2025/10/26

IRONMANブログ・コナ編④(補足情報といろいろ)

一応、前回までで本編は終わりです。
今回は本編に含めなかった情報をつらつら書いています。いつか誰かがコナに行くときの参考に、旅のスケジュールなども載せておきます。

もともと火曜入りのつもりでしたが、月曜入りの安いフライトがあったので早めに現地入りになりました。多少観光する余裕もあり、レースの準備も焦らずできたので良かったと思います。
慣れている人は水曜入りしていました。(ただしバイクの到着が遅れるリスクはあります。)

現地での移動は、宿が会場から徒歩圏内なら車はなくてもよいですが、あると便利です。バイクの折り返し地点を試走したい人はなおさら車は必要です。
タクシーならウーバーアプリが主流ですが、空港の送迎は事前に現地のタクシー会社を予約したほうが確実だと思います。ウーバーはダイナミックプライシングなので、タクシー会社のほうが高くも安くもなく済みます。あと、アイアンマンのお客さんに慣れているタクシー会社のほうが自転車や荷物を載せやすいです。
公共交通はあまり便利なエリアではありません。バスは1時間に1本で、レース期間の交通規制でルートも変則的でした。
フライトについて、ハワイアン航空はco2ボンベを受け入れておらず、行きで1本、帰りで1本処分しました。自分の使う航空会社の規約を確かめておきましょう。なお、ハワイアン航空での自転車預かりは2025年から追加料金なしになっています。シーコンエアロコンフォートも問題なく預けられました。

ちなみにアイアンマン遠征で参考になる文章はネットにいくつかありますが、まずは菊池さんのnoteを読むのがおすすめです。
例えば↓
3年間改良を重ねた遠征時持ち物リスト|Tomoaki Kikuchi https://share.google/CHfR1kCLCRDlmQAzJ


スケジュール

・月曜日
渡航
トランジットのホノルルで9時間過ごす
行きのレイオーバーが長かったのは正解、荷物の預け直しもあるし観光するならレース前のほうがいい気がする
現地時間月曜夜に到着
airbnbでとった宿へ、たまたま同じフロアは誰もいなくて快適
バイクを組み立て就寝、一応翌朝泳ぐつもりだった

・火曜日
寝坊
バイクを自転車屋さんで点検してもらう
アスリートチェックインも済ませる
公式ストアの一部のグッズはこの日で売り切れ始めていたので、欲しいものは早めに買うとよい

・水曜日
朝はホカのランニングイベントに参加、朝ごはんも出てきてめちゃくちゃ贅沢
レースブリーフィング
午後は地元のプールで軽く泳ぐ

・木曜日
朝は試泳、コーヒーボートも出ていて海上でコーヒーブレイク
その後バイク試走と軽くラン
夜はバンケットへ

・金曜日
朝は試泳
バイクとギアのチェックイン、レースナンバーによって時間帯が異なる
夜は早めに就寝

・土曜日(レース当日)
3時起床
5時半頃には会場到着
シャトルバスは当てにしない方が良い
ボディータトゥーは事前に施しておいたほうがスムーズだが、会場に行けばボランティアさんがやってくれる
レース終了後その日のうちにバイクピックアップ

・日曜日
なんだかんだ8時くらいに起床
荷物の整理
夜はバンケット

・月曜日
タクシーに迎えに来てもらう
空港で荷物預け入れ、特設のバイク預け入れ専用カウンターがあり並ばずに完了
帰りはホノルルでの荷物の預け直しはなし

・日本時間火曜夜
帰国
羽田の税関が意外と時間がかかる


レースで食べたものなど

スタート前にアミノバイタルショット

・バイク
ccdドリンク2本
ジェル8個くらい
エネモチ、前半に2つ
折り返しでバナナ半分
その後モルテンバー1本
時々モータルドリンク

・ラン
モータルドリンク
最初の方でアミノバイタルショット
その後8kmくらいごとにジェル、途中で飽きた
カットオレンジ
チキンスープ
コーラ
終わり近くでチップス

・フィニッシュ後
ちょっとしたバイキングみたいなエリアあり、口の中の水分が持っていかれそうなラインナップ
どうしてやや日本食推しなのだろう

てりやき豆腐、木綿豆腐に甘めのたれ
スチームライス、インディカ米?
フライドチキン、たぶん胸肉
フライドポテト、パサパサ
ミソスープ、飲んでないから分からない

レース後に食べたもの、なんだか茶色い

アスリートガイドでは、モルテンジェルもバーも用意があることになっていましたが、実際はバーがほとんどで、ジェルはあまり見かけませんでした。なので補給はエイドに頼りすぎないほうが安心できると思います。
モルテンジェルは寒天みたいな感じで、私には少し苦手な食感です。味はクセがないから飽きないかもしれません。バーの方はおいしかったです。
エレクトロライトとして置いてあるモータルは、甘い清涼飲料水みたいな味です。日本のスポーツドリンクみたいなすっきりした味ではないです。

基本的にキープライトなのでバイクのエイドも右側にあります。バイクの最初のエイドを目前にして初めてそれに気づき、「あれ、自分左手で片手運転するの下手だよな」ってなって結局毎回止まっていました。
エイドのドリンクは弁つきのペットボトルになっていて、そのままホルダーにさしている人もいたけれど、落としたらいやなので自分のボトルに都度入れ替えました。日本だと見ないタイプのペットボトルだから、レース前に確認するとよいかもしれません。(ペットボトル用のホルダーをつければよいのか?)

