2025/06/09

かっこいい先輩になりたかった

 

社工M2のさとうです。

院生の箸休めブログです。

 

つくトラとしては東日本インカレに向けて士気が高まる中、昨日は関東選手権に初参加してきました。

 

今年、盛り上がっているつくトラでトライアスロンをもう一度がんばってみたい、が、インカレ完走への時間の投資はできない、、、といったところで、国スポを思いつきました(会報参照)。

 

#国スポ・・・各都道府県2名出場可、茨城予選は関東選手権の順位で決定する。

茨城枠で出られるのは茨城在勤在住、または小中高で茨城通学(ふるさと枠)

 

関東選手権は、予選なしで選手権レースに出られて、Lapもないので、楽しそうかも!と思い、カッコ悪くならない準備ができたら申し込もうかななんて思って過ごしていました。

そしたら、あちゃが出るということで出るしかないと思ってエントリーしました。聞くところほかに1人だから、あちゃに勝てば国スポだから、スプリットで5分差がつけていれば、、、なんて思ってました。(あちゃは国スポをあんまり意識していないようだったので、全く遠慮せず、これをペラペラしゃべってました。ウルサイセンパイデゴメン)

 

4/24に論文を提出し、いったん大きなやることがひと段落したので少しずつ練習を始めました。

 

まずは4/29潮来練習会でスプリントをしましたが、体力なくて絶望しました。

 

それからGWが一番練習しました。

かすみキッチン集団走にみゆさんを誘って人数増えた~と思ったけど、自分はちぎれて一緒に集団走できなくて単走になり、悲しき日でした。しかしこの日の百香ランチは、つくトラがぎゅっと詰まってて幸せでした。

 

5/18スプリングODではランで沈んだので、そこからの三週間はjogを中心にしてきました。

ただスプリング後は土日に雨が降ったりいろんなところを順番に痛めたり体調不良だったりして、セーブ期間になってしまいました。そんなときに、外に引っ張り出してくれたのはあいさんでした。朝練はskipしても約束なら頑張って守るので結果的にjogだけは維持できてたのは本当にありがたかったです。

また専攻の陸同の後輩が「都市計画マラソン部」を発足して、監督補佐になったので、責任が発生し、jogを仕切ったりもしてました;;

 

それから、さわさんが出るという情報も教えてもらいました。なんだあちゃにかってももう一人いるのかということと、それをわかって申し込んでたからさわさんにあえるの楽しもうという気持ちで、もちろん開き直っていました。

 

そして迎えた当日、、、は、、、

Swim70Bike30Run90点 ですね。敗因はBikeです全く集団走できなくてダメでした。スプリングが上振れだったなあ。あとjog偉大。

最後尾自転車のお兄さんにつかれて、これも情けなかった、、

でも出てよかったな~って思います。出ないで後悔しないでよかった~

応援サポートありがとうございました。

あと女子はswim26分くらいでもパック組める可能性があったので、インカレの練習と思ってみんな出てほしいな。

 

遠征はわちゃわちゃしてて楽しかったですね。

 

・・・

 

自分は幹部までは、泳力も女子のだれにも届かず、bikeも誰よりも弱く、ランで追いつけるのか?!?!という感じで、常に前を追って練習してきました。幹部の後は研究室活動に全振りして、たまに運動することはあっても目標がないので追い込むこともなく過ごしてきました。そしたら、女子が増えてるのと、中でもインカレを目指したいという選手が何人かいたことで、女子選手の練習相手になって先輩からの恩を後輩に返したい、と思ったのがトライアスロンをもう一度やるか・・・?と思いついたきっかけでした。

 

最初は学生レースどれか出るか?、と思ってたのが、関東選手権まで行けたのは一緒に練習してくれたみんなのおかげです。

日々の練習も、応援してくれる皆さんも、つながりに感謝。

 

ただ、自分はかっこいい先輩になれなかった。。上記の通り、練習で後輩に混ざって一人で沈む。関東選手権では圧倒的最後尾。

 

かなしきかな。

 

でも自分に今できる投資はそんなものかもしれないな。

仕事とか研究とか、いろんなことと両立するのは難しい。いつもいつも思うけど、社会人でバリバリ競技をしている人、どういうこと??

とにかく自分はトライアスロンが好きであり、つくトラはとても楽しいが、もっと成長したいので他の事を軸にしていきたい。そこはブレなかったです。

これは幹部の時からだけど、レースで負けて悔しいというよりは、楽しいかどうかをベースにしているので、

トライアスロンを、プレッシャーもなくできて、体が少しずつ戻ってくるのは、とても楽しい期間でした。

欲を言えば茨城代表になりたかったけど、それは別の形で。

 

あらためて現役以上にパフォーマンスを上げるひとたちすごいです。

そして運営をして迎えてくれる幹部の皆さんと一緒に練習してくれる皆さん、ありがとうございます。

 

関カレがんばってね。佐藤は出るのかな、出ないのかな。あと少し悩みます。

潮来ではさきちゃんと勝負🔥 焼津ではゆうなゆずきと勝負🔥

もし、修士論文が順調にいけば、カーフマンにはでたいけど、、秋になったら考える。

 

お疲れ様でした&しんめいおめでとう🎊

 

 

2025/06/07

彩の国トライアスロンin加須大会レポ

お疲れ様です。体専3年かもしれない中野です。
 今年度、標準履修年度が現学年を下回る授業を2つ抱えてます。来年度は1つ確定で用意されてます。「持つべきものは友」と大学入学したてのころ教えられましたが、今まさに痛感しています。悔しくも教えてもらった教員に単位を落とされました。こちらの分が悪すぎるので異議申し立てはしません。あとほぼ実技なんですよね。恥ずかしい。 余談はさておき彩の国トライアスロンについて語りましょう。

