ハワイ語表記なのがうれしい
おわり
2025年10月 柴田葵
ハワイ語表記なのがうれしい
おわり
2025年10月 柴田葵
レース中に考えていたのは、このままロングに出続けてもつまらなくなるだろうということだ。運も実力のうちと言うが、私は運と、その運を嗅ぎ分ける能力だけでここまで来てしまった。
確かにこの年代でロングに出るのは珍しさの点では素晴らしいことだが、実力が伴わないとその先がない。コナが終わったら国内ロングに出ようと思っていたけど、その前にショートで競技力をつけるべきだと思った。
だから今のエイジカテゴリーではなく、一つ上のカテゴリーになったら、即ちあと3年経ったら、またロングに出ようと今は考えている。それまでにスタンダードを2時間半でコンスタントにこなせる力をつけるつもりだ。
もう一つこの期間で感じたのは、アイアンマンのブランドを守り続けている主催者のすごさだ。土地や文化の差はあるにせよ、この大会を作っている人たちの能力ははかりしれない。
日本のどの大会とも違うブランディングの上手さがあった。
これほど作り込めたらどんなに面白いだろうと思ってしまった。
他にも協賛各社によるレース以外のイベントが多数あり、また街のカフェテリアがメーカーのブースになっていて、期間中ずっと賑わっていた。
完全にアイアンマンの街になっていた。
そして何より偉大なのは、大会に関わるすべての人が、ボランティアの人も、応援に来た人も、本当の意味で、この場所にいることに誇りを持っていたことである。
日本で大会運営を見ていると、もちろんやりがいはあるのだけれど、やや内向きな方向で、きついことをしている私たちがすごいみたいな雰囲気が時々あるから、もっと素直に純粋に、大会がここで開かれていることの意味を受け入れているのが羨ましかった。
大会を作る面白さって日本では感じにくいのかなと思えてしまって、なんだか切なかった。
選手としてもこの場所に帰ってきたいけれど、オーガナイザーの一員になってみたいとも思った。
なぜトライアスロンが、アイアンマンレースが、これほどに人を惹きつけるのか、ようやく理解した日だった。
Hoʻoikaika
これは今年2025年のWorld Championshipのテーマとして掲げられていた言葉だ。ハワイ語で忍耐力・強さという意味である。(大会での英訳はresilience)
確かにアイアンマンレースを完走するのに欠かせない要素だと思う。でも、私にあるのはなんだかくねくねしたような、掴みどころのない忍耐力だけで、硬質な強さはない。
この強さというものを得たら、きっとトライアスロンを違う感覚で捉えられるのかなと思う。近い将来、そうなりたい。
隣の家のおじさんがレース前にくれた花"pikake"
力を呼ぶ香りらしい
続く(次回で終わります。)
レース当日、天気予報は曇り時々晴れ。トランジでバイクの空気圧を確認し、ボトルとサイコンもセットする。夜に雨が降ったのか、バイクは濡れていた。
その後スタートまではウェーブ順に整列しっぱなし。最後から2番目のウェーブだから結構待った。
直前のウェーブがスタート位置につくと、私たちも海に入る。このウェーブはF25-29のゴールドのキャップとF18-24のバイオレットのキャップが一緒にスタートするのだが、圧倒的にゴールドが多い。
しばらくフローティングしたのちスタート。行きはブイが見づらいと思っていたが、うねりが強かったらしい。帰りは後ろから追いついてきた最終ウェーブの緑キャップにつかせてもらい快適だった。
追いついてきた人についていけるって、海のコンディションのせいなのか、自分に余裕があったのか、ちょっと不思議。スイム中はずっと曇りだった。