あと、ランのエイドで何をとるか迷いすぎて、ボランティアの人にあれこれおすすめされました。優柔不断が過ぎます。
子どもたちに「これ食べて」って差し出されたら断るなんてできませんね。(でも3人同時に差し出されると困ります。)







2023年から続いた男女別開催も、今回で終わりです。
2026年からは再び男女同時開催になります。スロットアロケーションの仕組みも少し変わりました。(そもそも私の年代は選手が少ないので、影響はないですが。)
コース上に女子しかいないって、どんな感覚だろうと疑問に思っていましたが、世界選手権に来る人はみんなかっこよくて、女子だけだから普段と何かが違うということはありませんでした。
トイレや更衣室の区別がいらないから、並ぶにも分かりやすくてその点はいいですね。
22歳の今出れたことの意味もあるけれど、男女別開催の年に出れたのも貴重な経験です。やっぱり自分って、どこかついてるなって思います。


今回のお気に入り写真(アラモアナショッピングセンター)

ハワイ語表記なのがうれしい



おわり

2025年10月 柴田葵


IRONMANブログ・コナ編③(レース後)

レース中に考えていたのは、このままロングに出続けてもつまらなくなるだろうということだ。運も実力のうちと言うが、私は運と、その運を嗅ぎ分ける能力だけでここまで来てしまった。

確かにこの年代でロングに出るのは珍しさの点では素晴らしいことだが、実力が伴わないとその先がない。コナが終わったら国内ロングに出ようと思っていたけど、その前にショートで競技力をつけるべきだと思った。
だから今のエイジカテゴリーではなく、一つ上のカテゴリーになったら、即ちあと3年経ったら、またロングに出ようと今は考えている。それまでにスタンダードを2時間半でコンスタントにこなせる力をつけるつもりだ。

もう一つこの期間で感じたのは、アイアンマンのブランドを守り続けている主催者のすごさだ。土地や文化の差はあるにせよ、この大会を作っている人たちの能力ははかりしれない。

日本のどの大会とも違うブランディングの上手さがあった。

これほど作り込めたらどんなに面白いだろうと思ってしまった。


他にも協賛各社によるレース以外のイベントが多数あり、また街のカフェテリアがメーカーのブースになっていて、期間中ずっと賑わっていた。

完全にアイアンマンの街になっていた。


そして何より偉大なのは、大会に関わるすべての人が、ボランティアの人も、応援に来た人も、本当の意味で、この場所にいることに誇りを持っていたことである。

日本で大会運営を見ていると、もちろんやりがいはあるのだけれど、やや内向きな方向で、きついことをしている私たちがすごいみたいな雰囲気が時々あるから、もっと素直に純粋に、大会がここで開かれていることの意味を受け入れているのが羨ましかった。

大会を作る面白さって日本では感じにくいのかなと思えてしまって、なんだか切なかった。

選手としてもこの場所に帰ってきたいけれど、オーガナイザーの一員になってみたいとも思った。




なぜトライアスロンが、アイアンマンレースが、これほどに人を惹きつけるのか、ようやく理解した日だった。




Hoʻoikaika
これは今年2025年のWorld Championshipのテーマとして掲げられていた言葉だ。ハワイ語で忍耐力・強さという意味である。(大会での英訳はresilience)
確かにアイアンマンレースを完走するのに欠かせない要素だと思う。でも、私にあるのはなんだかくねくねしたような、掴みどころのない忍耐力だけで、硬質な強さはない。
この強さというものを得たら、きっとトライアスロンを違う感覚で捉えられるのかなと思う。近い将来、そうなりたい。 


隣の家のおじさんがレース前にくれた花"pikake"

力を呼ぶ香りらしい

 

続く(次回で終わります。)

2025/10/25

IRONMANブログ・コナ編②(レース当日)

レース当日、天気予報は曇り時々晴れ。トランジでバイクの空気圧を確認し、ボトルとサイコンもセットする。夜に雨が降ったのか、バイクは濡れていた。

その後スタートまではウェーブ順に整列しっぱなし。最後から2番目のウェーブだから結構待った。

 

直前のウェーブがスタート位置につくと、私たちも海に入る。このウェーブはF25-29のゴールドのキャップとF18-24のバイオレットのキャップが一緒にスタートするのだが、圧倒的にゴールドが多い。

しばらくフローティングしたのちスタート。行きはブイが見づらいと思っていたが、うねりが強かったらしい。帰りは後ろから追いついてきた最終ウェーブの緑キャップにつかせてもらい快適だった。

追いついてきた人についていけるって、海のコンディションのせいなのか、自分に余裕があったのか、ちょっと不思議。スイム中はずっと曇りだった。

 

バイクに入ると、徐々に晴れてきて日差しがかなりきつくて、エイドで冷たい水をかけてもらうのが気持ちよかった。

 

さて、問題は暑さよりも風だった。

折り返しであるhawi周辺は風力発電所があるような場所で、正直どうにもならなかった。行きは登りだから、帰りは何とかなるだろうと思ったが、帰りも風で全くスピードが乗らない。

このままだと時間がかかりすぎるなと思いつつ、だらだら踏んでいた。

そういえばceepoの田中さんが、コナに出るなら絶対にTTバイクがよいと言っていたことを思い出した。空力性能のよいバイクでないと相当苦労する。私の場合は、そもそもパワーがないのが問題なのだが。

 

想定より50分以上かけてバイクを終え、ランスタートする頃には日が傾き始めていた。自分のカテゴリーのスタートは最初のウェーブから1時間以上遅いから、なおさら人が少ない。

ランコースに入ってすぐにトイレをすませ、あとはペースも見ずに走っていた。ハーフポイントまでは特に何もなく、2330kmのエナジーラボ方面は真っ暗で、周囲の選手はもれなく歩いていた。ここを過ぎるのは本当に長かった。

 

ちなみに30kmを過ぎたらコーラを飲もうと決めていたのだが、飲んでみたらぼーっとしていた頭の中が格段にクリアになって、ちょっと感動的だった。

今まではエイドにコーラがあっても、普段飲むことがないからレース中も飲まずにいたのである。

 

