2025/02/20

カーフマン2025 bike弱者なりに考えたこと

 2025.2.16(日)

2回カーフマン・シグネーチャーデュアスロン in 東扇島2025・日本学生デュアスロン選手権・JTU 関東ブロックデュアスロン選手権

 お疲れ様です。他己紹介以来の部ログ執筆となります、B1で元マネジャー(?)の大友柚希と申します。  

 昨日、↑の大会に出場してきました。つくばっく道中、首都高の渋滞に巻き込まれている間に自分専用の反省をつらつら書いていましたが、遠征後のひとり一言でうっかり口を滑らせたために先輩方から”それを部ログに書けば”と提案されてしまいました。いえ、嫌なら別に書かなければいいだけなのですが、折角なので他人の参考にしていただけそう?な部分は書いてみようと思います。  

 と、執筆に当たり過去の部ログを「カーフマン」で検索かけて遡ってみると面白すぎて書き始めがだいぶ遅れました。ただ文章が個性的で面白いとかクスリとくるとかではなくって、過去の熱い熱いレースを知ることで、昨日の皆さんの言葉がより深く理解できたような、改めて真意がわかったような気がします。それで今日の涼太さんとの洗車までにはとても間に合いそうにありませんが、学年暦の上では明日から春季休業ということで、たっぷり時間をかけて綴っていきたいと思います。私の文章は皆さんの個性的な文体に比してとってもシンプルでストレートで面白みに欠けますが、どうぞ暖かい目でご覧ください。
            ↑渋滞中の車窓より。動かないスカイツリー 

 〈前提〉  
 ご存じない方のために紹介しておくと、私は初心者のbike激弱選手です。  
 小学生の頃に自転車自体は体得したものの日常生活で使用する機会が皆無で、ロードバイクに憧れがあり入部したものの週1回のbikeRTでは足りるはずもなく、いつまでも不慣れで激遅のままでした。初レースである昨年のスプリントではバイクラップ断トツ最下位。カーフマン直前は辛うじてビンディング練やローラータバタ、カーブ練など、今更ながら少しずつ練習しておきました(結局、”無事故・安全”という目標を優先してTRANSIRO HYDRAはお留守番、終始ランシューのZOOM FLYと競技を共にしました)。  

 昨年4月にひらりさんや金田さんのお話を聞いて”swimに自信がなくても競える場があるんだ、デュアスロンなんてトライアスロンよりさらにマイナーそうだし、面白そう”と思っていたし、実際、はじめは”君はデュアスロン向きかもねー”と言っていただいたりしたのに……。約9か月後、bikeメインでしかも経験者曰くトライアスロンよりキツいというこの大会に、ビギナークラス(2-10-2km)と迷いながら背水の陣的な思いで申し込むことになるとはあまり思っていませんでした。 


〈レース前〉  
 積み込み後、即帰宅・洗濯・筋トレ・軽く夕食・準備して就寝、と考えていたのが、”この後ご飯行く人?”の一言で揺らぎました。一瞬で瓦解した、訳ではないですが迷った末の選択です。少し帰りが遅くなろうと皆さんと一緒にご飯に行ってお話を聞くことがとっても大事なんです。前日は緊張や満腹防止のためあまり食べないつもりが、行き先の川聚閣はこのご時世に珍しいご飯セルフとのことで例によって栄養摂取スイッチ入りました。前半を省いたカーボローディングだと思ってよしということにします。  

 集合はあさひさんとけんたさんに続き3番目。私にしては珍しく早い方。全員揃うまでの間、昨夜あげられていたサポート要望リストと銀河さん渾身のおぢさん構文メッセージをに気付き慌てて私も要望を入力しました。遅くなったのに追加してくれてありがとうございます。 
 
 当日は直前に初Mag-onいただきました。青みかん味。とっても濃くておいしかったです。ありがとうございました。
      ↑珍しくテントのない陣地 

 〈総合〉 
2:03:35 総合順位92位 学生OPEN女子8位(出場15名・完走9名中)  

 以下、手元のGarminによる記録です。正確な公式記録(かかった時間ではなく通過した時刻が表示される)を見ればトランジ時間やラップが算出できますが、とりあえず今回は詳細な分析を省き、全体のタイムを見ていきます。 

〈1st run〉 
5.01km・22:39・4:31/km  

 あれ、距離が短い?というのも、開始5分前にアンクルバンド配布いうかなりギリギリな行程の上、定刻になればカウントダウンもなしにいつの間にかホーンが鳴っているというゆるゆるのスタート。もっと言えば整列中、一緒に並んでいたゆーなちゃんと私は隣の見知らぬ学生選手から”2周-6周-2周ですよね?”と周回数を確認されていました。私たちが喋っていたから話しかけやすかったんでしょうか。ともあれ、それらのゆるさのおかげで緊張が和らいだのはよかったです。  

 遅れながらGarminも起動しペースに乗ってくると、意外と多くの人数を抜かせました。数えきれないくらい。目標というか目安にしていた4:30/km切りにはいかないけれど、まだ先が長いことを考えると妥当かも……?ペースについて考えていたら、直前に”run出し切れよ”と声かけていただいた玉井さんから、上げろだったか行けだったか、とにかく加速するよう激励をいただき苦笑いがこぼれました(←そこは加速して応えろよ)。あとは声援が嬉しくって普通に笑っていました。
                   ↑苦笑 

 〈bike〉 
29.07km・1:12:23・24.1km/h・MAX33.8km/h  

 計12回に及ぶヘアピンカーブの度に速度0近くまで減速した分もならしてこれくらいということは、実際には直線で平均25km/hくらいだったはず。いえ、そんな計算(計算でもない)しても仕方ないのでコーナリングも今後の課題です。  

 数えきれない回数、抜かされました。少なくともさっき抜かした人数の倍の回数は抜かれました。物凄い速さで2回私を抜いて行ったゆーなちゃんの格好良さ。ゴオォォォオオゥゥン……と凄い音を出しつつ脇を通ってゆくTTbikeのおじさま方の恐ろしさ。変態おじさんと言うんでしたっけ。違ってたらすみません。とにかく周りの選手に圧倒されました。  

 トランジでサングラスをかけ直しておいたはずが、序盤からズレてかなり気になっていました。  今こそ練習の成果を発揮して、片手でサングラスのズレを直す時……!!  
 
