2025/07/01

掴みかけて

2020年入学、修士課程2年の篠原です。5年連続5度目の関カレに出場したのでそのレポートを記します。


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本気で感動して、悔しい日だった。


この3ヶ月、一緒に真ん中のレーンで泳いでたチーム1:40の3人がインカレを決めたこと、ほんとにすごい。スレスレの闘い、特有のプレッシャーと焦りに負けず最後まで信じて勝ち抜いて、カッコいい。おめでとう。(絶対に絶対に完走して欲しいので、あと3分一緒にスイム縮めような。)


自分もその一員にと思って意気込み臨んだ学生最後の5度目の関カレは、バイクでインカレ出場ボーダーまで30秒のところまで掴みかけて、届かなかった。


Swim 25:31 (89/180)

Bike 1:03:02 (32/180) Ave 37.1km/h

Split 1:28:33 (55/180) 

Run 47:31 (105/180) Ave 4:46/km

Total 2:16:04 (75位/完走180人)

(出身競技が陸上中長なのにランの順位が一番低いのはどうなんだ)(ボーダーは51位、2時間10分)


ボーダー滑り込みを狙う僕にとっての唯一の勝ち筋は、スイムで80位で上がり、バイクで40人抜き、ランで数人に抜かれながらも耐えることだった。


【入水チェック】

冷たさが気持ちいい。関カレの水を気持ちいと感じたのは初めてだった。そのくらいの酷暑だった。


研究室の山仲間のイケオジが撮ってくれたお気に入りの一枚


【スイム】

進行右に吹く波を見て内側に陣取る。スタート直後は荒れてロープが押されて曲がるので、正面のブイだけを見て泳ぐ。テンポ良く、力は抜いて。ヘッドアップは3回に1回で、真っ直ぐよりも「いい動き」を優先。1周目は常に人が密で泳ぎにくかった。ストロークの度に横の人と腕が接触するのが続くのはかなりストレスだが、いつも練習でみんなが潰してくれるので穏やかな気持ちで1周目を終えた。手元を見て12:30。上振れも下振れもなく順当なタイムを見て安堵。2周目はいつのまにか単泳になってしまっていた。どんな感じで集団から離れていったのか、上空からのハイライトを確認したくなる。ハムが攣る気配を感じたが冷たいのでしょうがないと割り切る。陸に上がり、手元を確認して25:18、悪くはないがよくもない。「91位、古俣前にいる」の声。理想より10位ほど遅れをとった。この10位分が後々かなり効いてくる。地味につくとらスイムラップ1位を狙っていたのでそこも少し悔しい。


T1 1:44

関カレスイムはほぼずっと人が近くにいるのでかなり揺れ、真っ直ぐ立てずウエットを脱ぐのに時間がかかってしまった。体幹の弱さがお着替えにも響いた。飛び乗りはカコイチ綺麗に決まった。


【Bike】

漕ぎ始めた瞬間から左ハムを攣っていたが、軽度なので無理やり漕ぎ続け、下りで直す。最初の折り返しですぐ後ろに中野を確認、その少し後ろに駿も見つけ、「チーム1:40」は大事故なくスイムアップできているのを確認し嬉しくなる。早々にアフロの熊谷くんに抜かれ、早々に古俣を捉え、エモい展開。


漕ぎ方は予め決めていた。

・まず最初の折り返しまでで初速踏んで45km/h維持。Uターン前にドリンクを飲む。前日のカネDスペシャルコーチの「ここが一番スピード出る」の一言がなければ、そんなにスピード出せるはずない、と思い込んでいたかもしれない。

・Uターン後は軽く登っているので、立ち上がりだけ踏んであとは軽く回し、下り区間に向けて足を温存。

・下り区間は前日の試走で55〜60km/hでいけると確認したのでその予定だったが、レース中にその無酸素領域は出せず、50〜52km/hに切り替え妥協。コーナーはブレーキが直前すぎると加減が難しく失速が大きくなるので、タイミングは攻めすぎず、曲がった後の初速を落とさないことを優先。

バイクはほぼずっと一緒でエモかったよなかの


・下り終了後の短区間は路面が悪く失速しやすい場所が多いので、そこでしっかり踏み込みを入れる。ブレーキ無しで上り坂へのコーナーへ。

・坂は32km/h目標の30km/h死守。傾斜に変化があるので、緩くなった時にちゃんとスピードを上げられるよう、追い込みすぎず余裕を持たせて登る。うまく漕げている時はケイデンス重視だが、バテている時はトルク重視で失速しすぎを防ぐ。最後の200mくらいはもう一段階傾斜が急になるのでギアを一段早めに落としケイデンスを上げる。曲がったあとちゃんと立ち上がれるように余裕を持たせる。