その後はエイドをたどる感覚で走っていたら会場近くまで来ていた。

最後の1マイルはなんだか楽しくて、この頃にフィニッシュするような人はみんな歩いていたから、どんどん抜かした。


時間はすでに23時を過ぎてマジックアワーに入り、大勢がフィニッシュエリアに集まり始めていた。

ウェーブが早かったらこれより先にフィニッシュしていただろうと思うと、遅くなったことも肯定してしまうから良くない。

 

そして、この時間からはプロカテゴリーの優勝者も待っていてくれる。

でも誰が勝ったのか知らなかったから、フィニッシュゲートでソルヴァイに迎えられたことにすぐには気づかなかった。(ソルヴァイはノルウェーの26歳。今年がアイアンマンデビューで、比較的長身の選手。)

 

あの雰囲気に興奮はしたけど、自分の中で何かを得た感覚はなかった。

むしろ、最後にこれだけ走れるならもっと早くからランでペースあげれたのかなとか、やっぱりレース中のスイッチの入れ方が分からないんだよなとか、ジョグのような感覚でこの距離をこなしてしまう自分がもったいないと思えてしまった。



フィニッシャーの証



続く

2025/10/23

IRONMANブログ・コナ編①(レース前)

こんにちは、柴田です。
ブログを書くのは多分、4年前の他己紹介ぶりです。

実は去年も書こうかと思っていたのですが、某はす氏のマレーシアブログ続編を待っていたら書かずじまいになっておりました。
マレーシア完結を待たずにブログを更新してもよいとの確認が取れましたので???割り込ませていただきます。(それでも楽しみにレース編待ち続けます。)

なお、過去のアイアンマンブログにあるような面白ハプニングやトラブルには遭遇していないので、劇的な展開は期待しないでください。

強いて言えば、スイム中に5〜6頭のイルカの群れに出会いました。野生で会うと怖いです。
バイクではヤギが平然と横切っていきました。ハワイ島のヤギは焦げ茶色です。
ランはレッチリが流れてきてうれしかった、というくらいですね。
それと、アイアンマン翌週にハーフマラソンに出ると10kmしか足が持ちません。多分出ないほうがいいです。

というわけで、本編に入ります。

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2度目のIRONMANを完走した。しかもWorld Championshipだ。
 
昨年、北海道のアイアンマンに出たのも、初めてのロングなら涼しい方がいいだろうと思ったからだし、アイアンマンじゃなかったとしても出ていた。
ロングにむけた練習を積み上げるなんて自分にはきっとできないと思ったから、その年はミドルに2本出て練習に代えることにした。

北海道のときは、スイムさえ終わればバイクとランはなんとかなるだろうという想定しかなかった。
けれども、頭の中どこかでは、多分コナスロットが回ってくるだろうという意識があって、事前情報では自分のエイジカテゴリーは3人しかいないようだし、可能性は十分にあると分かってしまっていたのだ。

そして結果的にもそうなった。
レース翌日のロールダウンセレモニー。コナまで丸一年あるから、現実味はなかった。
手続きのために並んだ列でceepoの田中さんと話したのだが、やはりスイム・バイクを楽にこなせないとロングでは通用しないと再認識した。エイジであっても、である。だから「冬の間に強くなります」とその時告げたはずだった。
 









 
1年後、変わったものは多分何もない。若干の経験と知識を蓄えたのみである。
海で泳ぐのがいつまでも苦手だから、せめてもの準備としてowsの大会にいくつか出た。
でも、レースそのものの準備より、渡航の手間のほうが遥かに大きかった。レースウィークが長いから、宿やフライトを探すにもスケジュールを先に固めなければならず手間どった。

なんだかずっとふわふわしていた。

気づけば出発の日。トランジットのホノルルは雨が降っていて、9時間もあるのにやることがなかった。
ジョグしようかと思ったのに、結局ショッピングセンターでのんびりした。余談になるが、ハワイでこんなに雨に降られるとは思わなかった。ケッペンの気候区分もすっかり忘れてしまった。

まだ晴れていた時間にシェアサイクルを利用
(都度利用で5$/30minくらい)

ようやくコナに降り立つと自転車と荷物を受け取り、タクシーで宿泊先まで向かう。運転手が気を利かせて、バイクコースをなぞるように行ってくれた。その日のうちにバイクを組み立て、大きな問題がないことを確認した。
 
翌朝は昼過ぎまで寝てしまったが、念の為バイクを会場近くの自転車屋さんで見てもらい、アスリートチェックインも済ませた。レースウィーク中は、ホカのランニングイベントに参加したり、朝は海で泳いだりしていた。ちなみに地元の公設プールでも練習することができた。他にもサム酒井さんによるブリーフィングに行き、前々日夜のバンケットではなんだかすごいところに来てしまったことを実感させられた。そして前日はバイクとギアのチェックインをした。
 
あと、アイアンマンビレッジというブースの集まった場所があるのだが、そこで食べた地元のアイスクリームがおいしかった。補給食やドリンクの試食もいくつかあり、なかなか面白い。個人的には日本で見かけないブランドのウェアが見れたのがよかった。
 
ビレッジで食べたアイスクリーム
名前は忘れたけど、現地の紫いも味


続く

2025/10/09

月の下で🎑

10月6日月曜日、21時半に反町公園に集まってお月見をしました。去年も似たようなメンバーでお月見をしたような。

大学生になってから、お花見、お月見、花火大会といった季節を感じる行事をすることが増えました。今まではそういうことについてめんどくさい、家にいたいと思う気持ちが強くて、季節を感じるのは家のドアを開けた時の温度感ぐらい。あぁ、今日は寒い、今日はあったかい、みたいな。


つくトラの人たちが誘ってくれなければ、お花見なんてお月見なんてしない人生だった気がする(さすがに言いすぎか)