バイクに入ると、徐々に晴れてきて日差しがかなりきつくて、エイドで冷たい水をかけてもらうのが気持ちよかった。
さて、問題は暑さよりも風だった。
折り返しであるhawi周辺は風力発電所があるような場所で、正直どうにもならなかった。行きは登りだから、帰りは何とかなるだろうと思ったが、帰りも風で全くスピードが乗らない。
このままだと時間がかかりすぎるなと思いつつ、だらだら踏んでいた。
そういえばceepoの田中さんが、コナに出るなら絶対にTTバイクがよいと言っていたことを思い出した。空力性能のよいバイクでないと相当苦労する。私の場合は、そもそもパワーがないのが問題なのだが。
想定より50分以上かけてバイクを終え、ランスタートする頃には日が傾き始めていた。自分のカテゴリーのスタートは最初のウェーブから1時間以上遅いから、なおさら人が少ない。
ランコースに入ってすぐにトイレをすませ、あとはペースも見ずに走っていた。ハーフポイントまでは特に何もなく、23〜30kmのエナジーラボ方面は真っ暗で、周囲の選手はもれなく歩いていた。ここを過ぎるのは本当に長かった。
ちなみに30kmを過ぎたらコーラを飲もうと決めていたのだが、飲んでみたらぼーっとしていた頭の中が格段にクリアになって、ちょっと感動的だった。
今まではエイドにコーラがあっても、普段飲むことがないからレース中も飲まずにいたのである。
その後はエイドをたどる感覚で走っていたら会場近くまで来ていた。
最後の1マイルはなんだか楽しくて、この頃にフィニッシュするような人はみんな歩いていたから、どんどん抜かした。
時間はすでに23時を過ぎてマジックアワーに入り、大勢がフィニッシュエリアに集まり始めていた。
ウェーブが早かったらこれより先にフィニッシュしていただろうと思うと、遅くなったことも肯定してしまうから良くない。
そして、この時間からはプロカテゴリーの優勝者も待っていてくれる。
でも誰が勝ったのか知らなかったから、フィニッシュゲートでソルヴァイに迎えられたことにすぐには気づかなかった。(ソルヴァイはノルウェーの26歳。今年がアイアンマンデビューで、比較的長身の選手。)
あの雰囲気に興奮はしたけど、自分の中で何かを得た感覚はなかった。
むしろ、最後にこれだけ走れるならもっと早くからランでペースあげれたのかなとか、やっぱりレース中のスイッチの入れ方が分からないんだよなとか、ジョグのような感覚でこの距離をこなしてしまう自分がもったいないと思えてしまった。
フィニッシャーの証
続く
10月6日月曜日、21時半に反町公園に集まってお月見をしました。去年も似たようなメンバーでお月見をしたような。
大学生になってから、お花見、お月見、花火大会といった季節を感じる行事をすることが増えました。今まではそういうことについてめんどくさい、家にいたいと思う気持ちが強くて、季節を感じるのは家のドアを開けた時の温度感ぐらい。あぁ、今日は寒い、今日はあったかい、みたいな。
つくトラの人たちが誘ってくれなければ、お花見なんてお月見なんてしない人生だった気がする(さすがに言いすぎか)
このお月見のメンバーは友菜の色々あった夏休みについて相談に乗ってくれて、急遽決まった草津旅行に付き合ってくれた人たちで、、
かのこさんは、いっつも楽しい企画してくれて
さきさんは、ゆうな〜って言ってくれてかわいくて
なおとさんは、意味わかんなくて
しんめいさんは、ずっとむかつくけど、それでもちゃんと話聞いてくれて
銀ちゃんさんは、なんか、うん、、本当にキモいおぢさんムーブの演技が上手で