Result
彩の国B(オリンピックディスタンス)総合4位
入賞〜
小6ぶりくらいの表彰ですね。個人競技やってきてないので


swim 26分41秒(18位) 1:53/100m
bike 1時間07分55秒(2位) 39.7km/h
run 38分24秒(10位) 3:53/km

 今回のレースの目的は、トレーニングとしてODの負荷に適応させること、前回レースからの進捗の確認でした。前回レースの前に体調崩して思うように負荷量をあげらなかったのでレース直前まで負荷を落とさずビルドアップで増やしていきました。ただ思ったよりも上げられずフィットネスは横ばいです。
 約4週くらい停滞が続いてますが、学校が始まったので安定させることが最善かもしれません。実際、ゴールデンウィークで一回急激にさせましたが身体がついてこず体調崩したので学校がある期間は無理せずルーティンをこなしていきましょう。

swim
珍しく蛇行もあり、思ったようなタイムは出せず。
 失敗したこととして、途中アンクルバンドを直すため止まったこと、曇り止めをつけ忘れたため目標のブイを視認できなかったことが挙げられます。訳あってレース前にアンクルバンドをとり、直前2〜3分前に付け直したことでアンクルバンドがウェットスーツの中に収まっていませんでした。反省として準備が遅かったこと、カフェインの飲む時間などがあります。
 まぁでも一つ言うならばあえて失敗するようにしたとも言えます。失敗しないと見えてこないことってありますからね。

bike
ラップ2位は非常に嬉しい。
 DHバーでの初のレースになりました。直前に自分の身体感覚とハワイのアイアンマンレースのbike静止画だけを頼りにポジションを決めましたが、案外良いポジションが取れたと思います。まだ改善の余地ありですが。
 あと前回レースでの課題にしていた補給も意識でき、脚も80%残してフィニッシュできました。swimと違って良い成功体験です。

run
インカレ予選では、3:50/km目標のため、あと1ヶ月あるなかでこのタイムは上出来。コースも予選と似ているので良いのではないでしょうか。
 一つ課題をあげるなら、体温調節。走ってる途中に暑さ感じてからはパフォーマンスが一気に落ちていきますね。8km過ぎから熱こもってきて少し垂れました。エイドで水分をとるかとらないか。それをかけるか飲むか戦術が必要になりそうです。ただ、今回は暑熱馴化されててかつbike中に水分・栄養ともに補給できていたので前回レースより垂れることはなかったのだと思います。

総評
これ以上にないペース配分。学生レースでないため肩の力が抜けマイペースで走りきれたんだと思います。

インカレ予選に向けて
memo程度の内容です。
戦略・戦術での敗北が起きないように以下、課題をあげておきます。
1、体温
2、栄養戦略
3、bikeポジション

以下、改善案
1、当日は今回よりも暑いことが予想されるため更なる暑熱馴化。エイドステーションでの水の補給。補給1:垂れる前に深部を冷やしたいため約4〜5km地点。補給2:スパートかけるために7〜8km地点。
適宜、頭と脚から水をかける。
2、今回と同様のドリンクの使用プラスして電解質を入れる。
カフェイン摂取時間の検討。
今回、カフェイン量:80mg、摂取:4時、作用:7時30分、作用までの時間:3.5h
一般的な作用開始時間:0.5~1h、一般的な半減期:4h
→代謝が遅い+体重が重い+持続時間が長い
試泳の1~1.5h前に摂取(水分補給、電解質の補給に留意)
3、DHバーでのポジションと通常のポジションを両立させるサドル位置。渡良瀬遊水地とは異なり立ち上がりや勾配のあるコースのためDHバーだけには頼れない。長い上り坂での練習(八郷の不二家越えた先の登り等を使用)

2025/05/28

なんかとりとめもない話
B2 いしずか
去年の12月の終わりあたりからトライアスロンとの向き合い方について漠然と考えるようになり、1月のswim練後のAちゃさんとSめいさんとのふくろうでの夜ご飯で本気で取り組むことを心に決めてから4か月ぐらい経ちました。この4か月の間に様々な合宿に参加し、いろんな人と出会い多くの刺激をいただき、少なからず12月までの自分よりは強くなったと思います。またこの期間一番力を入れたのはswimで、いろんな人にたくさんアドバイスをもらいました。そのおかげで3月のTTで1500の30分切りを達成することができ、自分のために時間を割いて教えてくれた先輩方に結果として恩返しできたかなと…。他にも雑魚runをどうにかするべくジョグの回数を増やして少しでもrunへの抵抗感を減らそうとするなど、スポーツと考えて向き合うということを19年間で初めてした4か月でした。(それくらい自分的には結構真面目に取り組んでいたつもりということです)
まあそんな4か月は体感は長いものでありましたが、体感よりもかなり速いペースで地球は回っていたらしく、いつのまにか2025年のトライアスロンシーズンが始まり、年度最初のレースであるスプリングも終わってしまいました🌎スプリングの目標は、swimは30分切り,bikeは特になし、runはキロ6よりも速いペースで走ることで、これらは数値上はすべて達成されましたが、気持ち的にあまり納得いくものではありませんでした。なぜならrunが想像以上に走れた感覚がなかったからです。今回はrunを頑張るつもりでbikeを踏みすぎないようにするという「bike8割、run8割作戦」で行くつもりでした。失敗でした。結果としては感覚ではbike8割、run6割といつものrunの頑張り比重と変わらない結果でした。別にbike踏んだって踏まなくたってrunのキツさ頑張り具合はあまり変わりませんでした。なんであんなにbike後のrunはきついのか😇
ここから分かることは、友菜のrunが雑魚い理由はbike後で脚がきついからというより(もちろんこれらも要因ではあるが)単に体力がないからなのではないかということです。結局、昔から友菜には体力がないんだなと…。体力をつけるためにトライアスロンを始めたのに体力はついていないと…。最近、Sめいさんにvo2maxの値を聞かれたので改めて自分の数値を確認してみると大横転。なんとなく60はあるのかななんて思っていたので、数値としても体力がないことを思い知らされ正直萎えました。が、しかし、ウジウジしている時間はないみたいです。なぜなら地球は友菜が思うよりもはやく回っているから。カンカレまでになんとか雑魚runをなんとかやや雑魚ぐらいにしなくてはいけないです。日々のジョグ、run練を大切に練習を積み重ねていきます。他にも理論としてrunを理解すべくrunのオベンキョも始めました。なんてたってこれからの友菜はスポーツと考えて向き合っていくのが前提だからネ☆
これからの目標となるレースはもちろんカンカレです。3年生の幹部代の間で頑張ってインカレには行きたい。けどまだあまりにもrunが遅すぎる。しかもrunを補えるくらいのswim力とbike力があるわけでもない。あぁぁぁぁぁぁ、どうしたらいいいい
考える。かんがえる。カンガエル。🤔
まあ、とりあえず今は、目の前にある練習にしっかり参加して、オベンキョもして、先輩方によくお話きいてやっていくしかないネ。そのためにも練習に支障をきたすようなことを起こさないようにしていこ。安定したメンタルを維持させるとか、日常からケガしないように、硬式ボールでキャッチボールしないとかバイト先で転んで剥離骨折しないとか壁に頭ぶつけないとか、気をつけていこネ🦉🐸🐾🦖🐬🐎
 
