2019/02/27

IRONMAN-NZってどういう意味か議論するブログ。第六章完走ー就活編~大したことない~

鉄は熱いうちに打て
ということで、気力があるうちに、完走した感想(決して駄洒落じゃない)を書きます。
修士の菊池です。
最近は就活なり研究なりで追われており、気付いたら体調を崩しておりました。ただいま目がパンダのように腫れた状態でブログ書いています。
たぶん、風邪でも引いて、家で閉じこもっている時くらいしかブログ書く機会がないと思います。もしかして、風邪は神様からブログを書けとのお達しかな??

ちょっぴり真面目な記事書きます。こういう堅苦しいこと書くのは、院生のお仕事だと思うので。

さて、僕がIRONMANを参加した理由は、「超過酷なレースを乗り越えたら、物凄い達成感を得られると思ったから」でした。
しかし、いざ完走してみると、「なんだ。こんなものか。大したことないじゃん。」
いう程度でした。
いや、確かにすごい達成感でしたよ。けど、オリンピックディスタンスを完走した時の達成感に毛が生えた程度でした。
これには自分でもびっくりでした。

達成感は思っていたより大したことはなかったけど、純粋にレースは楽しかったです。
僕が参加する前に立てた仮説「トライアスロンは達成感があるから楽しい。その過程(スイム、バイク、ラン)は大して重要じゃない。僕がトライアスロンに熱中したのは単に達成感中毒だったから」
は、どうやら正しくなかったようですね。

IRONMANきつかったけど、楽しかった!そう思えるのは、勿論、途方もない挑戦に打ち勝ち、自分だってやればできるっていう達成感を味わえたこともありますよ。
けどそれだけじゃなくて、純粋にレースが楽しかったんです。

綺麗な湖を伸び伸びと泳いで、NZの広大な大地をバイクで突っ走って、如何にしてストライキした筋肉を動かすか考えながら走って。

純粋に、体を動かすことが楽しかったんです。
もう、これでもかってくらい、エネルギーを発散させるのが楽しかったんです。

これは僕にとって、大きな発見でした。IRONMAN前までは、僕は達成感中毒者で、根本的な思想は麻薬だったりギャンブルにハマる人と一緒。要は何かに依存してるんだって
達成感さえ得られればいい。運動は達成感を得るための手段であって、目的ではないんだって。だから、純粋に運動を楽しめていない、ただ達成感を求めて体を動かしてるだけなんだって。その手段がたまたま運動だっただけだって。

そうじゃない。確かに達成感を得るためってのも、運動する理由の一つだけど、運動という行為自体も好きで、目的である。それをIRONMANを通して確かめられたこと。それが一番の収穫でした。

この気持ちがあったからこそ、M1でも思いっきり運動を楽しめました。この気持ちがあるから、今後も何かしらの形で運動を楽しみたいな。そう思えるレースでした。

ということで、これからIRONMANに挑む、つくトラ戦士たちへ。帰ってきたら感想をぜひ聞かせてくださいね。何を得られたのか、何を感じたのか。すごく気になります。

さて、話は変って就活編。

就活って、常に「何故そうしたか」を問われるんですよ。面接では、何故君はそう考える?ってのを常に聞かれます。だから、日々の生活でもその癖がついて、「なぜ僕は今勉強しているの?youtube見ているの?バイトして金を稼いでいるの?」なんてことを常に考えちゃいます。
考える事で、自分の行動に無駄がないか常に見返すことができます。
けど、これって非常に息苦しいです。常に考えちゃうから、思い切った行動ができない。何かに全力で取り組もうにも、「それって本当に意味があるのだろうか?」なんてこと考えちゃいます。
息苦しいと思いません?

ふと、IRONMANのブログを書いて、上記した考えが頭をよぎりました。
そんなに深いこと考えず、自分がやりたいと思ったことに全力で取り組みたい。
このままじゃ、なんだか味気のない人間になってしまいそうです。

以前と同様
とまでは行かずとも、全力で走って汗を流したいな。そう思った就活解禁2日前の夜でした。





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