まあこんな人たちとお月見すると色々面倒くさいこともすっと忘れられるような、軽くなるような。
端的に文章をまとめるのが苦手で、いざ何かを伝えようとすると伝えられない友菜にとって、まとまりのないこと、なんでもない結論のない話を受け止めてくれる人がいるってすごく幸せ
だなって感じる。
そんなことを思いながら、月の下の穏やかな2時間を過ごしました。
帰り際には、最初は曇ってて見えなかった月がこちらの様子を伺っていました。
ん〜〜、お団子片手にみんなと一緒に見る月はきれい🌕月をゆっくり眺めるとか友菜はもしかして大人になった、、、?笑なんてね。
今はいーーっぱい、たーーっくさん考えることがあるけど、わあ、限界!ってなったら、
かのこさんと楽しいイベントして、さきさんに寄り添ってもらって、なおとさんの意味わからないアドバイスをとりあえず聞いてみて、しんめいさんに傷つけられながら、銀ちゃんさんのキモおぢムーブで笑顔になるって決めた。
それでかのさんとしのさんによしよししてもらう。
これからもずっと穏やかな時間をつくトラも過ごしたいな🎑
2025.06.29
東日本学生トライアスロン選手権那須塩原大会 兼 関東・東北・北海道学生トライアスロン選手権那須塩原大会
前日~準備~
前日~宿~
当日
おわりに
あっという間に人生2回目の関カレから2ヶ月が経とうとしています。セミの声を聞かなくなったなと思いながら暑さだけを残して8月が終わりそうです。今更ですが関カレのレースレポと今の気持ちを書こうと思います。
swimは、昨年のスイムアップのタイムを大幅に上回り、さらにowsとウェットスーツが相まって想定以上のタイムで上がってこれました。正直めちゃくちゃ嬉しかったし自分の努力の中でswimだけはしっかり報われたと思います。ただ、自分の少ない体力をswimでほとんど使ってしまったのでbikeとrunで体力が残っていなかったというのは大きな反省点であると思います。また、集団について泳げなかったということも自分の泳力の低さと集団泳の慣れが足りなかったことが考えられます。自分がもう少し速くて集団について行ければ体力の消耗も少しは減らせたのではないかなと思います。
bikeは2周目あたりでペダルが回らなくなりbikeから降りるという想定外の出来事が起こりました。つらかった。半泣きでサポートに訴えながら何とか自力で元に戻し(?)とにかく早くbikeを終わらせようとしていました。関カレは友菜が苦手なのぼりが多く、想定外の不調があってもなくてもきっと今回のbikeはうまく行かなかったのだろうなと、思ったり、、、。
3種目の中で唯一「普通」「まし」であると思っていたbikeに対する自信はかなり無くなってしまった気がする、、、。
runは、本当に、キツかった。
人生のどの場面よりもキツかった(盛りすぎ?)runがきついことなんて始まる前から分かっていたのに。いつのまにか心が折れていました。なんだかんだbikeの不調からずっと引きづっていたような気がします。
前に進んでるつもりでも一向に増えない距離。
走ってるのにGarminに表示されるのはウォークみたいなペース。
今にも爆発しそうな心臓と肺。
そしてつくトラの横を通る度に流れる涙。
もう思い出したくない。
言い訳はいくらでもあるけど今の友菜の全力を出したのは間違いない。練習よりもはるかに遅いペースだったから本当はもっと速く走れたとか思うけど、きっと今回の関カレの友菜の限界値はここだったんだろう。
来年に向けて
・swimはowsで24分にしたいな
・T1の練習
・bike「のぼりの強化」
・ローラーしないと。
・ラン!!!!!!!!