(これは最近友達の家で見つけたデブなカメのぬいぐるみ。でもカメは泳げるし陸でも生きれるから友菜よりも水にも陸にも強いネ)

2025/05/20

2025渡良瀬スプリングレポ

こんにちは。つくとら副主将の中野です。今回は、先日開催された2025渡良瀬スプリングのレースレポを何のひねりもなく書き連ねます。会報同様、時間がある人だけどうぞ!
 
リザルト
未だにリザルトの見方がよくわからないのでwatchの記録を載せます。
Swim 25m56s(1:52/100m)
T1 2m06s
Bike 1h05m43s(39.6km/h)
T2 1m38s
Run 41m53s(4:01/km)
Total 2h17m21s(55.74km)
 
男子オープンの順位は56位で、男子大学選抜を含めると84位、関東圏の学生以外を除いた順位は58位とインカレボーダーラインは見えてきました。まだインカレ行けるかい行けないかのカイジの鉄骨状態ですが、可能性を秘めていることは明らかになり、瞳孔ガン開きです。インカレボーダーをざわ、ざわ、ざわ…と感じてきましたね。
 
Swim
ウェットスーツの管理に面倒を感じウェットスーツを着用してプールで練習を一切してまきませんでしたが、なんだかんだ泳げてしまいました。約26分ジャストということで若干距離が短かったもののプールswimでの1500mベストを30秒近く更新しました。【OWSのタイム=筑波大プールのタイム+2min】という公式?法則?みたいなのがあるらしいけど外れ値として存在することができました。Tま井さんもOWSで記録を更新したみたいなので身長に相関があるかもしれませんね。しかし、まだまだ遅い。
今回は、swimの申告タイム制によりスタート時間が分かれていたのでスタートは内側を選択しました。前引くのは、効率悪いし寂しいので2列目あたりを確保。泳力も同じくらいの人ばかりなのでとりあえずこの位置を死守して泳いでいれば間違いないと確信していました。スタートと同時にいつも通り無酸素領域に手を出したりして、水への作用を加減しながらとにかく泡のある方向へ。OWSのコンセプトは、「金魚のフン」で誰かにこびりつくことです。最初の1周は、元気もあるので毎呼吸ヘッドアップ。これが泳ぎの効率として良いわけないのですが、OWSはとにかく情報戦。どこを泳いでいるのか、前に泳いでいる人はいるの、その人は誰でどのくらいの泳力なのか、脳あるフンとして常に考えて腕より頭が疲れる。もっと気楽に泳ぎたいです。
途中、左目にキックが直撃し、左目機能不全に。ゴーグルに圧迫されて目を開けられませんでした。右目だけでは距離感や視野がつかめず焦りました。そんなハプニングもありましたが、無事陸へ帰還。
 
Bike
 見せ場のバイク。何人抜かせるか楽しみにしていましたが、今回のレースも案の定ドラフティングレースということで集団走行になりました。収穫として、ドラフティングする側ではなくされる側になったこと。まだちぎるほどの実力はありませんでしたが、swimと違い陸では金魚になりました。
 Bike序盤にマグオンをトライスーツにいれ後で飲もうとしましたが、中に入りすぎて取り出せず補給ができませんでした。これがだいぶ後半のrunに響きました。
 
Run
 今回のrunを歌で表すと
 
垂れ!垂れ! 垂れ!垂れ!Tale!Tale! Ah 真夏のJamboree、、、、、
 
以上です。
 
総評
 今シーズン初の学生レース、ODのレースということで非常に楽しみにしていました。目標としている結果には、届きそうで届かない歯がゆいレース結果になりました。ただ、レースを存分に楽しめたので良しとしよう。関カレまであと1か月半。死ぬ気で駆け抜けます。(最近は根性にはまってます。五月病?)

2025/05/19

スプリングレポ

 

お疲れ様です。かのです。

昨日スプリング@渡良瀬に出場したのでレースレポを記録として残したいと思います。

 

当日コンディション

気温20℃、水温21℃、風はあまりなし

 

Result

Swim26:03

Bike1:25:00T1/T2込み、31.5km/h

Run1:01:135:38/km

 

Swim

スタート真ん中最前列でもまれてハイストレス。今後この位置からスタートはやめようと誓った。開始250mまではDNFもよぎったが呼吸を整えて落ち着けた。ゆうなを抜き、500m地点のブイ回りながらあさひをとらえ、あとは大きく泳ぐことを意識。ブイが遠いとやっぱヘッドアップしてもあまり見えないのでそもそもの左右差をなくして蛇行しないことを目指したい。

みんなのストラバを見る感じタイムは約50m100m短かった?ので、スタートロスを加味してもペースは実質27/1500mかな。

昨年出た関カレは29分だったことから、ちゃんと練習の成果は出ていることが分かった一方、今の上限値はここだなということも感じた。あと1分上げたい。

 

Bike

T1で輪ゴムが取れてしまい、サドルを押してるときに地面とビンディングが擦れ、ペダルからビンディングが外れて靴を拾いに行くというロス。落ち着け〜

あさひにスイム先行していたのにBikeスタートの時にはもう見えなかった、ここ今回一番悔しい。

3年前のブログ参照、3年のスプリングでは全く踏めず絶望バイクだった。今年は会場到着後、一人試走して、ラップされた渡良瀬インカレと楽しくなかった3年スプリングを思い出し、渡良瀬を走る日で一番気分はよいことを確認した。5月の数回のバイク練でバイク力をどうやって戻すかということを全身を使って探した結果、力の伝え方が現役の時よりよくなった感触があった(あいさんすずさん不動ライドで)。それで臨んだバイクはMETALの白岩さんという方と抜きつ抜かれつ、結果3年スプリングよりタイムが速く最高の結果だった。単走ODはそもそもあまり経験したことがなかったのだけど、一応単走40kmベストであった。こんなこともあるんだなあと思い、来年以降続けるのがとても楽しみだ。

