を積んで出ましょう

↑今回のお気に写;来年から戦友になるAfro-Qの古俣氏とのツーショ、えもい
#なあんでこんなところへ
#院進合格おめでとう




2025/03/31

2年生ラストの日に思うこと

 2025331日。大学2年生最後の日。無事に筑波春合宿を終えることができました。

主将の根本あさひです。

合宿に参加してくださった他大学の皆さん、サポートをしてくれた先輩方、そして一緒に運営を頑張った同期の梅木と中野。本当にありがとうございました。


合宿をやってよかった。心の底からそう思いました。

新しい出会いもたくさんあったし、選手として主将として成長することができたと感じたからです。

大きなトラブルもなく無事に終えることができたことが何よりも嬉しいです。

合宿初日から雨の中つくばエクスプレスの運行停止による大混乱。どうなることかと思ったけれど、現状を的確に教えてくださった合宿参加者の皆さん、車出しを調整し実行してくれた先輩方のおかげで、何とか時間通りに合宿を始めることができました。

 

合宿をやらない選択肢もあったわけです。

実際昨年はそうなってるし、私たち同期はそこまで競技の実績があるわけでもない。

それでもなぜやる決断をしたのかというと、私たちならできると思ったからです。

 

1年生の入部式からずっと3人でやってきた。

2年生になって同期仲間は増えたけれど、彼らはつくトラのことをまだよく知らない。

私は主将、中野は副主将、梅木は主務と会計。

きっと同じクラスにいたとしても決して交わらないような3人。

お互いに理解不能なことが多々ある。

しかし、だからこそ適材適所がうまくいっているのだと私は思う。

世はこの3人組をあちゃずと呼ぶ。

梅木が合宿やろうよって言ったときから、主将のやる気はマイナス面を上回った。

 

3月は忙しかった。

OBOG駅伝、卒業式、追いコン、筑波春合宿。

やることに優先順位をつけて淡々とこなしていたつもりであるが、精神はそうでなかったらしい。普段なら落ち着いて対応していたものも、すぐにカッとなったり、涙が出たりした。皆に迷惑をかけた。

合宿が終わった今、緊張と重圧から解き放たれ、3月を冷静に振り返ることができている。

 

私が泣いた夜、なぜか梅木も泣いて、中野も見たことないくらい落ち込んでいた。

2人が私におんぶにだっこされているだなんてとんでもない。

おんぶにだっこさせてもらってるのは私の方だよ。

 

役職柄、梅木の仕事は目立たない。主務の仕事はいちいち部全体に報告なんかしないし、やって当たり前だと皆が思っている。それにプラスで大きなお金を扱う会計もやっている。正直、私は梅木がどれだけの書類を抱えているのか生で見たことはない。彼は私と中野にすら文句ひとつ言わず2役の大仕事を淡々とこなしている。感謝と尊敬しかない。この状態をうまく部員に伝えられていなかったのは私の責任だと思っている。ごめんなさい。部の存続がかかる大切な仕事を梅木がやってくれているから今のつくトラはあるのです。

 

中野は練習に関わる重要な仕事を全部引き受けている。バイクパート長、ランパート長兼任、ブロック会議出席、ミーティング資料作成、etc. 俺は仕事足りてないんじゃないかとか、あさひと梅木に比重が偏っているだとか、そんな心配をする必要はない。だって私と梅木は中野が今やってくれている仕事を代わりにできないから。バイク練習も、ラン練習も、中野が日程調整や練習強度などを考えてくれるから行うことができる。すごいことだよ。

 

主将は、その名の通りよく目立つ。指示を出す場面も多いからたくさん仕事しているように見える。確かに3月は部としてのイベントが多く忙しかった。しかし、その指示の裏にはいつも梅木と中野との協議がある。2人とも自分の仕事をしながら私の質問や提案に答えてくれる。私ができない部分はフォローしてくれる。そんなこんなであちゃずのラインは遡るのがとても大変なのだ()