このお月見のメンバーは友菜の色々あった夏休みについて相談に乗ってくれて、急遽決まった草津旅行に付き合ってくれた人たちで、、

かのこさんは、いっつも楽しい企画してくれて

さきさんは、ゆうな〜って言ってくれてかわいくて

なおとさんは、意味わかんなくて

しんめいさんは、ずっとむかつくけど、それでもちゃんと話聞いてくれて

銀ちゃんさんは、なんか、うん、、本当にキモいおぢさんムーブの演技が上手で


まあこんな人たちとお月見すると色々面倒くさいこともすっと忘れられるような、軽くなるような。

端的に文章をまとめるのが苦手で、いざ何かを伝えようとすると伝えられない友菜にとって、まとまりのないこと、なんでもない結論のない話を受け止めてくれる人がいるってすごく幸せ

だなって感じる。


そんなことを思いながら、月の下の穏やかな2時間を過ごしました。

帰り際には、最初は曇ってて見えなかった月がこちらの様子を伺っていました。

ん〜〜、お団子片手にみんなと一緒に見る月はきれい🌕月をゆっくり眺めるとか友菜はもしかして大人になった、、、?笑なんてね。


今はいーーっぱい、たーーっくさん考えることがあるけど、わあ、限界!ってなったら、

かのこさんと楽しいイベントして、さきさんに寄り添ってもらって、なおとさんの意味わからないアドバイスをとりあえず聞いてみて、しんめいさんに傷つけられながら、銀ちゃんさんのキモおぢムーブで笑顔になるって決めた。

それでかのさんとしのさんによしよししてもらう。


これからもずっと穏やかな時間をつくトラも過ごしたいな🎑


B2いしずか
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2025/09/01

関カレの学連の方の話

   2025.06.29

東日本学生トライアスロン選手権那須塩原大会 兼 関東・東北・北海道学生トライアスロン選手権那須塩原大会 

お疲れ様です。B2の大友柚希です。
関カレについて書いた記事の最後に”学連業務の記録はまた今度”と記したので続き的な番外編的な位置付けで書きます。
あれから2か月。部ログでやっと振り返れたと思ったら
潮来→大井川→春C授業→海合宿と春C期末の複合波→海外研修
と色々あって諦めていました。
”時間がない”を言い訳にするのは自分の要領が悪いことを周囲に晒しているにすぎない……との教訓的な忠告的な文言を念頭に置いたうえで言います、ほんとうに時間がなかった。
帰国後のいま、改めて見てみると上記フローで”春C授業”の頃に途中まで書いていた(と思っていた)下書きが見当たらなくなっていたので、インカレに関する本当に重要な記事が入ってくる前にはとの思いでとりあえずイチから書きます。
細かいことは忘れた、いえ忘れ去った訳ではないのですがだいぶ頭と心の奥に入っていったので味気ないですがどうぞ。


前日~準備~

かのこさん車にて学連業務についてのお話を聞く。
三役(学生委員長・大会運営委員長・審判委員長)のほかに”総務”という役職があり、四役と呼ばれることもあると知る。
メール対応等の事務仕事が中心で、私が職に就けばかのこさんが院政的にウラからシステム改善などを通して動かしてくれるそうな。

総務に興味があると伝えると、前日準備も現職の見学&補助をさせてもらうことに。
業務内容は前日受付。
黒磯公民館(いきいきふれあいセンター)に移動しTシャツ・トラバッグ・受付内で立てるバナー等の荷物を運びこんでからセッティング、受付開始時刻を待ちます。
ちなみに今回の選手用学連Tは淡い紫、きれいなラベンダー色。
私はTシャツの段ボールを開けた瞬間、”かわいい、え、かわいい!”とテンション急上昇でした。

開会式も実は脇に立って参加しました。
”頑張ろう、とかは言いません”と、淡々と走ること重要性を説くの会長のありがたいお言葉。
最後の来賓紹介?で1人ずつ立ち上がって一言発する際、”頑張ろう!”と発されて首を傾げたのは私だけではないと信じます(揚げ足取りか)。


前日~宿~

宿は山中のロッジ的なところです。
那須塩原温泉の大浴場はありがたいですがお風呂にシャンプー・ソープ類はありません。
圏外なので来年、就任したとして総務の業務が危ぶまれます。
完全にホテルとしてできたパークホテルさかいとは訳がちがいます(←うるさい)。

そのさかいで宿泊する際もそうですが、食事は基本的にほっともっとのお弁当が支給されます。
数に余裕を持たせて用意し、余ったら(というか余る)欲しい人を追加募集するそうなのですが、
各パートごとのミーティング開始後も、21:すぎのスタッフ用Tシャツ到着後も一向に呼ばれません。
結局、22:前に追加募集がLINEグルに流されましたが遅すぎて”足りない”と言っていた人もほぼ来ず、翌朝にはお弁当が8-10個ほど残っていました。

残食に厳しいというか、個人的な趣味趣向として”食品ロスが嫌い”な身としては放っておけない。
てことで私が職に就いたらお弁当の配布方法・システムも改善したいですね。

同室の方とおしゃべりしながら鬼滅観ながらノート書きながら、
明日のレースを周囲から心配されつつ(”こんなところで雑用やってていいの!?”)自分でも案じつつ、
それよりもつくトラの皆さんのレースが楽しみで期待でいっぱいだった、
レース前日にしてはゆるくも、何だかふわふわして大切な時間だったと思います。


当日

会場から徒歩30分の駐車場・青木公民館からのbike運搬の依頼を忘れていたことに気付く。
申し訳ありませんでした。
学連兼任の方は荷物の運搬をいつ誰にどのようにしてもらうか事前に決めておきましょう。
公民館(黒磯、青木ともに)の遠さ、大会自体の位置付けなどを考えると、そもそも記録を狙うなら関カレの兼任はおすすめしません。