とかいろいろもっとあるけど今見えてるのはこれ。
と、まあ、やるべきことは分かってるつもりなのにな。
19年間で久々に目標を持ってスポーツに取り組んだのがこの2025関カレでした。3月のいろんな合宿への参加、関東選手権等ハイレベルなトライアスロンレースの観戦、つくトラの先輩たちとのお話など、友菜のやる気に火をつける機会はたくさんありました。おもしろそうなことには基本興味のある単純な友菜がそんな中でインカレを目標にしないわけがありませんでした。関カレが終わってから頑張る熱が冷めちゃった気がしますが何とかもう一度やる気を起こしたい。本当は外的なものではなく自分で自分をコントロールできるようになりたいけど昔からそういうことはできない人なので、まわりに期待します。それがきっとインカレになる(そうしたい)と思います。
そんなインカレですが、そういえば合宿で仲良くなった友達全員がその舞台に立つことにしのさんとお話ししながら気づきました。トライアスロンでできた大切な友達なのに、自分だけ取り残されたような、少し遠い存在になったような。彼女たちのストラバはほとんど毎日動いていて友菜の何倍も努力していて、インカレに行くべくして行っているという感じがしました。とにかく強くなって速くなって彼女たちはなんだか楽しそうに見えます。んーーーーー彼女たちならインカレに行くのだろうなと思っていたし、今年の友菜にはまだインカレが遠いことも分かっていたはずなのに。いざ、自分だけ今年のインカレには出場できないという現実を突きつけられると、応援する気持ちは確かにあるのにそこに羨ましさと悔しさが混ざって、、、
というのが正直な友菜の気持ち。
どんどん強くなっていく友達と、頑張らないといけないと分かっているのにどこか頑張りきれない自分。
分かっていて動けない。頑張れない。
そう思いながら今日もハイキューを見て、いつになっても完成しないジグソーパズルを1ピースだけ埋める。
これは今日埋めた1ピース
なんか文章まとまらなくなっちゃった。悔しさもあるけど、初めて見る観音寺でのインカレは楽しみ(°▽°)(°▽°)♪(´ε` )
インカレ選手頑張ってください!!!
P.S.
あちゃさん!!友菜あちゃさん大好き♡
1番応援してます!
🧩🏐
1年ぶりにブログを書きます2年のなるひろデス。
1年間で書こうかなと考えたタイミングは何回かあったんですが。
んー、あんまり自分は考えてることを言語化するのに長けてないんだと思います。
今後もじっくり機会を伺いたいです笑。
そしてその1年ぶりに書くブログはなんと再び他己紹介になるんですね。
3年越しの他己紹介をしてくださった金田さんに続き、新入部員でもないなんでお前が、という声が聞こえます。(かねでぃさん・こまてぃさんギリギリで無理言ってごめんちゃい)
理由がちゃんとあります。
それは、、、今回僕が紹介する謎多きバイクガール・ほまれちゃんのせいです!!
まずは簡単にプロフィールを
名前:山下歩希(やましたほまれ)
出身:アメリカペンシルベニア州🇺🇸
所属:生物学類
好きな食べ物:お寿司と納豆
得意料理:エノキの豚バラまき←これすき
4月の新歓を経て、つくトラに入部してくれたほまれちゃん。
ほまれちゃんとの最初の出会いは新歓祭のワット対決で強烈な記録を叩き出して去っていったところから始まります。そのあとの百香亭のご飯会にも来てくれて、サイクリン部の競技班とサイクルチームに所属していることを聞き、ワット対決の結果に納得しました。と同時に、コッ、、、コレはつくトラにぜひきて、とお願いする感じでずっとしゅんさんと僕が口説く構図ができていた気がします。(ほんとごめんね笑)
そこで聞いたのは、大学では新しいことを始めてみたいからトライアスロンに興味を持ったということ。
「泳げるってめちゃくちゃ凄くないですか?」と目を輝かせていうほまれちゃんに「バイク早いってめちゃくちゃ羨ましいですよ」と真顔で言い返しそうになった僕はほんとに性格が悪いと思います。
ちなみに、ほまれちゃんのバイク人生をざっと聞いてみました
お父さんがロードバイクゴリゴリで乗ってた人らしく、小5の時には自転車トラックを走っていた
12歳でアメリカ選手権初出場 以後毎年出場
2022 エイジグループ全米3位
2023 「Tour of Flander」にアメリカ代表として出場
2025 U23の日本選手権で優勝🏆
うん、凄すぎてよくわかりません。とにかく自転車が大好きな人みたいです。
そんなほまれちゃんの今年の目標は「登りで早くなること」だそうです。
ちなみにほまれちゃんが出場した日本選手権の獲得標高は1926m/66kmです。え???