 

2年生ラストの日に思うことは、幹部半年お疲れ様、いつもありがとう。

合宿最終日、所属大学など関係なくお互いをたたえ合い、みな笑顔で写真撮影をしていたのが印象的でした。こういう機会を作ることができるのってとても嬉しいな、そう感じました。主将になって半年が経ち、やっとその実感が湧いてきた瞬間でした。

このように私を主将たらしめてくれるのは、梅木と中野のおかげです。

2人がいるからこそ、私が主将になれるのです。本当にいつもありがとう。

 

明日からは3年生。

今年も一緒に成長しよう。








2025/03/26

最後に

卒業式、追いコンでは盛大に祝ってくださり、本当にありがとうございました。
つくばから東京行きのバスに乗りながら、書いています。
B4の小島です。

遂に卒業しました。
全く振り返ってみても、本当に長かった。
5年間、最高の宝です。悔いなど無い。

大学生活、中心にあったのはつくトラ
ここまで長く所属し、ここまで想いがあるチームは人生で初めて。

悔しいことが9割、嬉しいことが1割。
けどその1割がとてつもなく嬉しくて、最高で、凄く綺麗な絵だった。

どんな時もライバルがいて、仲間がいた。
レース中にどれだけ「頑張れ」と声をかけてもらったのだろうか。
どれだけゴールした後に、お互いを讃え合ったのだろうか。

1番、好きな瞬間はレース後に座り込んで、お互いの健闘を讃え合っている瞬間。
アンクルバンドを取り、輪ゴムを外し、水を飲む。
生きている気がする。報われた気がする。
鮮明に思い出す風景。最高だった。


届かなかった。

インカレのゴール。
僕らは届かなかった。
共に出ることも叶わなかった。

2年は私だけ。
3年は彼だけ。
4年は私だけ。

赤いテープを一緒に切りたかった。
何度、夢に見たのだろうか。
叶うなら、そこだけ。

大学生活、本当に唯一の心残り。
「3年のあの時期だけ、戻りたい。」


色々と言葉を頂いた。力を頂いた。
返しきれないものを頂いた。

大した人間でもない。
器も小さい。
人に迷惑をかけた時も沢山あった。

そんな自分を受け入れて
心の底から応援してくれてありがとう。

最後に
つくトラ、愛しています。
大学生活、人生を彩ってくれてありがとう。
最高でした。

〜〜〜
皆さんに一言ずつ添えたいですが、
特に伝えたい方だけにココでは留めます。

さき、かの、しのへ。
結局、昨日の場でも言えなかったので、
文で残します。

同期、特に3人には本当に感謝しかないです。
ここまで一緒に共にいてくれてありがとう。

3人がいたから、走りきれました。

コロナで部活が無い中、11月頭にインカレを観戦しに行ったあの時、入部を決めました。

そこから、4年間。
コロナ明け対応でバタバタしていた時も、
内部でギクシャクしていた時も、
21.22年のインカレで悔しさも喜びもあり、
23年のインカレは全力で応援してくれ、
24年のカンカレは皆んな出てくれた。

嬉しかった。
本当に、このメンバーに恵まれて良かった。

さきへ

1番同期を想ってくれていたよね。
1年の冬、筑波山下山中に対向車線に飛び出した時は本当にヒヤヒヤしたなぁ。
あの時、何もなくて本当に良かった。

実はつくトラで3番目に嬉しかったのが、
(1番、2番は下にある)
23年のカンカレ突破を決めたゴール先でさきと握手をした時です。
あの時、報われたと思うと同時に、本気で喜んでくれたさきを見て、感情がブワッと溢れた。
本当に嬉しかった。
ありがとう。また、同期で集まろう。