レースでは、前日お世話になった方や顔見知りになった方にもたくさん応援していただけました。
が、”選手もやるの?すごいねえ”と感心されただけに、順位が順位なので
”いや学連業務の傍らバリバリ選手としても活躍するすごい人かと思ったら競技の方はしっかり遅いんかい、学連側に傾倒なんかい”
と思わせてしまった気がするのは残念です(そんなこと考えない気もする)。

自分のレース終了後はFINISHテープという結構重要な役どころ。
最も熱い瞬間を間近で見られるよい体験でした。


おわりに

学連ではこんな作業をしていました。
秋のスプリントでは学連件オープン件チームTT頑張ります。

ちなみに当日朝・昼のほっともっと弁当もだいぶ残っていました。
朝のしらす弁当とってもおいしかったので心が痛い。
私が幹部の役職に就いたら食べもの・その他物資の余りを削減することにも注力します。









2025/08/29

べすとおぶいまさら

 B2いしずか

 

 あっという間に人生2回目の関カレから2ヶ月が経とうとしています。セミの声を聞かなくなったなと思いながら暑さだけを残して8月が終わりそうです。今更ですが関カレのレースレポと今の気持ちを書こうと思います。


 swimは、昨年のスイムアップのタイムを大幅に上回り、さらにowsとウェットスーツが相まって想定以上のタイムで上がってこれました。正直めちゃくちゃ嬉しかったし自分の努力の中でswimだけはしっかり報われたと思います。ただ、自分の少ない体力をswimでほとんど使ってしまったのでbikeとrunで体力が残っていなかったというのは大きな反省点であると思います。また、集団について泳げなかったということも自分の泳力の低さと集団泳の慣れが足りなかったことが考えられます。自分がもう少し速くて集団について行ければ体力の消耗も少しは減らせたのではないかなと思います。


 bikeは2周目あたりでペダルが回らなくなりbikeから降りるという想定外の出来事が起こりました。つらかった。半泣きでサポートに訴えながら何とか自力で元に戻し(?)とにかく早くbikeを終わらせようとしていました。関カレは友菜が苦手なのぼりが多く、想定外の不調があってもなくてもきっと今回のbikeはうまく行かなかったのだろうなと、思ったり、、、。

3種目の中で唯一「普通」「まし」であると思っていたbikeに対する自信はかなり無くなってしまった気がする、、、。


 runは、本当に、キツかった。

人生のどの場面よりもキツかった(盛りすぎ?)runがきついことなんて始まる前から分かっていたのに。いつのまにか心が折れていました。なんだかんだbikeの不調からずっと引きづっていたような気がします。

前に進んでるつもりでも一向に増えない距離。

走ってるのにGarminに表示されるのはウォークみたいなペース。

今にも爆発しそうな心臓と肺。

そしてつくトラの横を通る度に流れる涙。

もう思い出したくない。

言い訳はいくらでもあるけど今の友菜の全力を出したのは間違いない。練習よりもはるかに遅いペースだったから本当はもっと速く走れたとか思うけど、きっと今回の関カレの友菜の限界値はここだったんだろう。


来年に向けて

・swimはowsで24分にしたいな

・T1の練習

・bike「のぼりの強化」

・ローラーしないと。

・ラン!!!!!!!!

とかいろいろもっとあるけど今見えてるのはこれ。

と、まあ、やるべきことは分かってるつもりなのにな。


 19年間で久々に目標を持ってスポーツに取り組んだのがこの2025関カレでした。3月のいろんな合宿への参加、関東選手権等ハイレベルなトライアスロンレースの観戦、つくトラの先輩たちとのお話など、友菜のやる気に火をつける機会はたくさんありました。おもしろそうなことには基本興味のある単純な友菜がそんな中でインカレを目標にしないわけがありませんでした。関カレが終わってから頑張る熱が冷めちゃった気がしますが何とかもう一度やる気を起こしたい。本当は外的なものではなく自分で自分をコントロールできるようになりたいけど昔からそういうことはできない人なので、まわりに期待します。それがきっとインカレになる(そうしたい)と思います。

 そんなインカレですが、そういえば合宿で仲良くなった友達全員がその舞台に立つことにしのさんとお話ししながら気づきました。トライアスロンでできた大切な友達なのに、自分だけ取り残されたような、少し遠い存在になったような。彼女たちのストラバはほとんど毎日動いていて友菜の何倍も努力していて、インカレに行くべくして行っているという感じがしました。とにかく強くなって速くなって彼女たちはなんだか楽しそうに見えます。んーーーーー彼女たちならインカレに行くのだろうなと思っていたし、今年の友菜にはまだインカレが遠いことも分かっていたはずなのに。いざ、自分だけ今年のインカレには出場できないという現実を突きつけられると、応援する気持ちは確かにあるのにそこに羨ましさと悔しさが混ざって、、、

というのが正直な友菜の気持ち。

どんどん強くなっていく友達と、頑張らないといけないと分かっているのにどこか頑張りきれない自分。


分かっていて動けない。頑張れない。

そう思いながら今日もハイキューを見て、いつになっても完成しないジグソーパズルを1ピースだけ埋める。


これは今日埋めた1ピース


なんか文章まとまらなくなっちゃった。悔しさもあるけど、初めて見る観音寺でのインカレは楽しみ(°▽°)(°▽°)♪(´ε` )

インカレ選手頑張ってください!!!


P.S.

あちゃさん!!友菜あちゃさん大好き♡

1番応援してます!


🧩🏐



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2025/07/28

2025 他己紹介 ほまれちゃん

こんにちは!

1年ぶりにブログを書きます2年のなるひろデス。

 

1年間で書こうかなと考えたタイミングは何回かあったんですが。

んー、あんまり自分は考えてることを言語化するのに長けてないんだと思います。

今後もじっくり機会を伺いたいです笑。

 

そしてその1年ぶりに書くブログはなんと再び他己紹介になるんですね。

3年越しの他己紹介をしてくださった金田さんに続き、新入部員でもないなんでお前が、という声が聞こえます。(かねでぃさん・こまてぃさんギリギリで無理言ってごめんちゃい)

理由がちゃんとあります。

 

それは、、、今回僕が紹介する謎多きバイクガール・ほまれちゃんのせいです!!