7月までは本業であるロードレースに集中するためにつくトラの練習には参加していなかったので、今回他己紹介を僕が担当する運びになりました。
今は大会が終わり余裕ができたということで、つくトラの練習にかなりの頻度で出現しているほまれちゃん。
先日はじめてバイク練一緒に行ったけど、不動峠は颯爽と抜かされました。
改めてすごい人だなあと。
私生活の方はというと、、、すみません、何も知りません笑。
いつもおっとりした口調で笑顔が素敵、大好きな納豆を毎日食べていて、最近引っ越しをして生活をEnjoyしている、、、
それくらいしか知りません。やばい笑
ほまれちゃんは秋入学なので今は1年生ですが、一応僕と同期の2年ズなわけです。
これからいろんな一面を知りたいですね。
ちなみに、9月に2年ズで新潟の「村上・笹川流れ国際トライアスロン」に出場するのですが、急遽ほまれちゃんの参加が決定いたしました。ほまれちゃんのことを知る絶好のチャンスです。とーっても楽しみであります。
がんばろーね!!
そんな、3B(バイクはやい/生物学類/バイリンガル)ガール・ほまれちゃんの紹介は以上になります!
そしてこれにて2025他己紹介は終わりになります。
素敵な他己紹介を皆さんありがとうございました!
名前:金田遼介
学年:B4
学群:体育専門学群
種目:トライアスロン×デュアスロン○
そう。みんなが愛するデュアスリート金田さん(通称かねでぃー)です。M1の後輩がB4の先輩を紹介するという情報量の多さと年齢の高さがこの2人の他己紹介のウリとなっております。
金田さんといえば、とんでもない量のロードバイクの知識とデータ。そして競技力。どちらの性質も併せ持つ漢です。そして、情にアツイ。関カレでの金田さんはメンターやメカニックという肩書きを超えた、情にアツイお兄さんと化していました。僕が、インカレボーダーを今年も突破できたのは、間違い無く金田さんのおかげです。関カレ後のご飯でも金田さんは僕を支えてくれました。改めて、多大なる感謝とBIG LOVEを贈呈します。
さて、皆さんの金田さんの印象はなんでしょうか?生粋のデュアスリート?ロードバイカー?足が速い人?泳げない人?僕から見た金田さんは違います。僕が「金田さんってどんな人?」と聞かれたら真っ先にこう答えます。「陸上3000m障害がめっちゃ速い人」
これは僕と金田さんの出会いにあります。金田さんは千葉県専修大学附属松戸高校駅伝部出身。僕は千葉県西武台千葉高校駅伝部出身です。この両校は千葉県の陸上競技第4支部に所属しており、秋に行われる千葉県高校駅伝ではライバル関係。毎年インターハイ出場者が出て、卒業後、箱根駅伝を走る選手が続出する強豪校です。さて、そんな強豪校で3000m障害でインターハイ出場、関東高校駅伝出場を果たした金田さんと僕はどんな出会いをするのでしょうか?