かのへ

お疲れ様でした。
あの大変な代で主将をやってくれて、本当に良かった。自分じゃなくて良かった。

謙遜しているけど、かのは凄いと思っている。
真面目で愚直で、時に張り詰めている時があったけど、それでもやり切った。

サシで話したことも数回あった気がする。大丈夫かなと思う時期もあった。
ただ、自分の軸を持っている。進んでいる。
そんな、かのを尊敬しています。

インカレ、ゴール、本当に格好良かった。
また、一緒に切磋琢磨したい。

しのへ

先に引退します。
お互い、性格も趣味もまあ合わない。
トライアスロン部の同期というだけ。

それだけだったけど、それで十分だった。
入れ違いでのインカレ出場。
お互いに悔しさも喜びも食い違った。

だけど、目標は同じ。
一緒にゴールする。
届かなかったけど、しのが居たから僕は頑張れた。本当にありがとう。

22年の夏
「一緒に出たい」
この言葉は今も鮮明に覚えている。
終わろうと思っていた自分に火がついた。
その一言だけで、23年の夏まで十分だった。

ごめん。ゴールは遠かった。
けどね、つくトラ2番目に嬉しかったのは、
23年の夏、インカレ後に宿を抜け出して、ランコースを一緒にジョグして、ゴールの位置まで一緒に走ったことです。

やってきて良かった。
いつになるのか分からない。何かも分からない。
けどさ、いつか一緒にゴールテープを切ろう。

つくトラで1番嬉しかったこと。
24年のカンカレ。
最後の学生トライアスロンレース。
最後に皆んなで、写真を撮れたこと。

パンクして破茶滅茶だったけど、
一緒にゴールできた。
それだけで十分です。

最後に、ありがとう。


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2025/02/20

カーフマン2025 bike弱者なりに考えたこと

 2025.2.16(日)

2回カーフマン・シグネーチャーデュアスロン in 東扇島2025・日本学生デュアスロン選手権・JTU 関東ブロックデュアスロン選手権

 お疲れ様です。他己紹介以来の部ログ執筆となります、B1で元マネジャー(?)の大友柚希と申します。  

 昨日、↑の大会に出場してきました。つくばっく道中、首都高の渋滞に巻き込まれている間に自分専用の反省をつらつら書いていましたが、遠征後のひとり一言でうっかり口を滑らせたために先輩方から”それを部ログに書けば”と提案されてしまいました。いえ、嫌なら別に書かなければいいだけなのですが、折角なので他人の参考にしていただけそう?な部分は書いてみようと思います。  

 と、執筆に当たり過去の部ログを「カーフマン」で検索かけて遡ってみると面白すぎて書き始めがだいぶ遅れました。ただ文章が個性的で面白いとかクスリとくるとかではなくって、過去の熱い熱いレースを知ることで、昨日の皆さんの言葉がより深く理解できたような、改めて真意がわかったような気がします。それで今日の涼太さんとの洗車までにはとても間に合いそうにありませんが、学年暦の上では明日から春季休業ということで、たっぷり時間をかけて綴っていきたいと思います。私の文章は皆さんの個性的な文体に比してとってもシンプルでストレートで面白みに欠けますが、どうぞ暖かい目でご覧ください。
            ↑渋滞中の車窓より。動かないスカイツリー 

 〈前提〉  
 ご存じない方のために紹介しておくと、私は初心者のbike激弱選手です。  
 小学生の頃に自転車自体は体得したものの日常生活で使用する機会が皆無で、ロードバイクに憧れがあり入部したものの週1回のbikeRTでは足りるはずもなく、いつまでも不慣れで激遅のままでした。初レースである昨年のスプリントではバイクラップ断トツ最下位。カーフマン直前は辛うじてビンディング練やローラータバタ、カーブ練など、今更ながら少しずつ練習しておきました(結局、”無事故・安全”という目標を優先してTRANSIRO HYDRAはお留守番、終始ランシューのZOOM FLYと競技を共にしました)。  