・坂が終わり曲がったら2,3回に分けて立ち上がり45km/hに乗せる。沿道が応援いっぱいなので一番力も入る。道が狭いので「右通るよ」と叫びながら突っ込む。

•最後の降車の道も緩い登りになっていてシューズを脱いでいる間にすぐ失速するので、ギアを落としケイデンスを上げる。


ボーダーに滑り込むためにはランに入る前に圏内にいることが絶対条件なので最低40人、できれば50人本当は抜かしたかったが、周回遅れの人も含め1周あたり5〜6人抜かすのでやっとで焦りそうになるが、5周目あたりで梓銘の「ボーダーまで2分」が聞こえたおかげで心を繋いだ。


T2 1:19

バイク降りた瞬間に風が無くなり日光が心臓まで届いてるような気持ちになる。用意しておいた浴びる用の水は冷たかったが、アイススラリーは完全に温水になっていた。日産カップの時はやや冷たいくらいだったのに。


【Run】

すぐスーパーサポート隊長玉井が見える。「ボーダーまで30」の声。遂にインカレの背中を捉えた。胸が落ち着かない。すぐ前に走り始めた中野の背中も見える。追いかけたいが真っ直ぐ走れない。キロ4で刻めれば可能性はあるはずだ。でも今の走力的には4:10〜20/kmが順当なので120%を絞りきれればワンチャンあるかな、というくらい。だがあっという間に5人くらいに抜かれ、中野も見えなくなり、足も上がらない。とはいえ最初の1キロが4:40、体感よりは走れており、立て直せばまだ可能性はあると思った。ただそこからも上げることはできず、最初の外周が終わる頃には諦めてしまった。ただすぐ後ろに駿がいたおかげでチーム内3位の目標に切り替え、集中を切らさず足を動かし続けることができた。結局秒で抜かれてしまうが、なんとか捉えて、並走出来たら胸アツだ、なんてことを考えていたが少しずつ離される。そこからは思い出ランだった。外周は全ての場所に応援がいてくれた。研究室、とんとら、北大、両親、駿亮、ボンバーズとJとNorthのOBOG同期世代、ハスさん光さんかっつんさん、ミクファミリー、そしてつくトラのみんな。みんなのおかげで気持ちを切らさずに走ることができた。毎度思うけど応援なかったら絶対完走できない。本当にキツく苦しく幸せな時間だった。結局最後は涼太にも抜かれ、つくとら5位、ボーダーまで6分ほど空いてのフィニッシュになった。悔しい。懸けている期間が3ヶ月しかないとはいえ、観音寺リベンジ権の可能性が正式にゼロになり、涙が込み上げる。


ただただ悔しく、情けない


【総括】

スイムは25分でやっとスタートライン。余裕を持って戦いたいたなら23分は無いといけないということを改めて痛感。そのタイムで上がれていたら、バイクも上位帯の集団(不可抗力)に乗ることができる。そしてラン。ランが強くなったらもっとレースは楽しいのだろう。あとはODの長さへの耐性。これは精神面と体力の両方。


やはりランで多少垂れても大丈夫なスイムバイクが必要だ。そう考えるとスイムは23分、バイクももう1キロは巡行を上げたい。


なんてことを考えてしまう。「次」はもう無いけど。なので来年以降インカレを目指す後輩たちには、バイクランで多少うまくいなかくても間に合うスイム力をぜひ目指してほしい。


NEXT: 

潮来でNCS、湘南OWS、カーフマン5枠目争い。


【最後に】


院生でここまで熱くなってもいい環境、本当に恵まれている。もう一度頑張ろうと思えたのは、1年の時渡良瀬インカレで見た尊敬する当時M2の大先輩がインカレ完走を果たし仲間と抱擁するシーンが強く印象に残っていることも大きい。


3年前の夏、バイクで周回に入れず、折り返す先頭集団を柵越しにただ眺めることしかできなかったあの記憶を塗り替える切符を手に出来なかったことは本当に悔しい。この3ヶ月続けたスイムの猛練習を続けていく大義名分を失った悲しみもある(湘南OWSに出るついでにチーム1:40を9月までに「1:30」にアップグレードする使命があるのでスイム練はやめない)。でもやっぱり、一度諦めたところからほんの数ヶ月だとしても本気で目指せるところまで戻って来れて、あの頃はいなかった同じ泳力の仲間に囲まれて、院生でも頑張らせてもらえる時間が本当に幸せだ。