ラスト周でゆうなに抜かされ、さすがだなと思いながらT2in。降りるのは成功しT2でゆうなを抜かした。トランジ一緒に練習しよう。

 

Run

授業の12分間走で4'20"で走れたからキロ510kmはいけるかな〜って、同期で集まった時にペラペラ話してた。ブリックランは垂れない自信があったし、関カレもインカレも気持ちよく走れてたくさん抜かせたランしか経験がないので慢心してた。ふたを開けたらまーあ走れず、10kmがとてもとても長く感じてこっちが絶望ランだった。昔のブリックラン得意なのはベース量にちゃんと裏打ちされていたんだなと知った。フォームとか経験値(一応中高陸上部)以上に幹部の時はちゃんとJogしてたのが効いてたんだということがわかり、さきにも「(ちゃんと走れてなくて)安心した」とか言われた。火が付いたのでこれも未来は明るいです。

 

2025年の目標の一つが学生レースに出る、であり、周りの勢いに後押しされ、もう一度やってみるかという軽い気持ちで練習を始めた。潮来練習会ではセット練というだけでキツスギタが、GWの荒療治や日曜3部練などが確実に効いているのもわかった。初めてのトライアスロン、プレッシャーの中ピークを合わせてレベルの高い争いをするトライアスロン、もう一度泳げる走れる自分を取り戻すトライアスロン、全部違う楽しさがあるって知れてうれしい。ある程度研究に全振りした期間があったからこその今であり、それでもなおつくトラに居続ける選択をとったこと、それを後押ししてくれた同期、今なお多様なかかわり方を認めてくれるつくトラにありがとうを伝えたい。

そして自分の代のスプリングの時よりスムーズに運営をする幹部代に脱帽し、尊敬&感謝の気持ちでいっぱいです。5月といえば5月病ということで、誰にでも波はあるものですが、体調含めて整え、各々のピークにちゃんと持っていけることを願ってます。ここから重圧やピリピリ感が増してしていくかもしれませんが、助け合いながら、感謝の気持ちも忘れずに、がんばっていけるといいですね。応援してます。

 

2025/05/06

茨城県練習会@潮来

こんにちは。
かのです。
修士2年になりました。

自分でもびっくり、4/29昭和の日に、潮来の練習会に参加させていただきました。
茨城県トライアスロン連合主催で、つくトラから15人くらいいったのかな。
スプリント形式の実践練習であり、3種目連続のとても貴重な練習会でした。今回そのレポをします。(メールうまく送れなかったので、別アドレスから再送します。)


朝7:00につくばを出発。
今回の遠征責任者しんめいがハイエースを運転してくれたので助手席でした。

ローイングセンターあめんぼに到着して、ここが国体の会場かと。
潮来には研究室活動で毎年2,3回行くのですが、「あめんぼ」には初めて行きました。

到着して準備して、まずはバイクのテク練。普段もこれをやってから出発するといいそうです。
バイクコースで鹿島神宮の西の鳥居が見えるところまで行きました。片道10km。風がちょっとある。

次に、ランコースを試走しました。ボート部の中学生が元気でした。さすが水郷潮来、中学生もボートやるんですね。
ついに入水、久しぶりのOWSは常陸利根川でした。実は初めての川OWSでした。
冷たかったものの18度で、ウェット着ていれば大丈夫でしたね。
むしろ、風が寒くてバイクの時寒さでやられないか心配でした。

そのまま流れでスプリントスタート!
Swimは数日前のスイム練よりは泳げた気がする。。?
気持ちよく泳げたわりに、バイクでとにかく腹筋とか体幹がなくてまったくこげませんでした
数日前に愛さんと筑波山いったのですが、不動峠のぼりながら金田に笑われてしまいました。
今より5分も早く不動登れてたなんて別人の記録見てるみたいです
なんとか漕いでランに入ったものの、スピードが出るわけがありません。(ジョグもしてないので怪我しそうだし。春はシンスプ。。)
でも完走はできてほっとしています。
新入生こうとくんも初トライアスロン楽しんでおり何よりです。
レース外でトライアスロンを体験できるのは、自分の初トライアスロン@阿字ヶ浦を思い出し、とてもありがたい機会ですね。

解散して、お昼ご飯は道の駅潮来へ。
アイス食べたかったけど並んでおり時間がなくて断念。
唐揚げ定食でつくばっくです。次はフォー食べましょう。運動するとご飯が美味しい。
帰りもしんめいが運転してくれてたのもしいな。
帰ってきて、荷物おろして、レンタカー屋さんいって。
天気も最高だったので楽しい祝日でした☀️

今つくトラは、インカレ、Duathlon世界大会、U23、国スポ、KONAなどなど、、、みんなレベル高くてアツい🔥それに個が強いのにみんな楽しめてる感がある。すごーくいいチームになってるとおもう。

希望にあふれることを言ったけど、
楽しまないと意味ないし、やりたくないことやっても意味ないから、ひとりひとりが楽しく活動して悔いなく力を発揮できるといいですね。


入部式📸 ナイス新歓

自分も鍛えながらみんなをサポートできたらなと思っております。
学生ラストイヤーはトライアスロンを楽しみます。

おわり

2025/04/26

2024年のインカレについて

強力な台風の影響により、インカレが延期され、スプリントと連日開催となった異例の2024年。
さらに、インカレの大会スタートが遅延するという、異例に異例を重ねた中での大会開催となりましたね。

どうも、私です。つくとらの人たちに分かってもらえれば大丈夫なので、名前は出しません。

インカレの日に、私の身に何が起こったのか。


私が2024年の学連の活動で最も覚えているのは、学生レース最後のインカレで、私が鍵を無くして、全ての大会関係者が会場に入れずにインカレの開催時間が大幅に遅れてしまったことです。