 昨年4月にひらりさんや金田さんのお話を聞いて”swimに自信がなくても競える場があるんだ、デュアスロンなんてトライアスロンよりさらにマイナーそうだし、面白そう”と思っていたし、実際、はじめは”君はデュアスロン向きかもねー”と言っていただいたりしたのに……。約9か月後、bikeメインでしかも経験者曰くトライアスロンよりキツいというこの大会に、ビギナークラス(2-10-2km)と迷いながら背水の陣的な思いで申し込むことになるとはあまり思っていませんでした。 


〈レース前〉  
 積み込み後、即帰宅・洗濯・筋トレ・軽く夕食・準備して就寝、と考えていたのが、”この後ご飯行く人?”の一言で揺らぎました。一瞬で瓦解した、訳ではないですが迷った末の選択です。少し帰りが遅くなろうと皆さんと一緒にご飯に行ってお話を聞くことがとっても大事なんです。前日は緊張や満腹防止のためあまり食べないつもりが、行き先の川聚閣はこのご時世に珍しいご飯セルフとのことで例によって栄養摂取スイッチ入りました。前半を省いたカーボローディングだと思ってよしということにします。  

 集合はあさひさんとけんたさんに続き3番目。私にしては珍しく早い方。全員揃うまでの間、昨夜あげられていたサポート要望リストと銀河さん渾身のおぢさん構文メッセージをに気付き慌てて私も要望を入力しました。遅くなったのに追加してくれてありがとうございます。 
 
 当日は直前に初Mag-onいただきました。青みかん味。とっても濃くておいしかったです。ありがとうございました。
      ↑珍しくテントのない陣地 

 〈総合〉 
2:03:35 総合順位92位 学生OPEN女子8位(出場15名・完走9名中)  

 以下、手元のGarminによる記録です。正確な公式記録(かかった時間ではなく通過した時刻が表示される)を見ればトランジ時間やラップが算出できますが、とりあえず今回は詳細な分析を省き、全体のタイムを見ていきます。 

〈1st run〉 
5.01km・22:39・4:31/km  

 あれ、距離が短い?というのも、開始5分前にアンクルバンド配布いうかなりギリギリな行程の上、定刻になればカウントダウンもなしにいつの間にかホーンが鳴っているというゆるゆるのスタート。もっと言えば整列中、一緒に並んでいたゆーなちゃんと私は隣の見知らぬ学生選手から”2周-6周-2周ですよね?”と周回数を確認されていました。私たちが喋っていたから話しかけやすかったんでしょうか。ともあれ、それらのゆるさのおかげで緊張が和らいだのはよかったです。  

 遅れながらGarminも起動しペースに乗ってくると、意外と多くの人数を抜かせました。数えきれないくらい。目標というか目安にしていた4:30/km切りにはいかないけれど、まだ先が長いことを考えると妥当かも……?ペースについて考えていたら、直前に”run出し切れよ”と声かけていただいた玉井さんから、上げろだったか行けだったか、とにかく加速するよう激励をいただき苦笑いがこぼれました(←そこは加速して応えろよ)。あとは声援が嬉しくって普通に笑っていました。
                   ↑苦笑 

 〈bike〉 
29.07km・1:12:23・24.1km/h・MAX33.8km/h  

 計12回に及ぶヘアピンカーブの度に速度0近くまで減速した分もならしてこれくらいということは、実際には直線で平均25km/hくらいだったはず。いえ、そんな計算(計算でもない)しても仕方ないのでコーナリングも今後の課題です。  

 数えきれない回数、抜かされました。少なくともさっき抜かした人数の倍の回数は抜かれました。物凄い速さで2回私を抜いて行ったゆーなちゃんの格好良さ。ゴオォォォオオゥゥン……と凄い音を出しつつ脇を通ってゆくTTbikeのおじさま方の恐ろしさ。変態おじさんと言うんでしたっけ。違ってたらすみません。とにかく周りの選手に圧倒されました。  

 トランジでサングラスをかけ直しておいたはずが、序盤からズレてかなり気になっていました。  今こそ練習の成果を発揮して、片手でサングラスのズレを直す時……!!  
 