 思い続けてはや6周。大会で慣れないことはするものではない、と”無事故”を優先し、片時も両手をハンドルから離さずに終えました。片手走行が”できる”だけでは全く意味がなく、普段から使いこなして慣れておかなければいけないことを今更ながら痛感しました。ママチャリで一瞬だけ片手を離してマスクを剥ぎ取るだけでは駄目なのです。ロードバイクで長時間、安定して手を離せるようもっと練習します。  

 あまりにも遅すぎて抜かれすぎて、途中から2nd runが待ち遠しかった。bikeで頑張りすぎると楽しみにしていたrunで全然走れなくなりそうだし、かと言ってもとが遅いのだから全力で漕がなければ全然進まない終わらない。そもそもの巡航ペースも遅い私は一瞬たりとも惰性で漕ぐ訳にはいきません。が、そうこうしているうちに、遅いなりに一応は意識していた腹筋と股関節が痛くなってきて思うように力を込められなくなりました。うわあ辛い遅い、尚更runが待ち遠しいじゃないですか。この距離で身体のどこかしらを痛めていたらOD完走なんて無理じゃないですか。数分後に数か月後と、先のことが頭を満たし、ただrunのためだけに漕いでいた気がします。それでも自分にできる範囲で、”疲れて小休憩中かな?”とか”脚攣りそうなのかな大丈夫かな”という状態の明らかに減速している選手を数名抜かしたことはよかったです。ただ逆に言えば、私の速度で抜けるのはそうした状態の選手しかいなかったということ。私は脚が攣るとか疲労とか、大幅に減速するような異常なく終始ほぼ一定のペースで漕げていたのに、全体的に遅いせいで、終盤に残っている数名の選手を抜くくらいしかできなかったのです。悔しい。  

 心残りは、最後の1周回あたりから痛みであまり上げられなかったことと、つくトラの皆さんの応援ポイントがちょうどカーブの減速ポイントだったこと。直線エリアで声援をいただいていたらもっと出力上げて、頑張って漕げたのだろうか……と思わなくもないですが、全体的に遅いのでそんなのは言い訳だって分かっています。皆さんの目の前では満足に加速できなかったものの、暖かい応援はしかと受け取りました。 

〈2nd run〉
5.77km・26:20・4:34/km  

 やっとヘルメット外してグローブ外してサングラス直して自分の脚で走れる……!!  

 お楽しみの2nd run、と心ははやるもののやはり身体にはきていたようで、痛みですぐには走り出せません。トランジで股関節をぐるりと回してからスタートしました。序盤から2nd runのことは考えない方がいい、との助言はありましたが、今からどれくらいの速さで走れるのでしょう……。  
 
 この時すでに、エイジ・シチズン・学生OPEN女子の部門競技もだいぶ後半。残っている選手自体がパラパラまばらで少ないものの、ここまで残っているということはrunも遅いはずということで、bikeで脚を酷使したであろうおじさま方をかなり抜かして行きました。結果で言えば1st runと約3s/km差。”こんなに遅い順位にしてはなんかやたら走るの速くね?なんでこんな後ろの方にいるん?あ、bikeが遅いのか、ってどんだけ遅いんだよそれだけ2nd run軽やかならもっと漕いどけよ”と、沿道で案内・応援してくださったTOさんもビックリであろう(さすがにここまでは考えないか)身軽さで走り抜けたのでした。    

 bike遅いのは本当にもったいない。改めて思いました。
           ↑完走タオル。悔しいけどこれは嬉しかった 

 〈総評・感想〉  困難は分割せよ、ということで集団走のためには 

    • 事故らない技術
      • 怖がらない精神
      • ピッタリついていく走力 

が必要だと解釈しました。あとは私のみに適用される具体的な改善方法になるので、ここでは省略します。  

 これまで自他ともに認めるbike力のなさで色々と配慮していただけましたが、  

 全く集団について行けない人がいれば貴重なRTの時間や調子を乱されて迷惑でしょうし、 

 自分でも”片手運転できないから……”とか”ビンディング履いてないから……”といった前置きが、配慮の対象ではなくいい加減”完全に自分の練習不足が悪い”ということに気づいているし、  
 
 いつか新歓資料かどこかに記載があった”bike練は走力を考慮します”、”初心者でも大丈夫”をいつまでも当てにしていられません。  

 弱いからこそ、入部以来、ここでは書ききれないくらい色々な方から優しく厳しく、色々な助言をいただいてきました。  

 その度に心に響いて、もっと頑張らねばとやる気になったのは本当です。1人ひとりの言葉、しっかり心に刻んでいます。  

 でもこれまでは覚悟と実際の努力が圧倒的に足りなかった。  

 先輩方の言葉に賞味期限なんてないのに、言われた瞬間の心情を練習に還元できなかった自分の弱さが情けなくなりました。

 ”すごいなあやっぱり、選手権に出る人は”  
 
 ついこの間までなら、あの激烈な集団走を見てもそう他人ごとに思ったかもしれません。  
 来年は自分があの集団走に参加するんだ。  

 あさひさん、ももなさん、なる君がLAPされるくらいの厳しい戦いで、私が1年後に完走は無謀かもしれないけれど、選手権で他選手と対等にレースを繰り広げられるくらいには力をつけます。  

 渋滞中に書き留めていたこれら自分のレースのことの他にも、1日を通して皆さんと話したこと、渋滞脱出後のひとり一言や先程の涼太さんとの洗車+アドバイスを受けてさらに色々考えましたが、公開は恥ずかしいのと他人の参考にならないのとでさすがに自分用に留めておきます。とにかく、来年の選手権出場と、その前のトライアスロンシーズンに向けて精進して参ります。この大会は私にとって大きな転機です。  

 今後ともよろしくお願いします。

  (総合学域群第1類1年 大友) 


