2025/04/26

2024年のインカレについて

強力な台風の影響により、インカレが延期され、スプリントと連日開催となった異例の2024年。
さらに、インカレの大会スタートが遅延するという、異例に異例を重ねた中での大会開催となりましたね。

どうも、私です。つくとらの人たちに分かってもらえれば大丈夫なので、名前は出しません。

インカレの日に、私の身に何が起こったのか。


私が2024年の学連の活動で最も覚えているのは、学生レース最後のインカレで、私が鍵を無くして、全ての大会関係者が会場に入れずにインカレの開催時間が大幅に遅れてしまったことです。


それについて、話していこうと思います。何となくです。


インカレ当日

選手駐車場の開放時間は、朝5:30。

選手駐車場を開けるのは、大会運営委員長である私の役目だ。


雨が降っていた。確か、朝5:10〜20くらい、私が会場に着くと、朝5:30から駐車場開放のはずなのに、すでに選手の車で、1本の道が渋滞していた。


真っ暗闇の中、車の赤いランプが連なり、長い列を作っていた。朝とはいえ、一般の大型運搬トラックも通る一車線道路。トライアスロン関係者が一般人に大きな迷惑をかけていることになる。すでに大型トラックが、渋滞に巻き込まれていた。


第一パニック

状況を理解して、ジャラジャラした大量の鍵を握りしめて、運転していた車を急いで降りた。まず向かったのは、一般道路と会場を繋ぐ道に入るための両開きの門。そこは元々開いていたようだが、左側しか開いていなかった。


「この渋滞をすぐに緩和しないと。できるだけこの道を通れる車を増やさないといけない、右側も開けないと。」


鍵を持って、雨の中、真っ暗な中、南京錠を回す。道路から折り返すような道になっているため、前にも後ろにも車の渋滞が続いていた。鍵を入れて、回す。


「やばい、開かない。」


これ詳しくは忘れたけど、鍵を入れて回すだけでは開かない仕組みになっていた。そんなこと知らないから、何回か試してみるのだが、何度やっても開かない。鍵が違うのか、別の鍵でも試す。開かない。


第1プチパニック。そんな中、渋滞に巻き込まれた大型トラックが、それはそれは大きなトラックのクラクションと怒号を私に浴びせるのだ。

『馬鹿野郎!クソが!』ぶーーーーーーーーー!!!!!


(もう、だめだ、ここは左側が空いているから、もう諦めよう)



第2パニック

ダッシュして、次に向かったのは関係者駐車場。なぜなら、さっきの場所から一番近かったから。笑


鍵がジャラジャラぶら下がったアレ。アレが私の手に3種類くらいあった。雨の中、真っ暗の中、1人でたくさんの鍵を1つずつ試して、そこの駐車場を開けようとした。鍵が大量にありすぎる。鍵が入らない、回らない。全部試した。


「え、どの鍵でも開かない、」


第2プチパニック発生。こうしている間にも、トラックの大きなクラクションは鳴り響き続けているし、車の赤いランプは恐ろしい光景になって私の後ろに陳列している。


それと並行して、学連の宿を出発する学生から、私に電話が入る。


学連の学生「かのこさん、車が足りません!」

日本人の私「What the F**k」


学連の宿から会場に向かうための、使用できる車の数は把握していたし、誰が運転して誰が何に乗るか、資料まで作って指示していたのに、「車が足りないので会場に行けません」というトラブル発生。※詳細は最後


「おけ、どうにかする、一旦待機で!!」


渋滞はえげつない、鍵はない、車はない、カオス状態でした。


話は戻り、関係者駐車場の鍵が開かない。

(私の開け方が間違えていたのかな、もう一回、、)なんてしている場合じゃねえわ、そこも諦めて全力ダッシュ、次に向かうは選手駐車場。


第3パニック

渋滞している車の横をダッシュして、選手駐車場に到着。安定に、雨の中、真っ暗で、車の赤いランプの列が私をプレッシャーで押しつぶす。


選手駐車場の門は一番大きい。あの門には、南京錠が4つ(だったかな)ついている。南京錠に入る鍵はあったが、例の如く、開かない。第3プチパニック。たった一人、大きな門と車の渋滞に挟まれて、鍵を開けられない。本当に恐ろしい光景だった。暗闇の中、私を先頭に奥まで見えない渋滞、赤いランプがずっと遠くまで続いていた。


駐車場開放

確か、1つ目の南京錠は開けることができた。私はその時、その門に4つもの南京錠が付けられていることを聞かされていなかった。1つ目の南京錠を開けて、門を開けようと引っ張ったり、押したりしていた。開くわけないのだ。1人で門と格闘していると、後ろで渋滞していた車から、選手がワラワラと降りてきて、助けに来てくれた。