 思い続けてはや6周。大会で慣れないことはするものではない、と”無事故”を優先し、片時も両手をハンドルから離さずに終えました。片手走行が”できる”だけでは全く意味がなく、普段から使いこなして慣れておかなければいけないことを今更ながら痛感しました。ママチャリで一瞬だけ片手を離してマスクを剥ぎ取るだけでは駄目なのです。ロードバイクで長時間、安定して手を離せるようもっと練習します。  

 あまりにも遅すぎて抜かれすぎて、途中から2nd runが待ち遠しかった。bikeで頑張りすぎると楽しみにしていたrunで全然走れなくなりそうだし、かと言ってもとが遅いのだから全力で漕がなければ全然進まない終わらない。そもそもの巡航ペースも遅い私は一瞬たりとも惰性で漕ぐ訳にはいきません。が、そうこうしているうちに、遅いなりに一応は意識していた腹筋と股関節が痛くなってきて思うように力を込められなくなりました。うわあ辛い遅い、尚更runが待ち遠しいじゃないですか。この距離で身体のどこかしらを痛めていたらOD完走なんて無理じゃないですか。数分後に数か月後と、先のことが頭を満たし、ただrunのためだけに漕いでいた気がします。それでも自分にできる範囲で、”疲れて小休憩中かな?”とか”脚攣りそうなのかな大丈夫かな”という状態の明らかに減速している選手を数名抜かしたことはよかったです。ただ逆に言えば、私の速度で抜けるのはそうした状態の選手しかいなかったということ。私は脚が攣るとか疲労とか、大幅に減速するような異常なく終始ほぼ一定のペースで漕げていたのに、全体的に遅いせいで、終盤に残っている数名の選手を抜くくらいしかできなかったのです。悔しい。  

 心残りは、最後の1周回あたりから痛みであまり上げられなかったことと、つくトラの皆さんの応援ポイントがちょうどカーブの減速ポイントだったこと。直線エリアで声援をいただいていたらもっと出力上げて、頑張って漕げたのだろうか……と思わなくもないですが、全体的に遅いのでそんなのは言い訳だって分かっています。皆さんの目の前では満足に加速できなかったものの、暖かい応援はしかと受け取りました。 

〈2nd run〉
5.77km・26:20・4:34/km  

 やっとヘルメット外してグローブ外してサングラス直して自分の脚で走れる……!!  

 お楽しみの2nd run、と心ははやるもののやはり身体にはきていたようで、痛みですぐには走り出せません。トランジで股関節をぐるりと回してからスタートしました。序盤から2nd runのことは考えない方がいい、との助言はありましたが、今からどれくらいの速さで走れるのでしょう……。  
 
 この時すでに、エイジ・シチズン・学生OPEN女子の部門競技もだいぶ後半。残っている選手自体がパラパラまばらで少ないものの、ここまで残っているということはrunも遅いはずということで、bikeで脚を酷使したであろうおじさま方をかなり抜かして行きました。結果で言えば1st runと約3s/km差。”こんなに遅い順位にしてはなんかやたら走るの速くね?なんでこんな後ろの方にいるん?あ、bikeが遅いのか、ってどんだけ遅いんだよそれだけ2nd run軽やかならもっと漕いどけよ”と、沿道で案内・応援してくださったTOさんもビックリであろう(さすがにここまでは考えないか)身軽さで走り抜けたのでした。    

 bike遅いのは本当にもったいない。改めて思いました。
           ↑完走タオル。悔しいけどこれは嬉しかった 

 〈総評・感想〉  困難は分割せよ、ということで集団走のためには 

    • 事故らない技術
      • 怖がらない精神
      • ピッタリついていく走力 

が必要だと解釈しました。あとは私のみに適用される具体的な改善方法になるので、ここでは省略します。  

 これまで自他ともに認めるbike力のなさで色々と配慮していただけましたが、  

 全く集団について行けない人がいれば貴重なRTの時間や調子を乱されて迷惑でしょうし、 

 自分でも”片手運転できないから……”とか”ビンディング履いてないから……”といった前置きが、配慮の対象ではなくいい加減”完全に自分の練習不足が悪い”ということに気づいているし、  
 