僕がつくトラにできる事(#練習全般)

 初めまして。初めて部ログを書きます。この春から筑波大学の大学院にやってきたM1の古俣光覇と申します。以後お見知りおきを。


 さて先日の東日本インカレ・関東インカレが終わり、前半シーズンの山場が終わりました。レースレポートは私自身のnoteに書いてあります。https://note.com/m1tsu_k0ma/n/n5623338a7014 お時間ある際に読んでいただければ幸いです。たまにこちらでも書いているので、要チェックです。


 ここでは、関東インカレが終わってからのつくトラと僕の未来の話をしたいです。未来に行く前に少しばかりの身の上話を。


 僕は昨年まで、他大学でトライアスロンをしており、Afro-Qというインカレサークルを拠点にしていました。とはいってもトライアスロンを始めたのも、Afro-Qに入ったのも2023年B3の秋頃から。冬頃からはつくトラに仮部員として練習に参加していたので、所属のアイデンティティが若干薄く、幹部代も経験せず、そういった「チーム」とかいう話になると少しばかり寂しい気持ちになる日々でした。もちろん!!Afroの同期や先輩・後輩とはめちゃくちゃ仲良いっす!!喧嘩別れとかではないっす!!今も呑みに行ったり、連絡頻繁にとったりしてるっす!!そういった訳ではなくて、チームを作り上げるというところに若干のコンプレックスがあった訳です。


 さて、話は戻って今年2025年。初の受験、院試を乗り越え、晴れて筑波大学の大学院生になったのですが、そこにはチームでやる練習が当たり前にありました。トライアスロンをやるためにだけに大学院に来た訳ではないですが、2年間で成し遂げたい事の中にトライアスロンはあったので、必然的に練習場所にいる時間は長くなるだろうなぁと。あぁ、なんか張り切っているおじさんになりたくないなぁと思っていたら、僕より張り切っているおじさんがたくさん!ありがたい!こんな環境を与えてもらえて!春から2.5ヶ月。とてもいい時間を過ごさせてもらえました。これは一体誰のおかげなんだ。誰がこの居心地最高空間を作ったんだ。そんな事を考えていた時、関カレの前日ミーティングでみんなの発言から、「あぁ。この良い雰囲気は中野や梅木、そして主将のあちゃが作り上げたんだな」と確信しました。そして、関東インカレ。あちゃと中野は無事に予選を突破し、僕もフラフラになりながら2度目の日本インカレ出場を決めました。2度目なのにちょっと泣きました。関東インカレでの機材やアドバイスを含め、日本インカレを決めるまでの2.5ヶ月。いや、もっと言えば仮部員期間を含めた1年と半年。ここまで僕はつくトラに与えられすぎたように思います。じゃあ、しんめいも含めて、男子は3人インカレ選手が揃ったことだし、団体順位獲得を目指して、日本インカレまでチームとして、つくトラとしてこの身を捧げよう。いや。なんなら、僕が卒業するであろう、2027年の3月までつくトラにこの身を捧げてやろうではないか。そう思う訳です。


 話を聞くところによると、関東インカレが終わるとつくトラのみんなは冬眠に入るそうです。みんな!寝ている場合ではないぞ!関東インカレで悔しい思いをしたんだろ!その悔しさを今、エネルギーに変えなくてどうする!?でも、1人でやるのはしんどい。それは、前の大学で1人でやってきた僕がよくわかっています。Afroという環境が、つくトラという環境がどれだけ僕を助けてくれたのかよくわかっています。だから、今度は僕が練習場所にいます。頑張りたい人。頑張ろうとする人。頑張ろうとしたけど途中で折れてしまった人。頑張らなくて良いです。プールに。りんりんに。競技場に来てみてください。そうしたら僕がふざけながら練習していると思います。いなかったら研究室にいます。人間系A棟に靴とジャージを持ってきてください。一緒に走りましょう。後、僕も人間なので、落ちてる時もあると思います。その時も靴とジャージを持ってきてください。一緒に走りましょう。


P.S.

これを読んでいるAfroの皆さんへ。

困ったら連絡ください。八王子でも、駒沢でも、彩湖でも。ぶっ飛んでいきます。みんなのこともBIG LOVEです。