 【補足:補給集】  
 皆さん差し入れありがとうございました。  
 経験やお話から、食べ物に関しても思うことがあったので記しておきますね↓

  レース前:
 水・バランスパワー・ファミマクリームデニッシュ半分・Mag-on 

 レース後: 
 水・デニッシュ残り半分・かのこさんよりミニドーナツ・引換券でいただく豚汁・京佳さん手作りスノーボール・玉井さん父よりミスド×2・ひらりさんよりメッセージ入りアルフォート 

 夜ご飯: 
 百香亭(例によって余剰回収担当)  

 ↑この日、口にしたもの全てです  ごちそうさまでした。  



 今や私は大食いというイメージが定着していますが、  そういえば皆さん日中に色々と補食やお菓子摂ってたな……私は確かに日中にパンとかバナナとか食べなかったな…… それで夜ご飯を前にすると誰よりも食べるという。  
 これ私が大食いなのではなく、単に補給が足りてなかっただけでは? と言うと夜ご飯のためにお腹を空かせていたようでとっても図々しいので一応弁明しておくと、運動前にお腹を満たしたくないのと、日中はなんだか動き回って忘れていたというか、別に食べる気がしなかったのです。  

 親族からも”胃の収縮幅が大きい”、”誰似なのやら”などと呆れながらに言われてきましたが、やっぱり空腹でない時は食べず、きっかけがあれば集中して食べる、というスイッチ的なものが私にはあるようです。なんとも不健康的な食べ方。  

 今後、競技を続けて何度も大会を経験してゆくにあたり、こんなんでいいのか……?  
 私のかなり特異な?身体特性が他の人の参考或いは興味の対象になったらいいなと思い、ここに書き残しておきます。今後の動向が気になるところです。  
 本当に、皆さんありがとうございました。お疲れ様でした。


2024/11/28

河津レースレポというか旅行記

こんにちは!最近、健康に何かと問題がある中野(体育B2)です。健康オタク気質なところはありましたが、健康センスたるものはございませんでした。自分にも他人にも鈍感なところはどうにかしたいものです。長所でもあるが、、、

今回は、1カ月前に出た河津フラワートライアスロン(10/27)について語ろうかなと思ってます。1月も経ったので記憶も熟成されたものが残っていると思います。一部、腐りかけているのもあるので、胃腸薬のご準備を。(太田胃散が無難ではないでしょうか)


レース結果
総合記録2:10:45
総合順位70位

swimラップ 0:03:44(86位)←250m?
bikeラップ 1:14:09(47位)←遅い
runラップ 0:52:52(120位)←もっと遅い

伸びしろしかないですね。来年の成長が楽しみですね。
レースのことはこれくらいにして河津旅行について話しましょう。(あまり思い出したくないレースに関しては)


1日目(レース前日)
 今回の旅は、輪行での移動となった。集合時間は、朝(私にとって)早めだったかがなんとか遅刻せずに間に合った。しかし、つくとらのアイデンティティでもあるかのような「時間に間に合わない」人が今回もいた。それを梅木ファミリーに知らせると真っ先に容疑者の名前に中野が上がったことは心外であった。

 つくばから河津まで総距離約200km、輪行バックやらランニングシューズ、ウエットスーツを持っての移動で大変くたびれる。ただ、人の体積よりも荷物のほうが大きく、同じ運賃での乗車でいいのかと思いつつも少しお得感を感じられた。銭の力は、すごい。そのおかげもあってなのかお得感が疲労感を相殺し、不思議と輪行が前向きに思えた。銭の力すご。事前の打ち合わせにて河津までの移動手段で新幹線か鈍行かで一悶着あったが、2000円を浮かせるために移動時間+2時間と引き換えに鈍行を押し切った。銭すご。というか申し訳ない。おかげで河津についたら疲労困憊、梅木父の粋な計らいでハイエースで送っていただけることになった。

 疲れもあり車中、空な会話が続く。しかし、翌日の食料を調達するために出向いたマックスバリュで聞いた衝撃のエピソード、一言により私は一気に目覚めさせられた。


"体が勝手に動いたから"


 この言葉を聞いた瞬間、私の頭の中では勝手に「ポーン」というピアノの効果音が流れ、次第に「Progress」を歌うスガシカオの歌声が聞こえてきた。
 小学生の梅木が家族と買い物中、突然バク転し、家族に言い残したそうだ。そこに山があるからばりに哲学である。今回の旅先は、梅木の地元であるため、彼のルーツを知ることのできる良い機会であると感じた。

宿泊先である梅木宅(実家)に到着すると暖かいお出迎え。遅刻の第一容疑者に浮上したことは除き本当にありがたい。最近になって中学校3年のとき担任だった金八先生の「人という字は、、、」という言葉の意味が身に染みてわかるようになってきた。そういえば放送室で頬ぶたれたな、懐かしい。
 夜は、プロジェクションマッピングみて、一人暮らし大学生の生活水準に見合わないお高めのお店でご飯たべて、マリカーして勝って、卒アルみて寝た。

↑大荷物
↑マックスバリュー

ざっとこんな具合です。読みづらく書いてしまい申し訳ありません。2日目はもっと読みづらくなってます。ボナペティ~


2日目(レース当日)
 昨日は全然寝られなかった。自宅でないといつもこんな具合である。少しばかりの朝日を玄関からハイエースに乗るまでの少しの時間浴び、あくびとともにハイエースに乗り込みレース会場へ向かう。

 レース会場に着くと毎度お馴染、高そうなバイクが並ぶ光景をみる。見るたび毎回、「この競技なんでやってるんだろう」という声が財布の底からあるいは三菱UFJネットバンキングから聞こえてくる。
 河津フラワートライアスロンでは、トランジションエリアが2つ異なる場所に設置されていて、会場近くのトランジ2にrunの道具を置き終え、スタートエリア付近のトランジ1へ向かった。