 いつか新歓資料かどこかに記載があった”bike練は走力を考慮します”、”初心者でも大丈夫”をいつまでも当てにしていられません。  

 弱いからこそ、入部以来、ここでは書ききれないくらい色々な方から優しく厳しく、色々な助言をいただいてきました。  

 その度に心に響いて、もっと頑張らねばとやる気になったのは本当です。1人ひとりの言葉、しっかり心に刻んでいます。  

 でもこれまでは覚悟と実際の努力が圧倒的に足りなかった。  

 先輩方の言葉に賞味期限なんてないのに、言われた瞬間の心情を練習に還元できなかった自分の弱さが情けなくなりました。

 ”すごいなあやっぱり、選手権に出る人は”  
 
 ついこの間までなら、あの激烈な集団走を見てもそう他人ごとに思ったかもしれません。  
 来年は自分があの集団走に参加するんだ。  

 あさひさん、ももなさん、なる君がLAPされるくらいの厳しい戦いで、私が1年後に完走は無謀かもしれないけれど、選手権で他選手と対等にレースを繰り広げられるくらいには力をつけます。  

 渋滞中に書き留めていたこれら自分のレースのことの他にも、1日を通して皆さんと話したこと、渋滞脱出後のひとり一言や先程の涼太さんとの洗車+アドバイスを受けてさらに色々考えましたが、公開は恥ずかしいのと他人の参考にならないのとでさすがに自分用に留めておきます。とにかく、来年の選手権出場と、その前のトライアスロンシーズンに向けて精進して参ります。この大会は私にとって大きな転機です。  

 今後ともよろしくお願いします。

  (総合学域群第1類1年 大友) 


 【補足:補給集】  
 皆さん差し入れありがとうございました。  
 経験やお話から、食べ物に関しても思うことがあったので記しておきますね↓

  レース前:
 水・バランスパワー・ファミマクリームデニッシュ半分・Mag-on 

 レース後: 
 水・デニッシュ残り半分・かのこさんよりミニドーナツ・引換券でいただく豚汁・京佳さん手作りスノーボール・玉井さん父よりミスド×2・ひらりさんよりメッセージ入りアルフォート 

 夜ご飯: 
 百香亭(例によって余剰回収担当)  

 ↑この日、口にしたもの全てです  ごちそうさまでした。  



 今や私は大食いというイメージが定着していますが、  そういえば皆さん日中に色々と補食やお菓子摂ってたな……私は確かに日中にパンとかバナナとか食べなかったな…… それで夜ご飯を前にすると誰よりも食べるという。  
 これ私が大食いなのではなく、単に補給が足りてなかっただけでは? と言うと夜ご飯のためにお腹を空かせていたようでとっても図々しいので一応弁明しておくと、運動前にお腹を満たしたくないのと、日中はなんだか動き回って忘れていたというか、別に食べる気がしなかったのです。  

 親族からも”胃の収縮幅が大きい”、”誰似なのやら”などと呆れながらに言われてきましたが、やっぱり空腹でない時は食べず、きっかけがあれば集中して食べる、というスイッチ的なものが私にはあるようです。なんとも不健康的な食べ方。  

 今後、競技を続けて何度も大会を経験してゆくにあたり、こんなんでいいのか……?  
 私のかなり特異な?身体特性が他の人の参考或いは興味の対象になったらいいなと思い、ここに書き残しておきます。今後の動向が気になるところです。  
 本当に、皆さんありがとうございました。お疲れ様でした。