まずは簡単にプロフィールを

 

名前:山下歩希(やましたほまれ)

出身:アメリカペンシルベニア州🇺🇸

所属:生物学類

好きな食べ物:お寿司と納豆

得意料理:エノキの豚バラまきこれすき

 

4月の新歓を経て、つくトラに入部してくれたほまれちゃん。

ほまれちゃんとの最初の出会いは新歓祭のワット対決で強烈な記録を叩き出して去っていったところから始まります。そのあとの百香亭のご飯会にも来てくれて、サイクリン部の競技班とサイクルチームに所属していることを聞き、ワット対決の結果に納得しました。と同時に、コッ、、、コレはつくトラにぜひきて、とお願いする感じでずっとしゅんさんと僕が口説く構図ができていた気がします。(ほんとごめんね笑)

そこで聞いたのは、大学では新しいことを始めてみたいからトライアスロンに興味を持ったということ。

「泳げるってめちゃくちゃ凄くないですか?」と目を輝かせていうほまれちゃんに「バイク早いってめちゃくちゃ羨ましいですよ」と真顔で言い返しそうになった僕はほんとに性格が悪いと思います。


ちなみに、ほまれちゃんのバイク人生をざっと聞いてみました

 

お父さんがロードバイクゴリゴリで乗ってた人らしく、小5の時には自転車トラックを走っていた

12歳でアメリカ選手権初出場 以後毎年出場

2022 エイジグループ全米3

2023 Tour of Flander」にアメリカ代表として出場

2025 U23の日本選手権で優勝🏆

 

うん、凄すぎてよくわかりません。とにかく自転車が大好きな人みたいです。

そんなほまれちゃんの今年の目標は「登りで早くなること」だそうです。

ちなみにほまれちゃんが出場した日本選手権の獲得標高は1926m/66kmです。え???

 

7月までは本業であるロードレースに集中するためにつくトラの練習には参加していなかったので、今回他己紹介を僕が担当する運びになりました。

今は大会が終わり余裕ができたということで、つくトラの練習にかなりの頻度で出現しているほまれちゃん。

先日はじめてバイク練一緒に行ったけど、不動峠は颯爽と抜かされました。

改めてすごい人だなあと。

 

私生活の方はというと、、、すみません、何も知りません笑。

いつもおっとりした口調で笑顔が素敵、大好きな納豆を毎日食べていて、最近引っ越しをして生活をEnjoyしている、、、

それくらいしか知りません。やばい笑

 

ほまれちゃんは秋入学なので今は1年生ですが、一応僕と同期の2年ズなわけです。

これからいろんな一面を知りたいですね。

ちなみに、9月に2年ズで新潟の「村上・笹川流れ国際トライアスロン」に出場するのですが、急遽ほまれちゃんの参加が決定いたしました。ほまれちゃんのことを知る絶好のチャンスです。とーっても楽しみであります。

がんばろーね!!


そんな、3B(バイクはやい/生物学類/バイリンガル)ガール・ほまれちゃんの紹介は以上になります!

 

そしてこれにて2025他己紹介は終わりになります。

素敵な他己紹介を皆さんありがとうございました!

2025/07/18

2025 他己紹介 古俣 by金田

他己紹介投稿大遅刻をかましました金田です。
誠にごめんなさい。
他己紹介って新入生などの入部1年目の人がするもんですが、何を隠そう僕はつくとら4年目の6年次4年生。
3年前の今の時期に入部し、しんめい世代の他己紹介のタイミングを逃し(?)ラストイヤーにてようやく他己紹介です。

さて僕の担当は共通項の多いM1の古俣!


Profile
名前:古俣 光覇
出身:千葉県(西部台千葉→獨協大→筑波大学院)
バイク:Bridgestone RP8 105di2

「世界とは狭い」と感じることは往々にしてありますが、単に自分の世界が物理的に広がっていないからでしょうか?

入学を収監、卒業を釈放とし、その3年間は懲役3年と呼ばれる?西武台千葉高校駅伝部出身の彼とは高校時代、同じ千葉県第4支部で大会を共にしていました。
詳しい経緯は昨日の彼の他己紹介で(こちら
ちなみに、専松は「専修大学"附属"松戸高等学校」ではなく「専修大学松戸高等学校」が正式な学校名と訂正しておきます。

千葉県高校駅伝チーム屈指の自由な我ら専松陸上部長距離とは異なり、西武台駅伝部は「厳しい高校駅伝部駅あるある」のなぜかいつもタスキをつけてみんな坊主で先生が一生怒っている(イメージの)チームでした。同じ地域ではあるものの対照的なチーム同士の交流はなく、その坊主集団の1人の古俣を認識したのは千葉認定から。古俣から声をかけてきて、その後バイク練にも参加し始め、最終的に院進でチームメイトに。
この件やジョグの時に聞いた高校時代の話から、現状に満足せずに将来のために挑戦し切り拓く姿勢を感じます。
事実、トライアスロンをする・その環境を作り出すだけではなく、パラのガイドにも挑戦してナショナル合宿にも呼ばれ彼のパラガイドキャリアはまさしく飛躍中です。2028か2032か、いつになるかはわかりませんが、マルチスポーツ選手権日本代表では着ることができないトライアスロンの方のかっこいい代表ジャージを着る古俣を見たいですね。

というちょっと先の未来の期待はさておいて、無事…ではなく割とギリギリ?で2年連続のインカレを決めたわけですが、インカレではどこまで魅せてくれるのでしょう?
個別に見ていくと、関カレの結果からランは(非暑熱/単体)なら走れる。バイクに関してはパワーはあり機材の準備もいいがライダーのエアロは改善の余地あり。スイム?んなもんは知らん。俺に聞くな。
考え選択し行動できる古俣なので、残り1か月半、殺人級暑熱ジョグと殺伐とした阿鼻叫喚の集団走を通じて成長を見出してくれることでしょう。