 道中、スタートまで1時間しかなかったが、眠気とどうしてもコーヒー飲みたいという欲望が重なりあってコンビニでホットコーヒーSを買った。濃いめという選択肢があったので、迷わず濃いめを押した。濃いめを選択することができるということをはじめて知る。河津にきてこの収穫は大きかった。しかし、日常的に飲まないコーヒーを濃いめで飲むことにより後悔することになる。コーヒーをボトルゲージに入れ、トランジ1に向かう。普段、ボトルゲージにはボトルしか入れてなかったので、密封の甘い蓋つきコーヒーカップを入れると思いのほか振動でカップから漏れ出そうになり慌ててカップを持ち片手運転に切り替えた(後悔1)。
 トランジションエリアに着くとお馴染、高級バイクの群れ。バイクラックにバイクを置きトライアスロン道具を収納してウォームアップに向かった。アップ開始後しばらくするとウエットスーツをトランジ2付近に置き忘れていたことに気が付き、戻る。まだ寝ぼけている。まだ、ホットコーヒーSの成分が効いていない。ウエットスーツを回収し、トランジ1に戻ると便意を催す。少し効いてきたのか、ホットコーヒーsの成分が。ここで公衆お手洗いに駆け込むとハプニング。ペーパーがない。個室の扉をあけ、見知らぬ人にペーパーを求めても不審がられて見向きもされない。持っているはずもないペーパーなんぞ。必死に在庫を探し出し事なきを終える。ウエットスーツを着用しに戻るとトランジエリアに人影はなかった。閉鎖2分前であった。大急ぎで着用し、200m先にある試泳エリアに向かった。アンクルバンドをもらい、試泳しにいくと波が強すぎてエリアが狭められ、人口密度が高く、さらに大会運営側から試泳エリアで泳ぐなという謎の勧告を受け、水遊びに終わった。海から上がると1時間ほど前に飲んだホットコーヒーsの成分が暴れ始めた(後悔2)。
 
 そう、尿意だ。すみません、下世話な話ばかりで。5歳児が書いていると思って読み進めてください。トライアスロンのレースでは、初めてレース直前で「あれ」を感じた。それからは、「あれ」に憑りつかれ何も考えられなくなった。豪華絢爛なオープニングセレモニー、トライアスロン特有の間が0sのスタートコールがあったのだろう、何もはっきりと覚えていない。ただ、swimが250mになったのは覚えている。意識がはっきりとしてきたのは、レース中であるのにも関わらず、吸い込まれるようにお手洗いに入ったときである。お手洗いという神聖な場で「あれ」が徐々に除霊されていく途中、私と同じに「あれ」に憑りつかれていた人と出会い、少しお話をした。見知らぬ人とでもレース中の除霊で自然と話してしまうのが、トライアスロンの1つの魅力かもしれない。こんなこともあり、トランジ1は5分かかった。
 bikeとrunは、絶望的な結果であった。走り始めると、とにかくふくらはぎが攣って走れなかった。ランは、コースの半分をジョギングで、もう半分をウォーキングで消化する「河津元気で長生きすこやかいきいき健康長寿マラソン」であった。

 同期の梅木君には大敗、今年のレースは2勝2敗ということで決着は来年に持ち越し。市民レース2連敗ということを踏まえるとレースに向けての調整というのは、大事なんだなと良い勉強になった。学生レースでは調整していくので。
 レース後は、お土産たくさんもらい、表彰式。健康長寿マラソンの部で表彰されかもとすこしばかり期待していたが案の定、呼ばれず。しかし、つくとら女子、二人が表彰されたことは喜ばしいことであった。その後は、じゃんけん大会で猪カレーをゲットして、温泉で一息ついた。帰りの(さすがに)新幹線では、ウナギ喰らい、つくバック。電車内では、私の特殊能力である「見知らぬ思想強めな人に話しかけられる」を発揮して、今回の旅を終えた。(見知らぬ思想強めな人に話しかけられるエピソード溜まってますw)

↑レース前(意気揚々)

↑レース中(へばり)

↑レース後(光と影)

また来年も行きたいなと思えるほど楽しい旅行?でした。現在は、来年の河津で同期にリベンジして勝てるように治療中です。次回のレースレポ(旅行記)はいつになるかわかりませんが、お楽しみに。






2024/11/23

はじめてのれーすれぽーと(インカレ・スプリント)

 おはこんばんにちは、彗星のごとく部ログに現れ、長文連投で荒らしている工シス(体専)B3 のユです。

つくトラに入り丸2年半、トライアスロンとそれに関連した市民レース・学生レース・エリートレースに数えきれないほど出場してきました


が、しかし未だに部ログでレースレポ書いた覚えがない

(インスタの競技垢ではちょくちょく書いてます)


ので今年の一大レース、インカレ(代替大会@渡良瀬)とその翌日に行われたスプリント選手権を初レースレポートとして書いていこうと思います


10月18日(金) インカレ前日

昼過ぎに銀河が運転する風間family carに乗せてもらい渡良瀬へ

(レース慣れで最近忘れ物してなかったけど出発直後にガーミンウォッチを忘れていたことに気が付く(-_-;)汗)

会場に着いて受付と試走を済ます

当初アオコの発生でデュアスロンになるという噂が流れていたが会場での聞き込みによりスイムがあるという情報をキャッチ

夕飯からの宿へ移動

渡良瀬のレースは普段は当日明朝に出発しているが、今回は2日連続でのレースということもあってインカレのレース開始が早く、当日に受付をしているといつもみたいに入水チェックがギリギリになると判断し前日に全て済ませて時間を確保するプラン(4時前に起きてレースがつらいのもある)


特に特別なこともせず入眠(確か21:00くらい)

10月19日(土)インカレ当日

予定通り4:30くらいに起きて銀河と散歩

決戦の朝の空気感はやはり他じゃ味わえない

朝です


5:30会場着

6:00トランジ準備開始!