結論から申し上げますと、高校では出会いません。金田さんは千葉県高校陸上のスター。かたやは僕は強豪校で5000mを17分もかかる落ちこぼれ選手でした。そんな2人が出会うわけがないんです。僕はトラックの外からとんでもないスピードで水濠(3000m障害の中の一番しんどい障害)を爽やかに颯爽と超えていく金田さんを見ているだけでした。あの時の金田さんもかっこよかった、、、
さて話はちょっと進んで僕がB3。(あの時から5年経ちました、、、)金田さんがB4の年。僕がトライアスロンに転向しようとしたその年に、デュアスロンで金田さんが学生チャンピオンになったことを知りました。その時僕は「え!?」と思いました。しかし、沢山の陸上競技からトライアスロンに転向した人の話を聞いていると、3000m障害の強さとデュアスロンの強さはなぜか比例するそう。金田さんがデュアスリートになることはもう運命だったのだとその時思いました。その年、12月の認定記録会で、金田さんと出会い、一方通行の出会いはようやく幕を閉じました。
「僕、西武台千葉でした!あの人の後輩であの人の同期です!」と完全に虎の威を借る狐ムーブをかまし、僕のつくトラ0学期も始まりました。(これはまたいつか話そうかと思います)
凄すぎる地元の偉大な先輩。金田さん。そんな方と5年越しにチームメイトになるなんていまだに変な感じです。
そんな金田さんですが、次のレースは中国・成都で行われる、ワールドゲームズ(4年に1度行われる、オリンピック開催種目以外のスポーツの祭典)にデュアスロン日本代表として出場します。その次にはツールド福島。来年ニセコで行われるグランフォンド世界選手権の代表選考を兼ねたレースの試走で出場するそう。日の丸を背負い続ける金田さんからこれからも目が離せません。
そしてそして。来年2月に行われる全日本学生デュアスロン選手権。こちらも要チェック。類は友を呼ぶというのはこの事か、今年は走れる人がつくトラにたくさん。(筑波大学体育会デュアスロン部になってしまうぐらい。)ちょっと長めに、学生トライアスロン・デュアスロン界隈に居続けた金田さんの事は、つくトラの人間が責任を持って追い出さなくてはいけないのです。この日のレースが「金田に捧げる鎮魂歌(レクイエム)」となるのか、それとも伝説として金田さんが名を残すのか。それは分かりません。でも、もう既に計画は動き出している香りがします…
さて、長くなりましたが今日はここまで。金田さんの今後の活躍と来年度も他己紹介が活発になる事を願って締めとさせていただきます。
もうカンカレはサポート側でいいなって思ってた去年。
でも、またカンカレのスタートラインに戻って来られたのが嬉しかった。
気づけばM1になっていた大城です。
本格的に練習再開をしたのは、3月中旬のつくば春合宿前、古俣が正式に部員になって、しのさんがswim猛練習をはじめ、1戦を退いていた玉井、小林、銀河がU23スプリント選手権に向け帰ってきて、つくトラに春が来た。
この波に乗るしかないと、沖縄国体代表を目標に練習に復帰した。練習再開直後は、2:00 cycleで普通にしんどいし、体力なさすぎてメインに到達する前に疲労困憊だった。普通に練習していたら絶対間に合わないから、とにかく陸トレで筋トレと体幹、柔軟を念入りやって、常にいい感覚で泳ぐことを意識して練習した。
5月頃から、泳ぐたびに少しずつ早くなるボーナスタイムに突入し、チーム「1:40」に仲間入りした。
ただ、6月に入ってからは実践想定に入ったのもあり成長スピードが減衰した。ここで、もう1段階速くなりたかった。
沖縄国体予選を終え、2週間後のカンカレまでリカバリーを挟みつつ、フィトネスを落とし過ぎないように練習した。つくトラ5年目だけど部全体の練習に向き合う雰囲気が今までで1番良かった。
前日は、金田さん激推しのプレシジョンで電解質ローディングと、ボリュームの幸華でカーボローディングして当日に備えた。
アップ
いつもswim前にしている、ストレッチ、筋トレ、チューブを中心にした。ウエットを着るのが遅くて試泳は1往復ハードで終えた。あと1往復やっぱり必要だった。
swim 26:37 (112位)