そして、来たる来年2月のカーフマン/日本学生デュアスロン選手権。
1年間で最もおもろいレースに、デュアスロン学生最強チーム(断定)の一員としてしんめいと一緒に3人逃げができるくらいまでの古俣の成長を高みで待っています。
今のつくとらで僕が出る限り団体優勝はどう考えても確定なので、どのように勝つのかにこだわっていこう。

他己紹介というよりも同郷人による古俣への期待の羅列になりましたが、人当たりがよく努力のできる古俣の今後の活躍に期待をしつつ共通項の多いチームメイト以上の仲間としてがんばろーぜ

ではまた。
金田

2025 他己紹介 金田 遼祐


 僕が他己紹介をする人は紆余曲折あり、この男になりました


名前:金田遼介

学年:B4

学群:体育専門学群

種目:トライアスロン×デュアスロン○


 そう。みんなが愛するデュアスリート金田さん(通称かねでぃー)です。M1の後輩がB4の先輩を紹介するという情報量の多さと年齢の高さがこの2人の他己紹介のウリとなっております。


 金田さんといえば、とんでもない量のロードバイクの知識とデータ。そして競技力。どちらの性質も併せ持つ漢です。そして、情にアツイ。関カレでの金田さんはメンターやメカニックという肩書きを超えた、情にアツイお兄さんと化していました。僕が、インカレボーダーを今年も突破できたのは、間違い無く金田さんのおかげです。関カレ後のご飯でも金田さんは僕を支えてくれました。改めて、多大なる感謝とBIG LOVEを贈呈します。


 さて、皆さんの金田さんの印象はなんでしょうか?生粋のデュアスリート?ロードバイカー?足が速い人?泳げない人?僕から見た金田さんは違います。僕が「金田さんってどんな人?」と聞かれたら真っ先にこう答えます。「陸上3000m障害がめっちゃ速い人」


 これは僕と金田さんの出会いにあります。金田さんは千葉県専修大学附属松戸高校駅伝部出身。僕は千葉県西武台千葉高校駅伝部出身です。この両校は千葉県の陸上競技第4支部に所属しており、秋に行われる千葉県高校駅伝ではライバル関係。毎年インターハイ出場者が出て、卒業後、箱根駅伝を走る選手が続出する強豪校です。さて、そんな強豪校で3000m障害でインターハイ出場、関東高校駅伝出場を果たした金田さんと僕はどんな出会いをするのでしょうか?

 結論から申し上げますと、高校では出会いません。金田さんは千葉県高校陸上のスター。かたやは僕は強豪校で5000mを17分もかかる落ちこぼれ選手でした。そんな2人が出会うわけがないんです。僕はトラックの外からとんでもないスピードで水濠(3000m障害の中の一番しんどい障害)を爽やかに颯爽と超えていく金田さんを見ているだけでした。あの時の金田さんもかっこよかった、、、


 さて話はちょっと進んで僕がB3。(あの時から5年経ちました、、、)金田さんがB4の年。僕がトライアスロンに転向しようとしたその年に、デュアスロンで金田さんが学生チャンピオンになったことを知りました。その時僕は「え!?」と思いました。しかし、沢山の陸上競技からトライアスロンに転向した人の話を聞いていると、3000m障害の強さとデュアスロンの強さはなぜか比例するそう。金田さんがデュアスリートになることはもう運命だったのだとその時思いました。その年、12月の認定記録会で、金田さんと出会い、一方通行の出会いはようやく幕を閉じました。

 「僕、西武台千葉でした!あの人の後輩であの人の同期です!」と完全に虎の威を借る狐ムーブをかまし、僕のつくトラ0学期も始まりました。(これはまたいつか話そうかと思います)


 凄すぎる地元の偉大な先輩。金田さん。そんな方と5年越しにチームメイトになるなんていまだに変な感じです。

 

 そんな金田さんですが、次のレースは中国・成都で行われる、ワールドゲームズ(4年に1度行われる、オリンピック開催種目以外のスポーツの祭典)にデュアスロン日本代表として出場します。その次にはツールド福島。来年ニセコで行われるグランフォンド世界選手権の代表選考を兼ねたレースの試走で出場するそう。日の丸を背負い続ける金田さんからこれからも目が離せません。

 そしてそして。来年2月に行われる全日本学生デュアスロン選手権。こちらも要チェック。類は友を呼ぶというのはこの事か、今年は走れる人がつくトラにたくさん。(筑波大学体育会デュアスロン部になってしまうぐらい。)ちょっと長めに、学生トライアスロン・デュアスロン界隈に居続けた金田さんの事は、つくトラの人間が責任を持って追い出さなくてはいけないのです。この日のレースが「金田に捧げる鎮魂歌(レクイエム)」となるのか、それとも伝説として金田さんが名を残すのか。それは分かりません。でも、もう既に計画は動き出している香りがします…


 さて、長くなりましたが今日はここまで。金田さんの今後の活躍と来年度も他己紹介が活発になる事を願って締めとさせていただきます。




2025/07/17

スタートラインに立って

 

もうカンカレはサポート側でいいなって思ってた去年。

 

でも、またカンカレのスタートラインに戻って来られたのが嬉しかった。

気づけばM1になっていた大城です。

 

 

本格的に練習再開をしたのは、3月中旬のつくば春合宿前、古俣が正式に部員になって、しのさんがswim猛練習をはじめ、1戦を退いていた玉井、小林、銀河がU23スプリント選手権に向け帰ってきて、つくトラに春が来た。