のはずが渋滞で運営側の当日準備とサポート組が遅れそわそわする時間に。出来ることをしようとなり入念にランのアップ

6:30

レーススケジュールが50分遅れになるというアナウンスを聞きサポートも到着したので少し安心。トランジへ向かう



今回はBシードでの出場となったのでバイク出口に近い小島、周りは学生トップの選手ばかりで緊張すると同時にここまで上り詰めたのだなぁと少し感嘆

ささっとトランジを済ませ陣地へ(お隣さんだった前年度チャンピオン大谷君のヘルメットを振動で落としたのは内緒(ちゃんと戻しておきました))

陣地に向かう途中スマホを確認すると現主将のあちゃから桐の葉お願いしますのメッセージが、、、残念ながら選手が自分含め2人で時間もない状況なので桐の葉はキャンセルさせていただきました(もう少し選手いたらやってました、きっと)


大所帯となったつくトラ陣地は和やかな雰囲気だったがドライに流しスイムのアップを開始(時間は限られていて、これがルーティンなんです、すみません)




トライスーツとウエットに着替え、いざ入水チェックへ

この日の渡良瀬は穏やかで水温はふつう(冷たいが寒すぎないくらい)だった。時間めいいっぱい泳いでスタートコール

認定芸人の自分がどんな紹介をされるか気になったがなんと途中でシード選手の紹介が切られ(あ、認定芸人は呼ばれないんだとその時は思ったがこれまた運営のミスだそう)


スタート位置は前2列目真ん中少し右側をチョイス






レーススタート!




同じチームの選手(おそらく日体)が最前列に固まっていたこともあり、最序盤はスムーズに泳げた

しかし、往路中盤からバトルが激しくなり何度か減速

折り返した後、ノンウエットを選んだ知り合いのスイマー選手をすぐ前に発見し意外と悪くない位置にいると気が付く(オープンウォーターは自分の位置がわかりづらいので同じくらいの泳力の人をマークしておくのも重要)

1周目復路は人がばらけたのもあってバトルは少なくそのまま2周目への折り返し

ここでやらかしてしまったのが回るときにブイを固定しているロープとブイの間に挟まって数秒タイムロス(純粋にタイムロスもあるが人が近くで見ているので恥ずかしかった)


2周目はそのままの流れで進みスイムアップ 20'02 40th


ちょい上振れもしくは実力通りの結果に

もう少しバトルを回避し、やらかしがなければ19分台で上がれたのだろう、すこし悔しさが残る


トランジを駆け抜けバイク飛び乗り、ここまではもう完璧といっていいだろう

前後に数人いてパックをつかめたことに安堵した、小さいものを除くと第3パックだった

事前のレース戦略では第3パックなら先頭まで追い付けると想定していたのでチャレンジングな動きはせずみんなで追いつくこうムーブをした(これはおそらくパック内で一致)


しかし前のパックが大きく高速だったことに加え自分のパックに抜き出てバイクが強い人が少なかったこともあり踏めど踏めど、じりじり差が広がる始末

大歓声が聞きたくて陣地前で調子に乗るワイ


6周中4周目までは積極的に前を追ったが後ろの高速パック(いつもの東海大のあちゃんまる号)につかまり大集団になり先頭との差も離れていたので脚を休めこのパックで順位を決めるプランに変更した


T2を抜けると30番という声が聞こえてきてここで6位入賞は諦めた

(書き忘れてましたが6位入賞を目指していました)

潔かったのは翌日にスプリント選手権が控えていることとトップ層に対しランで大幅に差を縮めるのは不可能だと戦略を練るときに割り切っていたからだ(2023穂高スロン座学で学んだレースプランをいくつか持つことの大切さ)


ゴールまですっ飛ばすと 2:00’48 26th



翌日のことを考えずランで出し切れば良くて16位くらいだったと推測されるから半分諦める判断は悪くなかった

去年のリベンジを誓ったトライアスロン歴3年、2度目のインカレは良くも悪くもない順当な結果で終わってしまった


ここまでつくトラもう一人の選手、風間銀河に一切触れていないが決して敵として認めていなかったわけではない

駅伝部で培った根気強さで春先からめきめきと実力を伸ばし、直前にランを絶好調に仕上げてきた


展開次第では彼に負ける未来もあっただろう

しかし彼は(バイクで踏まなかったのに)ランで不発となり自称引退レースを締めくくった

トライアスロンでは1年先輩の僕から言わせてもらうとまだまだ経験が浅いのだし、時の運が悪かっただけかもしれない

共に練習を乗り越えてきた戦友としても、どうか腐らずこのまま続けてほしいところだ

勝ったら奢ってやると約束したので奢ってやりました、絶賛金欠中です


このまま翌日開催されたスプリントの話を続けてもいいのですがまたまた長くなっちゃうので次回に送ります


次回 

崖っぷち 裏本命 スプリント選手権


果たして実績はゲットできたのでしょうか?お楽しみに~


喩 梓銘

2024/11/21

前日譚 その3

 <前書き>

前日譚最終回です

華のアスリート生活が始まると思われたが現実は残酷に


4月

体育大学生にジョブチェンジをしたはずが4月の生活はそこまで変わらなかった

慢性的人員不足に悩まされていたことから主将でやったことリストに入るほど新歓には力を入れた

あちゃを新歓担当に任命し事務的なことと新歓全般を任せ、自分は去年の反省を活かし新しいイベントや制度に力を注いだ

1/3が新入部員となったつくトラ

結果、部車が足りなくなるほどの新入部員がつくトラに入った

同期激少の自分からしたらうらやましい限りのことだ

また去年の反省から自分の競技の方も新歓と並行して力を入れた。中旬に認定記録会に出たのだがその結果が良すぎた

13級をとったつい2週間前からスイムもランも大幅にベストを出し、12級を飛び越して11級だった

いわゆる国内コンチ(国内開催のアジアカップ)に出場できるようになったのとJTUタレント選手として認められ合宿に参加させてもらえるようになった

アスリート生活のスタートを飾るには最高の結果だった


5月

前々からスイムの更なる成長のためには自分より速い人達と練習することが必要だと考えていた。そして今がまさに絶好の機会だと思い筑波大学競泳部の門をたたいた。

火曜日と木曜日の朝練に混ぜていただけることになった、当たり前だが競泳の選手は競泳が本職なのでやっぱり強い、そして練習の質にも違いを感じた。RKU合宿で受けた刺激と似たようなものを感じた。

ここから圧倒的な練習量に圧倒される日々が続いた

練習が終わったらまた練習、オフの日があっても練習のことばかりを考えてしまい次第に楽しさは消え仕事や作業と同じ感覚になっていった

このとき未だに心身ともに完全回復できていなかったこともあり練習量に耐え切れず典型的なオーバーワーク症候群を発症した

今考えると誰がどう考えても練習しすぎなのだがやっているときはやらなければいけないという強迫観念に駆られ引くに引けなかった(次シーズン最大の改善点)

