2025/03/31

2年生ラストの日に思うこと

 2025331日。大学2年生最後の日。無事に筑波春合宿を終えることができました。

主将の根本あさひです。

合宿に参加してくださった他大学の皆さん、サポートをしてくれた先輩方、そして一緒に運営を頑張った同期の梅木と中野。本当にありがとうございました。


合宿をやってよかった。心の底からそう思いました。

新しい出会いもたくさんあったし、選手として主将として成長することができたと感じたからです。

大きなトラブルもなく無事に終えることができたことが何よりも嬉しいです。

合宿初日から雨の中つくばエクスプレスの運行停止による大混乱。どうなることかと思ったけれど、現状を的確に教えてくださった合宿参加者の皆さん、車出しを調整し実行してくれた先輩方のおかげで、何とか時間通りに合宿を始めることができました。

 

合宿をやらない選択肢もあったわけです。

実際昨年はそうなってるし、私たち同期はそこまで競技の実績があるわけでもない。

それでもなぜやる決断をしたのかというと、私たちならできると思ったからです。

 

1年生の入部式からずっと3人でやってきた。

2年生になって同期仲間は増えたけれど、彼らはつくトラのことをまだよく知らない。

私は主将、中野は副主将、梅木は主務と会計。

きっと同じクラスにいたとしても決して交わらないような3人。

お互いに理解不能なことが多々ある。

しかし、だからこそ適材適所がうまくいっているのだと私は思う。

世はこの3人組をあちゃずと呼ぶ。

梅木が合宿やろうよって言ったときから、主将のやる気はマイナス面を上回った。

 

3月は忙しかった。

OBOG駅伝、卒業式、追いコン、筑波春合宿。

やることに優先順位をつけて淡々とこなしていたつもりであるが、精神はそうでなかったらしい。普段なら落ち着いて対応していたものも、すぐにカッとなったり、涙が出たりした。皆に迷惑をかけた。

合宿が終わった今、緊張と重圧から解き放たれ、3月を冷静に振り返ることができている。

 

私が泣いた夜、なぜか梅木も泣いて、中野も見たことないくらい落ち込んでいた。

2人が私におんぶにだっこされているだなんてとんでもない。

おんぶにだっこさせてもらってるのは私の方だよ。

 

役職柄、梅木の仕事は目立たない。主務の仕事はいちいち部全体に報告なんかしないし、やって当たり前だと皆が思っている。それにプラスで大きなお金を扱う会計もやっている。正直、私は梅木がどれだけの書類を抱えているのか生で見たことはない。彼は私と中野にすら文句ひとつ言わず2役の大仕事を淡々とこなしている。感謝と尊敬しかない。この状態をうまく部員に伝えられていなかったのは私の責任だと思っている。ごめんなさい。部の存続がかかる大切な仕事を梅木がやってくれているから今のつくトラはあるのです。

 

中野は練習に関わる重要な仕事を全部引き受けている。バイクパート長、ランパート長兼任、ブロック会議出席、ミーティング資料作成、etc. 俺は仕事足りてないんじゃないかとか、あさひと梅木に比重が偏っているだとか、そんな心配をする必要はない。だって私と梅木は中野が今やってくれている仕事を代わりにできないから。バイク練習も、ラン練習も、中野が日程調整や練習強度などを考えてくれるから行うことができる。すごいことだよ。

 

主将は、その名の通りよく目立つ。指示を出す場面も多いからたくさん仕事しているように見える。確かに3月は部としてのイベントが多く忙しかった。しかし、その指示の裏にはいつも梅木と中野との協議がある。2人とも自分の仕事をしながら私の質問や提案に答えてくれる。私ができない部分はフォローしてくれる。そんなこんなであちゃずのラインは遡るのがとても大変なのだ()

 

2年生ラストの日に思うことは、幹部半年お疲れ様、いつもありがとう。

合宿最終日、所属大学など関係なくお互いをたたえ合い、みな笑顔で写真撮影をしていたのが印象的でした。こういう機会を作ることができるのってとても嬉しいな、そう感じました。主将になって半年が経ち、やっとその実感が湧いてきた瞬間でした。

このように私を主将たらしめてくれるのは、梅木と中野のおかげです。

2人がいるからこそ、私が主将になれるのです。本当にいつもありがとう。

 