 この波に乗るしかないと、沖縄国体代表を目標に練習に復帰した。練習再開直後は、2:00 cycleで普通にしんどいし、体力なさすぎてメインに到達する前に疲労困憊だった。普通に練習していたら絶対間に合わないから、とにかく陸トレで筋トレと体幹、柔軟を念入りやって、常にいい感覚で泳ぐことを意識して練習した。

5月頃から、泳ぐたびに少しずつ早くなるボーナスタイムに突入し、チーム「1:40」に仲間入りした。

 

ただ、6月に入ってからは実践想定に入ったのもあり成長スピードが減衰した。ここで、もう1段階速くなりたかった。

 

沖縄国体予選を終え、2週間後のカンカレまでリカバリーを挟みつつ、フィトネスを落とし過ぎないように練習した。つくトラ5年目だけど部全体の練習に向き合う雰囲気が今までで1番良かった。

 

前日は、金田さん激推しのプレシジョンで電解質ローディングと、ボリュームの幸華でカーボローディングして当日に備えた。

 

アップ

いつもswim前にしている、ストレッチ、筋トレ、チューブを中心にした。ウエットを着るのが遅くて試泳は1往復ハードで終えた。あと1往復やっぱり必要だった。

 

これからのバトルを考えて憂鬱なスイムスタート前

 

swim  26:37 112位)

目標は、25分前半しのさん、古俣、中野が見える位置で上がること。スタートは普段の練習の成果が実り今まで以上にスムーズにいった。しかし、ファーストブイ前で胸が締めつけられる感覚が出て、水温の冷たさも重なって軽い過呼吸が出てしまい大幅にペースが落ちた。何とか呼吸を整えて泳ぎ続けたけど、苦しい感覚がしばらく続いた。2周目に入るところで外側になるひろがいるのが確認できて、このままだとまずいとペースをあげた。ちょうど水温が比較的暖かいところに入ったため、動きもだいぶマシになった。単泳になったものの、2つほどの集団を抜いてスイムアップ。

時計の26:30の表示を見て、想像より耐えた安堵と、スタート後のペースダウンを恨む気持ちが入り交じった。カンカレOWSのトラウマは今年も払拭できず...

 

 

T1

前つくトラから1分くらい、前半が遅かった分いつもよりもスイム後の疲労はなかった。トランジは日大の陣地の向かいと言い聞かせて、事故なく向かえた。

 

Bike 1:03:1033位)

沖縄で痛い目にあっているので、水分と補給を多めに持って走った。(ボトル750ml 2,マグオン2つ)

戦略的には、コース最初の折り返しまでのストレートと登りを頑張る区間、折り返してからの登りと下りはモデレート。水は1番スピードのでない登り前の直線でとる。コーナーでの減速をできるだけ抑えるイメージで走った。

 

折り返しで見える、しのさん、中野、古俣に追いつきそうに見えてなかなかタイム差が縮まらない、もどかしかった。後半、古俣との差がジリジリ縮まってきた。古俣の顔が千切れる寸前みたいな顔だったので、対向越しに声を掛けた。ラスト1周でAfroの徳田と一緒になった、筑波合宿皆出席の彼を応援しないつくトラ部員がいるかどうか?全力の応援を届けた。

降車ラインに入る直線で、4人ほど追い越した。ここは登っているからギリギリまでビンディング履いて足回してる方がいいんだよってドヤ顔で降車。

 

T2

塩分チャージと、帽子を持ってスタート。

シューズの履き替えが珍しくスムーズだった。靴下なんていらない。

 

 

run 44:07 76位)

 

 Z3RODトライスーツ

 

沖縄で痛い目にあってるので(2回目)、塩分チャージを水と一緒に流し込む。残った水を頭から首、脇、太ももと順にかけていく。1周目の池回りはなるべく抑えて走った。速攻で小野くんとイイハルに抜かれた。(ランナーになりたい。)跳ねて走ると絶対に足をつるので、小林の走り方を真似する感覚で走った。外回りは日陰が涼しく、淡々とリズムを刻む意識で走り4:20 /km辺りのペースをキープした。ボーダーを狙うならここでもっと攻めるべきだったのかもしれないけど、攻めて上手くいく自信がなかった。結局、そのままのペースでしのさんを追い抜き、涼太から逃げて10kmを終えた。

 

 

ゴール 2:13:54 64位)

ゴール直後は、自分の結果よりも古俣と中野がボーダーを切ったかどうかを知りたかった。中野は救護室で朦朧としているし、古俣は今にも泣きそうな顔で結果が分かりにくかった。でも、2人とも決めてくれたのを知って嬉しさが込み上げた。あさひがインカレ決めたのももちろん嬉しかった。

 

今回のカンカレは『今できるベストの走り』をするのが目標だった。もちろん出来ればボーダーを突破してカンカレに行けたら最高の結果だったけど、それを口に出して目標にするにはサボっていた期間が長すぎた。それでも、今回の結果には満足している。期待され続けてずっと空回りしていたbikeで実力くらいの走りができて、runでしっかり耐えられたのは素直に嬉しかった。swimはあと1分上がりたかったけど。

 

 

「来年はインカレ完走目指したいです。」って言いたいんですけど、その宣言は来年の4月くらいまでとって置きます。今までスプリング終わりからパッたり泳がなくなってしまう悪癖で、何度も自分でチャンスを捻り潰してきたので、まずは1年を通して泳ぎ続けることを目標にします。(3月までに23分代のせたい。)

 

内的要因で頑張り続けるのはしんどい中で、院生からB1まで多くの部員が練習、運営に励んでいる今の雰囲気に背中を押されて半年間頑張れました。ありがとうございます。これからもこの雰囲気を継続できるように、つくトラ老人会の一員として頑張りたいです。

 


 

最後にレース前に聞いていた曲でも貼っときます。

「ゴールデンタイムラバー」

https://youtu.be/0iAF8TJAqp4?si=QlP2QjOfV5gmKVUB 

来年は栄光のボーダーラインを飛び越えたい