それについて、話していこうと思います。何となくです。


インカレ当日

選手駐車場の開放時間は、朝5:30。

選手駐車場を開けるのは、大会運営委員長である私の役目だ。


雨が降っていた。確か、朝5:10〜20くらい、私が会場に着くと、朝5:30から駐車場開放のはずなのに、すでに選手の車で、1本の道が渋滞していた。


真っ暗闇の中、車の赤いランプが連なり、長い列を作っていた。朝とはいえ、一般の大型運搬トラックも通る一車線道路。トライアスロン関係者が一般人に大きな迷惑をかけていることになる。すでに大型トラックが、渋滞に巻き込まれていた。


第一パニック

状況を理解して、ジャラジャラした大量の鍵を握りしめて、運転していた車を急いで降りた。まず向かったのは、一般道路と会場を繋ぐ道に入るための両開きの門。そこは元々開いていたようだが、左側しか開いていなかった。


「この渋滞をすぐに緩和しないと。できるだけこの道を通れる車を増やさないといけない、右側も開けないと。」


鍵を持って、雨の中、真っ暗な中、南京錠を回す。道路から折り返すような道になっているため、前にも後ろにも車の渋滞が続いていた。鍵を入れて、回す。


「やばい、開かない。」


これ詳しくは忘れたけど、鍵を入れて回すだけでは開かない仕組みになっていた。そんなこと知らないから、何回か試してみるのだが、何度やっても開かない。鍵が違うのか、別の鍵でも試す。開かない。


第1プチパニック。そんな中、渋滞に巻き込まれた大型トラックが、それはそれは大きなトラックのクラクションと怒号を私に浴びせるのだ。

『馬鹿野郎!クソが!』ぶーーーーーーーーー!!!!!


(もう、だめだ、ここは左側が空いているから、もう諦めよう)



第2パニック

ダッシュして、次に向かったのは関係者駐車場。なぜなら、さっきの場所から一番近かったから。笑


鍵がジャラジャラぶら下がったアレ。アレが私の手に3種類くらいあった。雨の中、真っ暗の中、1人でたくさんの鍵を1つずつ試して、そこの駐車場を開けようとした。鍵が大量にありすぎる。鍵が入らない、回らない。全部試した。


「え、どの鍵でも開かない、」


第2プチパニック発生。こうしている間にも、トラックの大きなクラクションは鳴り響き続けているし、車の赤いランプは恐ろしい光景になって私の後ろに陳列している。


それと並行して、学連の宿を出発する学生から、私に電話が入る。


学連の学生「かのこさん、車が足りません!」

日本人の私「What the F**k」


学連の宿から会場に向かうための、使用できる車の数は把握していたし、誰が運転して誰が何に乗るか、資料まで作って指示していたのに、「車が足りないので会場に行けません」というトラブル発生。※詳細は最後


「おけ、どうにかする、一旦待機で!!」


渋滞はえげつない、鍵はない、車はない、カオス状態でした。


話は戻り、関係者駐車場の鍵が開かない。

(私の開け方が間違えていたのかな、もう一回、、)なんてしている場合じゃねえわ、そこも諦めて全力ダッシュ、次に向かうは選手駐車場。


第3パニック

渋滞している車の横をダッシュして、選手駐車場に到着。安定に、雨の中、真っ暗で、車の赤いランプの列が私をプレッシャーで押しつぶす。


選手駐車場の門は一番大きい。あの門には、南京錠が4つ(だったかな)ついている。南京錠に入る鍵はあったが、例の如く、開かない。第3プチパニック。たった一人、大きな門と車の渋滞に挟まれて、鍵を開けられない。本当に恐ろしい光景だった。暗闇の中、私を先頭に奥まで見えない渋滞、赤いランプがずっと遠くまで続いていた。


駐車場開放

確か、1つ目の南京錠は開けることができた。私はその時、その門に4つもの南京錠が付けられていることを聞かされていなかった。1つ目の南京錠を開けて、門を開けようと引っ張ったり、押したりしていた。開くわけないのだ。1人で門と格闘していると、後ろで渋滞していた車から、選手がワラワラと降りてきて、助けに来てくれた。


「大丈夫ですか?手伝います!」

「こっちにも、南京錠ついてます!」

「鍵をパスして!こっち開けとくよ!」


助けに来てくれた選手は1人だけじゃない、いっぱいきてくれた。しんめいもきてくれた。あの時、本当に辛かった、どうにもできない自分の力不足、何もうまくいかない、何も解決できていない、すでに大会遅延は確定、私は冷静ではなかった。


あの時助けに来てくれた選手たちの大学や名前、なんなら顔も覚えていない。けど、あそこで彼らが来てくれて、一緒に開けてくれて、なんとか選手駐車場を開放することができた。


本当に感謝しています。もちろん、大会運営委員長として、『駐車場を開ける手伝いをしてくれてありがとう』というのもあるけど、私個人として『あの時、助けに来てくれてありがとう』

人からの手助けが、こんなにも精神的に安心をもたらすのかと、感動致しました。人間の暖かみを、ふと噛み締めて、駐車場を開放していたという裏話でございました。


関係者駐車場開放〜裏ルート〜

ちなみに、選手駐車場が開放したのはおそらく、朝6時くらい。

なんと第1パニックの時から30分くらいしか経っていない。


選手駐車場を開けられても、関係者駐車場を開けないと大会は開催できない。ダッシュして戻って、また大量の鍵を1つずつ試すのだが、やっぱり開かない。鍵を落とした可能性も視野に入れていたので、LINEの学連グループで「至急、鍵を間違えて持っていないか、`近くに落ちていないかを確認してください」と連絡を入れていたし、私が乗っていた車の中を探すよう、同乗していた学生に指示は出していた。それでも見つからないのだ。


鍵はない、そして学連の宿にまだ学生が取り残されている、という危機的状況。(*第2パニック参照)


もう空は明るくなってきていた。


結局、鍵は見つからないまま、普段は使わない門から無理やり入れることを発見し、ランコースを車で通って、本部に入場できた。


すんなり書いたけど、その結論に至るまでも、結構大変だったよ。


鍵の所在について
どこにあったと思う?



鍵を預かった際に、「ぜっっっったいに無くさないで」と言われていたので、車の中から出さないようにしていたのさ





ってことは車の中にあるに決まってるじゃん?