(ポガチャルも言っていたが練習を休むべきタイミングはもうやりたくないと思ったとき)

6月

練習量には自信があったが明らかに元気がなくパフォーマンスは良くなかった

その中でも関東ブロック選手権(国スポ予選)とアジアカップ蒲郡に出場してなんとか爪痕は残すことが練習量の割に奮わない結果に終わった(国体予選は代表外れてアジアカップは日本人スイム最遅)

(まさか自分がアジアカップに出る日が来るとはね)

(6月は練習とレース、関カレの遠征担当しかやっていたことがないので内容薄め)

7月

アジアカップ後少し休息を挟んでインカレに向け再び積み上げ始めた。インカレまでの8週間を期分けし練習量と内容に気を付けながらピークを持っていこうとしたが一度崩れたものはそう簡単には戻らずやはり体調を崩しやすい日々。かれこれ半年ほどこの体調不良と付き合っているので一周回って「はいはい、またこれね」という風に慣れができはじめていた。

8月

みんなが夏休みに入り部活にも活気が戻ってきたがこの夏は天候に恵まれなかった

かねてから準備してきた海合宿はちょうど台風と海難事故で続行不可と判断しとんぼ返り、その後予定されていたリージョン合宿も台風の影響で中止

予定していた強化練習が軒並み中止になったことと数か月前から準備していたことがパーになった喪失感は大きかった

幸いなことに国際武道大の佐藤大樹さん(遠征では必ずいる準つくトラメンバー)の誘いで勝浦で短いながら海練をしインカレに向けてできることはした、そう思った矢先

台風10号接近に伴うインカレ中止

今年最大のイレギュラーなのは言うまでもない、この日のために1年間必死に練習して準備して調整してきた

それが台風により文字通り吹き飛ばされた、しかも今年は国体という二の矢もないし、代替大会があるのかも当時不明だった

(JUTUさんの尽力により学生スプリント前日の開催となりました、詳しくはレースレポートで)

詳細は省くが香川に着いてから中止の発表を聞いてこの後どうしようか考えたがせっかく来たなら観音寺を楽しみつくそうということで大樹さんに加え、福島大学の近藤浄士君、東北大学の丸山一樹君と共に猛暑しまなみライドや観音寺アクアスロン大会をして観音寺成分をたっぷり摂取して満足の遠征となった


色々あって高校生の時から出来なかったしまなみサイクリング(爆速)


9月

インカレの代替大会開催が決定しみんなが動き出した(いかに素早く気持ちを切り替えられたかが結果に出たと思う)

インカレの余韻に浸りながらオフをする予定だったがそんな場合ではない、代替大会まで2か月もない

ということでまた夏が始まった

学生トライアスリートゆかりの地である大井ふ頭での練習、いつもお世話になっている東海大学の練習、国際武道大学での合宿、国スポ練習会

台風によって不完全燃焼だった8月を焼き直したかのような充実した月だった


10月

すっかり競技の話しかしなくなったが1年間務めた主将を引き継ぐ時期になっていた。不思議なことにつらくて逃げ出したくなることもあったこの役職だが、終わりが近づくと不思議と寂しくなった。


2024年10月13日

僕は主将の役目を終えた


理想の主将でいられたかと聞かれればおそらくNOだ、でも自信を持って自分なりの主将を貫いたと言えるそんな1年間だった


(慣れないスーツ姿で集まってるの面白いな、同窓会があったらオマージュ写真撮りたい)


以上インカレ代替大会・スプリント選手権前のお話を長々させていただきました。他にもここには書ききれないほどの苦労話・体験・事件がありましたがすべてを語るのは自分の美学に反するので胸の奥にしまっておきます

拙い文章ですが、つくトラで本気でトライアスロンに取り組んだ僕の軌跡が伝わっているとうれしいです。

以上で前日譚は完結!長文ありがとうございました


次回:はじめてのれーすれぽーと


喩 梓銘


2024/11/20

前日譚 その2

<前書き>
 前回の続きとなります 

 インカレ完走・国体出場と競技面では好調の2023シーズン、その反面私生活には怪しい雲も... 

<2023秋> 
11月
シーズンが終わり代替わりの季節に(厳密には学生スプリント前に代は変わっていたがスケジュールの関係で代替え会は11月に催された)

 2022春時点でのSNSを見たことがある方はご存じだと思うが僕は初期の同期が少ない


(Facebookの投稿、入部式に新入生が自分しかいなかったのはいい思い出)

入部した当時は先輩達と仲良くなれたり、競争したりしていたので同期が少ないことはあまり気にならなかったが幹部代になると話は変わる

実際に部を動かすのは先輩達ではない、幹部のメンバーだ(現2年生全員がこの気持ちを持ちましょう)

幸いなことに2023年春に銀河、ななみ、まっすーの3人が加わり、当時の2年生は5人となったが幹部のメンバーの過半数がこの先の冬春を知らないつくトラ1年生なのだ
この状態で不安にならない方がおかしい

不安は部の運営のことだけじゃない
アスリートとしての自分、工学システム学類の生徒としての自分もいる
オフシーズン中に認定13級を何としても獲りたい、必修の難関単位達を落としたくない

この試練を乗り越えるためにとった自分の行動は

とにかく全方面で頑張る

脳が筋肉に侵食された人間の脳が出した答えはあまりにもシンプルだった
(自分を壊していくとも知らずに...)