「大丈夫ですか?手伝います!」

「こっちにも、南京錠ついてます!」

「鍵をパスして!こっち開けとくよ!」


助けに来てくれた選手は1人だけじゃない、いっぱいきてくれた。しんめいもきてくれた。あの時、本当に辛かった、どうにもできない自分の力不足、何もうまくいかない、何も解決できていない、すでに大会遅延は確定、私は冷静ではなかった。


あの時助けに来てくれた選手たちの大学や名前、なんなら顔も覚えていない。けど、あそこで彼らが来てくれて、一緒に開けてくれて、なんとか選手駐車場を開放することができた。


本当に感謝しています。もちろん、大会運営委員長として、『駐車場を開ける手伝いをしてくれてありがとう』というのもあるけど、私個人として『あの時、助けに来てくれてありがとう』

人からの手助けが、こんなにも精神的に安心をもたらすのかと、感動致しました。人間の暖かみを、ふと噛み締めて、駐車場を開放していたという裏話でございました。


関係者駐車場開放〜裏ルート〜

ちなみに、選手駐車場が開放したのはおそらく、朝6時くらい。

なんと第1パニックの時から30分くらいしか経っていない。


選手駐車場を開けられても、関係者駐車場を開けないと大会は開催できない。ダッシュして戻って、また大量の鍵を1つずつ試すのだが、やっぱり開かない。鍵を落とした可能性も視野に入れていたので、LINEの学連グループで「至急、鍵を間違えて持っていないか、`近くに落ちていないかを確認してください」と連絡を入れていたし、私が乗っていた車の中を探すよう、同乗していた学生に指示は出していた。それでも見つからないのだ。


鍵はない、そして学連の宿にまだ学生が取り残されている、という危機的状況。(*第2パニック参照)


もう空は明るくなってきていた。


結局、鍵は見つからないまま、普段は使わない門から無理やり入れることを発見し、ランコースを車で通って、本部に入場できた。


すんなり書いたけど、その結論に至るまでも、結構大変だったよ。


鍵の所在について
どこにあったと思う?



鍵を預かった際に、「ぜっっっったいに無くさないで」と言われていたので、車の中から出さないようにしていたのさ





ってことは車の中にあるに決まってるじゃん?






鍵がないって分かって、もちろん、一番に車の中を探した






どんなに探してもなかった。でもね、、、






どこにあったかというと、、、












車の運転席のフットシートの裏にあった。

これ、私納得していない。私も探したし、私以外の人にも探させた。なかった!!ぜったい、見えない何かに意地悪されてたって(T T)
妖怪とかいたって。

「フットシートの裏を探すのは当たり前だろ」と大人の方々や、車を所有して数年以上経つ方々は思うかもしれませんが、普段車を使っていないと、そうも簡単にそこを探そうとはならないわけです。学生だけしかいなかった、というのも見つけられなかった要因だと思いますね。

少なくとも、私たちはくまなく車の中を探しました。フットシートの裏以外。

あと余談なのだが、その後、本部にいた女性理事がインカムで
女性理事「鍵見つかったそうです。どうやら学生の車の中にあったそうです。」






いや、フットシートの裏ね?

そこ、大事だからさ、頼むよ

以上、余談でした。



宿に取り残された学生たちのその後

宿に取り残された学生は、学連に参加していた学生の親御さんにご協力いただき、宿に1人を残し、会場へ到着。その時、車に乗り切らなかった学生はつくとらのこじさん、迎えにいってくれたのは森竹。私が頼んで、森竹に車を出してもらった。非常に助かった、ありがとう。


ちなみに、車が足りなくなった理由は、ドローンで選手を撮影するサービスをしてくれたドローン会社の人たちが勝手に乗っていってた。怒るよ〜?


この1日を通して

県協会のおじさまたちが、とても頼もしかったし、優しかったのを覚えております。

「しょけた顔してたら、引っ叩いてやろうかと思ったけど、案外元気ならよかったよ。大変だったと思うけど、なんとかやりきったな!よくやったな!」

と言っていただき、肩の荷が降りたというか、スッと脱力できたというか。レース当日の運営側のあの空間は、何だかずっと気を張っていました。みんな疲れているし、自分がうまくできていないような感覚(実際できていなかっただろう、という意見も受け入れます)とずっと過ごしてきました。

運営中は、疲弊し切った思い出ばかり目立ちますが、全て終わり時間も空いた今、伝説に残るやらかしをしてしまい、無事レースが終了できたことだけでも喜ばしいこととは思っておりますが、「より効率よく、それぞれの学生が主体的に行動できる運営」を目指していたので、最後のレースであの混乱の中、それぞれの学生が自分の役割を理解し、主体的に動けるような様子が見られ、大会運営委員長としてのモットーはなんとか実現ができたのだろうと、ポジティブに捉えます。

最後まで読んでくれてありがとう。





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