鍵がないって分かって、もちろん、一番に車の中を探した






どんなに探してもなかった。でもね、、、






どこにあったかというと、、、












車の運転席のフットシートの裏にあった。

これ、私納得していない。私も探したし、私以外の人にも探させた。なかった!!ぜったい、見えない何かに意地悪されてたって(T T)
妖怪とかいたって。

「フットシートの裏を探すのは当たり前だろ」と大人の方々や、車を所有して数年以上経つ方々は思うかもしれませんが、普段車を使っていないと、そうも簡単にそこを探そうとはならないわけです。学生だけしかいなかった、というのも見つけられなかった要因だと思いますね。

少なくとも、私たちはくまなく車の中を探しました。フットシートの裏以外。

あと余談なのだが、その後、本部にいた女性理事がインカムで
女性理事「鍵見つかったそうです。どうやら学生の車の中にあったそうです。」






いや、フットシートの裏ね?

そこ、大事だからさ、頼むよ

以上、余談でした。



宿に取り残された学生たちのその後

宿に取り残された学生は、学連に参加していた学生の親御さんにご協力いただき、宿に1人を残し、会場へ到着。その時、車に乗り切らなかった学生はつくとらのこじさん、迎えにいってくれたのは森竹。私が頼んで、森竹に車を出してもらった。非常に助かった、ありがとう。


ちなみに、車が足りなくなった理由は、ドローンで選手を撮影するサービスをしてくれたドローン会社の人たちが勝手に乗っていってた。怒るよ〜?


この1日を通して

県協会のおじさまたちが、とても頼もしかったし、優しかったのを覚えております。

「しょけた顔してたら、引っ叩いてやろうかと思ったけど、案外元気ならよかったよ。大変だったと思うけど、なんとかやりきったな!よくやったな!」

と言っていただき、肩の荷が降りたというか、スッと脱力できたというか。レース当日の運営側のあの空間は、何だかずっと気を張っていました。みんな疲れているし、自分がうまくできていないような感覚(実際できていなかっただろう、という意見も受け入れます)とずっと過ごしてきました。

運営中は、疲弊し切った思い出ばかり目立ちますが、全て終わり時間も空いた今、伝説に残るやらかしをしてしまい、無事レースが終了できたことだけでも喜ばしいこととは思っておりますが、「より効率よく、それぞれの学生が主体的に行動できる運営」を目指していたので、最後のレースであの混乱の中、それぞれの学生が自分の役割を理解し、主体的に動けるような様子が見られ、大会運営委員長としてのモットーはなんとか実現ができたのだろうと、ポジティブに捉えます。

最後まで読んでくれてありがとう。





2025/04/07

拗らせカーフマンレースレポート

 学生延長モードをクリックしてしまったしのです。


念願のカーフマンエリートに先月出場しました。


エリートに出たいという気持ちは前年からずっとあった。


後ろにつくのだけは得意なので、パックさえ組めれば完走できる自信があった。


1週間前からかなりソワソワしていた。練習を積めてない時、自信が足りなくてソワソワする。積めている時、満ち足りていて割り切れて、楽しめる。今回は前者。


就活>バイト>練習 の優先順位で半年ほど過ごしたのに2月になっても内定がなく、この時期は落ち着きがなかった。この不安定なメンタルが結局のところ一番の課題である。



レース前

1stランのタイムが近そうな人に挨拶して回る。


1stRun、先頭とどの辺までですれ違うべきか計算しておく。


スタート直前、たなそうさんが「大阪体育大の人がランはギリギリだがバイクが強い」という神情報を教えてくれる。これのおかげで踏ん張れた、感謝しかない。



【1stRun】 18:47 109/122位

Garmin 3:40/km


尻上がりタイプなので後方からスタート。目標は3キロまで3:35前後で耐え、それ以後も3:40は死守すること。


結果、3キロあたりから3:45/kmまで垂れ、気がつけば後ろには集団になりそうな人数はいない状態。既にやめたいくらいしんどかった、ここが本当にキツかった。やはりなるくんにはかなり序盤で離されてしまう。予想通りだが不甲斐なさを感じながら走る。


周りを見る余裕もなくなり、サポートの「このパック落とさなければいける」の声は本当に力になった。この一言がなければ心が折れもっと垂れ散らかしていただろう。


ラスト1キロは身体が慣れてきて少し楽になったが無理にパックを上げることはせず、呼吸を整えトランジに脳みそを備えた。


【T1】

早くはないが初歩的ミスもなく無難にいった。

バイクに飛び乗る前、後ろに赤いトライスーツ(大阪体育大学)の選手がいるのを確認し安堵


最近飛びのった後、足を浮かせて少しずつシューズにはめればいいんだという初歩的学びをした。ここで実践できたのは良かった。


【Bike】 46:20 93/110位

Garmin 39.6km/h


正直バイクは必死すぎて記憶があまりない。


後ろをキョロキョロしながら例のバイクつよつよお兄さんの列車を逃さないよう、いつでも全力走できるよう、呼吸とギア数を整える。


と思っていたら不要な心配で、優しく引き連れてくれる超優しいお兄さんだった。とんとらの丸くんも一緒で再び安堵。知った顔が一緒のパックなのは非常に気持ち的にでかい。


最初のカーブまでには7人くらいのパックになってた気がする。おかげであまり力を使わずに済んだ。


風は強め、頻繁に回しながら前を追いかけようという声がかかる。集団走には自信があったが、貢献するどころか基本的にお荷物になっていた気がする。


パックを組めた安堵か、4年越しに念願の集団走ができて、興奮しすぎたのか、うまく力が入らない。変なところが力んでいる。そのせいで普段攣らない腹筋とか腸腰筋だとか腕が早くも攣りそうになる。


後ろにつくのも想像より楽ではなく、気を抜いたらすぐに置いて行かれてしまいそう。これが集団走か。。りんりんとは全然違う緊張感を初めて知る。


結局攣って漕げなくなるのを怖がり、2〜3回に1回はローテを回さずに後ろで休ませてもらった。この時なぜか声がガラガラで声があまり出ず後ろに迷惑をかけてしまった。。普段の練習でも声を出していかないといけないのだね。