2023年11月6日
僕はこの部活の顔、主将になった

幹部の役職決めは驚くほどスピーディーに完了した
ピースが5つしかないのだからそれもそうだろう
(今だから言えるが自分の性格・技量からすると副将が適していたと思う)

主将の仕事はふわっとしていて今でも具体的に説明するのは難しい(もちろん具体的な仕事もある)
責任者ではあるが独断で決めて突き進むと独裁になる、かといって周りの意見を都度仰いでいると処理速度が間に合わずパンクする
自分がたどり着いたやり方は針路を勝手に決め、幹部の了承を得るという方法だった
これなら独裁ではないし問題の処理速度も速い、ただその関係性はドライなものになってしまった(これに関しては自分の技量不足です、同期には申し訳ないがわかってほしい)

12月
体育会の体制が来年から変わるだのクリスマスや年の末も試験があるだの認定記録会があるだのひっきりなしに大事なイベントが流れ込んできた
この月を師走と呼んだ先人はよくわかっている

そんな忙しい月だが合宿に参加した
同茨城県にあり鬼の練習で知られるRKU学生合宿だ

日本を引っ張るトライアスリートとの合宿は心身ともに大きな刺激となった
それと同時にこの人たちにはこのままだと勝てる気がしない、そう悟ってしまった


授業を抜け出して合宿に向かい、帰ってきた次の日の朝には例の鬼単線形代数の試験
そんな日常を忘れ目の前の練習に食らいつく最高の合宿でした

幾重もの荒波を乗り越えた結果、年を越せるのか怪しいほど心身はボロボロになっていた

1月
短いながらもリフレッシュ期間を終え大学で最初にやったことはいつもの暴線形の試験
(くるしみのほとんどこれじゃない?ちなみに書いてない試験があと3~4回はあります笑)
秋C学期は比較的授業が少ないのにもかかわらず積み重なった心労があふれ、この頃から頻繁に体調を崩すようになった(実は12月頃から限界の兆候があり過敏性腸症候群を発症していた)
この時、主将・勉強・アスリートの3つを持って3年生に上がると本当に持たないと思い休学の決断をした

2月
あいも変わらず体調を崩す日々、しっかり休めば治せたのだろうけど課題は寝かしてくれない
心身相関という言葉がある通り心も次第に弱っていき、なんでもないタイミングで急に泣きそうになることが多かった
低空飛行を続けながら惰性で学年末の試験を乗り越え、すぐさまカーフマン(エリート)に出場した
前年はスイムがないことから参加を見送ったが今年は力試しと思い参加
詳細はすっ飛ばすが勉強の重石がなくなったことで調子はピーキングされ、金田さんに次いで部内2位、団体準優勝に貢献することができた
初めてのデュアスロンは新鮮で楽しかったです、スイマー名乗るの辞めます
(金田さん、ゆっくりでいいのでもう一回やりませんか?いつでも復帰待ってます)


この経験もあって今まで勉強・トライアスロンの二刀流でやってきたがトライアスロン一本に専念してみたいと強く思い始めた

3月
去年と同じく新歓準備や認定記録会、合宿、練習で持ち切り
いわゆる大学生の春休みではないがそれなりに充実していた
学業がなくなった分練習に集中できたこともあり月末の認定記録会ではついに13級を突破することができた

(ランで最終組に入れず風が強い中一人で走り切っての13級だから達成感すごかった)


アスリートとしての人生が始まりそうなところですが、、、

またまた長くなったので分割します
次回で前日譚は完結です、それでは

喩 梓銘

2024/11/19

前日譚 その1

 〈前書き〉

部ログをご覧の皆さん、どうもお久しぶりです
1年生の義務他己紹介以来(実に2年ぶり?)の執筆になります、B3 工シスの喩です
どうして2年ぶりに突然部ログを書きだしたのかというと

ズバリ、会報を4期連続で出していないことへの贖罪です

忙しい時期に会報の期限が設定されているのと会報なんてどうせ読まれないだろという気持ちからこのような事態になってしまいまし
以後より一層会報を出す気持ちを強めていきたいと思います(必ず出すとは言ってません)

それでは僕の2023-2024シーズンを振り返りを前日譚と題してやっていこうと思います

〈2023春目標〉
まず始めに2023年の目標として認定13級(インカレシード権)と国体代表、そしてインカレでの順位にこだわっていました
パフォーマンスはこの時はまだまだ伸び盛りでハマればいい記録を狙える、そんな状態でした

3月
合宿に明け暮れ、新歓の準備に追われていたら年度を跨いでいた(会報すっぽかしその1)
4月
新歓と慣れない対面授業で有意義だけど余裕のない日々
5,6月
月の頭に茨城と東京で認定記録会を2つ
中2日ということもあり、茨城はランでDNF
東京に賭けたがswim4’26 run9’17の14級で目標まで数秒足らず…
この時1秒を削り出すことの大切さを知った(インカレシード権❌
(伝説の派手髪時代、今年入った人は知らないわたし)

その後は
OD→競泳のレース→OD→OD(国体予選)
毎週末レースをするハードな月だった(今思うと10代のバイタリティすげぇ)

こんな連戦をしていたのにも関わらず国体予選では調子が上手くハマり茨城県代表に内定(国体代表⭕️)
スポーツ人生10数年、小学生の時の全国大会出場(しかもリレー)しか経験がなかったのもあり大興奮、この競技で戦っていける、そう思っていた
(ジャイキリで掴んだ代表権、初エリートレースは蜜の味)

6,7月

しかし残酷なことに工シス2年のカリキュラムはそんなことお構いなしに襲ってきた

初っ端は国体予選の次の日
鬼単で有名な線形代数の試験が朝からあり現実に叩き戻された(ナンバーが剥がれていない状態で受けたから記憶に鮮明)

必修しかとっていないのにも関わらず春B期末は7-8個の試験と期末レポート・実験レポート
おまけに紹介料目当てで某Z◯Z◯バイトをしていたこともあり練習頻度は激減、限界スレスレで生きる生活を送った

当然の如く関カレは微妙な成績(これに関しては怪我とインカレボーダーさえ突破できればいいやという気持ちがある)
体調不良発症、試験を半分延期してもらえたが春C期末と合体し試験期間が2ヶ月続く地獄が完成し
受験期ぶりのメンタルヘルスの低下(これがおそらく悪魔の始まり)

8月
すっかり夏になり、お盆も近づいてきたという頃試験地獄から抜け出し夏休み開始!
夏休み2日目から館山合宿、続けてつくば合宿
かつてつくトラバイク練で猛威をふるっていたジャイアント玉井 photo@館山合宿高速自走中)

運動していなかった体で高強度な練習をすればどうなるかみなさん知っているであろう

そう!怪我をする(中足骨を疲労骨折)