目標は、25分前半しのさん、古俣、中野が見える位置で上がること。スタートは普段の練習の成果が実り今まで以上にスムーズにいった。しかし、ファーストブイ前で胸が締めつけられる感覚が出て、水温の冷たさも重なって軽い過呼吸が出てしまい大幅にペースが落ちた。何とか呼吸を整えて泳ぎ続けたけど、苦しい感覚がしばらく続いた。2周目に入るところで外側になるひろがいるのが確認できて、このままだとまずいとペースをあげた。ちょうど水温が比較的暖かいところに入ったため、動きもだいぶマシになった。単泳になったものの、2つほどの集団を抜いてスイムアップ。
時計の26:30の表示を見て、想像より耐えた安堵と、スタート後のペースダウンを恨む気持ちが入り交じった。カンカレOWSのトラウマは今年も払拭できず...。
T1
前つくトラから1分くらい、前半が遅かった分いつもよりもスイム後の疲労はなかった。トランジは日大の陣地の向かいと言い聞かせて、事故なく向かえた。
Bike 1:03:10(33位)
沖縄で痛い目にあっているので、水分と補給を多めに持って走った。(ボトル750ml 2本,マグオン2つ)
戦略的には、コース最初の折り返しまでのストレートと登りを頑張る区間、折り返してからの登りと下りはモデレート。水は1番スピードのでない登り前の直線でとる。コーナーでの減速をできるだけ抑えるイメージで走った。
折り返しで見える、しのさん、中野、古俣に追いつきそうに見えてなかなかタイム差が縮まらない、もどかしかった。後半、古俣との差がジリジリ縮まってきた。古俣の顔が千切れる寸前みたいな顔だったので、対向越しに声を掛けた。ラスト1周でAfroの徳田と一緒になった、筑波合宿皆出席の彼を応援しないつくトラ部員がいるかどうか?全力の応援を届けた。
降車ラインに入る直線で、4人ほど追い越した。ここは登っているからギリギリまでビンディング履いて足回してる方がいいんだよってドヤ顔で降車。
T2
塩分チャージと、帽子を持ってスタート。
シューズの履き替えが珍しくスムーズだった。靴下なんていらない。
run 44:07 (76位)
沖縄で痛い目にあってるので(2回目)、塩分チャージを水と一緒に流し込む。残った水を頭から首、脇、太ももと順にかけていく。1周目の池回りはなるべく抑えて走った。速攻で小野くんとイイハルに抜かれた。(ランナーになりたい。)跳ねて走ると絶対に足をつるので、小林の走り方を真似する感覚で走った。外回りは日陰が涼しく、淡々とリズムを刻む意識で走り4:20 /km辺りのペースをキープした。ボーダーを狙うならここでもっと攻めるべきだったのかもしれないけど、攻めて上手くいく自信がなかった。結局、そのままのペースでしのさんを追い抜き、涼太から逃げて10kmを終えた。
ゴール 2:13:54 (64位)
ゴール直後は、自分の結果よりも古俣と中野がボーダーを切ったかどうかを知りたかった。中野は救護室で朦朧としているし、古俣は今にも泣きそうな顔で結果が分かりにくかった。でも、2人とも決めてくれたのを知って嬉しさが込み上げた。あさひがインカレ決めたのももちろん嬉しかった。
今回のカンカレは『今できるベストの走り』をするのが目標だった。もちろん出来ればボーダーを突破してカンカレに行けたら最高の結果だったけど、それを口に出して目標にするにはサボっていた期間が長すぎた。それでも、今回の結果には満足している。期待され続けてずっと空回りしていたbikeで実力くらいの走りができて、runでしっかり耐えられたのは素直に嬉しかった。swimはあと1分上がりたかったけど。
「来年はインカレ完走目指したいです。」って言いたいんですけど、その宣言は来年の4月くらいまでとって置きます。今までスプリング終わりからパッたり泳がなくなってしまう悪癖で、何度も自分でチャンスを捻り潰してきたので、まずは1年を通して泳ぎ続けることを目標にします。(3月までに23分代のせたい。)
内的要因で頑張り続けるのはしんどい中で、院生からB1まで多くの部員が練習、運営に励んでいる今の雰囲気に背中を押されて半年間頑張れました。ありがとうございます。これからもこの雰囲気を継続できるように、つくトラ老人会の一員として頑張りたいです。
最後にレース前に聞いていた曲でも貼っときます。
「ゴールデンタイムラバー」
https://youtu.be/0iAF8TJAqp4?si=QlP2QjOfV5gmKVUB
来年は栄光のボーダーラインを飛び越えたい