奥のコーナーで駿亮の顔が見えた。笑みが溢れる。おかげで少し興奮を落ちつかせることができた。


ターンは本当にヒヤヒヤする。砂利もかなり気になり、必要以上に減速、立ち上がりで無駄に体力を消耗する。妙に寄せてくる人もいてホイールが一度擦れた時は心臓止まった。


2〜3周した頃、奥の折り返しで中切れが起き始める。いち早く気付きなんとかブリッジして前と後ろを繋いだのは、この日一番のファインプレーだったと個人的には思っている。こういう勘だけは腐らず残っていてくれるので好きだ。


ずっと列が汚い。2列なのか、3列なのか。ブレーキかけたりダンシングしたり。こんなにペースの変動があるものなのか。

陣地近くでは積極的に前を引きたくなっちゃう。楽しすぎる。


いろんなところをつりかけながらもなんとか最終周を終え、トランジへ。ランシュー履こうとかがむ動作は本当にハムを攣りやすい。1分くらいロスしランへ向かう。


【2nd Run】 29:12  (109/109位)

攣りすぎてマジで公開処刑。10回は攣った。「カーフ」(ふくらはぎ)だけならいいのだけど、ハムをやっちゃうとやっぱり走れない。


2周目くらいで「このまま行けばエリートレースを完走できる」と実感が湧いてきて泣きそうになってしまった。


3周くらいした頃には全員に抜かれ、気づけば後ろには誰もいない。残り2周以上あって梓銘はもうフィニッシュしている。


結局一度も軌道に乗らず、止まったり走ったりを繰り返しながらなんとか5周をやりきり、完走させてもらえた。遅すぎて、後2周の時に「ラスト1周ファイト〜」と何人かに言われるくらいには遅かった。。


【Total 】 1:34:19 (109/109位)


ラップされると本当に凄く悲しくなるから、なんとか完走したいと思っていた。観音寺で2分しかバイクに乗れなかったあの日以降、2年以上「エリートレース完走」という肩書きを欲し拗らせていた。


とは言いながらも就活・研究・バイトの次の優先順位が「練習」なので、欲張ってしまい決めて「断つ」をできない自分の器の小ささなのだが、その中でも拗らせをクリアできたのは、何か胸のつっかえがとれた気分で本当に爽快だった。



来年はもう少し見栄えある走りをしたい。バイクはもっとパックを引っ張っていきたい(その方が楽しい)し、セカンドランは攣ってもいいからキロ4に抑えたい。とりあえず入部以降の僕は、ランの練習距離がナメ腐っている。正直3種目の中でランは唯一好きではない。練習量は15〜20キロ/週がアベレージで、気が向いた時だけ30〜40/週走っているのがいいとこだ。ランをコンスタントに積んでいきたい。ベースが無さすぎる。関カレもキロ4で走りたいことを考えると、これから関カレ超えて夏、冬超えてカーフマンまでは継続的に30キロ週は守っていきたい。B4とM1は競技以外に寄り道したが、進路が確保された今、ラストイヤーは競技でもう一度だけどはしゃいでいきたい、だって未練があるから。つくとらデュアスロン王国復活に向け戻ってきてほしいメンバーも数人。たのしみな2025シーズンだ


↑本当に無様 ちゃんと練習を積んで出ましょう

↑今回のお気に写;来年から戦友になるAfro-Qの古俣氏とのツーショ、えもい
#なあんでこんなところへ
#院進合格おめでとう




2025/03/31

2年生ラストの日に思うこと

 2025331日。大学2年生最後の日。無事に筑波春合宿を終えることができました。

主将の根本あさひです。

合宿に参加してくださった他大学の皆さん、サポートをしてくれた先輩方、そして一緒に運営を頑張った同期の梅木と中野。本当にありがとうございました。


合宿をやってよかった。心の底からそう思いました。

新しい出会いもたくさんあったし、選手として主将として成長することができたと感じたからです。

大きなトラブルもなく無事に終えることができたことが何よりも嬉しいです。

合宿初日から雨の中つくばエクスプレスの運行停止による大混乱。どうなることかと思ったけれど、現状を的確に教えてくださった合宿参加者の皆さん、車出しを調整し実行してくれた先輩方のおかげで、何とか時間通りに合宿を始めることができました。

 

合宿をやらない選択肢もあったわけです。

実際昨年はそうなってるし、私たち同期はそこまで競技の実績があるわけでもない。

それでもなぜやる決断をしたのかというと、私たちならできると思ったからです。

 

1年生の入部式からずっと3人でやってきた。

2年生になって同期仲間は増えたけれど、彼らはつくトラのことをまだよく知らない。

私は主将、中野は副主将、梅木は主務と会計。

きっと同じクラスにいたとしても決して交わらないような3人。

お互いに理解不能なことが多々ある。

しかし、だからこそ適材適所がうまくいっているのだと私は思う。

世はこの3人組をあちゃずと呼ぶ。

梅木が合宿やろうよって言ったときから、主将のやる気はマイナス面を上回った。

 

3月は忙しかった。

OBOG駅伝、卒業式、追いコン、筑波春合宿。

やることに優先順位をつけて淡々とこなしていたつもりであるが、精神はそうでなかったらしい。普段なら落ち着いて対応していたものも、すぐにカッとなったり、涙が出たりした。皆に迷惑をかけた。

合宿が終わった今、緊張と重圧から解き放たれ、3月を冷静に振り返ることができている。

 

私が泣いた夜、なぜか梅木も泣いて、中野も見たことないくらい落ち込んでいた。

2人が私におんぶにだっこされているだなんてとんでもない。

おんぶにだっこさせてもらってるのは私の方だよ。

 

役職柄、梅木の仕事は目立たない。主務の仕事はいちいち部全体に報告なんかしないし、やって当たり前だと皆が思っている。それにプラスで大きなお金を扱う会計もやっている。正直、私は梅木がどれだけの書類を抱えているのか生で見たことはない。彼は私と中野にすら文句ひとつ言わず2役の大仕事を淡々とこなしている。感謝と尊敬しかない。この状態をうまく部員に伝えられていなかったのは私の責任だと思っている。ごめんなさい。部の存続がかかる大切な仕事を梅木がやってくれているから今のつくトラはあるのです。

 