しかも時期が最悪だった
インカレの2週間前、普通の人間であれば治るわけがない
自分が超人である可能性を信じたかったが、思ったよりすんなり気持ちを切り替えることができた(国体という二の矢があったのも大きい)

〈インカレ〉
過去の誰かの部ログを見てもらえればわかるが、なんとも歯痒いレースだった
足が痛くて浜ランでパックから離され(後にこのパックが先頭に追いついていたと知る)バイクは足が痛く無かったので集団牽引し、ランは心拍余裕なのに足の痛みに耐える40分
レースに対する悔しさじゃなくもっと根本の練習内容やスケジュールに対する悔しさが強かった(この頃からメニューに意図を求め、今やるべきかやるべきでないかを判断するようになった)
バイクでどんなに休んでもランは走れない(予定調和)ので先頭を牽く

9,10月
〈国体〉
秋学期が始まってすぐ飛行機を乗り継いで鹿児島県徳之島へ
全てが経費、充実のサポートのおかげで長旅の割にノンストレスな遠征
レースも足が本調子ではなかったが良い展開で出し切ることができとても楽しい遠征だった

(国体・国スポは本当に楽しいので狙える人は積極的に!特に女子選手

〈スプリント選手権・チームTT〉
自分がスイマーじゃなくなっているのに気付かずにノンウエットで泳ぎ爆死
チームTTは某巨人選手が走れていれば4位とか狙えた(今思うとメンツ揃っていたな〜)
(彼曰くバイクで踏む踏まない関係なくランが限界だそうです)

思ったより長くなったので分割します
その2へ続く

喩 梓銘

2024/11/05

インカレレポB3風間

観音寺インカレが延期になり渡良瀬で代替大会を行うことになった。学連並びにJUTUの方々には感謝しかない。競技者としてのトライアスロン生命が2週間ほど伸びた。 
 
渡良瀬でのインカレとなったのでスイムはウェットあり+波無し、バイクはド平坦+折り返し無しの超高速レース、ランもド平坦の高速レースとなることが予想された。3種目をいまさらながら振り返る。 
Result 
<swim> 22'19" 
<bike> 1:04'26" 
<run> 37'24" 
Total 2:04'09" 
 
<swim>22'19" (1'29"/100m) 
インカレの前週の大会がアオコでデュアスロンになったとの情報があったのでデュアスロンになることを見越してインカレの週はあまり泳がなかった。国スポの疲れもあり、肩に違和感があったのでちょうどいいレストになった。ただ、完全にデュアスロンモードになっていたのは良くなかった。反省。 
試泳は一番のりで優雅に泳がせてもらった。相変わらず渡良瀬は汚いがアオコの心配はあまり感じなかった。スタート位置は2列目内側。前に大室くん(今回のスイムアップダントツ1位)がいたのでこの子についていけばいいやと妄想をしながらスタート。当然数秒で見えなくなり、すぐに単泳となった。自分は右呼吸なので隣のロープを確認しながら泳げた。2周目で肩に疲労を感じストロークが落ちたがなんとか乗り切った。タイムは24分かかったと思い絶望していたが、後々振り返ってみると22'19"と自分にしては良いタイムだった。ただ、1分先くらいに10人以上の集団が出来ていたのでそこに行ければより速く上がれたと後悔した。実際、この集団が新幹線で自分たちのパックが最終便だった。 
 
<bike>1:04'26" (42.4km/h) 
T1を抜けバイク乗車後、立命の大場さんと同志社の山本さんがいた。2人はスイムアップが近くバイクが強い選手として事前にチェックしていたので安心した。その2人と数人でパックを形成し、前を追った。バイカーが多すぎるが故にバイカー頼みの集団となってしまい、自分はほとんど前を引けなかった。とても情けないが実力がないので仕方ない。 
後半は前で落車した選手と後ろから来た数名で10人程のパックとなっていた。バイク降車はいままでで一番うまくいった。 
 
<run>37'24" (3'45"/km) 
バイクで先頭を引いていないにも関わらず脚がだいぶ削られていたが、いつも通り走れるだろうと走り始めたがうまくいかなかった。予定では3'20〜25"/kmで押していくはずだったが全くうまくいかずほとんどジョグ状態でゴールした。インカレという大舞台で初めて得意のランが走れなかった。朝早くからしんめいと自分2人のために応援に駆けつけてくれたつくトラのみんなに不甲斐ない走りを見せてしまって申し訳なかった。 
 
Total 
インカレが渡良瀬で開催ということもあり、totalで2時間を切る絶好のチャンスだと思ったがまたしても達成できなかった。ただ、スイムはOWS自己ベストかつ1'30"/100mを切って泳げたこと、Bikeもいいパックに乗れて巡行も速いことを考慮するとそこまで悪くはない。一番得意なランが走れなかったのは悔しいがそれもまた実力ということで片づける。 
 
今年に入ってからは順調に競技レベルが上がりより高みを目指すようになり、国スポも出場できて、インカレも出場できて大変充実した1年になりました。4年生になってから研究室が忙しくなるので本気でトライアスロンに打ち込めるのは今年で最後になると思い、全力で取り組みました。他の人から見たら競技人生は短いかもしれないけどこれで良いです。ありがとうございました。成長を感じられるのがスポーツの醍醐味ですね。まだ、 
つくトラには所属するし、練習も行くし、大会も行くのでトライアスロンには関わります。つくトラの皆さん、その節はよろしくお願いいたします。 
最後にトライアスロンを初めて最初に出場したレースと今回のレースを比較して成長の自己満してから終わりにします。 
 
2023 6/3彩の国トライアスロンin 渡良瀬(スプリントS750m B23km R5km)→ 
インカレin渡良瀬(OD S1.5km B43km R9.9km) 
<swim>13'02" (1'44"/100m)→22'19" (1'29"/100m) 
<bike>34.9km/h(単走)→42.4km/h(ドラ) 
<run>3'54"/km→3'45"/km 
スイム:1番うれしい 
バイク:2番目にうれしい 
ラン:3番目にうれしい 
 
しんめいと金田さんと。スタート前。