明日からは3年生。

今年も一緒に成長しよう。








2025/03/26

最後に

卒業式、追いコンでは盛大に祝ってくださり、本当にありがとうございました。
つくばから東京行きのバスに乗りながら、書いています。
B4の小島です。

遂に卒業しました。
全く振り返ってみても、本当に長かった。
5年間、最高の宝です。悔いなど無い。

大学生活、中心にあったのはつくトラ
ここまで長く所属し、ここまで想いがあるチームは人生で初めて。

悔しいことが9割、嬉しいことが1割。
けどその1割がとてつもなく嬉しくて、最高で、凄く綺麗な絵だった。

どんな時もライバルがいて、仲間がいた。
レース中にどれだけ「頑張れ」と声をかけてもらったのだろうか。
どれだけゴールした後に、お互いを讃え合ったのだろうか。

1番、好きな瞬間はレース後に座り込んで、お互いの健闘を讃え合っている瞬間。
アンクルバンドを取り、輪ゴムを外し、水を飲む。
生きている気がする。報われた気がする。
鮮明に思い出す風景。最高だった。


届かなかった。

インカレのゴール。
僕らは届かなかった。
共に出ることも叶わなかった。

2年は私だけ。
3年は彼だけ。
4年は私だけ。

赤いテープを一緒に切りたかった。
何度、夢に見たのだろうか。
叶うなら、そこだけ。

大学生活、本当に唯一の心残り。
「3年のあの時期だけ、戻りたい。」


色々と言葉を頂いた。力を頂いた。
返しきれないものを頂いた。

大した人間でもない。
器も小さい。
人に迷惑をかけた時も沢山あった。

そんな自分を受け入れて
心の底から応援してくれてありがとう。

最後に
つくトラ、愛しています。
大学生活、人生を彩ってくれてありがとう。
最高でした。

〜〜〜
皆さんに一言ずつ添えたいですが、
特に伝えたい方だけにココでは留めます。

さき、かの、しのへ。
結局、昨日の場でも言えなかったので、
文で残します。

同期、特に3人には本当に感謝しかないです。
ここまで一緒に共にいてくれてありがとう。

3人がいたから、走りきれました。

コロナで部活が無い中、11月頭にインカレを観戦しに行ったあの時、入部を決めました。

そこから、4年間。
コロナ明け対応でバタバタしていた時も、
内部でギクシャクしていた時も、
21.22年のインカレで悔しさも喜びもあり、
23年のインカレは全力で応援してくれ、
24年のカンカレは皆んな出てくれた。

嬉しかった。
本当に、このメンバーに恵まれて良かった。

さきへ

1番同期を想ってくれていたよね。
1年の冬、筑波山下山中に対向車線に飛び出した時は本当にヒヤヒヤしたなぁ。
あの時、何もなくて本当に良かった。

実はつくトラで3番目に嬉しかったのが、
(1番、2番は下にある)
23年のカンカレ突破を決めたゴール先でさきと握手をした時です。
あの時、報われたと思うと同時に、本気で喜んでくれたさきを見て、感情がブワッと溢れた。
本当に嬉しかった。
ありがとう。また、同期で集まろう。

かのへ

お疲れ様でした。
あの大変な代で主将をやってくれて、本当に良かった。自分じゃなくて良かった。

謙遜しているけど、かのは凄いと思っている。
真面目で愚直で、時に張り詰めている時があったけど、それでもやり切った。

サシで話したことも数回あった気がする。大丈夫かなと思う時期もあった。
ただ、自分の軸を持っている。進んでいる。
そんな、かのを尊敬しています。

インカレ、ゴール、本当に格好良かった。
また、一緒に切磋琢磨したい。

しのへ

先に引退します。
お互い、性格も趣味もまあ合わない。
トライアスロン部の同期というだけ。

それだけだったけど、それで十分だった。
入れ違いでのインカレ出場。
お互いに悔しさも喜びも食い違った。

だけど、目標は同じ。
一緒にゴールする。
届かなかったけど、しのが居たから僕は頑張れた。本当にありがとう。

22年の夏
「一緒に出たい」
この言葉は今も鮮明に覚えている。
終わろうと思っていた自分に火がついた。
その一言だけで、23年の夏まで十分だった。

ごめん。ゴールは遠かった。
けどね、つくトラ2番目に嬉しかったのは、
23年の夏、インカレ後に宿を抜け出して、ランコースを一緒にジョグして、ゴールの位置まで一緒に走ったことです。

やってきて良かった。
いつになるのか分からない。何かも分からない。
けどさ、いつか一緒にゴールテープを切ろう。

つくトラで1番嬉しかったこと。
24年のカンカレ。
最後の学生トライアスロンレース。
最後に皆んなで、写真を撮れたこと。

パンクして破茶滅茶だったけど、
一緒にゴールできた。
それだけで十分です。

最後に、ありがとう。


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