中野は練習に関わる重要な仕事を全部引き受けている。バイクパート長、ランパート長兼任、ブロック会議出席、ミーティング資料作成、etc. 俺は仕事足りてないんじゃないかとか、あさひと梅木に比重が偏っているだとか、そんな心配をする必要はない。だって私と梅木は中野が今やってくれている仕事を代わりにできないから。バイク練習も、ラン練習も、中野が日程調整や練習強度などを考えてくれるから行うことができる。すごいことだよ。

 

主将は、その名の通りよく目立つ。指示を出す場面も多いからたくさん仕事しているように見える。確かに3月は部としてのイベントが多く忙しかった。しかし、その指示の裏にはいつも梅木と中野との協議がある。2人とも自分の仕事をしながら私の質問や提案に答えてくれる。私ができない部分はフォローしてくれる。そんなこんなであちゃずのラインは遡るのがとても大変なのだ()

 

2年生ラストの日に思うことは、幹部半年お疲れ様、いつもありがとう。

合宿最終日、所属大学など関係なくお互いをたたえ合い、みな笑顔で写真撮影をしていたのが印象的でした。こういう機会を作ることができるのってとても嬉しいな、そう感じました。主将になって半年が経ち、やっとその実感が湧いてきた瞬間でした。

このように私を主将たらしめてくれるのは、梅木と中野のおかげです。

2人がいるからこそ、私が主将になれるのです。本当にいつもありがとう。

 

明日からは3年生。

今年も一緒に成長しよう。








2025/03/26

最後に

卒業式、追いコンでは盛大に祝ってくださり、本当にありがとうございました。
つくばから東京行きのバスに乗りながら、書いています。
B4の小島です。

遂に卒業しました。
全く振り返ってみても、本当に長かった。
5年間、最高の宝です。悔いなど無い。

大学生活、中心にあったのはつくトラ
ここまで長く所属し、ここまで想いがあるチームは人生で初めて。

悔しいことが9割、嬉しいことが1割。
けどその1割がとてつもなく嬉しくて、最高で、凄く綺麗な絵だった。

どんな時もライバルがいて、仲間がいた。
レース中にどれだけ「頑張れ」と声をかけてもらったのだろうか。
どれだけゴールした後に、お互いを讃え合ったのだろうか。

1番、好きな瞬間はレース後に座り込んで、お互いの健闘を讃え合っている瞬間。
アンクルバンドを取り、輪ゴムを外し、水を飲む。
生きている気がする。報われた気がする。
鮮明に思い出す風景。最高だった。


届かなかった。

インカレのゴール。
僕らは届かなかった。
共に出ることも叶わなかった。

2年は私だけ。
3年は彼だけ。
4年は私だけ。

赤いテープを一緒に切りたかった。
何度、夢に見たのだろうか。
叶うなら、そこだけ。

大学生活、本当に唯一の心残り。
「3年のあの時期だけ、戻りたい。」


色々と言葉を頂いた。力を頂いた。
返しきれないものを頂いた。

大した人間でもない。
器も小さい。
人に迷惑をかけた時も沢山あった。

そんな自分を受け入れて
心の底から応援してくれてありがとう。

最後に
つくトラ、愛しています。
大学生活、人生を彩ってくれてありがとう。
最高でした。

〜〜〜
皆さんに一言ずつ添えたいですが、
特に伝えたい方だけにココでは留めます。

さき、かの、しのへ。
結局、昨日の場でも言えなかったので、
文で残します。

同期、特に3人には本当に感謝しかないです。
ここまで一緒に共にいてくれてありがとう。

3人がいたから、走りきれました。

コロナで部活が無い中、11月頭にインカレを観戦しに行ったあの時、入部を決めました。

そこから、4年間。
コロナ明け対応でバタバタしていた時も、
内部でギクシャクしていた時も、
21.22年のインカレで悔しさも喜びもあり、
23年のインカレは全力で応援してくれ、
24年のカンカレは皆んな出てくれた。

嬉しかった。
本当に、このメンバーに恵まれて良かった。

さきへ

1番同期を想ってくれていたよね。
1年の冬、筑波山下山中に対向車線に飛び出した時は本当にヒヤヒヤしたなぁ。
あの時、何もなくて本当に良かった。

実はつくトラで3番目に嬉しかったのが、
(1番、2番は下にある)
23年のカンカレ突破を決めたゴール先でさきと握手をした時です。
あの時、報われたと思うと同時に、本気で喜んでくれたさきを見て、感情がブワッと溢れた。
本当に嬉しかった。
ありがとう。また、同期で集まろう。

かのへ

お疲れ様でした。
あの大変な代で主将をやってくれて、本当に良かった。自分じゃなくて良かった。

謙遜しているけど、かのは凄いと思っている。
真面目で愚直で、時に張り詰めている時があったけど、それでもやり切った。

サシで話したことも数回あった気がする。大丈夫かなと思う時期もあった。
ただ、自分の軸を持っている。進んでいる。
そんな、かのを尊敬しています。

インカレ、ゴール、本当に格好良かった。
また、一緒に切磋琢磨したい。

しのへ

先に引退します。
お互い、性格も趣味もまあ合わない。
トライアスロン部の同期というだけ。

それだけだったけど、それで十分だった。
入れ違いでのインカレ出場。
お互いに悔しさも喜びも食い違った。

だけど、目標は同じ。
一緒にゴールする。
届かなかったけど、しのが居たから僕は頑張れた。本当にありがとう。

22年の夏
「一緒に出たい」
この言葉は今も鮮明に覚えている。
終わろうと思っていた自分に火がついた。
その一言だけで、23年の夏まで十分だった。

ごめん。ゴールは遠かった。
けどね、つくトラ2番目に嬉しかったのは、
23年の夏、インカレ後に宿を抜け出して、ランコースを一緒にジョグして、ゴールの位置まで一緒に走ったことです。

やってきて良かった。
いつになるのか分からない。何かも分からない。
けどさ、いつか一緒にゴールテープを切ろう。

つくトラで1番嬉しかったこと。
24年のカンカレ。
最後の学生トライアスロンレース。
最後に皆んなで、写真を撮れたこと。

パンクして破茶滅茶だったけど、
一緒にゴールできた。
それだけで十分です。

最後に、ありがとう。


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