2025/03/26

最後に

卒業式、追いコンでは盛大に祝ってくださり、本当にありがとうございました。
つくばから東京行きのバスに乗りながら、書いています。
B4の小島です。

遂に卒業しました。
全く振り返ってみても、本当に長かった。
5年間、最高の宝です。悔いなど無い。

大学生活、中心にあったのはつくトラ
ここまで長く所属し、ここまで想いがあるチームは人生で初めて。

悔しいことが9割、嬉しいことが1割。
けどその1割がとてつもなく嬉しくて、最高で、凄く綺麗な絵だった。

どんな時もライバルがいて、仲間がいた。
レース中にどれだけ「頑張れ」と声をかけてもらったのだろうか。
どれだけゴールした後に、お互いを讃え合ったのだろうか。

1番、好きな瞬間はレース後に座り込んで、お互いの健闘を讃え合っている瞬間。
アンクルバンドを取り、輪ゴムを外し、水を飲む。
生きている気がする。報われた気がする。
鮮明に思い出す風景。最高だった。


届かなかった。

インカレのゴール。
僕らは届かなかった。
共に出ることも叶わなかった。

2年は私だけ。
3年は彼だけ。
4年は私だけ。

赤いテープを一緒に切りたかった。
何度、夢に見たのだろうか。
叶うなら、そこだけ。

大学生活、本当に唯一の心残り。
「3年のあの時期だけ、戻りたい。」


色々と言葉を頂いた。力を頂いた。
返しきれないものを頂いた。

大した人間でもない。
器も小さい。
人に迷惑をかけた時も沢山あった。

そんな自分を受け入れて
心の底から応援してくれてありがとう。

最後に
つくトラ、愛しています。
大学生活、人生を彩ってくれてありがとう。
最高でした。

〜〜〜
皆さんに一言ずつ添えたいですが、
特に伝えたい方だけにココでは留めます。

さき、かの、しのへ。
結局、昨日の場でも言えなかったので、
文で残します。

同期、特に3人には本当に感謝しかないです。
ここまで一緒に共にいてくれてありがとう。

3人がいたから、走りきれました。

コロナで部活が無い中、11月頭にインカレを観戦しに行ったあの時、入部を決めました。

そこから、4年間。
コロナ明け対応でバタバタしていた時も、
内部でギクシャクしていた時も、
21.22年のインカレで悔しさも喜びもあり、
23年のインカレは全力で応援してくれ、
24年のカンカレは皆んな出てくれた。

嬉しかった。
本当に、このメンバーに恵まれて良かった。

さきへ

1番同期を想ってくれていたよね。
1年の冬、筑波山下山中に対向車線に飛び出した時は本当にヒヤヒヤしたなぁ。
あの時、何もなくて本当に良かった。

実はつくトラで3番目に嬉しかったのが、
(1番、2番は下にある)
23年のカンカレ突破を決めたゴール先でさきと握手をした時です。
あの時、報われたと思うと同時に、本気で喜んでくれたさきを見て、感情がブワッと溢れた。
本当に嬉しかった。
ありがとう。また、同期で集まろう。

かのへ

お疲れ様でした。
あの大変な代で主将をやってくれて、本当に良かった。自分じゃなくて良かった。

謙遜しているけど、かのは凄いと思っている。
真面目で愚直で、時に張り詰めている時があったけど、それでもやり切った。

サシで話したことも数回あった気がする。大丈夫かなと思う時期もあった。
ただ、自分の軸を持っている。進んでいる。
そんな、かのを尊敬しています。

インカレ、ゴール、本当に格好良かった。
また、一緒に切磋琢磨したい。

しのへ

先に引退します。
お互い、性格も趣味もまあ合わない。
トライアスロン部の同期というだけ。

それだけだったけど、それで十分だった。
入れ違いでのインカレ出場。
お互いに悔しさも喜びも食い違った。

だけど、目標は同じ。
一緒にゴールする。
届かなかったけど、しのが居たから僕は頑張れた。本当にありがとう。

22年の夏
「一緒に出たい」
この言葉は今も鮮明に覚えている。
終わろうと思っていた自分に火がついた。
その一言だけで、23年の夏まで十分だった。

ごめん。ゴールは遠かった。
けどね、つくトラ2番目に嬉しかったのは、
23年の夏、インカレ後に宿を抜け出して、ランコースを一緒にジョグして、ゴールの位置まで一緒に走ったことです。

やってきて良かった。
いつになるのか分からない。何かも分からない。
けどさ、いつか一緒にゴールテープを切ろう。

つくトラで1番嬉しかったこと。
24年のカンカレ。
最後の学生トライアスロンレース。
最後に皆んなで、写真を撮れたこと。

パンクして破茶滅茶だったけど、
一緒にゴールできた。
それだけで十分です。

最後に、ありがとう。


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